世界中に、新たなゲーム機が発売される、そんな情報が出回ったのは何時からだっただろうか。 たかがゲーム機が販売される、その程度で喜ぶのは小学生から高校生くらいだ。
一部例外を挙げるとするならば、プロのゲーマーや一般的に廃人と呼ばれる者が代表格に挙げられる。
だが、どんな事やモノに対しても『例外』というものは存在する。
プレイヤーに廃人と言う例外が存在するなら、ゲームの方にも例外は存在する。 ネットに出回ったたった一つの情報が、世界中のゲーマーを震撼させることとなった。
『VRMMORPG』―――それは空想の中でしか存在しなかった世界。
ネット小説や二次創作、ライトノベルにしか無いような世界が、新たに発売されるゲームであると、誰が想像しただろうか。
始めはデマと言われ、現在の技術力では再現する事すら不可能と言われたこのゲームは、時間が経つにつれてその問題を次々と解決していった。
サーバーの問題、全ての情報を統括して管理できるコンピューターの問題、プログラミングの問題。 それら全てを瞬く間に解決していき、情報が出回ってから一年以内に、全ての問題が解決した。
装着型仮想空間投影機ファンタジアリアリティ―――通称『ファリア』。
そう名付けた人物『飯島浩二』こそ、このゲームを開発するうえで一番の立役者となった人物である。 何故、脳波関係の研究者である彼がゲームに手を出したという疑問が挙げられたが、それは些細な事だ。
全世界の人々が待ち望んだそのゲームは―――『TWILIGHT ONLINE』
そう、名付けられた。
◇ ◇ ◇
とある病院の一室。 綺麗に整えられたベットの上で、黒のジャージ姿の青年が横になっており、窓の外を見ながら溜め息を吐いた。 青年の溜め息が聞こえたのか、近くでリンゴを向いていた白衣姿の女性が青年に話しかけた。
「どうしたんだい日影くん? そんな構ってほしいオーラを滲み出させた溜め息なんて吐いてさ」
日影と呼ばれた青年は、言われたことに対してさほど気にせず、女性に言い返した。
「そんなんで溜め息を吐いてたつもりは無いわ。 ただ、ここでゴロゴロしてんのも暇だなと思ってな」
「だったら本でも何でもいいから持ってくれば良いんじゃないかな? それが面倒なら病院内にある本でも……」
「読んじまったよ、この病院にある児童書から雑誌全部」
「多分、その言い方だと……家にある攻略本とか読みつくしているパターンのようだね」
ご名答、と言いつつ日影はあくびを一つ掻いた。 女性もうーん、と考える素振りをしつつ、自分の考えを口にした。
「まあ、確かにゲームをしてていい……と言うのなら話は別だけど、日影くんのように横になっているっていうのはちょっとね……」
「だろ? 薫さんだっていやだろ、何もしないでぐーたらしてんの」
そうだねと頷きながら、薫と呼ばれた女性はウサギの形に切り分けたリンゴを皿の上に乗せ、命に差し出した。
「あぁ、ありがとう」
日影も礼を言いながら皿を受け取り、綺麗に整列しているリンゴを一つ取って口に放り込んだ。 リンゴが一つ、また一つと皿に上から無くなっていく中、薫はふと、脳裏を過ぎった事を口にした。
「そういえば……日影くん、君は今年の秋に発売する装着型仮想投影機こと『ファリア』を知ってるかい?」
突然の薫の物言いに、シャリシャリと音を立てながらリンゴを食べていた日影は食べている分だけ急いで食べ、口を開いた。
「あぁ、あの頭に装着して仮想空間で遊べるってやつだろ。 一応知ってるけど……それがどうしたんだ?」
「いやね、君が良かったらファリア発売と同時にサービス開始のVRMMORPG『TWILIGHT ONLINE』……通称『黄昏』をやらないかな、とね」
ウィンクしながら言った薫を見ながら、日影は考える。 それは全世界のゲーマーの夢であろう『自分の思いのままに体を動かす事のできる世界』を体現したこの黄昏は、脳波関係の科学者である飯島浩二という人物が作り出したものである。
命もゲーマーの端くれなので名前は知っているが、飯島浩二がどのような人物なのかは会ったことがないので知るわけもない。
少しの間、額に手を当てて考えていた命は薫に言った。
「やるのは良いんだが……悲しい事に、俺は金が無いからファリアを買う金なんて無いし、予定もないぞ」
「それについては心配いらないよ。 コレを見てくれるかい?」
そう言って薫が渡してきたのは一枚の紙。 これが何だと言いかける日影だが、内容も見てないのに言う言葉ではないと思い、その紙を簡単に読み進めていく。
「えー……『この度、装着型仮想空間投影機ファリアをご購入くださりまことにありがとうございます。 本体が届きましたのち、初期設定を済ませた上、黄昏をお楽しみください』……ね」
「どうだい? 私の華麗なる手際の良さに驚いて声も出ないかい?」
「薫さんよう……これ、いつ予約しに行ったんだ?」
どや顔の薫に、日影は素朴な疑問をぶつけた。 日影と薫の付き合いはそれなりに長く、この後薫の口から飛び出してくるであろう言葉もなんとなくだが、日影には予想が付いていた。
そんな日影の質問に、薫はその破壊力抜群の胸を突き出しながら言った。
