12.ジジイと死に損ない
つん、と消毒薬のにおいが鼻に届いた。
ゆっくりと目を開くと、そこには真っ白な天井が広がり、ライトが光っていた。眩しくて、目を細める。
ここは一体どこだろう。私はなにをしていたんだっけ。なにも思い出せない。ううん、と首を捻ると同時、お腹に激痛が走った。
見ると、手術の痕がある。…縫ってある。ほえー。すごいもんだなあ、と感心してから、待てよ、一体誰が? と考えてーー視界の隅にいた老人が目に留まった。
……ん? え?
「う、わぁ!!?」
「!? なんじゃい、うるさいわ!!」
いやあんたもな、という言葉は、恩人かもしれないこの人の前では言わないでおいた。
目の前にいるのは、だいぶ歳のいったおじいさんだ。けれどシワひとつない白衣を着こなし、顔色はよくないがキリッとした顔をしている。
ベッドに寝転がって起き上がらずに私をまじまじと見つめているのは、どうやら変態だからじゃないらしい。
「……おはよう、ございます」
「ああ」
「あの…あなたが、私を?」
「そうじゃ。穴の空いた腹も治し、傷口の荒さが最悪じゃった腕も繋げてやった。文句あるのか」
「いや、文句なんてそんな!!」
あるわけない、と言い……私はひとつ、思い出した。
そうだ、家族!!
「あの! 私の近くにいた大人と、子供ふたりは…!」
「ん? そんなん居らんかったぞ」
「えっ…」
「よくわからん鼻水男が居たが…でかすぎてその後ろまでは見えんかったわい」
「は、はぁ」
「それに、今にも死にそうなガキが居たんじゃ、放っとけという方が鬼じゃろう」
鼻水男? いや、それは関係ないだろう。
うちに鼻水男なんていないし、父上が鼻水まみれになってたとしても、うちの父上そんなに大きくないし。
よくわからない、と首をかしげていると、おじいさんが「しかし」と怪訝そうに私を見た。な、なんでしょう。
「そんな怪我、まだ子供のお前がなぜするハメになった? 最近街のやつらが騒がしいと思っておったが、なにか関係があるのか?」
びく、と体を揺らした私になにか確信めいた視線を送ってきたおじいさんは、ため息をひとつ吐くとベッドから立ち上がった。
その体には点滴の管が何本かあり、一目で体調が優れないとわかる。
…母上と、同じ顔色してるもの。
そう思った瞬間、大粒の涙がぼろんぼろんと私の目から出てきて、おじいさんはぎょっとしていた。ご、ごめんなさい。
わわ、涙が止まらない。嗚咽も出てくる。こんなん、産声とドフィとロシーが初めて歩いたときくらいじゃないかなあ、ほんと。
「う、うぅ~…!! うぇ~ん…!!!」
「なっ、泣くんじゃない! ま、まて。落ち着け、そうじゃ、うーんと、えーっと、とりあえず泣き止め! なぜ泣いとるのか話さんと訳がわからんわ!」
この人は、恐らく子供とかが苦手なんだろう。
扱いがなれてない感じするし、テンパってるし。
でも、雑でも、ゴツゴツざらざらしたお年寄り特有の、あの安心する手で涙を拭ってくれたから、おじいさんはきっと昔多くの女の人を心酔させたプレイボーイに違いない。…なんてね。
とりあえず嗚咽と涙を引っ込め(ようと努力し)て、おじいさんにこれまでの事情を話した。
元天竜人であること。一家五人で下界へ来たこと。家が燃やされたこと。迫害されたこと。それでも弟たちを守りたかったこと。母上が死んだこと。弟たちを逃がして、自分は壁に釘で打ち付けられたこと。……意識を手放す前に弟たちをみて、よかったと思ったこと。
引かれるかな、とか、同じように迫害されるかな、と身構えながら話していた私の頭には、いつの間にか大きな手が乗っていた。
「……頑張りすぎじゃ、バカ娘が」
その声はたまらないくらい優しくて、でも私はふるふると首を振った。
「そんな、…頑張れてなんか、ないです。だって親不孝だし、弟たちは最後まで面倒見られてないし、…つらい思い、させちゃったし」
「それはお前の親がアホだからじゃ」
はい。ぐうの音も出ないです。
けど、自分で思うのと他人に言われるのとではなんだか感じ方が違って、ちょっとイラッとした。
親をアホと言われたことに。…なんでだろう?
