純愛の名の下に   作:あすとらの

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湊友希那の寵愛(裏)

ある日、珍しく京が歩き回り、身振り手振りを交えながら落ち着かない様子で電話をしている様子を友希那が目撃した。

 

「京?」

「はい」

「誰と話してたの?」

「………別に」

「約束したでしょう?隠し事はなしよ」

「………はぁ」

 

やはり、友人相手となると上手くいかない。京は軽く頭を掻くと、ため息をひとつ吐いて話す。持っていたスマートフォンをベッドに放り投げると、力なく椅子にもたれかかる。

 

「私を、引き取りたいと」

「………本当に?」

「ええ。先方はすぐにでも、と焦っているようでした」

「どうするの?」

「どうでしょう。どうするのが、正しいんでしょう」

「何を言っているの。そんなの、私とまりなさんが許すわけないでしょ」

「では逆に問いますが、どうしろと」

「それは………」

 

彼の私室が静寂に包まれる。逆に、付き合いが長い友希那だからこそ黙り込むだけで済むというだけに留まっているのかもしれない。今、懸命に受け止めているところで、彼が首を横に振らない言葉を探して組み立てている最中だ。

 

「………拒めばいい。貴方には味方が大勢いるわ。名家のご令嬢から大手芸能事務所の女優までね。昔の貴方とは違う」

「出来るでしょうか」

「貴方がやらないなら私がやるだけよ」

 

当然といえば当然、彼は心理的に束縛されている。臆病にはなっていない、というより、彼は自ら思考した結果、その必要なしと判断した。しかしそれでも、記憶というのは厄介にもそれを繋ぎとめてしまう。

 

「引き延ばせるだけ引き延ばす。それで反応を見て決めましょう」

「馬鹿な話もあったものね。また逆戻りよ」

「結局私は、ただの子供です。どれだけ粋がっても子供は親から離れれば生きていけない」

「そのためにまりなさんがいるの。私だって。だから安心して、決別なさい」

 

友希那が笑って京の頭を軽く撫でると、彼は少しだけ顔を綻ばせた。彼はいつも業務用の顔をしているが、ふとした時に素の彼が覗く瞬間がある。しかしそれも誰でもいいというわけでもなく、特に親しい月島まりな、湊友希那、今井リサ、それからあと数人に絞られる。

 

「私は、誰かの足を引っ張る事になる」

「そんな事ないわ。貴方は享受して当然の幸せを享受出来なかった。あの人でなしのせいで。普通じゃなかった事を普通に戻しただけよ」

「貴女になら、それが出来ると………?」

「当然でしょう。友達ですもの」

 

意を決して。どうにもおおごとになる反抗期のようだ。彼はスマートフォンを手に取った。

 

 

 

 

思わず顔が緩んでしまいそうだ。友希那は笑いを必死に押し殺す。

 

彼は自らの言葉でもって呪縛と決別した。呪われた家であろうとも、その人間がマトモであればそれは『救い』である。彼女にとって京がそうだった。彼は常人、どころか最早人間離れした才能がありながら、普通である事を求めた。それは余裕だとか才能ある者の悩みだとかそういうものではなく、単に彼の才能を『上』にして、彼の家とその家族を『下』にしたら、収束するところは『中』であるというだけ。

 

京がそのまま、等身大でいられるのだ。友希那にとってこれ以上の喜びはない。

 

「ええ………ようやくです。まったく長かった。これで彼は何にも縛られない」

 

「ええ、はい………ふふふ、わかっていますよ」

 

怪しく微笑んだ。

 

「ただ今帰りました」

「おかえりなさい。待ってたわよ」

 

そしてその変わり身たるや、一種の芸のように高速であった。

 

あの決別の日から、友希那は京の家に度々通っている。ただ顔を見ているだけというわけでなく、彼が決心し行動した故に懸念されるある事を防ぐためである。

 

「今日も大丈夫だった?」

「はい。変わりありません」

「そう。それは何よりね。おかしい奴はいなかった?」

「はい」

 

彼には価値がある。それも、『勉強が出来る』だとか『スポーツが上手い』だとかとはまったく比べ物にならない次元の価値が。そしてそれは、万民にとっての価値。つまり、金を生む。それを野放しにする筈のない連中というのは、一定数存在するわけだ。当然彼女はそれを許さない。

 

彼が望まない。それより何より、湊友希那はそれを望まない。

 

「そういえばご存知ですか?最近この辺りで不審者が出没するらしいですよ」

「あら、それは困ったわね。どうしましょうか」

「何をです?」

「別に外に出る必要ないわよね?貴方確かこの前、1週間一度も外に出なかったって言ってたわよね」

「ご容赦」

「冗談よ」

 

思えば、歪であってもこのような会話は変わらなかった。

 

 

 

 

 

彼女は何を理念に京と接しているのか。それは誰が見てもどんな文言でも明らかだ。

 

「ええ。確かに私ですが。何ですって?よくもまぁ、いけしゃあしゃあとそんな事が言えるわね」

 

「知ってるのよ?もう親権どころか接近禁止令まで出されてるんでしょ?もう貴女はあの子の親じゃない。ルールがそう定めたように、あの子に近付かないで」

 

「私?そうね、貴女とは違う。私はあの子を傷付けないし、人として見ているし、何なら素敵な男性よね、彼」

 

「………私はあの子を導ける存在よ。エゴで人形みたいに彼を扱った貴女とは違う。わかったらもう関わらないで。関わろうともしないで。あの子を正しい方向に導けるのは私だけなんだから」

