純愛の名の下に   作:あすとらの

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またもネタ切れの予感


宇田川巴の悲願(裏)

「京!!」

 

その日、宇田川巴は人生でも五指に入るくらいに焦燥していた。ここまで焦ったのは、いつぞやの蘭の父親騒動以来だったかもしれない。事の発端は30分ほど前。Afterglowの元気枠兼空回り役の上原ひまりからの電話にあった。

 

『はあ!?京が倒れた!?』

 

我ながら、あそこまで大きな声が出たのは初めてかもしれない。頭を殴りつけられたような衝撃のせいもあるだろうが、そう驚愕してしまった理由は、彼がそうなってしまったという出来事そのものにあった。彼は年齢不相応に冷静で、客観的だ。だからこそ、自分を損なうような無茶はしないと考えていた。が、どうやらそういうわけでもなし。

 

「大丈夫かッ!?」

「どうも」

「……………」

 

そうするまではよかった。駆けつけるまでは。前例があるゆえに、必死になっていた巴の反応は至極正常だったと言える。しかし、今回は例外のものだったのだ。病院のベッドで半身を起こし、何食わぬ顔でそう挨拶をする京に、思わず巴はモカでも上げなさそうな素っ頓狂な声を上げる。

 

「倒れたんじゃ………」

「ああ、その節はご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。全快しました」

「……………うん?」

「おや、私の説明が悪かったのでしょうか。要領を得ない」

 

固まること数秒。つまりそういう事なのだと思考から答えを導き出すのに十数秒かかってしまった。しかしその時、確かに答えは出たのだ。

 

「………おま、お前なあ………」

「事を大きくしてしまった申し訳ありません。しかし前例の一件もありますし、私としてもこうする他に仕方ないのです」

 

張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れる。一瞬だけだが、走りながらも最悪のパターンを考えてしまっていたところだった。もしもこんな事で今生の別れになってしまうのではないか。そう思うと、どうしようもなく涙腺が緩んでしまうのも。全て杞憂だったのかと膝をついた。わかっている。彼は悪くない。ただ体が不安定なだけで、寧ろ彼は必死に生きようとしているのだ。しかしそれでも、あるいはだからこそ、所謂このような肩透かしを喰らってしまうような一件がどれだけ自身の精神を摩耗するか、巴にとっても苦い薬とはいえいい経験になった事もまた事実だ。

 

「本当に何ともないのか?」

「ええ。お医者様も、体力が回復し次第退院して構わないと。というかちゃんと自分で1日3食を食べるのなら入院の必要すらないと」

「それで、なんて言ったんだ?」

「1日なんて1食で生きていけますと」

「バカ………お前、ほんとバカ………」

 

ただそれ以上の問題があるとすれば、彼の方か。とにかく彼は生きる上での活動である食事や睡眠などに無頓着というか、何というか。やりたい事がやるべき事を上回る、典型的なダメ人間というか。ガールズバンドの様々な面々と知り合っていなければ、あるいはそんな彼女達の保護がなければ、とっくのとうに人知れず倒れ伏して冷たくなっているタイプの人間だ。

 

「仕方ない。アタシがお前の面倒見てやる」

「それはありがたい」

「退院したあともだぞ」

「………何故?」

「お前、自分でわからないのか?冗談抜きでいつ死んでもおかしくないんだぞ」

 

このままでは命が危うい。それは巴も他のメンバーも京自身もわかりきっている事なのだ。だが、しかし。

 

「それもまた、私らしくていいじゃないですか」

 

ふとした時に、やる気が急降下する。安定化出来ない自身の肉体を必死に繋ぎ止めようとするのは、死が怖いからではない。死より恐ろしい地獄が待っているからで、それを回避出来るのならばここで枯れても悔いはない、というのが彼の死生観。それが枷なのだ。

 

「いいわけあるか。アタシが面倒見るからには、そんな事させないからな」

「……………そうですか。はい、わかりました」

 

そしてこうと決めた巴はとにかく一直線で頑固なのだ。そんな彼の死に対する余裕のようなものを見せられては、放っておくという選択肢などもう捨て去られてしまった。こうなっては彼も、首を縦に振る以外ない。というより、彼女がそれ以外させない。

 

「今は医者に言われた通り、体力を回復させろ。話はそれからだ」

「はい、わかりました」

 

悪いようにされないだろうが、その悪いようにというのが誰から見た答えなのか。それはきっと、この病床で考えるばかりでは永遠に出ない答えだろう。

 

