ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
2月22日、B級ランク戦6日目。
この日もツグミは不参加で不戦敗がすでに決まっている。
それは仕方がないことであり、本人も諦めているのだから問題はない。
しかし彼女は非常に不満げな顔をしていた。
なにしろ医務室から出ることも叶わず、実家に帰って静養していることになっているから玉狛第2の試合を見ることができないからだ。
本部基地内でもランク戦の様子が見られる場所は限られており、当然のことながら医務室では観戦不可である。
さらにこの日はヒュースの入隊日でもあり、彼女にとって気になることばかりが起きているのだからじっとしているのは苦痛である。
「きみがこうすると決めたことだろ? ならば我慢しなさい。それにストレスはきみにとって最大の敵だってことはわかっているはずだよ」
医師からそう言われてはおとなしくしているしかない。
そこで別のことで気を紛らわそうと、玉狛支部を出る時に持ち出したノートPCを机の上に広げる。
暇を持て余しているのが嫌いな彼女だから、今できることをやってしまおうというのだ。
黙々とキーボードを叩いていると、医師が後ろから覗いて訊く。
「それは何かね?」
「これは高校に提出するレポートです。わたしは通信課程で学んでいますから登校は月1回だけで、後はレポート提出と定期考査の時に行くだけでいいんです。これは毎月第1月曜日の登校の際に提出するものなんですけど、今のうちに書いてしまおうかと思って」
「ほう…それでどんな内容なんだい?」
「毎月与えられる科目は異なりますが、テーマは自分の好きなものを書いてもかまわないんです。今回は古文で、万葉の植物を詠んだ歌について書いています。わたしは『万葉集』が好きで、その中でも
ツグミが年頃の少女らしい笑顔で自分の好きなものの話をするものだから、医師も自然に顔がほころんでしまう。
「この課題は義務ではないんですけど、きちんと書いて提出すれば評価されて成績に反映されますから欠かさずやっています。それに何をやってもかまわないという自由研究みたいなものですから力が入ります」
「きみは何をやるにもすべて全力投球だから疲れてしまうんだよ。少しは肩の力を抜いて楽をした方が良い」
医師が彼女を労わる気持ちで軽く言ったつもりだったのだが、急にツグミは切なげなため息混じりで答えた。
「そうは言われても、そんなことをしたらわたしは…
すると医師は失笑する。
「本来きみは
「……」
ツグミの言う「ここ」と医師の考える「ここ」では意味が全く違うのだが、彼はそのことに気付いていない。
いや、気付いていたらそんな軽率な発言ができるはずがないのだ。
「ツグミくん、どうかしたのかい?」
「何でもありません。ちょっと集中しますので、声をかけないでもらえますか?」
「あ、ああ…。邪魔をしてすまなかったね」
医師も自分が彼女の機嫌を損ねたことには気付いたようで、早々に去って行った。
ツグミはというとやる気を削がれてしまい、机に突っ伏してしまう。
それからしばらくして迅がやって来た。
「退屈してるってカンジだな?」
ツグミの頭上から迅が声をかけると、彼女はそのままの状態で返事をした。
「ジンさんはこんなところに来る暇なんてないはずですよね? まだガロプラとかいう
「なんでそれをおまえが知ってるんだ? また忍田さんか?」
するとツグミは面倒臭そうに身体を起こして迅を見る。
「違います。そんなこと、誰も教えてくれませんよ。今のはカマをかけてみたんです。まだ襲撃から3日しか経っていないんですよ。アフトクラトルの時だって1週間は隊員の数を増やして警戒に当たっていたんですから、ガロプラに対しても同じだと思ったんです。本部基地内にいるんですから、ジンさんがわたしを監視をする必要はないでしょ? ここで油を売っていないで仕事してください」
「あー、そんなことを言うなら帰ろうかな? せっかくいいものを持って来てやったっていうのに」
迅はそう言ってポケットに何かが入っているのを匂わせる行動をする。
「いいもの? 何ですか、それ?」
ツグミが食いついてくると、迅は意地悪な顔で言う。
「今のおまえが一番喜ぶものだな。もっとも使えるかどうかはおまえ次第だけど」
「そんな遠回しな言い方しないで教えてくださいよ」
「じゃあ、『ジンさん大好き』って言って、ほっぺにチュッ、ってしてくれたらやるよ」
「それだけの価値があるものならしてもいいです。だから早く教えてください」
「言ったな? …手を出せ。ほら、これだ」
ジンはそう言ってツグミの手にトリガーを乗せた。
「トリガー?」
「ああ、そうだ。それもタダのトリガーじゃない。ちょっと換装してみろ」
迅は何か隠しごとをしているようだが、ツグミは彼が自分に対して不都合なことはしないということを知っているので、躊躇うこともなくトリガーを起動した。
「トリガー、
するとツグミの身体はトリオン体と入れ替わった。
ひとまず換装できるまでにトリオンは回復していたのだ。
「これ…C級の隊服じゃないですか」
「そうだ。ほら、こっちに来て鏡を見てみろ。驚くぞ」
ツグミは迅に言われたとおりに鏡の前に立った。
「え? えええぇぇー!? 何、これ!?」
ツグミがあまりにも大きい声を出したものだから、隣の診察室にいた医師が驚いて飛び込んで来た。
