「衛宮……先輩………?」
–––––血に濡れたボヤける視界で、泣きそうな彼女を見た。
顔を蒼く染め、色んな感情が煮詰まった様な表情をしていた彼女。–––その顔を一目見た瞬間、頭が真っ白になった。
どんな時も明るく、怒っても全然怖くない、泣くときは大声で泣き、困っている誰かを放って置けない心優しい少女。–––––自身が無造作に捨ててしまった、日常の証明。
彼女がこんな南極にいる訳が無いと理性は否定していても、本能は本物だと告げている。
(なんで、彼女が此処に––––?)
どうしてここにいるのか、大きくなったね、なんて言いたい事は山程ある–––––なのに、口からは掠れた音がするだけで上手く言葉が発することができない。原因は当然、血を流し過ぎた事だ。
呼吸を早めても酸素は肺まで回らないし、血は今も滴り落ちて行く。既に四肢の感覚は無く、頭がいくら命令してもピクリとも動かない。–––そんな状態なのに、俺は彼女に掛ける言葉を必死に探そうとしている。
普段の自分なら幾らでも舌は回る。「言葉」とは自分の武器であり、世界平和を維持する為に必要なものだったから。
–––でも、彼女にはなんて言葉をかけたらいいのか分からなかった。
(あぁ、クソッ。眠気が……もう時間が無いか)
視界を覆う霞が濃くなり、もう目の前にいた少女の顔をはっきりと見ることすら出来ない。何を話すか、なんて園児でも思いつきそうな物が出てこない–––自分が肝心な時に役に立たないのは、昔から変わっていないらしい。
(嗤うしか無いな–––結局、何も伝えずに終わるんだから)
既に身体の感覚は無い。後は目を塞ぐだけで、簡単に堕ちる事が出来るが––––––––。
(それで、終わって良い訳が無い)
自分の不幸を誰にも傷んで欲しくない、そう思ったから誰にも伝えずここまで来たんだ。それなのに、最期の最期で1番傷んで欲しくない人を目の前に寄越すなんて、神様は余程自分の事が嫌いだと見える。
重くなった瞼を無理やり開き、出来る限り酸素を取り込む。大きく息を吸い込むと肺が軋み、想像を絶する激痛が走る。けれど、お陰で一言位話せそうだ。
ーーーーや、ぁ。奇遇だ、ね、立華ちゃん。
驚愕の表情を浮かべる彼女を最期に瞼が落とされる。自分の意思とは関係なく、意識はそこで完全に途絶え、暗い底へと流れていった––––。
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–––––––再び目を開くと、鮮やかな色彩が飛び込んで来た。
ーーーー…なんだ。また来たのか。
「なんだ、とは酷い言い草だね」
なんの脈絡もなく、なんの繋がりもなく、近代建築の世界から一転、一面花が咲き誇る世界に立っていた。–––最もこれはつい昨日に体験したばかりなので大した驚きはない。
ーーーーそりゃそうだろ。幾ら綺麗な景色でも、夢だとわかってるなら興醒めだ。
「遠慮がなくなってきたねぇ…」
前回と同様、何も無い所から突如現れた白いローブの自称魔法使いが肩を竦める。相変わらず胡散臭い男だ。
ーーーー人の心を覗く相手に、遠慮が必要なのか?
「僕は必要だと思うけどな」
今度はこちらが肩を竦める。
ーーーー価値観の相違だな。こればっかりはどうしようもない。
「成る程。そうやって価値観にそぐわない人を切り捨てて行ったんだね」
ーーーー………否定できないのが、辛い所だな。
返す言葉が見つからずに悪態を吐く。
なんて事ない顔をして本質を見抜いてくる目の前の男。–––自分も人の心を読む事が出来たなら、もっと上手く世界を救う事が出来たのだろうか。…いや、考えるだけ無駄か。
ーーーーそれより、なんで俺はここにいるんだ?
「おやおや。そんなにここにいるのが不満かい?」
ーーーー不可解なんだよ。それとも、ここは死んだ奴の見る夢なのか?
