純愛の名の下に   作:あすとらの

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牛込りみの切願(表)

最近、京は疲労が蓄積している。それが目に見えて、つまりいつも仏頂面な彼が隠せないほどに侵食しているとなればこれは只事ではないと、出会う友人全ての懸念であるが、彼はどうしてもそれとそれに関する全てに干渉して欲しくないらしく、大丈夫だとか引き際は弁えているだとか、そういった事しか口にしない。逆にそこまで拒絶されると、たとえ根拠などあろうがなかろうがやましい何かがあるのではないかと勝手に勘繰ってしまうのが悲しき十代、ひいては人間のサガなのである。

 

だがしかし、どれだけ好奇心が先走っても聞けない。面と向かっては聞けない。どう頑張っても聞けない。どうせ彼の事だ、自分の健康管理の話から人間の身体構造学知見から疫病と精神ストレスによる身体的罹患についてあたりまで話を広げてうやむやにするだろう。どうしようもない。論理武装すら捨てた天才というのはここまで手ごわいものだったかと疑問を覚えるほどに。

 

なので少女達も、策を練った。

 

「頑張れりみりん!京君の全てが懸かってる!!」

「気張れよー、りみ。こういうのはお前の役回りだからなー」

「りみりんならハートゲットできると思うから、頑張って」

「あはは……。あとでいくらでもチョココロネあげるから、ね?」

 

尊い犠牲、もとい癒し系に癒されよう作戦である。どうしてこんなことになってしまったのか、今回の生贄枠こと牛込りみは頭を悩ませた。

 

まあこうなってしまった原因は簡単かつ些細なものである。テンションでどうにかしようとする香澄やこころ、母親のように口うるさくなってしまう有咲や沙綾、京に甘いせいで説教が説教の体をなさないリサや友希那では確実に彼が心を開かない。こういう場合に求められるのは常識人かあるいはあまり積極的でない聞き上手なタイプで、最終候補はりみ、花音、美咲、巴の四人にまで絞られたのだが、ここで問題が生じた。

 

花音が赴くとどうなるか?確実にその親友千聖が黙っていない。美咲の場合はこころが、巴の場合はモカが、それぞれ厄介なガチ勢としてくっついてくる。それはもう、弱った彼に付け入る隙を虎視眈々と狙って。それを危険視した幾人かが無理やり調整した結果りみということになった。本人がそれを知ったのが、彼の家にたどり着く五分前のことである。それはもうこれまでにないくらい狼狽えたのだが、親友の手前怒るような事もできず、京のためと言いくるめられてしまったのだが。

 

「京君?いる?」

 

どうにか平静さを取り戻して、冷静とした顔を取り戻してら他の四人が退散したタイミングでりみがインターホンを鳴らして声をかけても反応がない。これはいよいよ不調と不機嫌が限界突破してベッドでふて寝でもしているのか。そうだとしたらあとはもう時間が解決してくれる事を待つしかない、ほとんど詰みに近い状態だが、三十秒ほどたっぷり使って京がドアを開けた。

 

「何か」

「最近元気がないみたいで、心配で………。大丈夫かなって」

「………とりあえずどうぞ」

「あ、ごめんね。お邪魔します」

 

視線で人が殺せるかもしれないほどに目つきの悪い京が出迎えて、家に入るよう促す。

 

「その………いいの?」

 

改めて対面すると、不機嫌どころか怒りに満ち満ちているように見えてならない。ただ憮然としているだけでなく、敵意のようなものを放っているとも取れる。だからこそここまであっさりお邪魔できると考えていなかったりみとしても、彼が何を企んでいるのかまったく見えなかった。まさかここで愚痴を延々と垂れるつもりかと恐れるが、どうやらそうではないらしい。

 

