ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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87話

 

 

翌日の朝、迅はツグミを連れてボーダー本部基地へと向かっていた。

 

「おまえが自分から検査入院をすると言い出すなんて意外で驚いたよ」

 

ハンドルを握りながら言う迅に、ツグミは助手席に座りながら答えた。

 

「現場復帰にはまだ時間がかかりますから、この機会にトリオン器官以外にも問題がないか詳しく調べてもらおうかと。玉狛で何もできないでいて無意味に過ごすより有意義な時間の使い方だと思いませんか?」

 

「そりゃそうだが…」

 

迅はツグミの身を守るために強制的に入院させるつもりでいたから、彼女が自分から言い出したことで事はスムーズに進んでいるわけである。

しかし本来の彼女なら検査とはいえ自分から入院すると言い出すはずがなく、それだけ身体と心が弱っているのだと思うと胸が苦しくなってくる。

 

「検査入院ですから1泊2日か2泊3日くらいになるでしょうけど、場合によってはもう少し長く留守をするかもしれません。その時には後のことをよろしくお願いします」

 

そう言って力なく微笑むツグミだが、迅にはわかっていた。

1泊や2泊の留守をするためにスーツケースいっぱいに着替えや日用品を詰めて持って来るはずがないのだ。

バッグの大きさからすれば1週間分の量であるから、それくらい()()をする覚悟でいるという意味である。

それにすぐ気付いたが、迅はあえてそのことには触れずにいた。

 

「まあ、おまえがいなくてもこっちは上手くやっていくさ。あと3日もすればゆりさんたちも帰って来るから、気にせずにのんびり調べてもらってこい」

 

「…!」

 

迅の言葉を聞いた瞬間、ツグミの耳に何か小さく「ピシッ」というガラスにヒビが入った時のような音が聞こえた気がした。

なので車のフロントガラスかサイドガラスに石か何かがぶつかったのかと思い、ツグミはキョロキョロしてしまう。

 

「どうした?」

 

「いえ、ガラスにヒビが入ったような音が聞こえたものだから…」

 

「ヒビだって? 俺には聞こえなかったが…特に問題なさそうだ」

 

迅はフロントガラスと運転席側のサイドガラスを確認して言った。

 

「それじゃたぶんわたしの気のせいですね。幻聴が聞こえるようなら耳の検査も念入りにしてもらった方がいいかも」

 

ツグミはそう言って空笑いをして前方を見つめた。

迅には気のせいだと言ったが、彼女の耳にはしっかりと聞こえていた。

もちろんその正体はわからないが、空耳ではないのだから何か原因があるはずなのだ。

 

(余計なことを考えてまた気分が悪くなったらいけない。もうこのことは忘れよう…)

 

 

◆◆◆

 

 

本部基地の医務室ではツグミが医師の説明を神妙に聞いていた。

本来なら迅も一緒にいて話を聞くべきなのだが、ツグミが誰にも聞かれたくないと言って医務室から追い出したのだ。

どうせ忍田や林藤たちにも同じ内容の報告書が届けられるわけだが、本人が聞かれたくないというのだから仕方がない。

そういうことで、手持ち無沙汰となった迅は廊下でどうしようかと迷っていると、そこに忍田が血相を変えて駆け寄って来た。

 

「迅、ツグミが来ているというのは本当か!?」

 

「あ、はい…。今、ドクターの説明を聞いているところです」

 

「そうか。それなら私も ──」

 

忍田が医務室のドアを開けようとするものだから、迅は慌てて止める。

 

「待ってください、忍田さん!」

 

「なぜ止める?」

 

「ツグミは自分ひとりだけで説明を聞きたいと言うんですよ。女の子ですから、男の俺たちには聞かれたくないことがあるみたいです」

 

「男といっても私は父親だぞ。娘のことなら何でも知っておく義務と権利がある」

 

「ですけどツグミの意思を尊重すべきです。忍田さんも無理やり押し入って彼女に嫌われたくないでしょ?」

 

「それはそうだが…」

 

渋る忍田に迅はちょうどいい機会とばかりに言う。

 

