夢見る世界、尚うつつ。   作:れな

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プロローグ 独り芝居

 姉弟ってのは、当然ながら喧嘩をするものだ。

 誰よりも近くの存在である家族で、それでいて年が近い。だからどうしても喧嘩をするものだと、母さんは言っていた。

 

「でもさ、あたしと夕理(ゆうり)は喧嘩なんてしないよね」

 

 その姉弟論に、日菜姉さんが楽しそうに言った。

 日菜姉さんが、俺に紗夜姉さんとのことを相談してきたものだから真剣に答えていたのに、何故か俺とのことを話すものだから少し驚いてしまった。

 

「……仲が良いってことじゃないの?」

 

 驚いたから、楽しそうに話す姉さんに驚いたから、そんな言い方しかできなかった。

 

「ってことはさ、あたしとおねーちゃんは仲が悪いってこと?」

「いや、そういうことじゃないだろ」

「そうじゃないなら、あたしと夕理の仲は悪いってことになるよ」

「……」

 

 姉さんは単純だ。

 仲が良いから、喧嘩をしない。だったら、喧嘩をするのは仲が悪いからなのか──。

 

 それは、なんだか違う。

 

 ならば、喧嘩をするのは仲が良いからで、喧嘩をしないのは仲が悪いからなのか──。

 それも違う。俺の言葉は、別に深い意味があるわけでもない。なんとなく、そんな感じがしたから。

 でもそうしたら、日菜姉さんと紗夜姉さんの仲を否定してしまう。だけどそれを否定すれば、今度は俺たちの仲も否定される。

 

「姉弟って、難しいんだねー」

「……そうだね」

 

 悩んでる俺を見て、日菜姉さんはまた楽しそうに言った。なんだか、からかわれてるみたいだ。

 

「あたし、夕理が好きだよ」

「……ああ。俺も、日菜姉さんが好きだ」

 

 どうしてそんな話になったのか。

 よくわからないけど、それでも姉さんと話せて嬉しかった。

 日菜姉さんはいつも紗夜姉さんのことばかり気にかけるものだから、俺のことなんて気にしてないのかと思っていた。

 

「じゃあさ、あたしとおねーちゃん、どっちが好き?」

「え?」

「答えなくてもいいよ。ただ──」

 

 瞬間、姉さんが不敵に笑う。その表情に、俺の目は奪われる。

 

「──あたしが氷川日菜であるのは、夕理が日菜だと思って観てるからなんだよ」

 

 それは、まるで。

 俺が日菜姉さんのことを、氷川日菜だと思わなければ、姉さんは何にだってなることが出来るかのような言葉だった。

 

「姉さんはここにいるよ」

「うん、その通りだね」

 

 それは今にも雪が降り出しそうな、寒い冬のこと。

 二人きりの公園で、俺たちはお互いを認識した。他の誰でもない、氷川日菜と氷川夕理を。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

「……」

 

 朝。

 昨日の夜に眠って、ついさっき目が覚めたから、今は朝だ。

 

 ──本当に?

 

 本当に今は朝なのだろうか。

 夜に眠ったからといって、必ずしも朝に目が覚めるというわけではない。ちゃんと寝たとしても、深夜に目が覚める場合だってある。

 

 だったら、今は深夜なのか。

 それも違う。けれど、違うとも言い切れない。今が朝だという証拠もなければ、今が深夜だという証拠もない。

 誰にも、今俺が生きているこの時間がいつなのかを証明することは出来ない。

 

 それは何故か。簡単だ。

 

 この部屋には、窓がない。そして時計がない。

 世界が朝だと確認するには、陽の光を浴びなければならない。今の時間を観て知らなければならない。

 それを知るための情報源である、時計と窓からの光。

 その情報がないのだから、今が朝なのかどうかを知ることは出来ない。

 

 つまり俺は、朝か夜かも知らない時間に起きて、曖昧な世界に生きているということだ。

 

 でも、たったひとつ。今の時間帯を決める方法がある。今の世界を決定することができる。

 

「俺が、今は朝なのだと思えばいい」

 

 そうすれば、この世界は朝になる。俺の思考に合わせて、世界が決定される。

 

 そう、決定だ。今この世界は朝なんだ。なら、ちゃんと挨拶して起きないとな。

 

「おはよう、世界。今日もいい天気だな」

 

 天井に向かってそんな言葉を投げてみる。今の天気なんてわからないが、俺はいい天気だと思った。それだけでこの世界はいい天気になる。

 

 

 この部屋には、窓と時計がない。

 だから今が朝だという決めつけも、外の天気がいいという決めつけも否定されることはない。

 

 まあ、あくまでこの部屋(世界)での話だが。

 

