夢見る世界、尚うつつ。 作:れな
「今日もね、おねーちゃんと話すことが出来なかったんだ」
「……そっか」
毎日、夜になると日菜姉さんは俺の部屋にやって来て、そして今日の出来事……といっても殆ど紗夜姉さんのことだが、それを愚痴のように話してくれる。
「あたしはただ、おねーちゃんと一緒にいたいだけなのに」
「……ああ」
そして当然、その愚痴の全てが同じ内容であるのは言うまでもない。
日菜姉さんが紗夜姉さんに近づいて、そして邪険にされて。日菜姉さんはそれを毎日のように行い、そして毎日のようにここで愚痴る。
「おねーちゃん、どうしてわかってくれないんだろ」
「……どうしてだろうね」
いつもいつも同じことを続けて尚、日菜姉さんは未だ何も理解しない。いいや、出来ないのだろう。
だって日菜姉さんには、自覚がないのだから。
日菜姉さんが自分をわかってくれないと嘆くよりも先に、紗夜姉さん方がもっと多くの苦しみに嘆いている。
それを知らない日菜姉さんの無遠慮な態度が、まず第一の原因であることを日菜姉さん自身が自覚しない限り、彼女らの仲はいつまでも経っても変わらない。
「ねえ夕理。あたし、どうしたらいいんだろ」
「どうすればいい……か。どうすれば、いいんだろうね」
その答えは、案外簡単かもしれない。
まずは自身の気持ちを理解すること。日菜姉さんも紗夜姉さんも、それが出来ればこの状況も少しは変わるだろう。
無論、それを教えたりなんてしないけれど。
別にこれは意地悪なんかじゃない。姉さんたちには必要のない情報だから、教えないだけだ。姉さんたちが知らなくていい、俺の戯言だから。
「……夕理は優しいね」
「……なんだよ、急に」
しかしそれが答えであれば、この先もきっと、姉さんたちは永遠にすれ違ったままだろう。
だってあの二人は、
彼女らはいつも、お互いの
「こうやって、毎日話を聞いてくれて」
「……まあ、俺はそれくらしか出来ないからね」
だから日菜姉さんが何かを自覚することはない。紗夜姉さんの気持ちを理解することもない。
「ていうかさ。この部屋で一人、ベッドの上で時間を潰すだけの俺にわざわざ構ってくれる日菜姉さんのほうが優しいと思うけどね」
「ホントに? 夕理はあたしが優しいと思う?」
「ああ、間違いないよ。日菜姉さんは、他の誰よりも俺に優しい」
そしてまた、こうして話を聞いているだけの俺の気持ちも、理解することはない。
「そっか……でも、それがとーぜんだよ」
「……何が?」
「あたしが夕理に優しいのは」
「どうして?」
「だって、
しかし日菜姉さんは、自信を持ってそう言い切った。それはまるで、日菜姉さんこそが俺の姉であるかのように。嬉しそうな声で。
おねーちゃん。氷川夕理のお姉ちゃん。俺の姉さん。俺に優しい、姉さん。
「そうだね。日菜姉さんは、
「……うん!」
そんな姉さんの言葉を聞いて、俺は確信した。
やっぱりこの人には理解できない。自分自身も、紗夜姉さんも、そして……俺も。
「──あっ、もうこんな時間。夕理、そろそろ寝ないと」
そう言いながら日菜姉さんは、自身の携帯に表示された数字を俺に見せてくる。
その数字が示すのは、今の時間がもう10時前であるということ。それはどうやら、俺が眠らないといけない時間らしい。知らないけど。
「ああ、そっか。それじゃ俺はもう寝るよ」
「うん」
寝るための準備はとっくに済ませてある。あとは電気を消して目を閉じ、自然と眠るその時を待てばいいだけだ。
永遠に続く、その時を。
「電気消すよ? 夕理」
「ああ、おやすみ、姉さん」
日菜姉さんは今日も一方的に話を進めて、そして一方的に話を終わらせていく。そんな日菜姉さんはまるで嵐のような人だと、そう思った。
一瞬だけ。
「おやすみ、夕理」
そして電気が消える。日菜姉さんは部屋を出て行く。扉が閉められる。俺は一人になる。
「……」
この部屋には、窓がない。時計がない。ここにあるのはベッドと、机と、タンスと、人間。
だから部屋の電気を消せば、ここは完全な暗闇。
いいや、違う。
廊下から僅かに漏れてくる人工的な光が、ここにある唯一の光として存在しているんだった。だから完全ではない。俺はその僅かな光によってなんとか生かされている。
しかし音はない。俺が動かない限り、ここは無音なのだ。しかもこの時間帯になるとどうも、家族たちはなるべく音を立てないようにしているらしい。今日も、扉の奥からは物音一つしない。
「…………」
俺は布団を頭まで被る。
けれど視界は変わらず黒。聞こえる音も何もない。肌に触れる布の感触以外に、情報は何も入ってこない。
