日曜日、ある昼下がり。ライブハウスCiRCLEのカフェエリアでは、京が何をするでもなく、ただただ惰眠を貪っていた。
とある事情で自宅が使用不可能になってしまったため、仕方なくこうして太陽光線に灼かれながら眠るほかない。まったく神は乗り越えられる試練しか与えないというのはどういうことか、その先人の言葉も霞む苦行である。椅子もテーブルも硬いせいで、座るだけで安眠が妨害される。
「おはよ」
「………何ですか」
「暇そうだったから。私も暇だし」
「私は暇じゃないんですが」
「嘘。京が寝るしかないっていうのは相当暇してる証拠」
「………それはそうですが」
声をかけてきたのは、彼がよく知る人物だった。
花園たえ。彼女を知らない人間と知る人間の間では大きな印象の齟齬がある。前者が抱くのは、おそらくシャイでクールビューティなギタリスト少女。しかし後者が抱くのはマイペースかつ天然ボケ、ストイックではあるものの、その情熱はウサギを愛でるかバンドに心血を注ぐか、両極端な少女である。
「バンドの皆さんは?」
「今日は弾きに来たんじゃないの。別の用事」
「その用事に私は必要ですか?」
「ううん。全然」
「………恨みますよ」
「こんなとこで寝てたら背中痛めるよ」
「いいでしょ。用事があるなら済ませてくださいよ」
「もう終わった。あとは京と戯れるだけ」
「ウサギとやってください」
実は、彼女も苦手だ。ひたすらハイテンションな人間が京にとって悪い相性かと言われればそうではない。たえのように過ぎたマイペースな者、パスパレの武士道夢見る北欧人のようなタイプもそれに当てはまる。京はたえに対し、ローテンション枠の中でも1、2を争うほどに苦手意識を持っている。
「マジチョベリバって感じ」
「死語だよそれ」
出来ることなら1人でいたいものだが、それを許してくれそうにない。込み入った会話をしますとばかりに、何も言わず彼の対面に座る。京は苦虫を噛み潰したような顔になるが、何だかんだ、話に乗ってしまうというのが魔力である。たえはあまり学校方面での顔が広くなく、だからこそバンドのメンバーと固まっているイメージが強い。凄く会話が上手い、というわけでない彼女だが、京と相対する時は饒舌になる。理由はわからない。
「私お腹減ったし、何か頼もうかな。京は?」
「別にいいです」
「そう。ここのパフェは美味しいのに」
「今日はそんなに頭使ってないので」
「急にぶっ倒れられても私が困るし」
「そんなヘマはしません」
「この前したじゃん」
「あれは事故です」
「違うよ。故意だよ。明らかに自分でやったでしょ」
彼女もまた、京をよく知る人間。ただし、Roseliaの愛猫家よりも親交は浅く、Pastel✳︎palettesの感覚派の次点と言ったところ。それは彼女の特技というか変態性というか、とにかく普通でない彼女の感性がそうさせるのか知らないが、彼女は人を知るということに天性の才能があるらしい。だからこそ、カオス極まるPoppin’Partyでも順応出来ている。それどころか、彼に対しても強気でいられる。
「はい、あーん」
「………何のつもりですか」
「嘘ついてる。今凄く、何か考えてる。私達には考え付かないようなことだけど」
「………では、お言葉に甘えて」
京にもたえにもそんな意図はない。そもそも2人は恋人などではなく、一定の距離を常に置いている。お互いがお互いに、ある程度の領域の不干渉を決め込んでいて、こういったムードを嫌う傾向にある。筈なのだが、今日ばかりはいつもと違う。暇潰しにしてはらしくない。
「甘い」
「そりゃパフェだからね」
「実際、用事とは何だったんですか?」
「んー?気になる?」
「いえ、いいです。どうせ月島さんに何か聞いたでしょう?」
「凄い、京ってエスパー?」
「心にもないことを。彼女に何を?」
「秘密。乙女の」
「貴女自分のこと乙女なんて言う人間じゃないでしょうに」
まりなに話を聞く、ということが単なるバンドの打ち合わせならいいのだが、残念ながらたえの口から放たれた言葉を総合するとそうでない方の可能性が強い。追求したいところだが、彼女に有効かどうか。彼女は感情表現に乏しいというわけではないが、本音を隠すという意味ではAfterglowの赤メッシュやRoseliaのポテトより一枚か二枚上手だ。
「ま、あんまり気にしないでよ。喧嘩する気はないからさ」
「私も和が乱れるのは嫌です」
「京、また難しい事考えてる」
「癖みたいなもんです。気にしないでください」
「違う。使命感に駆られてる」
よく観察している。本来は褒め言葉の筈なのだが、その言葉とともに湧き上がるのはちょっとした不快感である。たえの方は使命感に駆られているわけではなく、楽しんでいる。どこか推理ゲームに興じている様子というか趣味で彼の本質を見抜こうとしている。しかし彼はそれに憤りは感じなかった。どうこう勘繰られるのには慣れたくなかったが慣れてしまっている。
「何か悩んでる?」
「いいえ、まったく」
「そう?難しい顔してたから」
「いつもの事です」
