迫れ、ショッカー!   作:柴猫侍

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君が来た!

 この世は平等じゃない。

 

 

 

 齢4歳にして知った残酷な現実。

 打ちひしがれて、何度も枕を濡らして、それでもヒーローに僕はなりたかった。

 あの画面の向こうで笑っている英雄(ヒーロー)みたいになりたかったんだ。

 

 でも、だからと言って何かをしてきた訳じゃない。

 勉強も頑張って、ヒーロー分析も毎日のように頑張って来た。でも、それはあくまで学校生活や趣味の延長線。

 僕は本当の意味でヒーローになる為の努力をしてなんかいなかった。

 自分の所為だって言われたらそれまでだけど、でも、それでも、誰かに“無個性”な僕でもヒーローになれるって言って欲しかったんだと思う。

 

 そんな時だった―――彼女が僕の前に現れたのは。

 

「“無個性”でもヒーローに? ―――()ーッ! ()ーじゃないですか、その目標! ならまずは……筋肉ですね!! 筋肉をつけましょう!! 一緒に頑張りましょう!!」

 

 僕に手を差し伸べてくれたのは―――。

 

 

 

 +

 

 

 

 それは中学に入ってから半年が経った頃。青々と生い茂っていた木の葉が紅葉し始め、涼やかな風が教室に吹き渡る時期だ。

 僕―――緑谷(みどりや)出久(いずく)は相変わらずだった。

 僕の世代では“無個性”ってだけで珍しい。そんな先天的なハンデを追っている僕が、“個性”を持っている子たちから大なり小なり見下されるのは当然のことだったのかもしれない。

 

 と言うより、僕の幼馴染であるかっちゃん―――爆豪(ばくごう)勝己(かつき)が率先して僕を見下した態度をとるから、必然的に周囲も僕を見下すような姿勢をとるようになってきた。

 ……ううん、これはただの言い訳。“無個性”でも人柄が良ければもっと違っていたのかもしれない。

 だけど、中学に上がりたての子どもにそんな現実を示す時間は、学校内での自分の立場を確立させるには十分すぎる時間だった訳で、結局僕は今を変えられないまま、せめて真面目に過ごしている。

 

 このまま3年生まで過ごす……憂鬱になりながらも、それも仕方のないことだと諦めていた時に、彼女は颯爽と現れた。

 

「今日から折寺でお世話になります! 排打(はいだ)衝子(しょうこ)です! よろしくお願いします!」

 

 弾けるような笑顔が特徴的な黒髪の女の子が転校してきた。

 

「お? 隣の席ですね! よろしくお願いします!」

「へ!? あ、み、みみ、緑谷出久です! よ、よろしく……」

「はい!」

 

 何も知らない彼女は隣の席になった僕に手を差し伸べて、笑顔を向けてくれた。

 その平等な笑顔と共に差し出された手を握る僕は、今日は良い日になりそうだなんて考えつつ、初めて握った(と思う)女の子の手の感触に緊張する。

 同時に憂鬱になったんだ。この子も、いずれ皆と同じような態度を僕にとるようになるのかなって。

 

 出来ればそうなって欲しくないなと考えても、口になんか出せないものだから……僕は後々辛くなるのが嫌だから、この子とは余り関わらないようにしようと心に決めた。

 その矢先だった。

 

「緑谷くんはヒーロー志望ですか!?」

「えっ!? あ、うん、一応……」

「そうなんですか! 実は私もなんです! 因みにお好きなヒーローとかは!?」

「僕の好きなヒーロー? えっと……余りにもメジャー過ぎるっていうかアレだけど、僕はオールマイトが一番好きだよ!」

「オールマイト! 良ーッ! やっぱり王道ですよね、オールマイトは! あの逞しく鍛え上げられた筋肉には彼の努力が目に見えるようですよ!」

「うん! そうだよね!」

 

 さようなら、僕の決意。

 

 一限を終えるや否や隣の席の僕に話しかけてきた排打さんは、僕を釣り上げるに最も適した話題(えさ)を口にした。

 ヒーローに目がない僕だ。例え排打さんみたいに可愛い女の子じゃなくなって、ヒーローの話題を出されたら口が止まらなくなるよ!