「それじゃ、何ともないならアタシは帰るけど」

「そうですか。それではまた」

「あんまり無茶はしないでくれよ?」

「やだなあ、するわけないじゃないですか」

「胡散臭え………」

 

人のいい笑顔でそう話す彼が、イマイチ信用できない。しかし、残念ながらその辺りの探り合いは純粋な巴の苦手とするところだ。胡散臭いが、信じるしかない。

 

退院すれば、どうせ———

 

そんな思考を巡らせる彼女は、自身の恐ろしさについて自覚がなかったのだ。

 

 

 

 

 

それからというのはとてもあっけないもので。正直、大切な人が入院しているというのに巴の中にはカケラほどの緊張感もなかった。容態が急変しただとか、そういった事も特になく。当然といえば当然、病院に駆け付けた瞬間全快ですなどと言われるのだから、それも削がれるというものだろう。

 

「ああ巴さん、その節はご迷惑をおかけしました」

「まったく………本当に何もなかったな」

 

何もないというのが一番なのだろうが、しかし。とんだ大ごとを予想していただけに何か引っかかるものが彼女にはあった。一方で、京はそんなものは知らないと、澄ました顔で話す。

 

「ええ。お伝えしました通り、気を失って目を覚ましたら全快ですよ」

「何か心配して損した………」

「私は嬉しかったですよ。たとえ無駄足だったと言われたとして、無関心でないだけマシというものでしょう」

「言われたのか?」

「ええ。美竹さんに」

「それは本意じゃないからなあ」

 

が、巴がよく知る親友の一人、美竹蘭はそうもいかなかったようだ。彼女はそうもいかないようだ。純粋というか、変に律儀というか。それもまたらしいのだが。

 

———本当に。

 

突然の事。それは、彼の無防備な後ろ姿を見て彼女の中に降って湧いた感情だった。

 

「お前は本当に、真っ直ぐだな」

「………?どうしたんです、藪から棒に」

「いや、蘭の話でな」

 

そう繕うが、実は巴自身もそうでない事は承知している。自分でも戸惑っているが、我ながらいいように取り繕ったものだと、自分の作り話の才能を一瞬疑ったものだ。どうして、突然そんな風に思うようになったのだろうか。

 

「確かに。彼女はとても真っ直ぐな人です。だからこそ他人とぶつかったり、反抗したり出来るのでしょう。羨ましい限りです」

「羨ましいのか?」

「ええ。自由で、それでいて象徴的でもある」

「そうか………」

 

きっと彼は、それが憧れではなく一種の偶像視である事を自覚していないのだろう。自分には到達出来ない領域にあると知っていながら、それを追い求める事をやめられない。軽い中毒のようなものだろう。特に彼のように、多感な時期を満たされないまま過ごしたような人間にとっては、それが救いになる事もあるのだ。

 

「アタシは別に、京はそのままでもいいと思うけど」

「……………」

 

だからこそ、巴はそうした憧憬を許さなかった。

 

 

 

 

 

つまるところ、彼女は許せなかったのだ。結局彼の体について杞憂に終わったことではなく、誰よりも彼が自身を軽んじたこと。

 

「お前、無茶苦茶だって言われた事ないか?」

「今貴女に言われました」

「アタシ以外には?」

「月島さんに」

「やっぱりか………」

 

きっと彼に、自分の体を大切にしろと話しても、それは響かない。何よりそれが真理であると信じて疑わない彼の前では、全てが無意味なのだ。

 

「お前は本当に、しょうがない奴だな」

「それはよく言われます」

「本当にしょうがない奴だ。アタシがどれだけ心配したと思ってるんだ?」

「ええ………申し訳ありません」

 

今日に限って彼はどこまでも素直というか、しおらしい。それがよくなかった。彼女にとっても、彼にとっても。それは、好きになってしまった男にどうやって近付くか。それだけが彼女の頭の中で渦巻く。その隙を与えてしまったという点、彼はそれを振り払えなかったという点。

 

「お前は本当に………」

「………」

「………アタシがどんな気持ちだったか、わかるか?」

「いいえ」

「だろうな」

 

その構図は、悪さをして叱られた子供のようにも見える。

 

彼は正直だった。しかしそれは、京が誰かに心配された事がないから、そういう考えに至らないというだけの事。それは巴も既知の事。それでもなお、彼は自分を酷使する事をやめなかった。巴にとってそれがどうしても我慢ならなかった。

 

彼は鼻血を流し、白目の部分も赤く染まっている。眼球の毛細血管が数本千切れて出血したのだ。

 

「どうしてそんなになるまで放っておいたんだ?」

「やめ時がわからなくて」

「お前………」

 

