純愛の名の下に   作:あすとらの

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唐突なグロが出ます。


上原ひまりの常道(裏)

それまでひまりと京の関係といえば気の置けない友人であった。周りから見ても、本人たちもそう思っている。まあ要するに学生同士が友人になったらこうなるだろうというお手本の通りのものであった。だが最近はそうも言っていられない。

 

「何してるの?京君」

「ああ、上原さん。別に何をというほどの事もありませんが、ほら」

 

キッカケは些細なもので、ある日の休日にひまりが外出していた時のこと。近所の児童公園で見慣れた後ろ姿が見えたので近寄ってみたら、案の定それが京だったのである。普段は是が非でも外に出ようとしない京が誰かに引っ張り出されることなく公園にいる事に驚いたひまりは好奇心一つで声をかけた。

 

「うん……?」

 

京は蹲って地面の何かを見ていた。膝に手を当てて姿勢を低くし覗き込むと、そこにいたのは一匹のアリであった。原因は不明だがどうやら瀕死のようで、今は最後の力を振り絞って6本の脚をジタバタと動かしている。

 

「あれ、どうしたんだろ、アリさん。可哀想だね」

「……そうですね。私には看取ってやる事くらいしかできません」

「いつからいたの?」

「十五分ほど前でしょうか。私が見つけた時にはもうこの状態でした」

「そうなんだ……」

 

相変わらず表情は無そのものであるが、いつもと比べて声の調子が重い。ひまりは他人の心について鋭敏とはいかないが、彼の心中が分かってしまった。案外センチというか、言い方は悪いが京が路傍の石にも等しい小虫を気にかけるというのが意外だった。

 

「そういえば私に何かご用ですか?」

 

アリが最後の抵抗虚しく生き絶えたところで遅いくらいの本題に入る。切り替えは早いが、虫の死なんて人間にとってはその程度のもの。というよりもひまりの方が京に話しかける口実にしていたような節さえある。

 

「ううん。ただ何やってるんだろうなって気になっただけ」

「そうですか。私の用事はもう終わったので、どうします?解散にしますか?」

「えぇ〜。せっかくならどこか行こうよ。あ、つぐみのとこ行かない?この前新商品できたって喜んでたし」

「オシャついたところは守備範囲外なんですが……。まあご一緒させていただきます」

「やったあ!それじゃ早速行こっか」

「その代わり私は自分が頼んだもの以外にビタイチ払うつもりはありませんからね」

「京君、そんなこと言ってたら女の子に嫌われちゃうよ?」

「男性にたかる女性は超がつくほど嫌いですので、私としても丁度いいですね」

「まったくもう……」

 

一つの本題が終わってからの雑談はいつもの調子のいつもの京だった。人並みに良心はあるがそれだけ、という、要するに常人な様子の彼だけがひまりには映っていた。人との交流そのものをまったく重視しようとしない欠点も、憎らしいほどによく回る口も、好物のために手段を選ばないような子供っぽさも。だからこそこの時はその予兆すら掴む事ができなかった。

 

 

 

 

結局その日は、京とひまりが甘党と辛党について論じていたところに途中からつぐみが入った事で議論が白熱し、結論が出ないまま終わった。

 

「辛党の人って痛いのがいいんだ……。変態さん?」

「そんな事もないと思うけど……」

 

一足先に京がお暇した羽沢珈琲店では、ひまりとつぐみが益のない会話を展開していた。というのも京は用事があると言ってさっさと帰ってしまい、取り残される形になってしまったのだ。

 

「ていうか女の子から誘ったのにさっさと帰るとかひどくない!?」

「まああの子はなんというか、自分の時間が流れてるからね」

 

華の女子高生にして青春を謳歌するということを体現するひまり。普通歳の近い男女が一緒にいればもう少し甘酸っぱいものになってもおかしくないというのにそんな気配も感じられない。いや寧ろ京の方が興味を示していないように思える。

 

「む〜……。納得いかん。私よりも大事な用事って何よぅ」

「そういえば最近、動物とよく一緒にいるよ。野良猫とかスズメとかと」

「え、何それ。動物と戯れてるの?京君が?あの京君が!?」

「いやあのってどの……。気持ちは分かるけど……」

 