 

 それにしても排打さんはグイグイ来る。

 初対面の男子に対し、隣の席というだけでここまで話しかけてくれるだなんて……。

 

 僕は言い様もない多幸感に溺れるがまま、排打さんとのヒーロー談義に熱が入ってしまう。

 

(僕、今日が中学校生活で一番楽しい日かも……!)

 

 今までどれほど色のない青春を送ったかと言われたって構わない。

 

「そう言えばこの前、オールマイトの活躍の特集番組がね……!」

「はい、私も見ましたよ! やっぱり、オールマイトの活躍は語り草ですよね!」

 

「おい」

 

「数日前は『巨大化』の“個性”の(ヴィラン)を倒してたよね! しかもワンパンで!」

「あれも全てオールマイトの筋肉が為せる技ですよ! どうやって鍛えてるのか一度聞いてみたいものですね……」

 

「おいっ」

 

「言われてみれば№2のエンデヴァーも凄い鍛えてるし、“個性”に関わらず鍛えてる人は多いんだろうね! あ、でも“個性”上あんまり鍛えない人も居るよね」

「私は勿論鍛えてますよ! なんたって……」

 

「おぉい! シカトこいてんじゃねえぞ!!」

 

「ぎゃひィ!?」

「うわ!」

 

 僕の目の前―――正確には机が爆ぜた。

 この“個性”は間違いない、彼だ。

 

「か、かっちゃん……!」

「おい、デクぅ……聞き捨てならねえ言葉が聞こえたんだが?」

「聞き捨てならない言葉って一体……?」

「てめえがヒーロー志望ってことだよっ!!」

 

 もう一度、僕の机の上が爆ぜる。

 とは言っても、学校の備品である机を完全に破壊した訳じゃなくて、表面がほんのり煤ける程度の爆発だ。みみっちいと言い換えられることもできるかもしれないけれど、それほどまでに繊細な“個性”の操作ができることを、僕は素直に感心する。それでも学校で“個性”を使うことは褒められたものじゃないけれど……。

 

 だけど、問題はそこじゃないんだ。

 

「ぼ、僕もヒーロー志望だっていいじゃないか……!」

 

 取り巻きの生徒と共に座っている僕に見下すような視線を向けるかっちゃん。

 勉強も運動も僕なんかより凄いかっちゃんは、勿論ヒーロー志望。口や態度が悪いことを除けば、きっと将来はトップヒーロー間違いなしの逸材だってことは素人の僕でも分かる。

 そんなかっちゃんに言われるからこそ時々堪えるんだ。

 

―――“無個性”の僕がヒーローを夢見てることが。

 

 逃避するように視線を落とす。

 その際、きょとんとした顔を浮かべている排打さんが目に映った。事情も知らない彼女は僕が“無個性”だってことも知らない。

 だから僕の発言の意味も分かってないと思う。

 

 そんな時にかっちゃんは余りにも呆気なく告げた。

 

「“無個性”のてめぇにヒーローは土台無理だろ、はははっ!」

「っ……!」

 

 今の僕はどれだけ惨めな顔を浮かべていただろうか。

 高らかに笑うかっちゃんに釣られて取り巻きの生徒たちも一斉に笑い出す。教室の中を反響する笑い声が嫌に澄んで聞こえた。

 ある者は『慣れたものだ』と何も思っていないような視線を向けてきて、ある者は『またやってる』と呆れたような視線を向けてくる。

 

(一人くらい止めてくれたっていいじゃないか)

 

 ヒーロー志望なら、と口に出そうになった。

 

「爆豪くんっ!」

「あ゛?」

「……排打さん?」

 