「話し相手がそちらから来るとは思いませんでした」

「話し相手?わ、私が?」

「煩わしくない、押しが強くない、詮索しないの三拍子揃っている人は貴重ですから。正直私も四、五人ほどしか頭にありません。貴女もその一人です」

「あ、ありがとう………」

「私もただの人間です。一人は寂しい。そういう環境が落ち着く人もいるそうですが、私はそうではなかったようだ」

 

彼も人間らしいといえば聞こえは悪くなってしまうが、りみにとっては意外だった。一匹オオカミ気質というか何というか、人との関わりを意図的に避けていた理由を勝手に測ってしまっていたのだが、それに反して彼の理由は単に話し相手がほしかった。ただそれだけ。寂しい気持ちが彼にあったという言い方は無礼だあるが。こういう時こそ一人になりたいのではと考えていた。

 

「でもちょっと、安心した。京君ってそういうタイプに思えなかったから。ギャップだね」

「野郎のギャップなんて需要ありませんよ」

 

彼は本意ではない様子だった。強がりだとかそういったものではなく、どうやらそういう個性として片付けられる事を嫌ったらしい。そこはりみ自身もあまりフォローとして上等ではないと省みる。

 

「そんな事ないって。少なくとも私たちにとっては」

 

これもそうだ。まったく自分の口下手が恨めしいが、どうやらそれすら気にならないほどに沈んでしまっているらしい。

 

「そんな話はどうだっていいんです」

「露骨に話逸らした」

「こういう時の雑談というのはですね、そういうものではなくて。私でも貴女でもない第三者の話題で広げていくものだと」

「そういうものかなあ」

「そういうものです。ストレスの原因から目を背けるためにも、それが必要なのです」

 

そのストレスの原因について詮索する勇気はなかった。京が先に言った三要素が求めているのならば、それを尊重しなければならない。普段裏方として心労の絶えない、それを知ってもらう事も出来ない立場にいる彼を労るくらいしようと考えた。

 

「でも私は全然いいよ。京君の事ならいくらでも聞けるから。聞かせてほしいな」

「………」

 

真っ直ぐな瞳でそう言われると、彼も毒気を抜かれたように茫然とするしかなかった。ここでりみは三要素の一つを欠く事となってしまうのだが、京にはそれが意図したものでないであろう事がすぐにわかった。

 

「そういう事、あまり他人に言ってはなりませんよ」

「………?うん?うん。京君がそう言うなら、うん。わかった。じゃあどんな話からしようか」

「聞いて得するような話は何もありませんが、そうですね。それでは私と有咲さんが、昼食代と盆栽の剪定を戸山さんに任せる権限を賭けて指スマ対決をした話から———」

 

りみからすれば予想外の連続ではあったが、それでも心地よいものだった。

 

 

 

 

 

その日が発端となったのかは不明だが、京は快調に向かっていった。完全に元の調子に戻ったというわけではないが、順調に回復していった。

 

「たまにそうなっちゃう時あるけど、京君は何が原因なの?ストレス?」

「まあ、そんなところでしょうか。フラッシュバックというか何というか。そういうのが来るとああなってしまう。その節はご迷惑をおかけしました」

「ううん。全然いいの。むしろもっと頼ってくれてもいいんだよ?いつも相談とか全然ないから、私もみんなもそっちの方が安心すると思うな」

「そういうものでしょうか。まだまだ貴女たちの事は理解できそうもありません」

「まあゆっくりでいいよ」

 

曰く、それは突然起こったものではなく今までも数度あったらしい。昔のトラウマがフラッシュバックすると、それを押し込めて正気を保とうとする防衛機能がはたらくらしい。医学は専門外なのでこればかりは京にも詳しく説明できないが自律神経系がどうだとか、防衛機制がどうだとか、そういった話らしい。それは抑え込む事ができる彼が強いのか、それともトラウマが消えかかっているのか。何とも判断しかねるが、とにかく一般人によくある感情の浮き沈みと同列に扱ってくれて構わないという彼の言葉にはりみも頷くしかなかった。