彼はどこか不器用というか。こういう事が度々起きる。だから必要なのだ、こういう時のストッパーというやつが。そしてそれは、彼にやり込められない頑固さと強情さがなければ務まらない。

 

「とにかく無理はするな。いいな?」

「………はい」

「よろしい」

 

納得したように巴は言ったが、その実彼女は一切信用していない。

 

きっと彼は、また自分を壊すだろう。

 

「お前は私が管理する。私が正しい方に引っ張ってやる」

「………そうですか」

 

そしてそれは、彼もよくわかっているだろう。何かキッカケがあれば、自分は自分を完膚なきまでに叩きのめすだろうと。だがそうはさせないと、立ち上がった。

 

「私の意思は?」

「あるかそんなもの。今度こそお前の心の臓が止まるぞ。そうはさせるか」

 

彼女は優し過ぎた。だからこそ、死ぬなら勝手に死ねなどとは言えなかった。

 

「お前が死ぬと悲しむ奴がたくさんいるんだ」

 

 

 

 

 

そこには、いつもの彼女はいなかった。神経を尖らせて彼の周囲に目を光らせているのだ。

彼を守りたい、なんてただの建前。あるいは正当化に過ぎない。その本質は、何としても隠し通したいと思うほどに黒いものだ。

 

彼を守りたい?違う。それは、彼を納得させたいがために放った嘘八百でしかない。彼女の真実は、そこにはなかった。

 

「大丈夫か?」

「もう随分と、マシになりました」

「そっか」

 

今日も彼女は、彼を監視する。彼はきっと知る由もないだろう。あるいは、知っていてなお閉口しているのか。どちらにせよ彼女の前で言うべきではない事だ。

 

「でもまだだ。お前は放っておくとすぐ無茶をする。アタシの側から離れるな。アタシの目の届かないところに行くな」

 

それはおよそ、お願いをしているとは見えなかった。肩を掴む力、黒く淀んだ双眸。暗に、約束を破ったらどうなるかわかっているな、というニュアンスの脅しにさえ聞こえる。

 

「………ええ」

「本当にわかってるか?」

「……………」

 

そして彼は、嘘がつけない。彼女の追求に屈してしまうのは秒読みだったが、彼自身も驚くくらいに早かった。

 

「約束出来ないのか?」

「………明日私がどんな行動を取るのか。それを決めるのは今の私ではありません。それに———」

「それに………何だ?」

「必要とされなくなるまで、それが私の存在意義だと思っていますしね」

 

それでいて、彼は友人と呼べる人物に対しては純粋だった。今はそれが仇になってしまっているが。

 

「何を言ってるんだ………ダメだ、そんなの。ダメに決まってる。話を聞いてなかったのか!?」

「私は選べないんです。貴女達のように、誰を好いて、誰を嫌うかなんて」

 

 

 

 

 

予想以上だ。巴は爪を噛んで悔しそうに顔を歪ませた。予想以上に彼の心を縛っている。それが彼女にとってどうしても許せなかった。

 

退院すれば、どうせ私が一番近くで面倒見る事になるんだから。

 

そう思っていた自分は甘かった。今彼女は権利こそ勝ち取ったものの、まだ途上の段階だ。期待していなかったといえば嘘になる。彼女もまだ高校生、理由もなく期待してしまうものだ。しかし、そうとはならなかった。彼はまだ、忘れられずにいるのだ。

 

———でもまあ、それはそれでいいさ。

 

希望はある。京はいくらか無防備というか、外側からの悪意には敏感だが、内側に入ってしまうと途端に鈍感になってしまう。それが彼の弱点であり、人間らしさ。

 

「ゆっくりでいいさ。ちょっとずつ慣れていこうな」

 

本当に、調べ尽くすまで時間がかかった。

 

彼の弱さを、知るまでに多くの時間を要した。それまでずっと、自分は気前のいい歳上気質だった。これからは、もう違う。

 

「正義とか悪とか、そんな小難しい事はどうだっていい。って、お前と私の未来の前じゃ、全部どうでもいいんだけど」

 

これからは、彼を想う一人の女として。彼を憂う保護者として。永遠に彼を見守り続ける。そして必要ならば、手を下す。

 

「お前に何があったか知らないけど、アタシはお前の味方だ。一生な」

 

呼吸が浅くなった彼の頬を撫でてそう話す。

 

自分がそうなる原因を作ったと知りながら、彼の薄紫色の唇に自分の唇を重ねた。




やるなと言われた事をやるド天然、出水京。

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