「君の検診をサボって予約しに行ったよ! えっへん!」
「そんな事だろうと思ったよ! 仕事しろォ!!」
「ゲームの発売日に仕事したら負けかなと思っているよ」
「それほとんどの日がサボる事になるから! てか、よく他の看護婦とかも許可を出したな!?」
「それは……少しとあるモノを握らせて、ね」
黒い笑みでくくくと笑う薫を傍に、日影はいつも通り過ぎる返答に溜め息を吐いた。 確かに数週間前に検診に来たとき、珍しく薫ではなく他の医師が検診していたのを日影は思い出した。
日影が思うに、よくこんな人が病院の採用試験に受かったなと思ってしまうのは、失礼だが悪くない。
薫がしていた一連の行動は今に始まったわけではないが、せめて、仕事が終わった後に行くというようにしてもらいたいものである。
そんなことを言ってしまえば、間に合わないだのという理由を付けて逃げそうなので、日影は何も言わないようにしている。
はぁ、とまた溜め息を吐いてしまうが、やはり楽しみなものは楽しみなことに変わりはない。
「まあ、これ以上とやかく言うのはやめておこう。 せっかく、買う当ての無かったファリアがこんなにも簡単に手に入ったんだ。 これを喜ばずに何とするってな」
「そうだよ。 私に感謝してくれなきゃ予約してきた意味が無いからね」
「それでも、俺の検診を他の人に押し付けて出かけたのは褒められることじゃ無いからな?」
日影は釘を刺しておく意味を込めてそう言っておく。
ベットの手すりに寄りかかり、うぐぅ良いじゃないかと愚痴をこぼす薫を見ながら、日影はもう一度ファリアの予約用紙を見た。
「ファリアねぇ……こんなの見てると、一気に時代が進歩した錯覚を覚えるよな」
「ゲームの時代が、だけどね」
それでも良いんじゃないかと思いつつ、日影は先程から聞こうとしていたことを薫に問いかけた。
「そういえば……ファリアの発売は何時だっけ?」
一度、きょとんとした顔をした薫の表情が、次の瞬間に怪訝な目に変わったのを日影は見逃さなかった。 はあ、と溜め息を吐きながら薫は言った。
「日影くん、知らないのかい? ファリアの販売は明日からだよ」
「……マジで?」
「うん。 君はここ最近バイト漬けだったからすっかり忘れてたんだろう。 多分だけど」
「うわー……完全にやらかしたパターンだよこれぇ……」
思い返してみれば、職場の奴らもそんな事を言っていたような気がする。 額を押さえながら、日影はチラリと薫を見た。
「何だそのしてやったりっていう顔は……」
薫の表情は、傍から見れば恐怖すら感じるくらいの笑顔である。 だが、薫は何か嬉しい事があるとこのようにいい笑顔をする。
他人からしてみれば、何だこいつと言われかねないが、日影はそういうところがかなり疎い。 だからこそ、普通に接することが出来るのだろう。
それはさておき、日影はもう一つ重大な事に気が付く。
「そういえば、俺明日のシフトって休みだったかなぁ……」
働いている者なら、常に知っておかなければならない仕事の日程表のことである。 日影も例に漏れず、シフト通りに働かなければ上司にぐだぐだ言われるので、常にシフト表は所持している。
財布の中からシフト表を取り出し、かさかさと音を立てながらそれを開いた。
「で、仕事の方はどうなんだい?」
「えーとだな……あ、休みになってるわ」
ひとまず、日影は胸を撫で下ろした。 これでシフトが入っていたら、どれ程気まずい空気が流れたことだろう。
「何はともあれ、休みであったことに感謝しとかないとな」
そうだね、薫は頷き指を立てて言った。
「それじゃあどこに集まろうか? 散らかってるけど私の部屋でもいいよ」
やはり彼女に恥じらいと言うものは無いのか。 そう思わざるを得ない言葉だが、今に始まったことではない。変な勘繰りを入れられても仕方が無いと、命は常に思っている。
そんな事を考えている場合じゃないと頭を振って考えを飛ばし、日影も薫に提案する。
「いや、俺の家で良いだろ。 あそこなら広いし、何かあっても爺さんたちが声を掛けてくれるだろうし」
「んー……それなら、お言葉に甘えようかな……」
「あと、ファリアとか荷物も運ぶことになるだろうし、受け取ったら俺の携帯に連絡を入れといてくれ」
薫は了解と頷き、他にはと思考を巡らせ始めたとき、看護婦がドアを開けて室内に入ってきた。
「太刀川さん、会議室にお客様がお見えになってますよ」
「ん? ああ、分かりました。 すぐに向かいます」
じゃあ、話はこの辺でと言い残し、薫は足早に部屋を出ていった。 薫が出ていくと同時に、看護婦は日影に書類を渡して言った。
「ああ、それと芹沢さん。 今日の診察は終わりになりましたので帰っても良いですよ」
「そうですか。 すいません、ありがとうございました」
日影はベットから立ち上がり、看護婦に礼を言ってから室内を後にする。 病院から外に出た日影は、秋だというのにまだ暑い太陽に顔をしかめる。
「まだ……あっついなぁ……。 さて、明日は忙しくなるな……」
日影は座っていて凝り固まった体をほぐすように動かした後―――
「さあ、家に帰って明日の準備でもするとしますか……」
ゆっくりと家に向けて歩き始めた。