いつまで実りのない話をするのかと、正直辟易するところだ。最早雑談ですらない。彼女の暇潰しになるのは、同時に彼にとってもそうなる。筈だったのだが、残念ながらそうとはならなかったようだ。パソコンもない、スマートフォンもない、デジタルというのは便利なものだが、同時に依存という敵でもある。人との会話には通信制限もバッテリー残量も気にする必要などないが、それでも一長一短だ。
「帰ります」
「どこに?」
「こうなれば実力行使です。多少のリスクはありますが」
「また誰か傷付けるの?」
「ええ。必要ですから」
たえのわざとらしい言葉に対して、彼はどこまでも冷静だった。というより、興が削がれたといった方が正しいか。
「まったく、変わらないなぁ、京」
「変わっていてほしかったですか?」
「友希那先輩辺りはそうかもね。でも私は変わらないのも凄いと思うよ」
「そうですか………」
何の慰めにもなりはしないが、説得材料にはなったようだ。少し前のめりだった自分を見つめ直し、冷静なままに座り直した。たえは最初から今に至るまで穏やかかつ無表情を崩すことなく、あいも変わらずスプーンが止まらない。どこまでもマイペースな彼女の姿も、頭を冷やすいい材料にはなったかもしれない。
「やっぱりもう一口食べる?」
「………いただきます」
2人からしてみれば、やや自分の体にリスクを抱えたお悩み相談だが、傍目からすればそうと思われないかもしれない。しかしそれは彼らにとってはどうでもいい事のようで、数人の視線が集まっていてもまったく物怖じしない。
「恋人だって思われてたりして」
「そんな馬鹿な」
「京は知らないと思うけど、あーんってするのは恋人同士くらいなんだよ?」
「じゃあ何でやったんです?」
「別に。私達そんなので恥ずかしがるような関係じゃないでしょ」
「矛盾しているような、していないような」
「そんなに難しく考えないでいいよ。親愛の証って思ってもらえれば」
「親愛ですか………」
怪訝そうにたえを見る。彼女の言葉の通り、京は恋愛観が現代と少しズレている。恋愛下手、というわけではない。頭脳明晰で観察眼に優れ、人を見る目も十分にあるので、難聴が生じているわけではないが、しかし。たえ曰く、彼はそうであろうとしている。
「君にはわからないかな。わざと目を瞑っているんだもの」
「さあ。私にはさっぱりですね」
「ほら、そうやって鈍感ぶって女の子を泣かせる」
「言い方。言い方ってもんがあるでしょう」
「違うの?」
「違う。何もかも違う。私だって好きで色恋に突っ込まないわけじゃないんですよ」
「へぇ〜………」
たえは挑発するように微笑を浮かべながら京を見る。
「その手には乗りませんよ、ウサギワンダーランド野郎」
「野郎じゃありませーん。乙女ですー」
が、しかし、彼はそう容易くルールに乗らない。ここでは彼の好みの
「ねえ、この後暇?」
「ご存知かもしれませんが、暇じゃないですね」
「知ってる。京が思い直してくれたらなって思っただけ」
「何でちょっと私が犯罪者っぽいんですかね」
「京、もうハジメテはリサさんで捨てちゃったんでしょ?」
「いや言い方」
「え、違うの?」
「……………」
たえはニヤつきながら京の双眸から目を離さない。
「ふふ………何か矛盾するみたいだけど、京って変わった?」
「はぁ………どうでしょう。私も戸山さんや皆さんに影響されているのでしょうか」
「私は?」
「悪影響なら」
「ひっどーい。私だって、何もしなかったわけじゃないんだよ?世間の事を全然知らないお子様に色々教えてあげたじゃん」
「一個違いで何言ってんだ」
しかし、そう言われてたえは興味なしとばかりに目をそらす。
「いいじゃない。ちょっとくらいお姉ちゃんぶっても。貴方の事が心配なの」
「………そうですか。それはまた」
彼女も、リサや友希那ほどではないとはいえ、事情を知る人間の1人だ。だからこそ、京が何を求めているかをよく知っている。いつもは香澄に近い友人のような接し方をしているが、これでもたえは内に秘めた庇護欲を押し込んでいる方だ。彼女が表に出している性格は、どこか他人を茶化すような、丁度京にとっての白鷺千聖のようなタイプだが、本質はまったく異なる。どちらかといえばの話だが、リサのように、上に立って慈愛のままに抱き締めたいタイプ。
「私はね、一個違いだろうがカンケーない。身の上とかそういうのも無しで、京の事好きだから」
「好き、ですか」
「うん。大好き。言ってなかったっけ?」
「私の知能指数を利用出来そうだなとは聞きました」
「誰から?」
「市ヶ谷さんから」
「あの娘ね、ツンデレだから。京は頭が良くて凄いねって言ってるの」
「へー………」
「私は、ちゃんと好きだよ」
「へー………」
それこそ興味なさげ。下手をすればたえとの雑談よりも興味を持っていないかもしれない。
「そういう演技、良くないと思うな」
「そちらこそ」
「じゃあ友達として聞くけど、どこまで演技でどこまで本心?」
「今だから言えますが、ほとんど全部演技。そちらは?」
「今だけ言えるけど、全部本音かな」
2人は笑った。お互いの本音を本音のままに。
本音で語ったおたえと、本音が出てきた京君のお話でした。