しかし彼女にもわかる事はある。それはいわゆる十代のセンチメンタルだとかそういった軽いものでは決してない、抑える事ができたにせよ消えかかっているにせよ、彼の不断の努力によって軽傷のようになっているが、トラウマになる何かが起こってしまい、それによって心に深い傷を負ったという事実に変わりはない。まだりみは京と付き合って長くはないが、それは理解していた。

 

そして彼が望むものは憐憫ではない。そんな非効率的で何も生まない感情論など欲しくないのだろう。

 

「しかしまあ、本当に辛くなったら相談はさせていただきます。その時は頼ってもいいですか」

「もちろん。どんと来いだよ。私だって京君より年上のお姉さんなんだから」

「貴女確か妹でしたよね?」

「関係ないの。私より年下なんだから」

「お姉様ぶるのが一日ほど遅かったようですがね」

「もうっ」

 

だからこそ、それに応えるべきだと思った。ここからは彼がどうバンドに貢献しているだとかそういったレベルの話ではなく、単に個人がそうでありたいと願っただけだ。上等な願いとは言えないだろうがそれでもいい。

 

「京君、甘いもの好きだったよね?」

「好きですが、残念ながらチョココロネは趣味じゃありません」

「そっかあ………、残念」

「しかしお付き合いはします。沙綾さんのお店で?」

「うん、当たり。行こっか」

「予定外の寄り道ですね………」

「こういうのも学生らしくていいでしょ?」

「………。ええ、そうですね」

 

例えば、京には誰かから無事を願われる事を望んでいないとする。それでも彼女たちは祈る事をやめないだろう。

 

「わかってはいましたが、美味しいですね」

「そうだねえ………。めっちゃ至福〜」

 

新鮮な外の空気を吸いたいという京の突然のリクエストにお応えして、りみは街に繰り出した。繰り出したといってもいつもの商店街、いつもの山吹ベーカリーでいつものパンを買ったに過ぎないのだが。それでも食事がいつも保存食品かインスタント食品だった彼からしてみれば、手作りというのは珍しいらしく、確かめるように慎重に齧っていたが。

 

「好きですね」

「もう大好きなの〜。わかるかな、わからないかな」

「まったく分かりませんが、貴女がそう言うならそうなのでしょうね」

「でも本当によかったの?奢るって言ったのに」

「いいんです。私がそうしたいので。貴女も年上ならば年下のワガママくらい聞いてください」

「その言い方、ズルいなあ………」

 

今日は雲ひとつない晴天で、触れる外気は穏やかだ。ベンチに座って他愛もない雑談をしているだけでも飽きないというか。どちらも話し上手ではないという自覚がありながらも、つまらないという事もなく。むしろ不必要な事を喋り過ぎないというのはどらちにとっても気が楽だった。新鮮な空気を吸って、濃過ぎない内容の話をして、舌鼓をうつ。なんだかやっている事はしょうもないのだが、そんな時間がゆっくりと流れるような感覚が楽しかった。

 

「京君、これからどうする?」

「私は別にこのままでも構いませんが、貴女はそうもいかないでしょうし、そろそろお開きとしましょう」

「そっか。それじゃあ、明日は練習あるんだけど、よかったら見に来てね」

「ええ。予定は空けておきましょう。ではまた明日」

「うん、また明日ね。バイバイ」

 

どうかこの、何でもなくつまらなくも尊い日常が続きますように。彼がそれを望まない、ただの自己満足の身勝手だとしても。どうか、彼にかつての災難が降りかからず、皆と幸せに暮らせますように。

 

彼の過去など一つも知らない、偽善だと言われても。きっと何かがあった事に変わりはない。友人として、彼が悲しむような事が起こりませんように。そう願わずにはいられなかった。




友人の弟に指スマしようぜと言ったら、何それと冷たく返されて少し傷心したあすとらのです。

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