「…でも、私は姉上だから。大丈夫です。守らなきゃ、家族を。私がーー」
「大丈夫じゃないわ!!!」
「!?」
急に大きな声で怒鳴られて、私は飛び上がってしまった。きゅ、急になんですか!!? いきなりステーキもビックリだわ!! …あれ? なに言ってんだ、私。
「親に苦労して、弟に苦労して、殴られて蹴られて、矢で射られて釘で打ち付けられて!!! どこが大丈夫なんじゃ、言ってみィ!!」
「…ッ、でも私は大丈夫なんです!!! だって、だって家族を守るっていう役目が…」
「“守る”ということは自分を蔑ろにすることじゃないと分からんのか!!? 他人に守られることもできない者が、他人を守るなどとのたまうなァ!!!」
「!!」
だって、ともう一度呟いた声は、かすれていた。
止めたはずの涙が、落ちてくる。この地獄みたいな生活の思い出が、走馬灯みたいに頭を駆け巡った。
私はこの生活の間、……一度だって、家族に助けを求めただろうか。お願い知恵を貸して、とか、お願いたすけて、とか、言っただろうか。
ーーー否。
私は守られる気はなかった。
父上より、母上より先を見ていると、家族を見下していたから、私は、守られることをしなかった。
それはなんて、弱い行為なんだろう。
でも、聞いて。私は誰かを守ることでしか、いきる意味を見つけられなかったってとこも、あるんだよ。
ほんの少しの劣等感と、天竜人たちからの疎外感。
寂しかったんだよ、ねえ。寂しかったからーー守るためって言って、私のエゴで、ドフィとロシーを、溺愛していたのかも、と思うと笑えた。さいてー。
「……人生のすべてを分かったような顔をするんじゃないぞ。自分を最低だとも思うな。お前が弱いのなんざな、百も承知じゃ。お前の強さに、期待なんぞしとらん」
「……っ」
悔しくて、でも言う通りで。
けれどね、やっぱり最低って思っちゃうよ。だって、私はきっと、エゴでしか動いていないエゴ人間なんだから。
その餌食になったのが、私の弟たちだっただけ。
ふっと自嘲気味に笑ったーーそのとき。
「ーーー強さに期待なんか、されてなくていいんじゃ。お前はまだまだ、……クソガキなんじゃからな!! はっはっは!!」
優しい、優しい言葉だった。
はっとして、震えてーー今にも泣き出してしまいそうだった。いや、もう泣いていたけれど。
おじいさんは今度はテンパらずに涙を拭って、にかっと笑った。
ああ、そっか。
私の心には妙な納得があった。
…クソガキって言われたのが、嬉しかったんだなあ、私。
昔から大人びてるだの何だの言われてきたけど、心では叫んでた。私、子供だよって。
ああ、嬉しいんだ。ーー見て、もらえたことが。
「だが、…お前が家族に注いだ愛は、忘れちゃァいかんぞ。それは、本物の愛! 強さの源じゃ!」
「つ、強さの、源…?」
この人は、どんな人生を送ってきたんだろう。
とても気になった。話を聞いてみたいと思った。
おじいさんはげほんっ、とひとつ咳き込むと、呆れたようにに息を吐く。
「……はぁ。まったく…わしの人生最後の手術がこんなガキで、しかも説教までしなきゃならんとは。最後まで、ついとらんの」
「…人生最後の手術?」
おじいさんは、寂しそうに笑った。