そう。目に視えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるもの。それら全てを突き詰めても、結局はただの情報でしかない。
情報。
それがなかったところで、大した問題ではない気もする。
いやしかし、
「………………」
人が得る情報の多くは、目に映るものから得ているらしい。だけど今の俺はその目と、そしてついでに耳で捉えるべき情報の全てを失っている。となると、今ここには
そしてそれはつまり、今この暗闇の中で、俺の世界そのものが
「……………………」
今この瞬間、
窓もない。時計もない。ベッドもない。机もない。タンスもない。人間もない。見えないから、聞こえないから、何もない。
「…………………………」
布団の中で縮こまる。寒さではない何かのせいで、身体の震えが止まらない。部屋の扉に目を向けようとする。けれど、俺を生かす僅かな光は既に消えていて、扉を目に捉えることは出来なかった。みんなも、眠ったんだろう。
もしもこの扉の先……両親や姉さんたちが、俺の
一切の情報のないこの部屋に、俺が存在しているかもしれないし、存在していないのかもしれない。そんな風に、俺の存在が不確かになれば、姉さんたちにとって俺の存在は。
「………………………………」
その扉が開かれない限り、箱の中の猫になるのだろう。
安易に生かされ、安易に殺される猫に。
「……………………………………」
爪を噛む。そんな癖、俺にはないけれど、それでも爪を噛む。そうすれば、部屋の中に小さな音が生まれる。
ふと気がつけば、暗闇の中でも物体を捉えることが出来ていた。今更だけど、目が慣れたのだろう。
視覚と聴覚が共存する。それだけのことなのに、俺の心は怖いくらいに安定して形を取り戻す。
「……あ」
そして先程見た光景とは明らかな違いを見つける。本当に僅かだけど、扉から光が漏れていた。人工的ではない、その光が示すもの。それは──。
「……ああ、また」
ぼそりと呟く。静かすぎるこの部屋に、その呟きは大きなものだった。
いつもこうだ。ここには時間という概念がないから、気づけばいつもこうなっている。待っていれば自然と訪れるはずの時間がこなかったのだ。多分。
そうしてしばらく待っていると、扉の奥……つまり廊下を、走るような足音が聞こえてくる。
やがてその足音は扉の前で止まった。そしてその次の瞬間、部屋の扉が勢い良く開かれる。
「おはよっ、夕理!」
──今日もまた、
◆ ◆ ◆ ◆
「──この服、なんかホコリっぽいね」
顔を洗って戻ってくると、既にもう姉さんは俺のタンスから取り出した服を着ていた。そして俺を見るなり、真っ先にそう言った。
「まあ、それ最近着てないからね。ていうか、そう言うくらいなら普通に自分の服着なよ」
人の服を借りておきながら文句とは、相変わらず失礼な人だな──。
「……ああ」
まただ。またこの人の自然な態度に、日菜姉さんを重ねてしまう。
中身はまるで違えど、流石は双子。真似をしようと思えばここまで似せることが出来るのか。
それでも、気持ち悪いくらいの謎の違和感は、消えてくれないけれど。
「夕理? どーしたの?」
「いや、なんでもない」
まあ、取り敢えず今はなんだっていいだろう。
どんな事情があれど、俺は目の前にいるこの
「ていうか姉さん、そのズボン何処から出してきたの。姉さんがもうしばらく履いてないやつでしょ? それもホコリっぽいんじゃないの?」
「んー。部屋から出してきたんだけど、やっぱりちょっとホコリっぽいね」
俺が気づかないうちに、姉さんが履いていたズボン……正しくは短パンだけど、それは日菜姉さんがよく履いていたものだ。
いつの間に持ってきていたのかは知らないが、しばらくの間履いていないのは確かだ。洗濯して置いていたとはいえ、多少は埃かぶっているだろうに。
俺の服もそうだけど、なんでわざわざそんなもの身につけるんだろうか。
「それじゃ夕理、なにしよっか!」
「いやだから、家でゆっくりするって」
「そーじゃなくて! 家でなにするのって」
「ああ、うん、そうか……」
一緒にサボろうとは言ったものの、正直何も考えていない。俺、今まで姉さんとどんな風にして過ごしてたっけ。
「あー……特にないな。俺と姉さん、一緒に何かすることってあんまりないでしょ?」
「自分がサボろうって言ったくせに」
「いや、ごめんって」
姉さんとは、会話くらいしかしてなかった気がする。というより、俺にはそれくらいのことしか出来なかったはず、だ……?