 項垂れる僕の目の前に立つ人影。

ちょうどかっちゃんとの間に割って入る形になったのは他でもない、排打さんだった。

どんな顔をしているのかは僕には見えないけれど、不思議と彼女の背中が大きく見える。

 

「―――私と腕相撲しませんか?」

「……は?」

「ちょっとしたレクリエーションですよっ! ほら、爆豪くん!」

「てめっ、なに勝手に話進めて……お゛ぉ!!?」

「V!」

 

「え゛ぇ~~~!? かっちゃんに勝った!?」

 

 流れるような運びでかっちゃんと腕相撲をとる体勢に入った排打が、一瞬でかっちゃんの腕を押し倒して勝利した。

 凄い勢いだったから手の甲を打ち付けたかっちゃんが若干悶絶してるけど、僕にとっては女子の排打さんがかっちゃんに筋力で勝ったことが驚きだ。

 

 だけど、すぐに負けを認めるかっちゃんでもない。

 

「っ……今のは無しに決まってんだろ! 勝手に一人で始めやがって! おら、もう一回だ!! 今度は本気でぶっ殺してやる!!」

「その挑戦者(チャレンジャー)精神……()ーッ! でも、そう簡単にやられる私じゃありません……よっ!」

「お゛おおっ!?」

 

 また勝った。

 その後も自分のプライドが許さないかっちゃんが何度も排打さんに勝負を挑むものの、何度やっても結果は変わらない。

 机の上に何度も叩きつけられて真っ赤になった手の甲を押さえるかっちゃんは、かつてないほど険しい表情を浮かべて排打さんを睨む。

 

「てめえ! “個性”でズルしてんじゃねえだろうなァ!?」

「ちっちっち。私の“個性”は『衝撃波(ショックウェーブ)』です。腕相撲にはちっとも関係のない“個性”ですから、今の勝負は単純に私が爆豪くんよりも強かっただけですよ。筋肉の勝利です!」

「っ……! この筋肉女……次は負けねえぞ!」

「ふっふっふ、爆豪くん。イジメていいのは己の筋肉だけなんですよ」

「意味わからねえことほざいてんじゃねえよっ!」

 

 制服の袖を捲り、逞しく鍛え上げられた上腕二頭筋を見せる排打さん。

 彼女に完膚なきまでに負けてしまったかっちゃんは、鬼みたいな形相を浮かべながら自分の席に戻っていった。

 

 かっちゃんはああ見えて潔い部分がある。

 でも、どんな形であれかっちゃんが負ける光景は、僕にとって余りにも新鮮なものだった。

 

「す、凄い……」

 

 女子が男子に勝つだけでも凄いのに、あのかっちゃんに勝つなんて……。

 

 “個性”も使わずに筋肉だけで勝つためには相応の努力が必要だ。

 誇らしげに胸を張る排打さんを観察すれば、腕だけじゃなくて、全身が満遍なく鍛えられていることが窺えた。

 

―――それこそ、僕なんかより……。

 

 そのことに気が付いた時、僕は胸がキュッと締め付けられる感覚を覚えた。

 

―――僕は何をしたっけ?

 

 不意に僕は自己嫌悪に陥った。

 

(ああ……やっぱり……)

 

 排打さんやかっちゃんは、僕と違う世界の住民だ。

 ヒーローを志す人達は、皆須らく努力している。

 

 僕は本当の意味でヒーローになるための努力はしてなかったって、今気が付いた。ヒーロー分析っていう楽な方向に逃げていただけで、“無個性”なりにしなきゃならない努力をしてなかったんだ。

 

 僕はどうしようもない劣等感を覚えて、そっと目を伏せた。

 

 

 

 +

 

 

 

 僕は放課後、とある場所に立ち寄っていた。

 そこは学校のゴミが集められるゴミ捨て場。各クラスのゴミ箱に捨てられた物の最後に集まる場所だ。

 家庭ゴミのように生ものは入っていないけれど、鼻を突く不快な臭いは漂ってくる。

 その前で顔を顰めている僕は、手に『将来の為のヒーロー分析』ノートを手に持っていた。

 

