そろそろ帰ってくるころだろうと思って、ドフィのための椅子を整えて、他の人たちのためのお茶を用意した。
ロシーにもそれを手渡してあげて、私もその横にすとんと腰かける。静かな時間だ。何も考えずにポケーッとしていられる時間なんて今まで全然なかったから、新鮮。
横に座るロシーに寄りかかって、そんなことを考えていた。
「ただいま帰りました、レンさん!」
「お帰りなさい、ベビーちゃん。お帰りなさい、ドフィ」
「あァ。…フフ、なんだ、気が利くな?」
「いえいえ。…お帰りなさい、みんな」
どかどかとなだれ込むようにアジトへ戻ってきた彼らはテーブルの上のお茶を見るや否や、行儀作法なんかそっちのけでガブ飲みする。えーっ。
ドフィやベビーちゃんはコクコクと行儀よく飲んでいたけれど、ディアマンテなんかほんと論外。思いきりのんでは思いきりゲップをしていた。
ほぼ条件反射みたいな感じで「やめなさい」と叱ってしまう。これは癖ね、癖。
ディアマンテは言われて爆笑しているけど、そんなんじゃモテないんだかんな!!
けれど、あんまり熱くしなかったせいかロシーも吹き出さずに飲んでいるし、良かった良かった。
みんなの服にところどころ血が付いているのは気になるけど、たぶん全部返り血だろう。
念のため、「誰も怪我してない?」と聞いておく。
「うーんと…、確かセニョールがちょっと撃たれてた気がするわ!」
「えっ!?」
「オイ、余計なことを言うんじゃねェ、ベビー5。こんなもん、酒でもかけときゃ治る」
「治るわけねーわ!! ちょ、来なさいこのハードボイルド!」
衝撃。酒でもかけときゃ治るって、なんじゃそりゃ!!?
さすがハードボイルド、なんて私は騙されません。抵抗するセニョールを連れて、医務室の椅子に座らせた。この間の私とドフィみたいだわ。
消毒液と止血剤、包帯を取り出した私にとうとう勘弁したのか、セニョールは大人しくなった。
最初からそうしていなさい、と少しブーメラン気味なことを言ってから、血の滲んでいる腕にそっと清潔なタオルを当てた。
ピク、と眉が動いたけど声を出さないのは、ハードボイルドなのかな?
大人の男ってよくわからない。
「…倉庫に行ったか? レン」
「! …匂う?」
「……いや…」
おれたちの留守中なら行くかもしれないと思っていた、と言うセニョール。じゃあドフィにもばれてるのかな? ふぅ、と小さく息を吐く。
セニョールは呆れたというように私を見た。
「そんなことをして何になる? 救いたいのか?」
「そこまで自惚れてないわよ」
「…なら、なぜだ? 若はお前を彼処に連れていきたがらなかったことを知っていただろう」
「知ってる。…知ってる、けど」
ーー初めて弟を、理解できないと思ってしまったから。
頑張って理解しようと、してみた。してみたんだけど、無理だった。それだけ。ただ、…それだけだ。
理解できないことを理解しようとすることは案外難しくて、無理をして理解しようとしているのがロシーには伝わったらしく、そういう意味での首振りだったんだろう。アレは。
ごめんねドフィ。姉上ひとつだけ、ドフィのこと理解できないや。
「…ダメと言われたら行きたくなっちゃうって女の気持ち、分かるでしょう? セニョール」
「…フン、まァな……」
「ドフィにもそこらへん理解してもらいたいもんだわ」
はい終わり、と包帯を巻き終わったセニョールの腕をさすった。
止血もしたし大丈夫だと思うんだけど。
少し触ったり腕を曲げたりして動きを確認していたセニョールが満足そうに笑ったから、安心する。動きに支障はないみたいだ。
とりあえず次から怪我をしたら隠さずに言うことを約束していただいて、セニョールは出ていった。
あー慌て疲れた、と私は医務室のベッドにダイブする。
ドフィが用意してくれた私の部屋のベッドよりかは固かったけど、寝心地は悪くなかった。
この世界に来て最初の家のベッドと似てるなあ、と懐かしくなった。
寝れなくなったら、母上が子守唄を歌ってくれていたっけ。あの人の声は、綺麗だったな。
目尻から頬をそっと撫でて、「愛してる」と囁いてくれたあの人は、今どうしているだろう。私が心を殺したあの人は、私を恨んでくれているだろうか。
……ああ、そっか。
(あの人が女神だったから、その心を殺した私への罰として、神様は願いを聞いてくれないのだろうか)
そうかもしれない、きっとそうだ、と謎の確信が私の心を支配した。
そうかあの人が。考えてみれば生まれてから今日まで、私を抱き締めて子守唄を歌ってくれたのは、あの人だけだったな。
…大事な人を、なくしたんだな。
悲しみが数年遅れでやって来た。妙な喪失感。後悔と嫌悪が心の中で渦巻く。
これはきっと、母が亡くなってからすぐに出てくるべき感情だったはずなんだけど。
料理を頑張っている母の背中も、熱を出したときに覗き込んでくる心配そうな顔も、もう二度と見れないんだっけ。
……この気持ちは、一体なに?
「…え……?」
じわ、とシーツが濡れていっていることに気付く。慌てて目元を触ると、見慣れない透明な液体が、目から流れ出ていた。
拭えど拭えど出てくるのに、嗚咽はない。ただ、流れているだけ。
近くの鏡にうつった、無表情で泣く女性。それが自分だと気付いて、どうしようもなくゾッとした。
感情が遅れて来たとはいえ、私は母の死に本気で涙も流せない女なの?