「どうした、ツグミくん!? 何があったんだ!? …きみは、誰だ?」
本人の顔を見ながら訊くものだから、ツグミは大慌てで答える。
「わたしです! ツグミですよ! わたしもわけがわからないんです」
そんなふたりの様子を眺めながら迅はほくそ笑んでいる。
「ジンさん、事情を説明してください!」
ツグミは換装して自分がC級隊員の格好になっていることは受け入れることはできた。
しかし鏡に映った姿がまるで別人になっていたのだ。
それでは驚くのも無理はなく、混乱して大騒ぎをするのも無理はない。
そこで迅は種明かしをした。
「実はな、これは宇佐美に頼んで作ってもらった特製トリガーなんだ。通常は生身の身体とトリオン体は
「たしかにこれなら霧科ツグミには見えませんね。でも何でこんなことを?」
さすがにツグミでも迅の意図がわからないようだ。
「おまえ、メガネくんたちの試合が見たいんだろ?」
「え?」
「その姿なら本部内を歩き回ってもおまえだとバレることはない。安心してランク戦の見物ができるぞ。それに今日は入隊式もあるから、見たことのないC級がうろついていたところで誰も気にはしねえし」
「ジンさん…」
迅の意図がわかり、ツグミは嬉しさで胸がいっぱいになった。
「ジンさん、ありがとうございます! すごく嬉しいです!」
笑顔を取り戻したツグミの様子を見て、医師は安堵したようで黙って部屋を出て行った。
そしてツグミと迅はふたりだけになる。
「おまえがそんなに喜んでくれるなら、俺や宇佐美も頑張った甲斐があるというものだ。あとで宇佐美に会ったら礼を言っておけよ」
「はい。玉狛第2の試合があって忙しいというのに、わたしのために時間を割いてくれて…。申し訳ない気分です」
「あ…いや、そこは問題ない」
迅がツグミから目を逸らして言う。
実はこの特製トリガーはゼロから作ったものではなく、栞が
「ん? …あ、そろそろ行かないと開始時間に間に合わなくなっちゃいます。ジンさんも見るんですよね? 一緒に行きましょう」
迅が来るまでのブルーな気分が一気に吹き飛んで元気になったツグミ。
そんな彼女に迅が意味深な目で言う。
「気に入ってもらえたようで良かったよ。じゃ、約束を果たしてもらおうかな」
「約束? …ああっ!」
「自分の言ったことを思い出したようだな」
ニヤニヤする迅。
しかし彼は急に態度を変えた。
「いや、それは後にしよう。今はランク戦の方が優先だ。行くぞ、ツグミ」
「はい!」
◆
ツグミはひとりで廊下を歩いている。
なぜなら迅と一緒にいると目立ってしまうということで、ツグミは別行動をすると言い出したのだ。
なにしろ迅は超有名人で、そんな彼とC級隊員が一緒にいれば嫌でも目立ってしまう。
後で迅がいろいろ訊かれても面倒なことになるだけなので、医務室を出てすぐにふたりは別れ、迅が先に行き、その後をツグミが追いかけるということにしたのだった。
B級ランク戦Round6・昼の部と入隊式という2つのイベントがあるものだから、本部基地内は普段とは違って慌ただしい。
特に入隊式の行われるホール付近は新入隊員が集まっていて、そこにツグミが混ざっても気付かれることはなさそうだ。
しかし用事があるのは入隊式ではなく、ランク戦の方なので自分と同じ隊服を着ている新入隊員を脇目に通り過ぎた。
「ねえ、そこのカノジョ」
ツグミが声の主の方を振り向いた。
そこにいたのは同じC級の隊服を着たツグミと同い年くらいの少年2人である。
「見慣れない顔だけど、新人ちゃん?」
背の高い短髪の少年が訊く。
「はい」
適当に答えるツグミ。
「じゃあさ、今日入隊式なんだよね? 入隊式の会場、わかる? オレたちが連れて行ってあげようか」
「いいえ、けっこうです。場所はわかりますから」
「そんなことを言わないでさー。ここではボクたちの方が先輩なんだから、言うことを素直に聞いておいた方がイイよー」
もうひとりの長髪で耳にピアスをしている少年が意味深な目で言う。
そしてツグミを挟み込むような位置に立つ。
彼女が逃げられないようするためだ。
「これってナンパですか?」
ツグミはムカついているのを隠して冷静に訊いた。
ここで騒ぎを起こせばすべてが水の泡となってしまうからだ。
「そう。キミってオレのタイプなんだよね。入隊式が終わったら、オレとデートしようよ」
「……」
ツグミは考えた。
この二人組を
そこで思いついた。
「じゃあ、まだ正式入隊はしていませんけど仮入隊で基本の訓練は受けています。これから
「OK。じゃ、これからすぐやろうぜ。ちなみにオレは
「それは対戦してみてのお楽しみです」
ツグミはそう言って微笑んだ。
そして10分後、ツグミはC級ランク戦ブースから意気揚々と出て来た。
結果は当然ツグミの勝ちである。
C級用のトリガーなので武器は1種類しかないものの、弧月であったから彼女には有利…というより勝ち以外にありえない条件であったわけだ。
旋空はないものの、彼女に弧月を持たせたらC級ごときが10人20人集まったところで彼女に敵うはずがない。
これで煩わしいナンパ野郎たちから上手く逃げおおせることができ、彼女自身もスッキリしたのだが、この試合を観戦していた隊員たちがいたことで「謎のC級女子が弧月でふたりの男性C級隊員を一瞬にして斬り捨てた」というウワサが流れることになってしまったのだった。