夢見る世界、尚うつつ。 作:れな
紗夜姉さんと日菜姉さんは、仲があまりよくなかった。
その原因は日菜姉さん。
別に日菜姉さん自身が何かをしたわけではないが、紗夜姉さんは日菜姉さんに強い劣等感を抱いていた。
なんでもすぐに出来る日菜姉さんに嫉妬して、自分にしか出来ないことを探していた。
日菜姉さんは、紗夜姉さんのことが本当に好きだった。
紗夜姉さんは構って欲しくないのに、日菜姉さんは無遠慮に紗夜姉さんに近づいた。
それはただ好きだという気持ちだったが、返って紗夜姉さんの不満を高めるだけだった。
二人の仲にはきっと、もっと多くの因縁があるのかもしれない。
たかが二人の弟でしかない俺には、この程度のことしか知らない。そしてそれすら、正しいのかもわからない。
そうだ。わからないんだよ。
姉さん達が、どれだけお互いを想っていたのかなんて、俺には理解しようがない。
けれどある日のこと。
気がつけば、二人はお互いを理解しあっていた。俺の知らないところで、姉さん達は仲直りが出来ていた。
二人とも、俺にはそんな素振りを見せてくれなかったのに。
複雑な感情が湧き上がっていたが、それでも俺は嬉しかった。
ようやく、日菜姉さんの願いが叶ったのだ。ずっと日菜姉さんの話を聞いていた俺としては、しっかりと嬉しかったのだ。
あの日がきたのは、ちょうどその頃。
紗夜姉さんはまだ少しぎこちなかったが、着実に日菜姉さんとの関係を変えていった。もうすっかり、以前のような黒い感情を見ることはなくなった。
きっとこれから、もっと良くなっていく。暗かった俺たち家族にも、自然と笑顔が増えてくるだろう。
そんな時にだった。最悪のタイミングだった。
日菜姉さんが、いなくなった。
時間が止まった。
紗夜姉さんも、俺も。停止した時間の中で、自分の世界に閉じこもったのだ。そうすることで、自分を守ろうとした。
それでも、限界はいずれやってくる。
◆ ◆ ◆ ◆
──朝だ。
ベッドの上で目が覚めると、反射的にそう思う。
まあ、実際に朝かなのかどうか、この部屋にいる限りは正解なんて出ないのだが。
「……夢なのかな」
昨日の夜、世界が変わった。
開けられないはずの扉が開き、封印していた世界が広がった。
そこで見たのは、閉められていないカーテンと、間違うはずのない姉さんの姿。
姉さん──日菜姉さんのことだ。
いなくなった日菜姉さんが、あの部屋にいた。しっかりと、形を持ってそこにいたのだ。
形。あくまで、形は日菜姉さんだった。
「……紗夜姉さん」
そう決めてしまっていいのだろう。あの声は間違いなく、紗夜姉さんの声だ。それがどういうことか。
紗夜姉さんの声になって、日菜姉さんが帰ってきた。
そう思うのが、俺にとって一番都合がいい。どんな声であれ、日菜姉さんが帰ってきてくれたのならそれで満足だ。だけど。
きっと、紗夜姉さんだ。いや、絶対にそうだ。
紗夜姉さんが日菜姉さんの真似事をしているのだ。髪を切って、それらしい口調にして、日菜姉さんになろうとしといるんだ。
だから、そう。あれは。
──あれは、
「あれ? 姉さん?」
自分の出した結論に、若干の違和感を抱く。いったい、どうしたんだろうか。
「……」
ベッドに横になったまま、扉の方を見つめる。
相変わらず、俺の世界は閉じられたままだ。誰も俺の部屋に入ろうとはしない。
「……ん?」
そう思っていたところ。
扉の奥……つまり廊下が、なんだか騒がしかった。走るような足音が聞こえたのだ。
それは今のこの家では聞くことのできない音。家族全員が静かに生きてるこの家には似合わない音。
だけど以前は、こんな足音がよく聞こえたような──。
そんな風に考えてると、足音が扉の前で止まった。そして次の瞬間、部屋の扉が開かれる。
