ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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97話

 

 

ツグミの体調不良の原因が心理的なものであるならば、その原因となるものを取り除いていくのが最善の治療法である。

城戸との対話によって彼女の抱えていた不安の一部は払拭されたことになるのだが、彼女にはそれ以上に収穫となるものがあった。

 

(城戸()()は5年前のことがあって城戸()()としての道を歩むことになった。あの人は自分が弱い人間だからというけど、強い人間なんてどこにもいやしない。…そういえばどこかの国のことわざに『弱者の中で一番強い者は、自分の弱さを忘れない者だ』という言葉があったっけ。ということはあの人はわたしたちの中で一番強いってことになるわけで、わたしもそのとおりだと思う。だけどその弱さを誰にも知られまいとして生きてきたあの人のことを思うと哀しくなってくる。きっと誰にも打ち明けることができず、ずっとひとりで抱え込んできたんだろうな…。あの人にはデリケートな悩みを相談できるほど親しい友人はいないみたいだし、真史叔父さんや林藤さんたちといった後輩に自分の背負っているものを負わせたくないはずだもの。あの人にとって相談できる相手は有吾さんや最上さんといったボーダー創設に関わった人たちだけだから、もう誰もいないのよね)

 

そこでツグミは城戸の話の中に出て来た近界民(ネイバー)のことを思い出した。

 

(そう言えば、有吾さんと一緒にやって来た近界民(ネイバー)ってどんな人だったんだろ? 今までそんな人がいたなんていう話は聞いたことない。わたしがボーダーに入隊した時にはそれらしき人はいなかった。…だとしたらわたしよりも先に入隊していたジンさんとか真史叔父さんたちなら知ってるかも。ジンさんのことだから明日もわたしの様子を見に来るはず。その時に聞いてみよう)

 

 

 

 

その夜、ツグミは夢を見た。

それは以前見た悪夢ではなく、暖かくて優しい幸せな夢。

彼女の両親が健在であった頃、3人で一緒に出かけた動物園の楽しかった記憶が夢という形でよみがえってきたのだ。

朝になって目覚めた彼女の目尻から頬にかけて涙の跡が残っていたが、それは彼女が流した嬉し涙の証だ。

 

(お父さんとお母さんの夢を見るなんて何年ぶりだろ…? 思い出すと哀しくなるだけだからできるだけ思い出さないようにしていたせいでふたりの記憶はあまりない。こうして夢に出てきてくれたということは、もう思い出しても大丈夫ということなのかも。悪夢は嫌だけど、こういう夢なら大歓迎。それに体調が快復に向かっているという兆候かもしれない。ジンさんに話したら喜んでもらえるかな?)

 

ツグミは迅が笑顔で自分の話を聞いてくれている姿を想像した。

 

 

◆◆◆

 

 

午前中、迅はいつものように市内を巡回しながらツグミに関する情報を探していた。

ツグミの未来に関わる人間が近界民(ネイバー)とは限らずこちら側の人間の可能性があるため、市民が多く集まる駅付近やショッピングモールなどを重点的に回っていたのだが、とある店舗のショーウィンドーの前で足を止めた。

 

(これ、いいかもな…)

 

迅はポケットの中に財布があるのを確認し、店の中へと入って行った。

そして十数分後、綺麗にラッピングされた小箱を手にニヤニヤしながら店から出て来る。

 

(喜ぶ姿は見えるんだが、どのタイミングで渡すかが問題だ…。なにしろ突き返される未来も同時に見えちまうんだからな)

 

 

◆◆◆

 

 

迅がショッピングモールで買い物をしていた同時刻、ツグミは医務室に訪れた険しい顔の忍田()()()を前にして神妙にしていた。

 

「昨日、入隊式が行われる少し前のことだが、C級隊員の男子ふたりが()()()()()()()()()()()にちょっかいを出したそうだ。まあ、いわゆるナンパというもののようだが、その男子ふたりは新人女子と個人(ソロ)ランク戦ブースへ向かい、二対一のイレギュラーな模擬戦をしたらしい」

 

「…はい」

 

これはツグミがB級ランク戦を観戦するためにC級隊員に変装して本部基地内を歩いていた時に起きた…というより起こした事件のことである。

 

