果たして愛とはどういうものか。京が気障ったらしく考えさせる理由も全て、彼女らと知り合ったのが原因だった。
「モカさん?」
「おう?どったの?不法侵入?」
「馬鹿ですか貴女は」
羽丘女子学園。中高一貫の女子校。そう、女子校である。腕の関係者腕章が消えた瞬間に京は世知辛い世に圧殺されてしまう事だろう。まったく、その準備段階に入ったかと思うと笑えないが、お得意様からの呼び出しを跳ね除けるわけにもいかない。
「蘭さんはいらっしゃいますか?」
「なして?」
「わかりません」
「おうおう、お疲れお疲れ」
「貴女達のリーダーっていつもこんな感じなんですか?」
「蘭はリーダーじゃないよ?」
「え?」
今にして思えばの話だが、思えば、それが彼女達の身勝手や偽善だったとしても京はこの寵愛を受け入れただろう。
「モカさんは?」
「あたしは呼ばれてないしー」
「………そうですか」
女子校を男子が1人で歩くというのは精神衛生上よろしくないが、しかし、誰かに見られている気がするなんて結局ほとんどが自意識過剰で終わる。
「蘭さん?」
「入って」
「失礼します」
屋上まで来いと最初にメッセージを受け取った時は、いよいよ文字通り年貢の納め時かと戦々恐々したものだ。確かに言われてみれば、あの赤メッシュも和太鼓ドラムもその気配はあったのだが。
おかげでメッセージを受け取ってからの三日間、食事は1日3食しか喉を通らなかったし、夜しか眠れなかったし、恐怖のあまり心拍数が102まで上昇した。
「夕焼けをバックに決闘ですか?」
「あんたあたしを何だと思ってんの?」
「赤いメッシュ」
「それはそれでどうかと思うわ………」
名前がAfterglowという事で、京も、『まぁ、そうなんだろうな』程度には感じていた。
「最近、モカと仲良さげじゃん」
「小姑ですか貴女は」
「別にそういう事言いたいんじゃない。最近、あんたにご執心みたいだから気を付けて」
「モカさんの性格ですよ?」
「モカは興味ないものにはとことん興味ないけど、興味を持ったものには執着するから」
「野犬みたいな人ですね」
が、京の予想は外れてしまったようだ。色々誤解した蘭と一悶着あると思いきや、逆に京を心配する言葉をかけられてしまった。
モカは好き嫌いがはっきりしているとは、本人の口からも聞いている。彼自身お眼鏡に叶ったようでほっとしたのも良き思い出だ。しかし、好きなものに対して執着するとは聞いていない。それも2人の関係性ならば信憑性も高いのが余計に不安を加速させる。
「それだけ」
「そうですか………わざわざありがとうございました。では」
「ん。今度良かったら練習に来なよ」
「時間があれば」
精神を擦り減らしただけに見合う成果があったとは言い難い。蘭の性格で嘘をつくとは考え難いが、眉唾と思わざるを得ない。京から見た彼女のスタンスは来るもの拒まず去る者追わず。近付くものに対しても去るものに対しても基本無頓着で、ただAfterglowが例外なだけと考えていたが。
「よーっす京くん。早いねー」
「あまり彼女はお喋りではありませんからね」
「で、何話してたのん?」
「グリーンピースの攻略法を」
「えー?美味しいのになー」
「同意見です。が、彼女もそうとは限りませんから」
彼女は彼女らしくあってほしい。それは蘭やモカはもちろん、彼女達と関わる全ての人間に対してだ。それは今のところ、京が口を噤むだけでいい。それだけで、何てことなくまた戻る。京よりも遥かにモカとの親交が深い蘭だけにしかわからない何かを感じ取ったのだろう。
「この後ヒマー?」
「残念。先約があります」
「まるで人と約束してるみたいな言い方だぁ」
「悪いですか」
「べっつにー。そんじゃーね。また明日」
「明日は平日です」
はにかんで笑う彼女は、そのまま彼を見送った。
「………嘘つき」
まるで彼女の中にもうひとつの人格が眠っているが如く、モカの顔は怒りに歪んだ。
彼は嘘をついたという認識が自分の中にない。ただ、人と言っただけで。それがどんな状態にあるか、なんて言っていない。ある無縁仏に、京は花を持って足を運んだ。無縁仏に祀る者がいるというのも、また矛盾ではあるのだが。
「んー?」
まさか偶然とは言うまい。
モカ自身もよくわかっているが、ここでは学校帰りのノリなど通じる筈がない。場所が場所、それに何より、彼女は意図してここに来たのだから。
ラフなパーカーとカーゴパンツに花とは、プロポーズにしてはファンキーだと思いつつ後をつけたら、予想外にも墓地だった、というところ。木陰から息を殺して見守っているところである。
(ご両親?)
