……初期に比べりゃまだ遅いですが。
美咲がハロハピにおける常識人である事に疑いようはない。そうでなければ京があれこれ相談もしないし、愚痴を溢すこともない。それについては疑いようもないのだが、最近はそうも言っていられない事情がある。一に、ハロハピのことを美咲一人に押し付けるわけにはいかない。メンバーたちは悪い人間ではないのだが、やはり感性が普通な人間にとってはどうしてもズレてしまうのだ。初めのうちは些細だと思っていたそのズレが、いつのまにか大きな歪みとなって———。そんなことが、まだ精神的に未熟な高校生という年齢では起こるものだ。
「お疲れ様です奥沢さん」
「ああ、どうも……」
美咲はある空き教室で机に突っ伏して、起きているのか眠っているのかも分からない状態であった。しかし京が声をかけると、緩慢な動きで上体を起こす。
「今日もまた、相変わらずのご様子で」
「これが相変わらずって相当ヤバいですよね?」
「いやあ、青春するには体力がいりますね。隣、失礼しても?」
「何日経ってもそれは聞くんですね。もちろんどうぞ」
京は美咲の隣に座る。最近は放課後になってからこれが習慣化してしまっているのだ。
メンバーたちの暴れっぷりについて愚痴を溢したり、逆に益にならないようななんでもない話で時間を潰したり。本当に時間の使い方は様々で、その日の二人の気分次第といったところだ。
「今日はどんな無茶苦茶を?」
「なんか……スカイダイビングがどうこうって。くだらな過ぎて途中から聞いてませんでしたけど」
「空中でパフォーマンスをする、という事でしょうか」
「いやいやいや無理無理無理。ツッコミどころ多過ぎますよ」
「まあ、物理法則と人体の限界はいくらなんでも金の力で解決できませんからね」
まあ、話題に事欠かないのはやはり愚痴なのであるが。小さな変化であるが、ここ最近の美咲は少々口が悪くなっている。口では楽しいと言っているがやはり美咲の感性には色々かストレスがかかっている事だろう。京もそうなる自信がある。
「まあいいんですけどね。私もやりたくてやってるんで」
「ええ、承知していますよ。どうですか、常識人その2こと松原さんは」
「花音さんは、まあ……いつも通りというか。そんな感じです」
「そうですか。つまり奥沢さんの負担はそこまで変わっちゃいないと」
「ええ、まあ。そんな感じです。ホント、自分で言うのもなんですけど私ってよくやってますよね」
「ええ、本当に。それは誇っていい事かと。私にはその苦労を理解する事はできませんが……」
「いいんです。京さんはそういうスタンスでいてほしいから」
「そうですか?奥沢さんがそうお望みならばこのままでいますが」
美咲本人も言った通り、彼女は本当によくやっている。好きか嫌いか、合うか合わないかというよりもやるべきかやらざるべきかで物事を判断し実行に移すというのは中々に難しい。モチベーションの浮き沈みが激しい未成年なら尚更だ。
美咲は大人びた存在だと、京はどこかそれを当てにし過ぎていたのかとしれない。
日曜日、ある昼下がりの事。寝起きだというのにスマートフォンに弦巻こころからの着信履歴があった時の心境たるや、計り知れないところさえある。虚弱な体に鞭を打ってライブハウスに向かうと、危惧していた通りハロハピの面々が勢揃いであった。
「来たわね!」
「来ちゃいました」
「へいよー京君!コロッケ食べる?」
「へいよー北沢さん。残念ながら今は脂質制限期間中ですのでまたの機会に」
「やあ出水君……。今日も儚くも美しい木々の散り際がよく映えると思わないかな?」
「ええ、その通りで。風に薙ぐ落ち葉の調べも趣あるものでございます」
まず三馬鹿の先制パンチをいなす。ライブハウスで楽器も演奏せずに何をやっているのかと思ったら、どうやらまたこころの創造性と美的センスとその他諸々の感性が爆発してしまったらしく、それに巻き込まれた感じらしい。全員の表情からも見えるが、はぐみと薫は似た者同士でノリノリ、花音は不安げ、美咲はいつもの事かと気にも留めていない様子。
「弦巻さんは私に何をさせたいので?」
「京には特別な仕事を頼みたいの!」
「はあ、特別ですか。初めに断っておきますが、あまり高等な事はできませんからね」
「常に私の側にいてもらうわよ!」