右胸に突き立っているナイフを見下ろす。傷口から流れる鮮血が色取り取りの花達を赤一色に染め上げている。–––夢の中なのに、すごい再現度だ。
「–––––覚えてたんだね。てっきり忘れているものとばかり」
ーーーー親友に刺されたんだ、忘れるはずがない。
熱した鉄を差し込まれ、その後身体中を悪寒が駆け巡るようなあの感覚–––それが、致命傷である事は察する事が出来た。
自分は碌な死に方をしない、と常々思っていたが、まさか親友に殺されるとは思っていなかった。
『––––––ごめんな、衛宮』
ーーーーいや、それも言い訳か。
胸を貫かれた時の光景が瞼の裏で再現される。
正義の味方になる上で、自分という個は捨てた方が都合が良かった。そんな身の上で今更友人や親友などと、そんなのは都合が良すぎるだろう。–––その点だけ言うなら、最期に彼女に会えたのは僥倖だった。
「それで、君はこの後どうするんだい?」
ーーーーどうするもなにも、俺はここで終わりだろう?
出血は既に致死に足る量を超えただろう。もう俺という1個人がこの世界には存命していない、そして死んだ人間には何もできない。それがこの世の道理というものだ。
「さぁ?それはどうだろうね?」
ーーーー……首を傾けるな、殺したくなる。
「おぉ、怖い怖い」
ケラケラと笑う魔術師に拳銃を突きつける。…そうだ、どうせ死ぬのなら目の前の粗大塵を道連れにするのが世の為だろう。
「おっと、私を殺しても自体は解決しないよ?」
ーーーーやってみなければわからないだろ?
「いやいやいや。君正義の味方だろう?正義の味方はそんなイイ顔で武器を向けたりしないよ?」
ーーーーはははっ、面白いことを言うな人間擬き。
どうせもう死んだ身だ、正義の味方として最期の務めを果たすとしよう。拳銃のセーフティを外し、照準を男の眉間へ––––––。
「別に、お義父さんのやり方を真似しなくても良いんだよ?」
–––––––その言葉を理解するまでに数巡。そして言葉の意図を理解した時に浮かんだ感情は、冷たい諦観だった。
ーーーーやっぱり、知っていたんだな。
「当然さ、私は悪い魔法使いだからね」
ーーーーははっ、違いない。
力なく笑い、花の咲き誇る地面にに座り込む。引鉄を引く力など、既に残っていなかった。
「参考までに聞きたいんだけど、君は、いつ知ったのかな?」
何を、とは聞かなかった。なんて答えようかと考えたが、隠し事が一切意味が無いことを直ぐに思い出し、自嘲した笑みを浮かべた。
ーーーー幼少期には薄々感づいていたよ。それが確信に変わったのは国連で働き始めてからだったけどね。
自分の養父の写真が多くの殺人に関与し、旅客機爆破や船舶の転覆の実行犯の容疑者として上がっていた時の衝撃は途轍もなかった。それこそ、只々呆然する事しか出来ない程に。
ーーーー詳しく調べてわかったのは、あの人が「正義の味方」として活動していた事だった。
あの人が殺した人物の殆どは凶悪犯、若しくは思想犯として国連でマークされていた人物であり、彼らの殺人があの人にとっての「正義」であったことは容易に察する事が出来た。
––––––出来てしまったんだ。
「君は、その正義に違和感を覚えなかったんだね」
ーーーーそうさ。寧ろその正義を正しいとすら思っていたよ。
人を殺めて成り立つ正義。著しく倫理観に反したその行為は、自分の目には酷く正しいもののように思え、そしてこうも思った。–––やはり、自分はあの人に育てられたのだと。
「–––先人として忠告するけど、その正義はとても盲目的なものだ。万人はその思想に賛同しないだろうね」
ーーーー知ってるよ、そんな事。
万人に謳われる正義。それはきっと、こんな悍ましいナニカによってなされる偉業では無いのだろう。
ーーーーけれど、俺にはそれしか無かった。無かったんだよ。
掌に載せるべき、救いを享受する事が出来る人は限られている。どうやっても救えない人がいるのであれば、せめて救われる人の数を増やすのが最善だ。–––俺と切嗣の正義は、そこに集約されているのだから。
––––––結局の所、自分は正義の味方にはなれなかった。出来損ないの舞台装置だったと言う事だ。
「––––多くの人を救って、その先に得たものはあったかい?」
どこか語りかけるような口調の魔術師に被りを振る。
ーーーーないさ。救済するだけの機械が、なにかを得るのもおかしな話だろう?
