住みにくくは無さそうな木製の小さな家に案内されて、ほうと息を吐いた。
「…ちゃんと家を持つのなんて18年ぶりくらいだわ」
マリージョアから下界に降りてきて初めて住んだあの家以来、私には我が家と呼べる何かはなかった。
船か、ドンキホーテファミリーの船か、野宿。慣れてしまったそれに不便だとか苛立ちだとかは無かったけれど、ふかふかのベッドや帰る場所、安心できる家という存在に対して、憧れに近いような何かを持っていたような気がする。
少し驚いたような顔をした家の持ち主のおじさんだったけれど、すぐに事情を察してか何も聞いては来なかった。
またロシーに聞いたところ、私たちくらい歳の離れた姉弟なんてそうそういるはずがない、ということで、姉弟という関係はどうなんだと耳打ちされ、私も少し冷や汗をかいたが、マキノちゃんは何も言っては来なかった。
変なところで世間知らずと言うか考えなしなところが出ちまうのは考えものだな、とも言われた。悲しい。
「クレイオさん、うちで働いたらいいわ」
「酒場で?」
「そう。お家賃とか色々、高くはないけどお給料もだせるし」
部屋に荷物を置いてぐるりと見回していると、マキノちゃんがそう言ってくれた。
…マキノちゃんは疑わしいくらい優しい。けれどその優しさをいちいち疑うなんてことはしなかった。
昔だったらしたかもしれないけれど、今はそんなことしないし、できない。
「姉上がするなら、おれも何か手伝いを」
「あらほんと?」
「あーっダメダメダメダメ」
小さいとはいえ奇跡にも近いドジっ子のロシーに、食べ物などを扱う仕事は向いてないだろう。
何より火傷などが心配だ。
「マキノちゃん覚えといて、この子奇跡的なドジっ子だから」
「ドジっ子?」
「そう。立てば転ぶし歩けば転ぶし、ちょっと火に近寄るとどこかしら燃えるんだから」
「姉上~…っ!」
「あら…」
恥ずかしそうにうつむいたロシーだけど、仕方ない。ごめんね。ロシーは目一杯遊んでてくれていいのよ、ルフィくんと。
…あれ、そういやルフィくん、まだ見てないな。いつもなら飛び付いて来るのに、なんでだ?
遊びに忙しいのか、忘れられたのか。
「マキノちゃん、ルフィくんは?」
「あぁ、ルフィは…今頃酒場に戻ってきてるかも。最近、ずーっとついて回ってる人たちがいるんです。…行きます?」
「そーね…行ってみよっか、ねぇロシー」
「お…うん」
ロシーは精一杯子供っぽくしようと努めていた。気を抜くと、どこか大人びた雰囲気が出てしまうからだろう。
……生き物の時を遡らせる、なんてこの世の禁忌にも近いことをしてしまった…その罪悪感と、けれど救えたことへの嬉しさと、どうしてもむずむずとするこの感じ。けれどロシーを失うことに比べれば、他の感情も縮まった寿命も、惜しむに足らないものだ。
「…あれ、なんかさっきより賑わってない? 酒場」
「そうなの。今この村には、海賊が来ててねーー」
ぴた、と私とロシーの歩みが止まった。
…海賊、という言葉に過剰に反応してしまう。…彼らな訳がないと、わかっているのに。
「あ、安心して! とてもいい人たちよ。ルフィもなついているの」
不安げな私たちに気付いたマキノちゃんがそう笑うけど、ひきつった笑みしか返せなかった。
フーシャ村に海賊って。ちょっとガープさん。ここ貴方の生まれ故郷じゃないんですか。護れよ。仕事しなさい。
海賊ってなにそれ美味しいのくらいの平和な村かと思っていたから、ちょっと驚いてしまった。
海賊のいる店に入るって、なんか嫌なんだよなぁ。大丈夫かな、いきなり弾丸が頬を掠めたりしないよね。大丈夫だよね?