こころは何を自信たっぷりに、自分の側にいることが特別な事になると言えるのか。富や名声に興味がないこころがどうしてそう思ったのかは不明であるが、とにかくそういう事らしい。
しかしそれを面白く思わない人物が若干一名いた。当然声を大にしてそれはおかしいと言う事もなく、表面上は和を見出さずにいるのだが。どこからか硬いものがパキンと割れる音がする。何事かと思い皆がその方向を見ると、美咲の手にはかつてシャーペンとしての役割を担っていたモノが真っ二つに折られ無惨な姿で握られていた。
「……奥沢さん?」
神妙な顔で京が問いかけると、何やら禍々しいオーラを放っていた美咲はすぐにいつもの調子に戻る。
「あ、ううん、なんでもない。……で、なんだっけ?」
「もう、京に私のサポートをお願いするって話よ。美咲ったら聞いてなかったの?」
「あ〜……そうだね、そうだった。ごめん」
「なんかみーくんらしくないね。大丈夫?」
「うん、大丈夫。ホントに大丈夫だから。ちょっとボーッとなってただけ」
本人はそう言うが、どこか取り繕っている感じが拭えない。
「そう?それならいいけど、具合が悪くなったら言ってね」
話し合いが頓挫すると考えたこころは、そう促しつつも話を進めた。尚、結局こころの案については京本人が待ったをかけたことで流れたようである。
京は話し合いが終わってからすぐに美咲を捕まえて話しかけた。
「奥沢さん、三日ほど前から様子がおかしいですよね。よろしければお話聞かせていただけませんか?」
「……いや、本当になんでもないですよ。ちょっとボーッとしてただけ」
「本当ですか?」
「はい」
京はそれで納得する事なく食い下がる。それほどまでに京から見て美咲の様子はおかしかった。美咲本人は隠しているかもしれないが、こころに対する敵意は視線だけで分かるくらいに露骨だった。
「分かりました……。では私はこの話を降りる予定ですので、それを伝えておきます」
「………はっ?」
なんて事ないように、京は言う。当然それを受けた美咲の心中は穏やかではない。
「ちょっと今回ばかりは私の身が保ちそうにないので、残念ですがお断りするという形になるかと」
「いや……嘘でしょ!?」
「こんなつまらない嘘なんて吐きませんよ。私は身の丈に合わない事はやらないと決めているんです。火傷しないためにもね」
実際、それは嘘ではない。人並みに空気が読めるという程度ではこころの側近など務まらない。しかしそれ以外にも美咲の事について観察する意図もあった。一体全体、何をそこまでカリカリする事があるのか、それを探るためである。
「……そうですか」
「メンバーか、黒服さんならこのポジションに収まれるでしょう。私の出る幕ではないと思います」
まあ、やはりそんな美咲に言えない意図があっても、京が語っているのは本音だ。
ハロハピに限らず、京はバンドの輪の中に深入りしようとしない。あくまで求められた助け舟を出すか、あるいは個人的に友人として付き合う程度しかしようとしない。それが彼なりの、個人を尊ぶという事でもある。本人がやるべき事やできる事を奪うべきではない。
「あいつが……」
美咲は俯き、歯噛みする。本人は呟いた程度にしか考えていないその言葉はしっかりと京の耳へと届いていた。ただしその意味まで知れなかった事が致命的であった。
予定していたイベントはつつがなく終了した。途中、自分は降りると言った京がなんだかんだなし崩し的に場を手伝わされるという本人にとっての異常事態はあったものの、結果を見れば成功したと言えるだろう。
しかし一つの遺恨がある。イベント以降すっかり元の覇気を失ってしまった奥沢美咲についてだ。
(なんで私が……)
理由は分からないが、ここ最近の美咲はすっかり塞ぎ込んでしまっている。その理由を探って欲しいとのお達しを受けた京は、彼女の自宅の前にいた。
(……仕方ないか)
京も心配していないわけではない。インターホンを押すと、十秒ほど応答がなかったが、やがてインターホンでの会話をすっ飛ばしてガチャリと扉が開く。
「……お久しぶりです。まあ、三日かそこらですが」
姿を見せた美咲は、いつもと変わらない様子だった。少しばかり元気に欠けているというだけであまり変化はないように見える。
「思ったより元気そうですね」