あまつさえ可憐な少女より動物に興味を示している。元々普通でない事はなんとなしに感じていたがやはり一筋縄ではいかないようだ。しかしひまりはこの程度でへこたれない。

 

 

「まあ頑張ってね。あの子、頭はいい癖にその辺は経験ないから疎いの」

「任しといて!さっさと惚れさせてやるんだから!」

 

ひまりは勇んで店を出る。とはいえ不安がないわけではない、つぐみが言うように京はちょっとどころでなく不思議、宇宙と交信していると言われてもうっかり信じてしまうかもしれないような少年なのだ。果たして恋愛に興味があるのか、まずそこから怪しい。

 

「ん……あれ?」

 

あれこれ思索に耽っていると、視界の端に見慣れた服が映る。服は着れさえすればなんでもいいと最低限のものしかないのでよく覚えている。街灯もろくに灯っていないような裏路地で何をしているのか、地面の植物とお話でもしているのかと暫く陰から様子を窺う。

 

ひまりからは背中しか見えないが、地面にしゃがみ込んで何やら忙しく両腕を動かしている。

 

(何してんだろ)

 

その疑問は早々に解決された。ここでひまりが幸運だったのは、そのおかげで彼にその存在を悟られなかった事である。彼が立ち上がり、体という遮蔽物がなくなった事でその全貌が明らかになった。

 

「ひっ……」

 

思わず上擦ったような悲鳴が漏れるが、どうにか聞こえる前にそれより飲み込んだ。彼が丁度見下ろしていた位置には野良猫が変わり果てた姿で横たわっていたのである。しかも大量に血を流し、耳や尾が切断され、脚は本来あり得ない方向に折れ曲がっている。もはや幻覚と言い訳ができないほどにしっかり目に焼き付けてしまい、ひまりは込み上げる吐き気と戦いながらどうにかその場を後にした。ひまりが消えた現場で京は一人、手にべっとりと付着した血を眺めていた。

 

 

 

 

それからというもの、ひまりはすっかり持ち前の明るさが消えてしまっていた。考えるのは想い人の見てはいけない一面を見てしまった事への後悔、その光景への恐怖と疑念である。

 

(どうしてあんな事……)

 

京は不思議な人物だが、悪人ではなかった。どれだけギリギリのラインを通っていても、超えてはならない一線をちゃんと認識していた。彼は聡明なのだ。だからこそ、一線を意識していながらそれを超えたという最悪なパターンが頭から離れず、ひまりはこうして浮かない顔のままでいるのだ。

 

あの時、顔が見えなかったのも一つの問題だ。当然あの場でうっかり目が合うのもマズいのだが。

 

(あの時、どんな顔してたんだろ……)

 

そういった邪念とは一切無縁のひまりにとってはまったく理解できない事で、同時に理解したくない事だ。分からないがゆえに想像を掻き立てる。アレをしている時、彼はどんな顔だったのだろうか。まさかとは思うが、笑っていたのだろうか。もしそうだとすれば人の良心を信じたいひまりには到底受け入れられない。

 

「……あ〜!!もう!」

 

色々小難しい事を考えてから分かった事だが、ひまりに複雑な思考というのはできない。そうしている間にも疑問が山積するばかりなのだ。無意味な事をするのではなくせっかくの休日を有意義に使いたい、そう考えたひまりはテレビをつける。だらしない姿勢でリモコンを操作していると、

 

『次のニュースです。地裁は一昨年、入院中だった当時11歳の息子の点滴に水を混入させた疑いで起訴されていた無職、———被告に懲役十年の判決を下しました。裁判長は———』

 

一瞬、呼吸が止まる。まさか、偶然と思いたいが、そうではない予感がしてならない。出水という姓で、しかも年齢が計算と一致する息子、しかも報じられた病院は近所。暫し情報の処理が不可能になるほど茫然自失し、自分を取り戻したと同時に慌ただしくスマートフォンを掴んで電話帳を開き、またそこで止まる。

 