「こんにちは、皆さん。ルフィも」
「おうマキノ! 酒、貰ってるぜ!」
「オレンジジュースもだ! 宝払いで!!」
開けたそこは酒臭く男臭かったが、弾丸が頬を掠めたりすることは無かった。
ぶつかりあうグラス音に、下品な笑い声。でもどこか少年味を含むそれは、聞いていて不愉快にはならない。
ガヤガヤとうるさいそこをマキノちゃんの後に続いて通り抜けて、カウンター席にちょこんと座るルフィの近くに寄った。
「ルフィくん」
「ん? ……あーっ!! ロレンソじゃねぇか! ひっさしぶりだなーっ!」
「久しぶりルフィくん。大きくなったね」
椅子から飛び降りんばかりの勢いで目を輝かせるルフィくんを撫でてあげると、私の服の裾を掴むロシーの力が、ちょっと強くなった気がした。
「おいで。…ルフィくん、この子はロシナンテ。私の…弟なの。今日から私たちここの村に住むから、仲良くしてあげて」
「ほんとか!? よろしくな、もじゃもじゃ!」
「も、もじゃ…っ!?」
驚きのネーミングセンスにロシーは引き気味だったけど、まぁルフィくんのことだ、すぐに仲良くなっちゃうだろう。
小さい子なんてそんなもの、とニコニコして見ていると、隣のお兄さんが話しかけてきた。
「ほぉ、ソイツ弟か? ずいぶん歳が離れてるんだなァ!」
「え、ぁ、いや、まぁ……」
「ははは! まぁ、色々あるもんさ! お嬢ちゃんも呑もうぜ!! ここに住むってんなら祝いだ、奢ってやるよ!」
「それは……どうも」
麦わら帽子を被ったその人は、赤い髪と太陽のような笑顔が印象的だった。
周りからお頭、と呼ばれているのを見る限り、どうやら彼がこの海賊たちのボスらしい。
へー、若いのにすごい。
「ロレンソっていいます。よろしくお願いします」
「おれはシャンクスだ! よろしくな!!」
にっ、と差し出された手は、躊躇いなく握った。
出された酒も飲み干した。
彼はだいぶお酒に強いようで、付き合わされる私もかなりの量を飲まされた気がする。
「姉上、呑みすぎだ」
「……ん…」
ーーロシーが裾を掴んでそう止めるまで、私は飲み続けていたらしい。バカだ。
気付けば夜もだいぶ更けていて、帰らなきゃ、とぼやけた頭で考える。
さっきまでうるさかった店内も、酔い潰れた男たちばかりだ。…う、酒臭い。
とっくに帰ったらしいルフィくんと話し疲れたというロシーの手を握り、奢ってやるよと言われたとはいえ、少しはと考え、マキノちゃんにお金を渡した。
「……ずいぶん必死になるもんだな」
「ん…シャンクス、さん」
「おれたちを頑張って信用できる人間だと思おうとしてんだろ? 嬉しいなァ」
静かな店内に、けらけらと笑い声が響いた。
「……ごめんなさい」
「いや、いいのさ。今まで色々あったんだろ? 仕方ねェよ」
「いいえ、…とても失礼なことです」
まっすぐ見つめてくるその瞳に、隠し事はできないと察した。
おちゃらけているようで真面目。海賊なのに太陽のよう。そんな雰囲気を纏わせる彼は、今まで会ったことのない人間だと感じる。
「今まで、私に優しくしてくれる人は、疑うまでもなく心の底から優しい人ばかりでした」
でも、幼い頃に触れてしまった人間の心の深い部分。黒くてドロドロとした、救われることのない憎しみ。恨みの力。
そこを見てしまったせいか、私はまず初めに疑う事から入る、嫌な人間になってしまった。
そこから疑わしいところを一つ一つ消していって、そして信用する。……そんな嫌な人間に。
まず信じる、ということができる人間には、なれなくなってしまった。
「……ひどいですよね」
ロシーがそっと裾を握る。
震えている肩を、心底愛しいと思った。
「んなこたねェさ」
ぽん、と頭に手が置かれて、顔を上げる。
……そこには、太陽みたいな笑顔があって、息を呑む。
「頑張ってきたんだなァ、お前」
ーーーああ、そうか。
きゅっと心臓が締め付けられるような痛みと共に、視界が歪む。
狼狽えと似た感情が、心に溢れた。
そっか、私はずっと、この言葉を言われたかったのか。
母上にも父上にも言われずにすべては終わってしまったけど、たぶん私は、誰かに「よく頑張った」って言われたかったんだろう。
誰かに認めてほしかった。わがままは言えないけど、困らせたくないけど、褒めてほしかったんだなぁ。
「……姉上」
「…ロシー……」
私はよく頑張った。
ならこれからもきっと頑張れる。
「……シャンクスさん、ありがとうございます。おかげで、やる気出ました」
「おう! そりゃよかったな!」
「私、明日からここで働きますんで、よろしくお願いしますね!」
「お、マジか! またな!」
子供のようにぶんぶん手を振る彼に笑いかけて、ロシーの手を引いて店を出た。
夜風が気持ちいい。
「ロシー、姉上頑張るね」
「ん?」
「頑張って働いて、少しここで平和に暮らしたら、ローに会う旅に出よう。きっと生きてるよ」
「…そうだな!」
「良いお医者さんになってるだろうから、ロシーを元の年齢に戻すとき開いちゃう傷口を治してもらおうね!」
「こ、こわいこと言わないでくれよ姉上」
さあ、新生活を始めよう。