そうして自重した風に笑みを浮かべる。すると、魔術師の男が杖を振るう。
「そんな事はないとも。救うためだけの人物も、なにかを得て良いはずさ」
前と同じように花弁が空を舞い、自分を包んでいく。
「–––君は知るべきだ。自らが成し遂げだ偉業を。自らが救ってきた命の重みを」
色とりどりの花弁は徐々に視界を遮り、魔術師の男が視界から消える。
「それを知った時、初めて君は救済の意味を知るだろうさ」
その言葉と共に瞼が自然と閉じていき、視界が黒に染まる。
「君が正しい目を再び持ち、答えを得る事を心から願っているよ」
彼のその言葉を最後に、自分の意識は再び闇に堕ちていった–––––。
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「–––––容体はどうかな」
奥に配置された病室の戸を叩き、中へ入る。病室の中央に置かれたベッドにはひとりの男性–––仙道調査官が瞳を閉じて眠っている。
「ダヴィンチちゃん。両儀さんは?」
その傍に寄り添い、手を握り続ける少女–––藤丸立華君が席を立つ。
「部屋に軟禁しているよ。天草君とジャンヌ君がいるから万が一も大丈夫さ」
「そっか…」
彼を襲った両儀式は現在カルデアに在籍している裁定者達によって拘束状態にある。側には暗殺者の英霊も何人か配置しているため、何かしようものなら即座に対応できる状況を整えている。
そんな状態にいる両儀をどこか心配そうな彼女に微笑む。–––もっとも、これから話す内容は明るいものではなく、寧ろ暗いものなのだが。
「さて、色々と話す事はあるけれど…まずは、彼の本当の名前がわかったよ。高校時代の友人に話を聞くことが出来たからね」
「それは…」
「まぁといっても、立華君は既に知っていたらしいけどね」
どこか物言いたげな表情で黙する彼女に苦笑いを浮かべる。––––まさか彼女と国連の調査官が関係者だなんて、それこそカルデアスでも予測できなかっただろう。
「彼の本名は『衛宮 彰』。名前から解る通り日本出身だったよ」
「やっぱり、先輩なんですね」
自分の知り合いだった事を再認識したのか、目を伏せる。–––しかし、この話はこれでは終わらないのだ。
彼女と向き直り、はっきりと口にする。
「立華君、君にはこれから話す事実を、人類最後のマスターとして聞く権利がある」
「それは、どういう…」
「ただ、彼の一知り合いとして、友人としての君はこの話を聞くべきではないとは思う。あくまで自分の主観だけどね」
–––これから話す話は、目の前の彼女の様子を見るに少し残酷だとは思う。だからこそ確認したかったのだ、本当にこの話を聞きたいのかを。
「…ダヴィンチちゃんがそう言うってことは、結構重い話なんですね」
「うーん、そうだね。彼自身が相当に重たい存在だから」
「そっか…」
瞳を閉じて思考に耽る彼女。–––しかし、その答えは直ぐに出てきた。
「聞きたいです、私」
「…君ならそう言うと思っていたよ」
透き通るような瞳でそう言う彼女を見て、懐から情報端末を取り出す。–––彼女は覚悟を示したのだから、嘘を吐くことは許されない。
「まず衛宮 彰という人物だが、日本国籍のデータベースにそんな名前は一人も存在していなかった」
「存在、していなかった…?」
訝しげな彼女に「うん」とうなづくと言葉を続ける。
「諜報員を使って日本の個人情報を調べ、戸籍情報も全て網羅した––––にも関わらず、彼の名前は一件も発見できなかった」
「それって、先輩は透明人間ってことですか…?」
「いや、違うよ」
可愛らしい言葉を零す彼女に微笑む。その様子に見たのか、軽く頰を膨らませてむくれる。
「じゃあどういう事ですか?」
「簡単な事さ。–––消されたんだよ、データベースからね」
「消された?戸籍をですか?」
「あぁ。紙媒体の戸籍謄本すら残っていなかったよ」
「それって、どういう––––」
「詳しい事はわからない。ただ、衛宮彰という人物が消されたことだけが事実だよ」
–––一個人の存在を抹消できる機関なんて限られている。もっとも、何処の誰が彼の戸籍を消した事については見当がついているのだが。
「–––君の知っている衛宮彰という存在は、世界から消えてしまっているんだよ」
「それじゃあ、ここにいる先輩は……」
顔を白くして言葉に詰まる彼女––––その言葉の先を告げる。
「誰も彼を衛宮彰だとは証明できない–––彼は名無しなんだよ」