「実はツグミのことで話しておきたいことがありまして、忍田さんに会いに行こうと思っていたところなんです」

 

「ツグミのことだと?」

 

「はい。それも彼女の未来に大きく関わることなんで、できれば人払いのできる場所で城戸さんも交えて話をしたいんですけど」

 

迅の表情と口ぶりから尋常ではないと察した忍田は即答した。

 

「わかった。城戸さんには私から連絡する。場所は私の部屋でいいだろう。10分後に来てくれ」

 

「了解です」

 

 

 

 

ツグミは医師から精密検査の結果を聞いていた。

 

「トリオン器官の機能については今のところ特に問題はない。十分な休息を取ればいずれ回復するだろうから、これまでのようにしばらく安静にしていればいい」

 

医師はツグミを安堵させることを言うが、表情を強ばらせて続けた。

 

「しかしこれは数値の上でのことであり、トリオン器官が我々の目に見えない器官であるから状態がどのようになっているのかはわからない。胃や肺といった目に見える器官であれば目視で異常を見分けることはできるが、トリオン器官はそうもいかない。我々医師も『そこに存在するというデータがあるのだからあるのだろう』という認識でしかないのだ。だから今のところ特に問題はない、としか言えない」

 

「…はい」

 

「君の現在のトリオン値は去年の5月に行った定期検診の数値と比べると10から15%ほどアップしている。ただしトリオンに関するデータは非常に少なく、トリオン器官の成長に関するものはボーダー正隊員の定期検診のものしかない。データが少ないからこのきみのトリオン器官の成長率が正常なのか異常なのかも良くわからないのだ。このままトリオン器官と他の器官をバランス良く鍛えていくことで更なる成長を期待しても良いものなのかもわからずにいる。年齢的には現在の十代半ばから二十代前半というもっとも適している時期であるから、普通の隊員なら大いに推奨するところだが、きみの場合は()()だからね」

 

「それなら無理にトリオン器官を鍛えようとはせず、むしろ他の器官を少しずつ鍛えていく方が良いと言うことですか?」

 

「まあ、現状ではそれがいいだろう。もちろん現場復帰できるようになってからのことだが」

 

「承知しています。その現場復帰までの間なんですけど、もう少し詳しくわたしの身体のことを調べてもらうことはできないでしょうか?」

 

ツグミは自分が抱えている身体の変調について医師に説明をした。

医師も彼女の身体に特殊な事情があることを承知していたから、真剣に彼女の話を聞いている。

 

「はっきりと悪夢を見るようになったと認識したのは昨日なんですけど、今になって思い返せば玉狛支部に帰った日の翌朝の目覚めがいつもと違っていました。それは単に体調を崩したからだと思っていたんですけど、それからずっと大量の寝汗をかいたり、睡眠時間を十分に取っていても昼間に睡魔が襲ってきたりと異常な状態が続いていました。今までにはそんなことは一度もなかったんです。もしかしたら生身の身体の変調が悪夢を見させているということはないでしょうか?」

 

「う~ん…心療内科は専門外で的確な判断は下せないが、体調を崩したことで自分が周りに迷惑をかけているとか、心配をかけて申し訳ないという罪の意識が生まれ、無自覚のままに自分を苦しめているのではないかな。こういった場合は原因を取り除くのが治療の第一歩なのだが、きみの場合は玉狛支部にいることで症状を悪化させている恐れがある。しばらくの間玉狛支部を離れてみるのはどうだろうか? そうすればその間にいろいろ検査もできるしな」

 

「よろしくお願いします!」

 

自分ではどうしようもない問題の解決策の糸口が見つかったものだから、ツグミは胸のつかえが取れたような気になった。

ずっと脳裏を駆け巡っていた「自分が迅たちの前からいなくなる未来」の恐怖が消え、それだけでも彼女は安らかな気持ちになれる。

医師の方も林藤からツグミのことを頼まれていたから、事が順調に進んで胸をなで下ろした。

 

「それでは早速検査着に着替えてもらおうか」

 