「……」

 

 たくさんのヒーローの“個性”やコスチューム。他にも、戦い方やどんな活躍をしたかを書き綴っているノートだけど、これはもう僕には必要ない。必要ないんだ。

 

「っ……!」

「あー、緑谷くんっ! ここに居たんですね!?」

「は、排打さん!?」

 

 でも、突然どこからともなく排打さんが現れて、咄嗟にノートを背中に隠してしまう。

 

「おや? 緑谷くん、今何か隠しましたか?」

「い、いや、別に!!」

「いえ、絶対隠しました! 私はこれでも目は良ーんですよっ!」

「わあ!? ちょ、ちょっ……!」

「ん? 『将来の為のヒーロー分析』……ふむふむ。ふむむ?」

「あ、あぁ~!」

 

 僕は恥ずかしさの余りそばかす顔を手で覆った。

 分析ったってそんな大層なものじゃない。加えて、別に絵心もない僕が素人なりに特徴を捉えるように描いてみた下手なヒーローの絵がある。男子にだって見られたら恥ずかしいと思うのに、転校してきたばかりの女子に見られたらと思うと、僕は恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

 

(さっさと捨てれば良かった……)

 

―――ヒーローになりたいっていう想いと一緒に。

 

「す……」

「?」

「凄いじゃないですか、緑谷くん!」

「えぇー!?」

 

 陰鬱な気分になっていた僕の肩を掴む排打さんは興奮しているようだった。

 

(ち、近い! 女子、顔、目の前!)

 

 現状を頭の中で整理しようとするけど、僕にとっては刺激的過ぎる状況を前に、上手くまとめることができない。

 遂にはキャパシティーがオーバーしてフリーズしてしまう僕だったけれど、構わず排打さんは語り始める。

 

「これ全部緑谷くんが書いたんですか!? “個性”も! コスチュームも! 戦い方まで調べて!? こんなこと、並大抵の意気じゃできませんよ!」

 

 笑顔が眩しい。

 違う、僕はそんなに讃えられるようなことをした人間じゃないんだ。

 

 そう考える僕へ、排打さんは告げる。

 

「やっぱりヒーロー志望なんですね!」

「っ! ……でも、僕は“無個性”で―――!?」

 

 伏し目がちな僕の手を握る排打さん。彼女の僕を見つめる瞳は真っすぐで、とてもじゃないけれど目を逸らすなんてことはできなかった。

 

「関係ないですよ!」

「!」

「“無個性”じゃヒーローになってはいけないなんて、要綱に書いてありましたか!? 私は昔から何度も何度も見返しましたが、そんな文面見たことがありません!」

「そ、それはそもそも“個性”があるのが大前提っていうか、暗黙の了解っていうか……」

「書いてないったら書いてないです! ならば、試験に合格してヒーロー足り得る能力があると証明できれば、ヒーローとして人を救けても良ーということです!」

 

 底なしのポジティブ。僕は排打さんにそんな印象を抱いた。

 だけど、彼女の言葉は不思議と心地よくて、今にも捨てたかった想いを捨てさせないようにする熱がある。

 

「緑谷くんはヒーローになりたくないんですか?」

 

 彼女はちっぽけな僕の決意を揺るがしてきた。

 

「“無個性”だからとヒーローになれないと考えているんですか?」

 

 そうだ、簡単に捨てられる筈がなかったんだ。

 

「緑谷くんにとってのヒーローとは、単なる職業としてのヒーローなんですか?」

 

 僕が子供の頃からずっと―――英雄(オールマイト)に憧れてからずっと抱いてきた想いを。

 

「違います! 人を救けたのならば、その人は須らくヒーローなんです!」

 

 笑顔で誰かを救けたいっていう“夢”は、簡単に捨てられるものじゃなかったんだ。

 

 

 

「緑谷くん()ヒーローになれます!」

 

 

 