もしもこれが本当だとしたら、今自分がやろうとしているのは傷口を抉る事に他ならないのではないか。しかしそれでもひまりは若干の躊躇ののちに電話をかける。一瞬にしてあらゆる迷いが頭を駆け巡ってからの判断であった。その疑念を抱いてしまった以上、それを見なかった事にできず確かめたくなってしまったのである。

 

「もしもし京君?……うん、そっか。そうなんだ。……ごめんね。いやどうしてって……いや、キミがいいならいいけど……うん」

 

しかし決心してかけた電話は僅か十秒で終了した。彼は折に触れて、自分に母親はいない事を強調していた。それが何を意味しているのかは言うまでもない。

 

 

 

 

あれからひまりは色々と考えたのだが、当然の考えというものに辿り着くまでにそこそこの時間がかかった。やはり良心というものが邪魔をしていたのだ。それを捨てた時にようやく本質が見えた。

 

(あれ?これ別に京君何も悪くなくない?)

 

京はどこまでも被害者だった。存在そのものを都合よく利用され、散々痛めつけられて捨てられる。個人としての尊厳さえも否定された。その結果()()()()()のなら、それはもう『仕方のない』ことなのだ。それがひまりが出した答えだった。

仕方ない、仕方ない。彼が狂っていても、倫理のカケラさえなくても、たとえそれが原因で命を奪う事になったとしても。それが支える事だろうとも考えた。

 

京は悪くない。悪いのは彼をあんなにしてしまった全てだ。だがそれが危険な思考回路である事をひまりは承知していない。罪を憎んで人を憎まずなど成り立つ筈もない。京が不幸な生い立ちで精神的に不安定な事に同情の余地はあるだろうが、その精神の安定のために殺された者たちの無念はどうなるのか。いくら悲劇的で御涙頂戴の生い立ちであろうとも、危険人物であるという結果が変わる事はないのだから。

 

だがひまりはそれに目を瞑ってでも、京を救う事を決めた。独りよがりで普通なら忌避したくなるような方法で。それは、彼が抱く咎ごと彼を受け入れるというもの。まったくまともじゃない。

 

連続殺人鬼の多くは人を殺害する前兆として、動物に対して虐待を行う者が多いらしい。それに則れば京はいつその聡明さでもって暴発するか分からない爆弾のようなものなのだ。下手をすればそれが顔見知りに向かないとも限らない。

 

「おはよう京君」

「……おはようございます」

「どうしたの?私の顔に何かついてる?」

「いえ……。何でも。今日は何用で?」

「うん、ちょっと巴から用事を預かってるんだけど。いいかな?」

「ええ勿論。どうぞ」

 

だがそんなもの知った事かと、ひまりは事情を知りそれを京に把握させながらもこれまで通りよき友人としての関係を続けている。

 

表向きは。

 

だが裏側では、まるで自分が危険で孤独な少年と友情を育むひたむきな少女である事に酔っている。

 

「それでね、ここなんだけど……」

「またノウハウもないのに突喊したんですか、あの豚骨醤油は」

「あはは……。まあそんな事言わないでさ、アフグロのみんなを助けると思って、ね?」

「尻拭いは手助けとは言わないんですがね……。少々お待ちください」

「はーい」

 

作業する京とそれを見るひまり。一見普通の少年少女で、そこだけ切り取れば特に言及するべきところもないように思える。だが京は先程から作業しつつ様々な生物の効率的な解体方法を頭の中で思い描き、鮮血が飛び散るような残虐な妄想に耽っている。ひまりもひまりでその気配を感じながらも、それを庇護する対象として見てしまっているのだ。

 

誰からも愛されなかった京には、これから愛される権利がある。そして愛するのが自分の役目だとひまりは信じて疑わない。

 

「……見ていて楽しいですか」

「うん?まあ、結構楽しいよ」

「ならいいですが……」

 

たとえ彼が狂人だったとしても、想い人として愛を注ぐ。それが真理であるとこの時ひまりは確信した。それはキッチンで血のついた柳刃包丁と石頭ハンマーを目にしても揺らぐ事はなかった。


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