「……?」
瞬間、さっきまでとは違う違和感に襲われる。俺は、姉さんとどんな……。
「じゃあさ、いつもみたいに喋ろうよ! 二人で!」
「…………」
「……ねえ、聞こえてる?」
「あ、ああ、うん。いいね。ちょうど俺も、そう考えてたところだ」
複数の違和感がなんであれ、今の俺にはきっとどうしようもないことだろう。なるべく気にしないようにしないと。
とにかく、今は姉さんの相手だ。これを第一に考えよう。
そう思いながら、ベッドに腰掛ける。この部屋には椅子がないから、姉さんは隣か床に座ることになるけど、それは仕方がない。
「違うよ、夕理」
「え、何が」
「夕理はいつもみたいに横になってればいいんだよ」
「はあ……」
その『いつも』というのを、俺はいまいち覚えていないのだが、黙って従っておく。
すると姉さんは床に座って、ベッドにもたれかかる。俺から見ると、ちょうど姉さんの頭が枕元に来ていた。水色の、綺麗な髪に自然と目が行く。この光景に見覚えがあった。ていうか、毎晩見ていた気がする。
「姉さんって髪綺麗だよね。色とかが」
会話といっても何を話せばいいのか。
そんな風に考えていたけど、いざこの体勢になってみると案外普通に話題が出てきた。
「そーかな? 夕理も似たようなものじゃん」
「え、俺ってこんな髪色だっけ?」
「そーだよ。でもそっか。夕理は鏡とかそんなに見ないもんね」
「まあ、鏡は嫌いだからね」
「ふふっ、変なの」
そんな感じで、俺は姉さんとなんとか自然に話すことが出来ていた。
違和感を抱えながら、自然に──。
「──喋り疲れて寝るって、マジかよ」
それから数時間くらい喋っていたと思う。気づけばお互い眠っていた。時間を確認することは出来ないけれど、それでもかなりの時間は経ったという感覚はある。そんな感覚も、随分と久しぶりな気がする。
「……腹減ったな」
姉さんはまだ寝ている。考えてみれば、今日は起きてから何も口にしていない。そりゃ腹が減って当たり前だろう。
何か食べようと思って、姉さんを起こさないようにリビングへと向かう。
最悪、両親が帰ってきているかもしれないけど、その時は部屋で食べればいいだろう。今日もどうせ、いつもと同じカップ麺が置いてあるんだろう。
そうしてリビングに着くと、案の定両親が帰ってきていた。二人とも、テーブルを挟んで何か真剣な顔で話をしていた。
「紗夜、どうだったの?」
「夕理の部屋で寝てたよ。何故か夕理と日菜の服を着ていたけれど」
どうやら、紗夜姉さんのことを話しているらしい。流石に、二人も今の姉さんを放ってはおけないみたいだ。
「本当に、日菜そっくりに……」
しかし、俺には何も出来ない。遠慮なくリビングに入って、二人の間にある置き手紙とセットのカップ麺をとろうとする。置き手紙は、今日は完全に無視するつもりだ。
ていうか帰ってきたんなら、そんなもの捨てればいいのに。手紙なんか置いてたって、なんの意味もないのに。
「──夕理」
しかしその瞬間、母さんに名前を呼ばれた。それに驚いて、伸ばした手を反射的に引っ込める。
けれど母さんはこちらを見ずに、下を向いたままだった。
「夕理、日菜……。紗夜を、守ってあげて……」
母さんは俺に目を向けることなく、祈るようにそう言った。何故だか俺には、その態度がひどく気に食わなかった。
カップ麺は諦めて部屋に戻る。両親はまた、何かを話し込み始めた。それはきっと、俺にはどうにも出来なくて、どうしようもないこと。
「……俺には、何も」
今日も俺は部屋で二人、姉さんと一緒に。
時間が出来たのでまた更新していきます。
⭐︎9 (*^ー゚)b 様
高評価ありがとうございます。