「君のホクロで作ったチョコチップクッキーが食べたい」
土曜の正午過ぎ、食後のお茶を楽しんでいると唐突に告げられた謎の願望。
「僕の顔ってそんなにクッキーみたいに見えるのかな」
別に肌の治安はそんなに悪くないと思うしホクロだってそんなに沢山ないはずだが言われると気になってしまう。手首のホクロを反対の手で隠したけど紅茶が飲みにくいからその手はすぐに離れた。
「その色気のある涙ボクロがね、なんとなく負けた気がしてイヤ」
ため息混じりに紅茶を飲む彼女の所作に色気を感じつつ苦笑いで流そうかと思ったけど追い討ちのように発せられる「クッキー、食べたいよね?」という言葉と、一瞬でも紅茶にクッキーは合うだろうなと思ってしまったことが敗因だった。
この日、僕は初めて自分の体の一部を食すことになる。
「本当にチョコチップ買わなくていいの? 足りないかもしれないけど」
「そのときは私のも使って」
クッキーの材料を買いに行くついでに夕飯の買い物もしようと入ったスーパーで僕はお茶うけを紅茶のクッキーに変更する提案をしたけど彼女は少し考えてから「髪の毛が茶葉になるなら考えなくもない」と言うものだからたぶん何を言っても仕方がないんだろうとあきらめた。
初夏の不快ではない暑さにゆっくり焼かれながら一緒に飲む紅茶を考えていたらいいものを思いついた。彼女もきっと気に入ってくれるだろう。
「そういや君はクッキーとか作ったことある?」
「お菓子はあんまりないかな、結局買ったやつの方がおいしいだろうし」
調理担当は僕だけどお菓子に関してはまるで心得がない。なにより作る機会がなかった。
「そういうキミは? 女の子ってお菓子作り得意そうなイメージあるけど」
「クッキーくらいなら作れるわよ、練って焼くだけだし」
お菓子作りについては工程より分量の方が大変そうな気がする。
それより気になったのは彼女がクッキーを作れるということ。別に不器用とかそういうわけじゃないが、バレンタインデーとかイベント事には興味なさそうだしいつ作る機会があったのだろう。
「なにか失礼なこと考えてなかったかしら」
ジッとこちらを見つめられる、その目はほとんど答えを知っていたようだがおどけた顔をしてごまかしておいた。
「私にだってクリスマスが楽しみだった時期があったの」
過去を懐かしんでいるのか何も感じていないのか、感情の読み取りにくい瞳はそれでもきっと奥底に何かが隠れているんだろうと思う。なにが隠れているかは切って中身を見るまでわからないけど。
それから家に帰るとすぐにチョコチップを要求された。観念してボウルを持って洗面所に向かおうとした僕を彼女が呼び止める。
「なにしてるの?」
「チョコチップを作りに」
黙って僕を見据えてくる。まさか目の前でやれというわけではないだろうか。
「そのホクロがチョコチップになる瞬間も合わせて私はチョコチップクッキーが食べたいって言ったんだけど」
「正気かい?」
狂気の沙汰だと思う。
しばしの沈黙我慢大会を制したのはやはり彼女だった。ボウルを胸に抱えてチョコチップを作るとすぐに彼女が声をあげた。
「うわ……」
自分がそうするように仕向けたくせに気持ち悪いものを見た、みたいな反応をするのやめてほしい。そして恥ずかしいからマジマジと見つめないでほしい。
コロン、コロン。とボウルにチョコチップが落ちる音が止んでから改めてボウルを見ると想像よりそれの量が多いことに気付いた。彼女もそのことを不思議に思ったらしくボウルの中身を見つめている。
「まあいいわ、素敵なものを見せてくれてありがとう。数は足りそう」
生地に僕のホクロを練り込んで形を作りオーブンへ。焼かれる姿を見ているとなんとなく顔がヒリヒリするような感覚に襲われた。
「もうすぐ焼けるね。あとは僕がやるからテーブルで待ってて」
「いいの? じゃあよろしく」
お湯を沸かしながらティーポットに魔法をかけて彼女の反応を予想する。結局無関心だったらどうしようと不安になるからすぐにやめた。
焼けたクッキーを皿に移し、お茶の用意も盆に乗せながらリビングに向かう。
「なにこのお茶、花が咲いてるんだけど」
「フレーバーティーみたいなのをイメージしてみたんだけどどうかな」
ティーポットから花が咲いている様子に驚いたらしい。口ぶりはあまり喜んでいないが表情は少し柔らかくも見える。
柔らかく見えた表情が少ししまって感情の薄そうな顔に、彼女は不機嫌なときによくこんな顔になる。
「アジサイ、ね」
クッキーをかじりながら言う。作りたての温かいクッキーはおいしいが自分のホクロを食べていると思うと複雑な気持ちに。
「アジサイの花言葉知ってる?」
花言葉なんてひとつも覚えたことないけどそれがどうかしたのだろうか。
「移り気、浮気」
紅茶を飲みながらこちらを見る。その瞳の奥の感情は読み取れない。
「い、いや。そんなつもりはなかったんだけど。梅雨の時期だし風流かなって思って……」
「まあ気にしてないからテンパらないで落ち着いて。クッキー無くなるわよ」
「ああ、うん。次からは気をつけるよ」
全身のホクロが消滅したことに気づくのはその夜、風呂に入ったときのことだった。