 

許されるものか。スマートフォンを持つ右手が怒りで強く震える。散々彼をいたぶった癖に、散々彼の人としての生き方を否定した癖に、彼の価値ひとつで手のひらを返したように彼の理解者の皮を被る。

 

「あら、今日は眠ってる方の日なのね」

 

ほとんどの人間が知らない京の秘密。知っているのはまりな、友希那、リサの3人のみ。それは、彼の歩んだ———

 

「ん………」

「おはよう、京」

「………寝てましたか」

「ぐっすりね。おかげで私が———」

「それ以上言わないでください。いや、本当に」

「あらそう?」

「どれくらい寝てました?」

「私が来た1時間前にはもう寝てたから、それ以上ね」

「そうですか………」

 

どうも、あの冗談めかしたような会話が続かない。空気というか流れというか、長く友人として接していると、表情以外からでも第六感がはたらくものだ。

 

「本当に、やったんですか、私は」

「ええ。そうね」

「私はどうすれば」

 

その言葉に反応して、友希那の両手が京の顔を挟むように頰に触れる。

 

「私が貴方の道標になる。だから安心して。安心して、私に従って」

「………」

 

それが彼女のするべき事であると信じて疑わない。当然だろう。今の彼女はまさしく恋に盲目。彼を正しい方向へ導く事を手段のひとつとしているのならともかく、今の彼女にとって京を導く、というのは至上命題にして義務であるのだから。

 

「不安かしら」

「勿論」

「でも仕方のない事なのよ。貴方は確かに聡明だけど、同時に無知だから」

「私はきっと貴女を裏切る」

「そんな事ないわ。いいえ、そんな事はさせない」

「させない、ですか」

「ええ。させない。そんな事許さない」

「それは………何故?」

「何故?おかしな事を聞くのね。今までは友人としてだったけどもう我慢ならないわ。私が貴方を導く主人で、貴方はただ私に従えばいい。あぁ、貴方を守るにはこれしかないわ!」

 

ただ手中に収めたい、とは少し違う。これは友希那曰く真っ当な欲望で、それはつまり、今まで正しくあれなかった京を正しくある方向に導くという全て。

 

それが崩れてしまうとどうなるのか、想像に堪えない。

 

 

 

 

 

それを母親のようとは間違っても言えないようだ。そして最もそれの拒みにくい理由はただひとつ。

 

「違う。貴方にそれは早過ぎるわ」

 

「違う。それではいけないわ」

 

それが自己満足でない事。真に他人のためとなれば、京も真正面から否定するのは憚られる。

 

ある時、たった一言で友希那が豹変した事があった。

 

「違うっ!馬鹿な事言わないで!」

 

思えばあれも、京が浮かべる友希那という人間と、友希那が浮かべる京という人間に相違があったからかもしれない。

 

「私に従いなさい!私だけの言葉を噛み締めなさい!そうでなければ貴方はっ、また毒される事になる!そんなの許さないわ!!」

 

湊友希那はあまり感情を表に出さないとばかり思い込んでいたため、あれにひどく動揺した記憶がある。

 

毒される。

 

彼女はどういうわけか、京の身の上を聞いても憐れまなかった。憐憫は自己満足の類義語とは言うものの、彼女に限って言えば、それの欠片すら見られなかった。しかしそれは口にしていなかっただけで、相当なストレスになっていたのだろう。哀れみだとか悲しみだとかそれより前に、込み上げるものがあったらしい。

 

それが何なのか、あまり想像したくない。

 

「京」

「あい」

「最近どう?」

「変わりなく」

「そう。それは何よりね」

 

今に至るまでがやけに長く感じた。

 

「心配し過ぎですよ」

「足りないわ。全っ然足りない。もう私が目を離した隙にあいつに奪われると思うともうダメだわ」

「私の意思で決別した。もう戻れません。戻れば私の命が危うい」

「力は野蛮人の常套手段なのよ」

「どうでしょう。では私と貴女のため、貴女が出来る事とは?」

「手段なんて山ほどあるわ。貴方を導くためだもの」

 

彼女は京に執着しただけではない。寧ろ、人間にあるべきものが欠落してしまっている。

 

 

 

 

 

 

「どうして………」

 

数日経った頃。友希那は誰が見てもわかるほどに怒っている。人が怒る理由など単純なもので、望まなかったからだ。

 

「貴方は頭がいい。衝動的な事をするとは思えない。どうしてそんな事をしたの?」

「私も色々考えた、とだけ」

「そう………そうなの。へぇ………」

 

怒り方には性格が出るが、彼女はまるで人格がふたつあるように激昂したり、口調こそ冷静だが言葉に怒りを込めたり。まず京が話して感じたのは、友希那の精神状態。

 

動揺しているでは済まされないほどに、友希那の精神は摩耗されている。余裕がない、というのは当然京の事。友希那の言う頭がいいというのは、成績の良さというよりも、人の行動の先読みや欺くなど、思考力と言った方がいい。だからこそ、彼女は危惧しているのだ。

 

いつか京が、正しいと信じた主観に囚われるのではないかと。

 

「貴方のためにっ!私が必要なの!もう二度と不幸にしない、もう二度とどん底に落とさない!」

 

それは躁状態と鬱状態の波のようで、京にとってもある種の恐怖だった。

 

「私に従いなさい!!」

 

京は存外脆いようだ。


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