やれんのかこれ。
チュチュこと珠手ちゆを月並みな言葉で言い表すとするならば、才媛だ。14歳と若年が揃うガールズバンド界隈でもかなり若い方であるにもかかわらず、実質高校生と同じ地位にある。
音楽に関する才能にも恵まれていて、自信家でプライドが高い事も納得できる実力を持っている。
しかし彼女には、一つ我慢ならない事がある。最近ライブハウスの手伝いとして顔を出している、ある少年だ。
「出水ィ!ここで会ったが百年目!私と———うぉう!?」
ちょうど彼が目の前を通りかかったので、声をかける。決して今日の天気とかそういう平和なものではない。喧嘩腰である事を隠さず、相対する。
「んなもん百年経ってから言ってください」
京はそんなちゆに対して、容赦なく手に持っていたポリバケツをぶん投げた。
「何すんのよ!」
「果てしなくこちらのセリフなんですが」
京はうんざりとした様子を隠さない。基本的に歳下であっても敬語を使う彼であるが、ちゆに対してはそういうわけにもいかない。
「あなたの仕事部屋はここじゃないでしょうが。さっさとお帰りやがれください」
「あぁん?うるっさいわね」
「そっちがでしょうが」
ちゆもそれは同じだ。愛らしい容貌からは想像もつかないようなドスの効いた声で、京に対して一歩も引かない。
「そもそもねぇ、あんたが前に煽り散らかすからいけないんでしょうがッ!ワタシは売られた喧嘩と半額セール品は買う主義よ!」
「何をケチくさい……じゃなかった。私がいつあなたにそんな事をしましたか。そのような記憶はございませんが」
というか、そもそもこうやってバチバチしている理由が分からない。ただし彼にも一応、人より少ないとはいえプライドはある。そのため穏やかに話し合おうとは言わず、それこそ言われたように煽るような口調で疑問を呈する。
「ッハァァァァァ!?ワタシに好き放題言っておいてよくもまぁそんな事言えるわね!?一ヶ月前にあんだけの事があったってのに!」
「一ヶ月前……あっ」
怒り心頭のちゆが口に出した、一ヶ月前の事という言葉。京はそこで、これがただの言いがかりではないという事に気付く。
そういえば、一ヶ月前にたえの紹介でRASというバンドに紹介された時だった。音楽人としては自然な事だが、彼女たちの要件は音楽についてである。
そこで確か、客としての意見を求められたのだ。小難しいテクニックがどうとかの話が出ない、イチ観客としての意見を。
「あれは『あなたの頑張りなどどうでもいい、ただ曲を聴くだけの素人の一般聴衆の話』としっかり前置きしました。それを受け入れたのはあなたです」
「言葉くらい選べるでしょうが!」
「選ばないから素人の一般聴衆だと思うんですけど」
「んなもんあるかぁ!」
納得のいかないちゆは吠える。というか確かにオーダー通りの忌憚ない意見で、しかも的を得ていたが、それにしたってプライドは傷つく。特にちゆのように実力もプライドも高い人間には、クリティカルヒットだ。
「私も実力は欲しいですが、あなたみたいになるなら凡人の方がいいですね」
「ぬわぁんですってぇ!!」
オーダーの通りにしてやったんだから文句を垂れるなと言う京と、解釈違いだと言うちゆ。二人の言い合いは平行線のままで、お互いに納得する事はなかった。だからこそちゆは手っ取り早く白黒はっきりつけたがったのかもしれないが。
「どしたどした〜。喧嘩はいけんよ君たち〜」
と、そこに割って入る人物が現れる。今回はわけあって一人でライブハウスに訪れている、おたえこと花園たえだ。どうやら争うような声を聞きつけて仲裁に動いたようだが、彼女は二人の共通の知り合いだ。よって二人の事を当事者以上に知っている。
「これは私と彼女の問題です。花園さんは手出し無用です」
「そうよ、ハナゾノは黙って見てなさい。この馬鹿に泡吹かせてやるから」
「言うは易くってヤツですよ。このちんちくりん」
「あ゛あ゛ん!?」
正直、たえもこうなる事は予想していた。可能ならば二人がトーンダウンしてくれることを望んで努めて明るく振る舞ったが、ダメだったようだ。
「も〜……。なんでそんなに犬猿の仲なの〜?」
「言われてますよ、猿。キーキー言ったらどうですか」
「あぁん?うるっさいわね、犬っころ」
「は?」
「あ?」
「あ〜、もう。やめなよそういうの。どっちもだってば」
京が苦手とする人物は決して少なくない。それは単に押しが強いのが合わないだとか、どうしても疲れてしまうとか、そういったものだ。普段はそれをおくびにも出さず、よき友人として振る舞うのだが。
ちゆに対してはそれがない。一部某子役上がりの女優兼バンドメンバーなどには気心の知れた友のように無遠慮に接する事もあるが、この無遠慮さはそれとは違う。
「どうしちゃったのさ、京君。キミそんなキャラじゃないでしょ?」
「うるさいです。この人はキャラ変してでも止めますよ」
「チュチュもさぁ。結構一匹狼な感じだったよね。本当に嫌いな奴フルシカトするタイプだったじゃない」
「いいでしょ別に。こいつは気に入らないのよ」