「おはよっ、夕理!」
「なっ──」
それと同時に、姉さんが入ってきた。それは俺のよく知る姉さんで、俺の知る姉さんとはまるで違う人だった。
「……姉さん」
俺はどちらとも呼べなかった。紗夜姉さんとも、日菜姉さんとも呼べなかった。彼女を、曖昧に『姉さん』と呼ぶことしかできなかった。
「どうしたの、夕理。ぼーっとしてさ」
「いや……」
その口調は、やっぱり日菜姉さんだ。けれどどうしても、納得しきれない。
「姉さんこそ、どうしたの。今まで俺の部屋に来ることなんてなかったじゃないか」
それは当然、日菜姉さんのことではない。俺を避けてきた、紗夜姉さんのことだ。だってこの人は、紗夜姉さんなんだから。
「そーだっけ? いつも来てるじゃん、あたし」
「……そっか」
それでも、この人は日菜姉さんでいたいらしい。
本当は違うが、この人の中で、今の自分は日菜姉さんなんだろう。だったら、日菜姉さんだ。そう決定される。
「それより、早く起きて学園に行かないと。遅刻しちゃうよ?」
そう言われて、姉さんの服装を見やる。それはある学園の制服。姉さんが着るべきではない制服で、姉さんが着るべき制服。
「ああ、そうか」
だったらこの人は、本来通っている学園ではなく、氷川日菜の通う学園に行くのが当たり前なのか。
「……姉さん、今日は一緒にサボろうか」
ならば、今の彼女を学園に連れて行くわけにはいかない。
この人が氷川日菜を貫くというのなら、もうそれで構わない。けれど、今の彼女を外に出すわけにはいかない。そうすれば、彼女は氷川日菜ではなくなってしまう。
「どうして?」
「今日は、そういう気分なんだよ」
仮に外に連れて行くとしても、事前に根回しが必要だ。
混乱を招かないように、この人の世界を守るために、みんなで嘘を共有しなければならない。
「ほら、だから……その制服を着替えなよ。学園に行かないのに、制服を着たって仕方ないだろ」
とりあえず今は、その制服を脱いで欲しかった。その制服は、姉さんには似合わないから。
「あたし、まだサボるなんて言ってないよ」
「いいじゃんか。俺が頼んでるんだから」
不満そうな姉さんに、そんな言葉を投げてみる。
「んー……仕方ないなー。今日は夕理に付き合ってあげるよ」
「……ありがとう、姉さん」
やはり、そこは日菜姉さんだった。
日菜姉さんはいつも、俺の頼みは断らない。なんだかんだいって、最後は俺に合わせてくれる。
きっと、俺が観ようとしなければ、この人は氷川日菜なんだろう。
「それで、サボって何するの?」
「別に。家でゆっくりする」
「ええー? それじゃつまんないよー」
「姉さんは普段からずっと家にいないんだから、たまにはゆっくりしようよ」
辛かったのだろうか。限界だったのだろうか。
あの日から、紗夜姉さんと話したことはなかった。だから、姉さんがどんな気持ちだったかなんてわからない。
「ほら、俺顔洗ってくるから。その間に着替えなよ」
「んー、夕理の服着ていーい?」
「なんでだよ……別にいいけどさ」
わからないけど、こんな真似事をするくらいには酷かったのだろう。
だったら、付き合ってあげよう。紗夜姉さんが満足するまで、この日菜ごっこに付き合ってあげよう。それが、今まで紗夜姉さんを観ようとしなかった俺の責任だ。
「ねえ夕理。明日は学園に行こうね」
「ああ、そうだね……
──あれ? また、違和感が。
この人は、日菜姉さんだ。本当は違うけど、この人がそうであろうとしているのだから日菜姉さんなのだ。俺は、それに付き合うと決めた。なのに。
彼女を『日菜姉さん』とは、呼べなかった。
わからない。
☆10 天城修慧様
高評価ありがとうございます。