「その新人女子というのは攻撃手(アタッカー)で、弧月を使ってふたりのC級男子を瞬殺した…と見物していた隊員たちが証言している。相手がC級といえど戦闘経験がほぼゼロの訓練生としては素晴らしい腕前で、私はその話を聞いてぜひとも会ってみたいと新入隊員の名簿を確認した」

 

「……」

 

「しかし昨日の入隊式に参加した訓練生の中に該当者はいなかった。攻撃手(アタッカー)の女子はすべてスコーピオンの使用者だ。そこで私は個人(ソロ)ランク戦用ブースの使用履歴を調べ、その結果使用されたトリガーが『玉狛支部で管理されている訓練生用トリガー』であることが判明した。玉狛支部といえばアフトクラトルのヒュースが入隊することになっていたから、彼が噂の女子と勘違いされたのではないかとも考えたのだ」

 

(そうか…昨日はヒュースが入隊する日で、彼のトリガーも弧月だった。凄腕の弧月使いの新人ということで、彼が疑われたのね…)

 

ツグミがそんなことを考えている間も忍田の話は続く。

 

「私はそのC級男子に会って話を聞いた。それによると自分たちを打ち負かしたのは間違いなく女子であると証言。人相を聞いたが、ヒュースではないことがわかった。では誰がそのC級女子であるか…。おまえには心当たりはないか?」

 

すべてのトリガーホルダーは本部及び各支部で厳重に管理されており、使用すればすぐに察知されてしまう仕様になっている。

ボーダー隊員は正隊員・訓練生どちらであっても本人専用のトリガーホルダーを持っているのだから、それ以外のものを使用するということは()()()にありえない。

だから自分のトリガーホルダー以外のものを使ったからといって特に罰則規定はなく、たまに隊員同士が面白半分でトリガーを交換して()()という()()使()()が見つかった場合には口頭での厳重注意となっている。

つまりツグミも「厳重注意」の対象となるわけだ。

忍田の態度を見ればすべてがバレているのも明白で、ツグミは素直に謝罪した。

 

「すみません。わたしがランク戦を見たがっているだろうと、ジンさんがシオリさんにお願いして訓練生用トリガーを改造してくれたんです。だから悪いのはわたしで、ジンさんとシオリさんは全然悪くありません。わたしは罰を与えられてもかまいませんから、ふたりには ──」

 

忍田はツグミの前に手を挙げて制した。

 

「わかっている。私はおまえたちに罰を与えたいのではなく、事実確認をしたかっただけだ。おまえが三雲くんたちのことを気にしていることは良く知っている。可愛い後輩たちの、それも重要な試合となれば見たいと思うのも無理はない」

 

「はい」

 

「しかしなぜ模擬戦なんかをしたんだ? そんなことをすれば騒ぎになるのはわかっていただろ?」

 

「もちろんわかっていました。でも男子ふたりに絡まれて逃げることもできず、あの場で弧月を抜けばそれこそ大騒ぎになって、入隊式やB級ランク戦にも影響するかもしれないと思い、模擬戦で勝負するのがベストだと判断しました」

 

「それはそうだが、さすがにふたりを瞬殺すれば嫌が応でも目立つぞ」

 

「だって…ランク戦の開始時間が迫っていましたから」

 

そう言ってシュンとしてしまうツグミを見て忍田はため息をついた。

 

「酌量すべき事情があり、本人も深く反省しているということで、今回は不問に処す。城戸さんには事実の報告だけはしておくが、それによっておまえの今後の扱いに変更はない。あの人は私情を挟むような人ではないからな」

 

「それは承知しております。昨日の夜、城戸()()とお話をしました。あの人が旧ボーダーの理念を捨てて本部司令となってから、ふたりでゆっくりと話すことがなくなりました。でも昨日話したおかげで、城戸()()は昔のままの城戸()()だということがわかってホッとしました。城戸()()となった理由も理解し納得もできましたし。その上で、わたしは近界民(ネイバー)との融和の道を探っていきたいと思います。城戸()()もわたしのやりたいようにやっていいと言ってくれましたから」

 

ツグミの迷いのない目を見て、忍田は安心した。

 

(トリオン切れで倒れてからというもの、ずっと不安そうな顔をして生気をなくしていたが、自分で立ち直ることができたんだな。そのきっかけを与えることになったのが私ではなく城戸さんであったことが少々不満だが、それでも私は嬉しい。…織羽義兄さん、美琴姉さん、もう心配いらないようですよ)