「はい。…あ、先生、このことは忍田本部長たちには言わないでください。これ以上心配はかけられませんから」

 

検査着に着替えながら、カーテン越しに医師に声をかけるツグミ。

自分の体調が悪いことを誰にも知られてはならないということは、彼女にとってとても大事なことなのだ。

 

「大丈夫。医師は患者の秘密を守らなければならないという決まりがあるからね、誰にも言わないよ」

 

「それを聞いて安心しました」

 

「それじゃもし訊かれたら人間ドック並みの検査をしているってことにしよう。せっかくの()()()()だから、ってね」

 

「はい!」

 

今のツグミの表情を見たら、誰であっても彼女が心を病んで苦しんでいるとは想像もできないだろう。

それくらい晴れやかなものだったのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

迅が「ツグミが何者かと一緒にいなくなる未来」を予知したことを話すと、忍田の顔は青ざめ、城戸は眉間に深くシワを刻んで黙り込んでしまった。

 

「最初はツグミが俺たちの前から消えるという未来と近界民(ネイバー)の侵攻がほぼ同時期に視えたものだから、あいつが近界民(ネイバー)に拉致されるんじゃないかと考えていたんです。しかし彼女は無事だったというのに、まだ彼女がいなくなる未来が消えない。それどころか『何者かと一緒に』という具体的なものが視えてしまった。おまけに昨日の夜、その何者かが『男』であるところまで視えたことでまた一歩()()()()()に近付いたってカンジです。もう俺だけではどうしようもなくなって、それで少しの間本部(ここ)の医務室で匿ってもらってうことにしたので、ひとまずは安心なんですけど」

 

迅は自分の視たままを正直に話したのだが、ツグミの父親を自認しているふたりだからそのショックは大きい。

 

「その男というのは近界民(ネイバー)なのかこちら側の人間なのかもわからないというが、無関係な人間がツグミを連れ去って何の意味があるというんだ?」

 

忍田はそう言って息を飲んだ。

重要なことに気付いてしまったのだ。

 

「…まさか…そんなバカな!? ボーダー関係者がどうして彼女を連れ去るんだ!? いや、連れ去るのではなくても、彼女がボーダーを辞めること望む人間がここにいるというのか!?」

 

忍田は林藤や迅のようにツグミを連れ去る()()()がボーダー隊員である可能性も捨てきれないということに気付いたのだ。

しかし城戸は違う意見を持っていた。

 

「ツグミが必ずしも()()()であるとは限らない」

 

「どういうことだ、城戸さん?」

 

迅は城戸の言葉が意味することを察し、睨みつけながら訊いた。

 

「言葉のとおりだ。迅、おまえは知らぬかもしれないが、過去には二宮隊の隊員が民間人と共に近界(ネイバーフッド)へ消えたという事件があった」

 

「そのことなら知っていますよ。だがツグミが鳩原未来のように()()()()()()()誰かと ──」

 

「いや、近界(ネイバーフッド)へ行くとは言ってはいない。ただボーダーを去る時に、彼女の意思に賛同して共に行こうとする者が出るとすれば、おまえの視た『何者かと一緒に』という光景になるのではないかということだ」

 

「……」

 

「私もそんなことを望んでいるわけではない。だがそういう可能性もあるということを覚えておけ」

 

城戸の言うことに間違いはないのだが、迅には城戸がツグミのこれまでの働きを否定しているように聞こえて腹の虫がおさまらない。

ムカツクがここで城戸と対立しても良いことはひとつもないのだ。

迅は気を落ち着けて言った。

 

「あのツグミが自らボーダーを辞めるはずがありませんよ。仮にそんなことになるようであれば俺が止めます。とにかくそういう事情ですので、彼女のことはしばらく俺が監視します。近界民(ネイバー)の再侵攻も危ぶまれますけど、そっちの方のヤバイ未来はまだ視えていませんから大丈夫ですよ」

 

城戸の態度や言動に不満はあるものの、ツグミを()()()()()から守りたいという気持ちは同じだと信じることにして、迅は本部長室を後にした。

 

 

 

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