喧嘩と言っても二人の小柄な体では猫の喧嘩くらいの可愛いものだが。
「なんでさ」
京はそもそも他人と積極的に交わるタイプではない。ちゆもまた、どうでもいい事はどうでもいいと歯牙にかけないタイプ。なんだってそんな二人がそこまでお互いに固執するのか。たえにはまったくわからないものだ。
「こいつのっ!こいつの澄ました顔が気に入らないのよ!自己満足で完結して、何もやらない癖になんでもできるこいつが!」
最初に口を開いたのはちゆの方だった。彼女のように導火線が短ければ仕方のない事だが。
「自分がどんだけもったいない事してるかわかってんの!?わかってないでしょ!」
「うるっさいですね。なんですかもう」
うんざりした様子で京は答える。
「前々から思ってたけどねぇ、あんたがやってる事はおかしいでしょうが」
「余計なお世話だっつーの……」
何故そこまでお怒りなのか。同じような才能を持つ者として、スタンスが異なるからだ。
才能は尋常でないものなのだ。ならば、それを使ってこそ意味があるもの。ちゆは常にそう考えている。一方で京は、才能がどうとか持つ者持たざる者がどうとかそんな事どうでもいいと考える。
「使うならもうちょっとマシな使い方があるでしょうが。趣味なんぞで潰していいもんじゃないのよ」
「別にいいじゃないですか。そんなのどうしようが私の勝手です」
「んなわけないでしょ。周りにあれこれやってる時点であんただけの問題じゃないのよ」
「あなたの入る余地はありません」
「いいえ、あるわ。クリエイターが本気でクリエイトしないってのがどんだけ深刻かわかんないでしょうけど」
たえは言い争う二人を見ていた。そして双方の主張を聞いていると、どうにもこれが一触即発の地雷源ではない事に気付く。
(ん〜……?)
というのも、どうにも口の悪さと激しさで誤解されてしまうが、ちゆが言っているのは『優れているのにもったいない』という話だ。単に罵倒し合っているだけではない。
「そもそもプロという立場にあられるあなたと、アマチュアである私を同じ土俵に並べないでいただきたい。それこそレギュレーション違反というものでは?」
「
「ご冗談を。私にそのような力はありませんよ」
「あ〜もう、ほんっとそういうのムカつくわ。人が褒めてんだから素直に受け取れっつーの。言っとくけど、それ謙遜じゃなくて嫌味だからね」
このように、喧嘩っぽい圧力のある口調というだけで内容はかなり平和なものだ。
「あのさ、二人とも」
もしやこれが始終するのだろうか。たえはまさかとは思いつつも、二人に声をかける。
「あん?何よ?」
「後にしてくださいませんか。まだこいつのよく喋る口を封じていないんですけど」
「はあぁ?むしろワタシがあんたをケチョンケチョンにしてやるんですけど?」
やはりというか二人はこれで言い争っているつもりでいた。いやいやそうじゃないだろと、指摘する前に考える。
(ああ、そうだ。この二人、人間の心の機微にめちゃくちゃ疎いんだ)
なるほど、そういう事かと納得する。二人はそれぞれ別の理由で、人間の心というものに鈍感だ。
「……とりあえず往来の邪魔になるから、場所変えようか」
「そうね」
「こいつの金切声は迷惑ですからね」
「あんた、一言余計に喋らなきゃ死ぬ病気にでもかかってるの?」
「お望みなら二言三言でも」
「……」
ないとは思うが、ヒートアップなんて馬鹿な事が起きては困る。とりあえず、たえは廊下ではなくカフェエリアの方に殺気立つ猫二匹を誘導した。
「正直どっちもどっちじゃん。お互い、言ってる事で正しいな〜って思ったらその通りにして、違うなって思ったらやらなければいいじゃん」
「そういうわけにはいきません」
「そうよ。そういうわけにはいかないわ」
「……どうして?」
なんとなく答えがわかってしまうが、念のため聞いておく。
「「こいつの言う事聞くのは癪」」
ですよねと、あまりに予想通りな答えが仲良く同時に返ってきた。この二人、考える事だけでなくそれ以外の部分までそっくりだ。
「あっそ……。別に君らがいいなら私はいいけどさ」
たえとしては、友人二人がここまで仲がいいとわかって何よりだ。
「そういう話はRASの皆さんとやってください。私はそもそも、作曲していると言うのもおこがましい、フリークですから」
「ワタシがいつそんな話をしたのかしらぁ?バンド業界全体の話をしてるんですけどぉ?」
「ウザ……。あなたあれですね、揚げ足取りにかかるところ見ると文系ですね、さては」
「はあぁ〜、もうどうでもいいからさっさと曲出しなさいよ!そんでワタシと戦えぇ!」
「嫌です」
すっかり二人の世界に入ってしまった様子を見て、あるいはヒートアップとも言えるかもしれないそれによって、たえはすっかり蚊帳の外になってしまった。
(なんだ、喧嘩するほど仲がいいバカップルか)
実際のところ、出会った回数が片手の指で数えられる二人は知り合い以上友達未満の二人だ。しかしこのままなら、きっとこれからも仲は良好だろう。高め合うなんて事もあるかもしれない。たえは微笑ましい光景をしばらく見ていた。