 

目を細めて愛娘の快復を喜ぶ忍田。

そんな彼にツグミが思い出したかのように言った。

 

「昨日、城戸さんと話をしていた時なんですけど、ボーダー創設に近界民(ネイバー)の男性が関わっていたことを聞きました」

 

その話を聞いた忍田の顔が一瞬引きつった。

 

「…城戸さんはその人について何か言っていたのか?」

 

「はい。20年ほど前に有吾さんと一緒に現れて、近界(ネイバーフッド)の情報やトリガーの技術について教えてくれた人だということと、ボーダーを近界(ネイバーフッド)にある国々との平和的な交流を目的とした組織にすることが条件だったということ。そしてその人はもう亡くなっているということは教えてもらいました。でもそれ以上のことは何も…。真史叔父さんはその人のことを知っていますか?」

 

「……」

 

忍田は言葉に詰まってしまう。

その様子を見て、ツグミはこの話題が城戸や忍田にとって触れられたくないものなのだと悟った。

 

「ボーダーの機密事項であれば本部司令や本部長が一隊員には話せませんよね。変なことを訊いてすみませんでした」

 

ツグミはそう言って忍田に頭を下げた。

もちろん話せない理由を「機密事項」であるとは少しも思っていない。

ただ機密事項ということにすれば忍田たちが話せない()()()()()理由にできるということ。

忍田もツグミが気を使ってくれたのだと察し、彼女の頭に手を置いて言う。

 

「今は言えないが、いずれすべてを話す時が来る。それまで待っていてくれ、ツグミ」

 

「はい、わかりました」

 

ツグミにはそれで十分だった。

 

(城戸さんにとってはボーダーを立ち上げた朋友だし、真史叔父さんにとっては先輩に当たる人だもの、忘れがたい人物であることは間違いない。どういう理由で亡くなったのかはわからないけど、5年前の遠征の時のように痛ましい最期を遂げたのであれば、仲間たちが心に深い傷を負ったとも考えられる。忘れてしまいたいほどの辛い過去なら他人が触れちゃダメ)

 

ツグミがその近界民(ネイバー)のことを知りたいというのは単なる好奇心によるものだから、どうしても知らなければならないということではない。

それに「いずれすべてを話す時が来る」ならば、それを待っていればいいだけのことなのだ。

 

(たぶんいつか心の整理ができた時に話してくれるってこと。そうなれば辛い出来事ではなく良い思い出として話してくれるに違いない。きっと楽しい話が聞けるはずだわ)

 

近界(ネイバーフッド)とこちら側の世界の友好的な交流を目指して創設されたボーダー。

その黎明期の話ともなれば興味深いものに決まっている。

ツグミはそれを楽しみに待つことにした。

 

「さて、用件は済んだし、元気そうなおまえの顔を見ることもできた。私はそろそろ仕事に戻るよ」

 

そう言って立ち上がる忍田に合わせてツグミも立ち上がった。

 

「お忙しい中わざわざお越しいただき申し訳ございませんでした、忍田本部長。そしてお見舞い、どうもありがとうございました、真史叔父さん」

 

そう言ってツグミはお辞儀をする。

 

「気にするな。これもボーダー本部長としての仕事なのだし、見舞うのは父親として当然のことだ」

 

忍田はそう言って真剣な顔つきになって続けた。

 

「それから…迅から話は聞いている。くれぐれも単独行動はするな。何かあれば必ず私に知らせるんだ。いいな?」

 

「わかりました。本部基地(ここ)には26日までいて、27日には玉狛支部へ帰る予定です。その時にはジンさんが車で迎えに来てくれるでしょうからご心配なく。その後も極力外出はしないよう注意いたします」

 

「そうか、それならいい。トリオンも換装できるまでに回復したようだから、常にトリガーホルダーを持ち歩け。ただしそれは戦えという意味ではない。まだ戦闘に耐えうる状態ではないはずだからな。仮に外出中に何かあった場合は緊急脱出(ベイルアウト)して逃げるんだ」

 

「はい」

 

まだ不安が消えたわけではないが、善き未来に近付きつつある実感を得て忍田は医務室を後にしたのだった。

 

 

 

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