そういえば、京の両親の話を今まで一度も聞いていない。噂程度に、亡くなられたのではというものはモカの耳に入っていたものの。
(あー、こりゃ………)
どうやら事情は複雑に絡み合っているらしい。どうにも彼は、大切な肉親を亡くした悲劇の人、とは思えないような顔つきをしているのだから。そこに暮石がありますね、程度にしか認識していないであろう目は、冷めていない。
決して冷めてはいないのだが。
いつも通りすぎやしないか。
何があってそうなったのか。何をされてそうなったのか。
「知りたいな………」
ただただ、純粋に。
それから。
「………?」
「どうしたんです?突然何もいないところに何かいるように見せかけてこちらを驚かせる宇田川さんの真似はやめてください」
「どんな仕打ち受けてるんですか氷川さん」
気のせい、ではない。第六感というものはひどく曖昧ではあるが、その存在感を発揮させられたというか。
「今日は集まる予定はありませんよね?」
「はい。私が個人的に呼び出しましたから」
「そうですか………そうですよね」
視線。思春期なら人の目が気になるだとか、そういった自意識に関わるようなものでなく。文字通り、視線が刺さるような感覚に襲われる。抱くものは恐怖とは違う。しかし、感じてよかったと言えるものではない。
「気のせいですかね」
「このアパート、曰く付きではありませんよね?」
「もしや氷川さん、そういった類のものは苦手ですか?」
「……………」
「すみません。私が悪かったのでそういう目をするのはやめてください」
Roseliaのギター担当、性格が似過ぎて一時期姉妹説が囁かれた事もある。そんなRoselia五姉妹の姉枠こと氷川紗夜からの要請を受け、京は自宅に彼女を招いた。
の、だが………
「………やはり気になる」
「………そこまで言われると私も気になってしまいます」
直感、という恐ろしく曖昧なものではあるが、それでも、感受性が高過ぎるというのは考えもので。
「気のせいですよ」
「そうですかね」
まぁ、気のせいではないのだが。灯台下暗し、クローゼットの中に何かが潜んでいるなど夢にも思わない一般人は確認などしないだろう。だからこそ、家の中では以外と簡単に盲点を作り出せる。
(あぁ………)
ぺたりと座り込むモカの熱視線は、京には届いていない。
(あたし………ヤバいかも………)
ただただ、知りたかった。しかし今は、軽率だったと過去の自分を戒めたい。目の届かない場所には、彼が目に届いてほしくないと願うものがあるものだ。
A4サイズの紙1枚を見て、両手が震えた。そしてそれは彼の者達に対する怒りへと変わっていった。そのまま息を殺して憤怒に震えた。だからこそ、理解すべきという使命感をモカの中で加速させてしまったようだ。
「はぁ………んんぅ、あー………」
悩ましい。非常に悩ましい。モカにとっては、自分の知らない彼の側面があるというだけで、彼の中の未知を覗こうとしている自分が禁忌を犯しているようで、どうしようもなく興奮してしまう。
「あ゛………んん………は………」
粘着質な水音と、それだけで男を誘惑してしまいそうな妙に艶かしい声が自然と出る。
「いっ………んぐ………あ………あは………」
神経に染み渡るような快感が全身を支配し、脱力感で背中を壁に預ける。
(………そろそろ帰るのかな?)