―――誰か一人にでも、夢を肯定されたかったんだ。

 

 

 

「っ……う、うぅ……!」

「緑谷くん!? あわわ、私が何か酷いことを言ってしまいましたか!?」

「ううん、違うんだ……嬉しくて……!」

 

 クラスメイトにも否定され、担任の先生にも遠回しに否定され、そもそも最初にお母さんにヒーローになれないと涙で示され。

 そんな僕にとって、例え出会って一日も経ってない子だったとしても、ヒーローになれると言ってもらえたことはこの上なく嬉しいことだった。それこそ、今まで散々馬鹿にされる度に堪えていた涙が溢れ出すくらいには。

 

「ありがとう、排打さん……おかげでもうちょっと頑張ろうって思えたよ」

「いえいえ! これからよろしくするクラスメイトなのですから! ……ところで、ちょっと失礼してもよろしいでしょうか?」

「え? ちょ、わあぁ!?」

 

 って、急に排打さんが僕の学ランの裾を捲って僕の体をマジマジと観察し始めた!?

 

「おうふ、これは……」

「は、排打さん? あんまり見つめられると、その、だらしのない体で恥ずかしいっていうか……」

「―――鍛えがいのありそうな体ですね」

「へ……?」

 

 その時、僕は排打さんの目がギラついたのを見逃さなかった。

 まるで獲物を見つけた肉食獣のように煌めく眼光。小心者の僕にとっては身震いしてしまいそうなほどに獰猛な笑顔を浮かべる排打さんは、逃がさないと言わんばかりに僕の手を握る。

 女子の手! スベスベでさらさらしてて、なんか良い匂いもする……けど、一生懸命筋トレした証であるようにデコボコした掌だった。

 

 僕は、排打さんの努力に対する畏怖と、現在置かれている状況への本能的な恐怖を前に生唾を飲んで、悪意を一切感じない満面の笑みを浮かべている彼女を見つめる。

 

「その……えっと、排打さん……?」

「何はともあれ筋肉です! 人命救助に必要なガッツ、スタミナ! それらを解決するのは筋肉なんです!」

「ひっ!?」

「緑谷くん! 共にヒーローを志す者として微力ながら貴方にお力添えをさせて頂きます!」

「それってどういう……!?」

 

 嫌な予感がして咄嗟に足を一歩引いたが、僕では到底振りほどけそうにない力で手を握る排打さんに詰め寄られた挙句、こう言い放たれてしまった。

 

「―――一緒に筋トレしましょう!!!」

「え……ええええええぇぇぇぇぇ!!?」

 

 

 

 これが僕のターニングポイントの一つ。

 この日から、僕と排打さんのハッスルでマッスルな日々が始まるのだった。

 

 

 

 +

 

 

 

「おはようございます、緑谷くん! 今日は朝からいい天気ですね!」

「う、うん……」

 

 排打さんの笑顔が地平線から昇る朝日のように眩しくて、僕は目を細めてしまった。

 早朝5時に浜辺に集まった僕たち。排打さん曰く、こっちに引っ越してから見つけた絶好のランニング場所らしい。

 

 そんな場所に呼び出された僕。

 彼女の厚意を無駄にはできない―――それと、いつまでも内向的な努力ばかりする自分を変えたくてやって来たんだ。

 だけど、流石にこんなに早く起きるのは正直きつかった。

 

「排打さんは、いつもこの時間にランニングしてるの……?」

「そうですよ! 朝に一汗掻いてから食べる朝ごはんは格別! 朝は一日の資本となる重要な時間帯なのです!」

 

 それにしても、ランニングウェアとランニングタイツ姿の排打さんは、中々どうして……。

 いや、ダメだ! 僕はこんな邪な考えを持つためにここに来たんじゃない!

 

 自分を変えたい、そのきっかけをくれた彼女に応えるためにも、今日から頑張っていくんだ!