「ええ、まあ。あ、そうだ。あがってくださいよ。話したい事もありますし」
「いいんですか。それならお邪魔させていただきます」
京にも話があった。大事な話が。もし断られたら土下座でもして頼むところだったので、嬉しい誤算であった。
美咲の家のリビングに通され、テーブルに向かい合わせに座る。そうして改めて表情を見ると、やはり美咲はどこかおかしい。漠然としているが、どこか執着するような、見ていなければならないという使命感さえあるようだ。
「お話ってなんですか?」
そんな視線を隠せていない事を気にしていないのか、それとも無意識なのか。美咲はそう問う。先に話していいと譲ってくれたので、京は遠慮なく切り出す。
「私に不満があるのなら、遠慮なくどうぞ」
京は薄く笑ってそう言った。
「な……」
美咲は暫し言葉を失う。彼女の思考を、いつの間にか京は読んでいた。読んでいた上でそう言ったのである。
「ふ……ざ……ふざけないでッ!!」
そう、分かった上で京は堂々と地雷を踏み抜いた。
「ふざけてなんていません。私はその件について伺いたく」
美咲は椅子を倒す勢いで立ち上がり、鬼気迫る表情で京に掴みかかる。
「
「ふざけないで……私がどれだけ苦しんだか分からない癖にッ!!いきなり顔を出してそんな事言わないでよ!!」
怒っているのか、懇願しているのか。おそらくその両方だろう。その胸の内を吐露する。
「どうしてあんなのが京の隣に!?私がどんな思いで長い間見てたのか知らない癖に、あの泥棒猫がいつも邪魔する!!貴方も貴方よ!どうせ気付いてるのに知らない振りなんてしないで!!」
堰を切ったように早口で捲し立てる。そこにはハロハピの良心はおらず、生真面目で常識的で少しニヒルな奥沢美咲はいなかった。
「私の隣にいて支えてくれると思ったのに!死ねッ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!私だけのものにならない京なんていらない!!!」
いるのは、ただ欲望のままに自分の本性を曝け出す女性だけだ。
「それが貴女の望みですか。バンドメンバーとしてでも、みんなの良心としてでもなく?」
「……そうですよ。貴方が欲しい、みんなの頼れる出水京じゃない、私だけのために存在してくれる貴方が欲しかったのに!」
「そうですか。もう気持ちは充分伝わりましたよ。なんというか、その熱情を隠すのに今まで苦労したでしょうね」
しかし京は間近で美咲の声を聞き、壁際まで追い詰められていても冷静だ。それにすっかり熱を奪われ、美咲も息を荒らげてはいるが勢いが消えてしまっている。
「……そんな言葉が欲しいんじゃないんですよ。返事を、返事をしてくださいよ」
「回りくどいのはお嫌いですか?」
「緊張のせいで、うっかり貴方を殺してしまいそう」
「おお、怖い怖い」
殺してしまいそうというその言葉、女子高生特有の軽口や冗談ではない。黒く濁ったような瞳で睨み付けられてはいくらうら若き乙女の前でも縮み上がってしまうというもの。京は冗談めかしてからかうように笑う。
「貴女は魅力的な人です。ですが……すみません。私は貴女の隣に立つ資格などない。私はとっくに、汚れてしまったから」
「何を……言ってるんですか……」
そして京の決定的な一言が、美咲に火を付けた。
「人を殺した。二年ほど前の事です」
美咲は笑った。それはもう、タガが外れたように喉が裂けんばかりの狂喜である。
「あれが!?嘘でしょう!?あはッ、あははははははははは!!!傑作だわ!!」
暫く腹がよじれるのではと思うほど笑った美咲だが、そのピークが過ぎ去ると、美咲はゆっくりと掴んでいた手を離す。
「ますます好きになっちゃったな……」
そしてまた、ゆっくりと京の首に両手をかける。
「ねえ、二人きりになろうよ。もう誰にも邪魔されたくない、私たちを妨害する奴なんて誰もいないところに」
そして徐々に力を入れていき、当然京の意識が遠のいていく。もう彼に話すような体力気力が無くなったその時に、美咲は舌なめずりをしてこんな事を言う。
「知ってるよ。湊さんが知るずっと前から」
それを最後に京は完全に意識を手放す。
「すぐ私もそっちに行くから」
美咲は恋焦がれる乙女のように頬を紅潮させ、最期にそう言った。
今年の年末年始は忙しくなりそうです。