動きが慌ただしくなった。行為に夢中だったせいでモカは気付いていなかったが、スマートフォンをカバンに仕舞わないまま紗夜はドタバタと出て行った。
しんと静まり返る室内。未だ冷めない余韻で自然と荒くなる息がいやに大きく聞こえる。
「………ヤバい」
いよいよ、自分で慰める程度では体が満足出来なくなってしまった。無防備な背中が、飛びつきたくて仕方がない。が、そういうわけにもいかない。
(知ってるよ)
全て知っている。彼の全てを。彼の趣味嗜好から異性のタイプ、愛飲するドリンクから嘘をつく時の癖まで全てお見通し。
彼の脳が他人と違う構造である事も。
それのせいで恐ろしく燃費が悪い事も。
全てを。
「………おーい、もしもーし。モカちゃんだよー」
彼の
「軽っ」
食べるものを食べているのか心配になるほど軽い。
「最近野菜ばっか食べてるからだぞー、京くん」
そのまま丁重にベッドの上に乗せると、溜まっていた欲が噴出する。
彼は眠っているのではない。意識を失い、しかも覚醒するために使用出来るエネルギーが枯渇している状態だ。25人もいれば、誰かしらが起こしに来る。彼は再始動を完全に他人に頼っているからこそ、然るべき手順を踏まなければ絶対に起きない。
「ん………ふふふ………」
なすがままだ。何せ意識がないのだから。
ペロリと舌舐めずりをすると、京の唇を貪った。とにかく京を陰で見守る存在でありたいと願ったが、人として持つ欲望には抗えない。
いつもは草葉の陰から、あるいは電柱の陰から、またはこうして京の自宅にある隙間から、彼からひと時も目を離さずにいるのだが、そのうちそれだけでは足りなくなってしまった。
こうして、彼が意識を失ったタイミングを見計らってお邪魔する事がほとんど、今回は少しばかり予定が狂ったが、する事は変わらない。
「あ、すご………」
最初のうちは彼の手の指を
今では眠る彼を好き放題に犯し尽くす事が楽しくてたまらない。
最初は確かに痛みも伴うものだったが、慣れは偉大だ。今となっては自由自在だ。
「んー………いぃ、あ………ふ、ぐぅ………んん、あ゛!くふう………」
気絶しても夢を見るのだろうか。それはわからないが、いつも彼は息が少しだけ荒くなる。
「感じてるのかなー?京くーん。知らないところで、こんな事されてるなんてっ、夢にも思わないかなー?」
生理現象は完全に停止していないようだ。彼の温もりを文字通り体全体で感じながら、うっかり眠ってしまわないように諸々を拭き取り、隠滅が完了した後にそのまま家を出た。
「ゆっくりお休み………」
「あ゛ー………」
翌日の放課後。ある公園に集まったAfterglowと京の事。雲ひとつない晴天の下ではあまり相応しくない呻き声。
「どうしたー、京。あんまりそういう声ばっか出してると、幸せが逃げるぞ」
「疲れました………」
いつもなら小粋なジョークでも挟めただろうが、今の彼にはその余裕がない。
「疲れたー………」
「ゲームしてたの?」
「おかしいですね。徹夜もしていませんしブルーライトを浴びていません。それだけのエネルギーを取り込んでいませんから」
「まぁでも、京くんって色々むつかしい事考えてるし、頭が疲れてるんじゃない?」
「そうでしょうか………」
今現在のメンバーは、京を入れて5人。1人足りないわけであるが、いつもの気分屋でも行かないというのは珍しいようだ。
「モカさんは?」
「わかんない。ちょっと遅れるって言ってた」
「珍しいですね」
「うーん。どうしたのかな」
「モカらしくないが………」
「おーうみんな、集まってるね。お疲れちゃーん」
タイミングでも見計らったように、モカはそう声をかけた。平日の午後だというのに私服で。
「いやーゴメンねー、ちょっち長引いちゃって」
「構いませんが、私はそろそろ限界です」
「どったの?」
「何か疲れが取れないんだと。小難しい事ばっか考えてるからじゃないか?」
「………へー」
あくまでいつも通り。ただいつも5人だったAfterglowという全体の中のパーツであるために、モカは表情を崩さなかった。京はよく人を見ている。怪しいと思えばそれを確かめるまで止まらないだろう。だからこそ、ここまで来て全てをおじゃんにするわけにはいかない。
「モカも来たし、行こっか」
「ええ。では皆様、また」
「ありがとな、待ち合わせの暇潰しになんて付き合ってくれて」
「いいえ、とんでもございません。私も楽しかったので」
ここで京は離脱。バンドの練習か何かだろうが、どうやら今日は京の気が乗らない日だったらしい。
そして………
「あたしねー、練習の後用事あるんだ」
「珍しいな」
「ホントホント。家以外でモカちゃんがいるとこって、学校かCiRCLEかベーカリーだったのに」
「ひどーい。つぐはあたしを何だと思ってるのー?」
やるべき事が終わった彼女は、向かうべき場所に向かう。まるで自宅に戻るように足取りに迷いがない。
「ふふーん。待っててねー」
チャリンと、金属音がする。彼女の手に握られた2つの鍵が鳴った。ひとつは彼女自身の、もうひとつは………
「ありゃりゃ、今日は早寝だね、京くん。ふふふ………」
ストーカーと化したモカちゃん。んで、京くんの不思議な体。