「あねうえは、『いたん』なの?」
「へっ?」
弟であるロシーから発せられた小さく、ストレートな疑問に、レンはきょとんとしてしまった。
時は遡ること数ヵ月前。
ロシーは姉が苦手であった。
周りの大人や友達は本人の前では姉を「大人びている」とそれはそれは褒めるが、陰では「異端の子」と呼んでいる。
ロシナンテもドフラミンゴとは違う恐怖を姉に感じていた。
人と違うことができる……それは、何より勇気と人の目を気にしない精神が必要だからだ。
だからまだ幼いロシナンテには、姉がひどく怖い生き物に見えて仕方がなかった。
「あねうえ……みんなと一緒にしよう?」
「みんなと一緒?」
「みんなとおんなじことしないと、ダメだよ……いたんって、言われちゃうよ…。ぼく、あねうえが言われるの、いや」
ロシナンテにしてみれば、みんなと合わせることは姉の身を守ることだと思った。だから奨めたのだ。
けれど姉は、嫌ともわかったとも言わずにロシナンテの話をうなずいて聞くと、勢いよく立ち上がり、こう言った。
「よし、ロシー、おさんぽ行こう! 姉上と、ふたりで」
ロシナンテがドフラミンゴ抜きで姉と散歩に行くのはこれが初めてだった。
外には蝶が飛び、花が舞い、高く豪華な建物が至るところに建っている。
聖地マリージョア。楽園のように、美しいところだ。
「…ロシーは、ここ、きれいだと思う?」
「…? うん…」
「それが例えば、人の不幸の上に成り立っているものだとしても?」
「……? むずかしいよ、あねうえ…」
姉は小さくごめんね、と微笑むと、ロシナンテの手をもう一度強く握った。
ロシナンテは姉の言いたいことがよくわからなくて、首をかしげる。
姉がたぶん、ここがきれいだと思っていないことは、なんとなく伝わったけれど。
「ロシーは大きくなったらどうするの?」
「どうする……なにか、するの?」
「そうねー、ここの人たちは、何もしてない人がほとんどだけど…人は違うのよ。働くの」
「はたらく……」
あまり馴染みのない言葉の羅列に、ロシナンテは姉の言葉を繰り返すことしかできなかった。
「働いて、家族を養ったり欲しいものを買ったりして、守りたいものを守るの。それって、すてきじゃない?」
「…! かっこいい」
「でしょ? ねえロシー、……なにもしなくていい、なにもすることのないなんて未来ほど怖くて、不安定なものはないわ。…だから姉上、怖いの」
怖い? 素直に驚いた。この姉に、怖いものがある。
そして同時に、自分の目の前に敷かれていると思っていた道が音をたてて崩れ去るのが見えた。
働く。知っている。でも、自分の未来に不安を持ったことなんてなかった。
思わず泣きそうになると、姉があわてふためいたので頑張って涙を引っ込める。
「もちろん、姉上がドフィとロシーは守るわ。…でもね、ロシー。しっかりした自分の道は、自分で作っていってほしいの。自分の目で見て、感じて、考えて」
「自分の目で見て、感じて、考える……」
「そう。それでもマリージョアがいいなら、姉上反対はしないけど」
そう言って苦笑した姉が、本当に自分を案じているのを感じて、ああ、この姉の弟で良かったとロシナンテは心から思った。
この人は、自分の考えを持っている人だ。きちんと持っているから、「異端」と呼ばれてしまうのだ。ここの人たちは、何も意見をもっていないから。
「父上と母上がほら、考えなし……じゃない、優しいからアレだけど、いいことも悪いことも、自分で考えていかなきゃね」
「…うん!」
「ありがとうね、姉上の心配してくれて。…ロシー、大好きよ」
「ぼ、ぼくも!」
いつの間にか姉への恐怖は消えて、逆に姉からの言葉がすとんと胸に入ってきた。
自分の目で見て、感じて、考える。
「あねうえ、いたんなんかじゃない。…ごめんなさい」
「! いいのよ! 確かにここでは私は変な子だから…だけど、考え方で他人にどうこう言われる筋合いはないから! 私は大丈夫!」
姉は異端じゃなかった。
ひどく苦しい呪文に蝕まれている、ただの子供であったのだ。
とーーロシナンテは後に知ることになる。