 

「排打さん、その、こういうの初めてだから要領とか分からないけど……よろしくお願いします!」

「承りました! 私の手にかかれば、緑谷くんも半年後にはバキバキに仕上がっている筈です!」

「半年後!? バキバキ!?」

「筋肉は一日にしてならず! 己の筋肉の限界を超えて筋線維を千切ることこそが基本です! 常に己を超えていく意気が必要ですよ! 乗り越えた自分の壁の数が、私達を更なる高みへ連れていってくれるのです!」

 

 服の上からでも分かる引き締められた筋肉を見れば、これまでの排打さんの努力が分かる。

 そうだ、彼女の努力が目に見えるからこそ説得力が生まれるんだ。

 “無個性”の僕がヒーローになるためには、それこそ並大抵の努力じゃ足らない。他人の何倍もの努力をしなければならかった。

 でも、過ぎ去ってしまった時間までは戻らない。なら、今からでも出来る限りのことはしなくちゃダメなんだ!

 

 

 

―――だけど、現実は非情だ。

 

 

 

「ぜぇー! はぁー! ぜぇー! はぁー!」

「一先ずこのくらいにしておきましょう!」

「う、う゛んっ……げほっ、ごほぅ!?」

 

 たった30分のランニングがここまできついものだったなんて……!

 体力の無さは自覚しているつもりだったけれど、それにしても浜辺で走ることがここまで体に堪えるとは思っていなかった。

 朝なのにもう足腰がガクガクだ。

 

「これ……絶対……明日……筋肉痛……!」

「そうですね……でも、いつかその痛みが癖になってきますよ!」

「えぇ……!?」

 

 筋肉痛に快感を覚えている……っていう言い方だと誤解されそうだ。

 きっと、自分の限界を超えられたっていう明確な基準があるからこそ、筋肉痛になるまで頑張ったことに喜びを見出しているんだろうけれど、僕はまだまだその段階に進めそうにはない。というより、今まさに一歩前に踏み出すことさえできないほどに疲労している。

 

「先行きが不安だ……!」

「そんな緑谷くんへ、私からの差し入れです!」

「へぁ? わ、ととっ! これって……コーラ?」

「そうですよ! 一汗掻いた後のコーラは最高ですよっ!」

 

 確かにコーラはエネルギー補給に良いっていう噂は聞いたことがある。

 でも、今はロジックなんか関係なしに水分補給がしたかったから、僕は排打さんに続いてコーラの入った容器の蓋を開けた。

 

 そうこうしている間にコーラをラッパ飲みする排打さん。けれど、彼女が炭酸飲料の蓋を開けた時に鳴る炭酸が抜ける音は響いていなかった。勿論、僕のも。

 僕が不審に思いつつ、それでも喉の渇きに耐えかねて容器に口をつければ、その理由がすぐに分かった。

 

「これ……炭酸抜けてるの?」

「炭酸抜きコーラですよ!」

 

(えええええ……!?)

 

 まさか差し入れに炭酸抜きコーラをもらうとは露ほども思っていなかった。

 美味しいけれど……美味しいんだけれど……!

 

「排打さん……いつもコレ飲んでるの?」

「はい、そうですよ! 炭酸の抜けたコーラも中々乙なものでしょう?」

「そ、そうだね……ははっ」

 

 彼女の満面の笑みを前にすれば、否定的なことなんて言えやしない。

 

 でも、後になって気が付いたんだ。

 

 激しい運動の後に炭酸の抜けてないコーラを飲むと吐くって―――。

 

 

 

 +

 

 

 

 排打さんがヒーローを志すようになった理由は、なんてことはないよくある話だ。

 昔、敵の暴走に巻き込まれて倒れてきた重い物に挟まれて身動きがとれなくなった時、近くに居たジム帰りのマッチョたちに助けられたかららしい。

 ……いや、よくある話ではないかな。

 でも、『誰かに救けられた』経験があるからヒーローを志すのはよくある話だ。

 