 この部屋を出れば、俺の世界は崩れ去る。

 今の時間帯も、外の天気も、全て正しいものに書き換えられる。俺が世界を操れるのは、この部屋にいるときだけだ。

 

 

 

 

 

 

「──正解は朝でも深夜でもなく、夕方だったか」

 

 部屋から出て、外の光と時計を確認した。

 どうやら俺の世界は間違っていたらしい。今は朝ではなく、夕焼けが支配する時間帯だった。

 

 おかしいな。昨日は早めに寝たのに、睡眠時間は12時間を優に超えていたらしい。

 それはたくさん眠れたと思うこともできれば、時間を無駄にしたとも思える。

 

「うん、よく眠れたな」

 

 俺はポジティブに捉えることにした。

 というかそもそも、俺にはもう大切にしたいと思う時間なんてない。

 だからどれだけ眠って時間を潰そうが、大した後悔は生まれなかった。

 

 

 まあ、時間なんてどうでもいいさ。それよりも今は腹が減った。

 リビングの机を見れば、そこにはカップ麺と置き手紙。いつも置いてある俺の昼食だ。

 

「……今日も同じかよ」

 

 置かれたカップ麺を手に取り、そんな不満をこぼす。置き手紙は見もせず、破って捨てる。その行動も、毎日同じだった。

 

「もう飽きたんだよな」

 

 文句はあれど、食べれる物なんてこれくらいしかない。俺は黙ってカップ麺にお湯を入れる。

 

 これは腹を満たすためだけの食事。

 美味しいと思うこともなければ、楽しいと感じることもない。

 腹を満たさなければならないという義務感だけの食事。

 

 栄養、偏ってるんだろうな。

 けれどもう今は、健康すらどうでもいい。息ができているのだから、それで問題ない。

 

「……」

 

 静かな家を、リビングを見渡す。

 

 今日も家には、誰もいない。

 けれど夕方だから、もうすぐすれば紗夜姉さんが帰ってくるだろう。父さんや母さんも、いずれ帰ってくる。

 そうすれば、俺は部屋に戻らなきゃいけない。紗夜姉さんはきっと、俺には会いたくないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 あの日、日菜姉さんがいなくなった日から、この家の時間は止まった。

 家族全員が、日菜姉さんが消えたことを受け入れられなかった。特に紗夜姉さんは、絶対に受け入れたくなかったことだろう。

 

 そして俺は、観なくなった。

 日菜姉さんのいなくなった世界を。都合の悪い事実を。

 

 知らなければ、認めなければ、観なければ、俺の中で日菜姉さんはそこにいるということになる。

 俺がそう思うだけで、日菜姉さんを存在させることができる。そして誰も、それを否定しようとはしない。

 誰だって、日菜姉さんがいなくなったことを認めたくはないのだから。

 

 俺は俺の都合のいいように、世界を観ている。目を閉じて観ている。

 

 

 

「……腹減ったな」

 

 

 きっと今の時間帯は夜。

 夕方に食べたカップ麺以外、今日は何も食べていない。だったら、腹が減って当然だ。

 

 

 何か食べるか。

 そう思って部屋(世界)から出たところで、違和感に気づいた。

 

 そこは、日菜姉さんの部屋。

 あの日から、誰も入ろうとしなかった部屋。入ってしまったら、姉さんがいなくなったことを認めさせられる部屋(世界)

 

 その部屋の扉が開いていた。誰も開けようとしなかった世界が広がろうとしていた。

 

 

「……誰だ」

 

 俺の知りたくない世界を見せようとしているのは、誰だ。日菜姉さんがいなくなった証拠を見せようとしているのは、誰なんだ。

 

 見なかったことにすればいい。そうすれば、俺の世界は守られる。それなのに。

 俺は、心の何処かで期待していた。扉を開けると、日菜姉さんがいるのではないかと。

 

 だから俺は、そのドアノブに手をかけて扉を完全に開いた。

 瞬間、その部屋に廊下の人工的な光が差す。けれどそれ以上に、窓の外からの月の光の方が強かった。カーテンが、閉められていなかった。

 

 

「──()()()?」

 

 

 部屋に向かって、そう問いかける。

 

「……夕理?」

 

 俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。それは、聞き覚えのある声だった。

 

「日菜姉さん?」

 

 思わず、そう口にしてしまった。どうしてそう思ったのか、()()を日菜姉さんと呼んでしまった。

 

「──うん、そうだよ。夕理」

 

 俺の目に映ったのは、氷川日菜。その姿は、間違いなく俺の姉さん、日菜姉さんだった。

 だけどただひとつ、違う部分があった。それは。

 

 

 その声が、紗夜姉さんの声だったということだけだ。

 

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