 僕の場合はオールマイトに憧れただけだから、実体験に基づく志じゃない分、排打さんと比べると少しばかり引け目を感じてしまう。

 

 だけど、“無個性”と知ってるからか否か、そんな僕に対して排打さんはとても良くしてくれた。

 

『緑谷くん! このプロテイン安くて美味しいんですよ!』

『緑谷くん! 今度の日曜日、一緒にジムに行きませんか!』

『緑谷くん! トレーニングの後のストレッチをしましょう!』

『緑谷くん! お古でよろしいなら、私が持っている入門用の筋トレ道具をお貸ししますよ!』

 

 排打さんは良くも悪くも単純な女の子だった。

 

 それまで当たり前だったクラスの皆の僕に対する扱いに異を唱えてくれた。

 当然、そんなことをすれば反発する人達は現れる。けど、困った人を見過ごせないお節介な性格で、人の良い所を積極的に褒めて、それでいて笑顔の弾ける彼女がクラスの輪に入るのにはそう時間はかからなかった。

 

 彼女のおかげか、最近はかっちゃんも僕に余り絡んでこない。その代わり、前より随分と体が逞しくなったような気がする……それはそれで怖いような気が。

 

 なにはともあれ、排打さんが来てから僕の世界は変わった。

 

 何もなかった僕の体に筋肉が付いたのを見ると、以前とは打って変わって自分に自信が持てるようになった。

 

 そうだ! 例えヒーローの資格が取れなくたって、本当に誰かがピンチの時に救けられるような人間であることが大切なんだ!

 

 そんな風に僕を前向きにさせたのは、偏に排打さんのおかげだ。

 彼女を手短に説明すれば筋肉至上主義……じゃなくて、努力家で、明るくて、それでいて困っている人を見過ごせない女の子だ。

 トレーニング中でも、重そうに荷物を運んでいるおばあさんを見つければ手伝って、膝を擦りむいた子供を見かければどこからともなく取り出した絆創膏を張ってあげて、その他にも数えきれないほどの場面に出くわした。

 

 僕から見て彼女は、最早立派なヒーローだったんだ。

 

 でも、そんな彼女だからこそ“無個性”の僕を気にかけて、自分の時間を犠牲にしてるんじゃないかって疑ってしまった。

 彼女は辛い顔を見せない子だから、本当は僕を疎ましく思っているんじゃないか、って。

 だからこそ、どんない辛くて苦しいトレーニングでも、彼女が僕にかけてくれている想いに応えようって、何度も『ダメだ』って挫けそうになった限界を乗り越えた。

 

 だけど、とうとう聞いてしまったことがある。

 

「排打さんは……その、僕のことを迷惑だと思ってない?」

 

 今思えば、本当に人の僕に対する想いに懐疑的だったんだ。

 お母さんに気苦労を背負わせてしまって、同年代の子には自然と下に見られていたから。

 

 付いてきた筋肉とは裏腹に成長しない精神《こころ》から漏れてしまった言葉。

 排打さんは、そんな言葉を聞いて数秒ぽかんとしては、満面の笑みでこう言い放った。

 

 

 

「居心地が()ーッから、緑谷くんと一緒に居るんです!」

 

 

 

 僕は顔から火が吹き出そうだった。

 おかしいな、僕のお父さんは口から火を吹き出す“個性”だった筈なのに、そんな筈は……。

 対して面白くもないギャグが頭の中をぐるぐると巡る。

 そうだ、きっと大それた意味なんてない。単純に、ヒーローを語り合う仲として気が合ってるっていう意味なんだ!

 僕は自分に言い聞かせた。

 

「そ……そうなんだ……よ、よよ、ヨカッタヨ」

「ええ! 私と緑谷くんはヒーローを志す友達でありライバルです! これからも互いに切磋琢磨しましょう! 筋肉を!」

「う、うん!」

 

 彼女は僕に与えてくれた。

 

 

 

 衝撃と、勇気と、まだはっきりとしない胸の熱さを。

 




後編へ続きます。
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