ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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101話

「ジンさん、見て、見て。このコ、すっごくもふもふしてる~。抱っこしたいな~」

 

ツグミの視線の先にはケージに入れられたノルウェージャンフォレストキャットの仔猫がいる。

 

「あー、こっちのコもカワイイ~」

 

「こっちのコ」とは隣のケージにいるマンチカンだ。

ペットショップの横を通りかかったのだが、「もふもふ好き」のツグミがこの店を素通りできるはずがない。

ショーウィンドーに顔を寄せ、蕩けそうな顔で仔猫を見ている彼女は普通の16歳の少女である。

 

(トリオン能力なんて欠片もないタダの子供だったらこんなに苦労せずに済んだだろうに。…俺はあの時に止めることができたというのに、最善の未来のためにこいつを巻き込んだ。だが、こいつにとっては別の選択肢があって、そっちを選んだ方が幸せになれたはずなんだよな…)

 

迅は9年前の「最大多数の最大幸福」のための選択が、ツグミ個人の幸せを台無しにしてしまったとずっと後悔していた。

ツグミがトリオン兵に襲われる事件があり、彼女をボーダーで保護することになったのは当然の処置である。

彼女の叔父の忍田がボーダー隊員なのだし、トリガーを使える人間でなければ守りきることはできないのだから。

しかし彼女には「トリオン=戦う力」があり、身近な人間が戦っているのを見れば「自分にできることをやろう。自分のことを他人任せにはしたくない」と考えるのも無理はない。

いくら忍田や周囲の人間が戦っていても、自分にトリオンがなくて戦えないと知れば諦めた。

だが彼女には十分すぎるトリオンがあり、本人に「守られるだけの存在ではなく、自分も誰かを守ることのできる人間になりたい」という強い意思があったから現在に至っているわけである。

 

(もし俺がツグミをボーダー隊員に()()()()未来を選択したなら、こうしてふたりでいることもなかったに違いない。こいつが俺のそばにいるのはお互いにボーダー隊員だからだ。いくら忍田さんの娘であってもボーダー隊員でなければ滅多に会えるわけではないし、こいつだって俺のことをここまで頼ることもなかっただろうからな…。もしかしたら俺以外の男とこうしてデートしていたかもしれない。近界民(ネイバー)やトリオン兵と無縁…とまではいかないまでも、何も知らない普通の高校生でいただろう)

 

そんなネガティブな思考でいたものだから自然と表情が暗くなり、それを見付けたツグミが迅を質す。

 

「ジンさん、何でそんなブルーな顔をしているんですか? もしかしてヤバい未来が視えるんですか?」

 

「いや、そうじゃない。もしおまえにトリオンがなくてボーダー隊員にならなかったら、今頃はカレシと一緒にここに来ていたかもしれないと思ってさ」

 

迅がそう答えると、ツグミはムッとした顔で迅を叱りつけた。

 

「何をバカなことを言っているんですか? わたしがボーダー隊員でなかったら、暢気に買い物を楽しめるような平和な三門市自体が存在しなかったかもしれないんですよ。たしかにわたしは戦力として不十分ですけど、第一次侵攻の時に被害をいくらかでも抑えられたはず。それにアフトクラトルの侵攻の時はずいぶん頑張ったんですよ。わたしがいなかったらもっと被害がもっと広まっていたかもしれないというのに」

 

「うん、まあ…」

 

「いろいろ苦労することはありますが、わたしはボーダー隊員になったことを後悔していません。だからボーダー隊員ではないわたしのことを想像したり、それを認めるような発言をするということは、今のわたしの存在を否定することと同義です」

 

そう言ってから、ツグミは頬を赤らめて囁いた。

 

「それにボーダー隊員でなかったら、こうしてジンさんと一緒にいられなかったもの。ジンさんにとっては迷惑かもしれないけど、わたしはカレシといるよりもジンさんと一緒にいる方がいい」

 

「……」

 

ツグミの言葉を聞いた迅は赤面し、その顔を見られないようにさっと後ろを向いた。

そんな迅の背中にツグミは抱きついて言う。

 

「わたしは『霧科ツグミが主人公のRPG』をプレイしていて、一度も選択肢を誤ったことはないという自信があります。だからどんなエンディングにたどり着こうとも後悔はありません。もしわたしが不慮の死を遂げたとしても、ジンさんが自分を責めることはないですからね。これはわたしが自分の意思で選んだ人生です。それだけは忘れないでいてください。もちろん『Bad End』にならないよう人生の選択は慎重にしていますから、寿命が尽きるまで精一杯生きるつもりですよ」

 

「……」

 

「できることならジンさんとずっと一緒にいたいけど、それができないことは良くわかっています。だから()()()()の時が来るまでは一緒にいたい。近界民(ネイバー)やどこの誰だかわからないヤツにわたしの幸せな時間を邪魔させません」

 

そして最後に付け加えた。

 

「でも今は戦う力がありません。お願いです、どうかわたしを守ってください」

 

その哀切この上ないツグミの願いに迅の心は揺さぶられる。

誰よりも愛しい少女が自分を頼りにしているという愉悦感が高まり、事情が事情だけに不謹慎であるとは思いながらも盗み笑いしてしまった。

迅はツグミの腕を解き、向かい合うと力強く答えた。

 

「大丈夫だ。おまえのことは俺が絶対に守るから。…それと俺からひとつ言っておきたいことがある。たしかにおまえが言う『おしまいの時』はいつか来るだろう。だがそんなことを考えるのはやめろ。いつになるかわからない不確かな未来のことを考える暇があったら、今この時を大切にするんだ。今を楽しめ」

 

「はい。それなら、ジンさんも楽しんでくださいね」

 

「俺? 俺はいつでも楽しんでるつもりだけどな」

 

迅の答えにツグミが笑う。

 

「そういえばそうでしたね。じゃ、言い換えます。ジンさんもわたしと一緒に楽しんでください」

 

「ああ、目いっぱい楽しむさ。さあ、次は4階の家電フロアだ。さっさと回って、ちょっと早めの昼メシにしよう。もうひとつ行く場所があるからな」

 

「行く場所ってどこですか? さっきも訊いたのにジンさんたら『現地に着いてからのお楽しみ』とか言って教えてくれないんだもの」

 

「だから着いてからのお楽しみ、さ」

 

「そう言うってことは、余程自信があるってことですね。う~ん…どこだろ? あ、ジンさん待って! 置いていかないでくださいよ!」

 

先に歩き出した迅を追って、ツグミは駆け出した。

そんなツグミの様子に愛しさが募る。

 

(おまえがボーダーに入ったことを後悔していないって聞いて安心したよ。俺も同じだ。俺もボーダー隊員になって本当に良かったと思っている。だからこのままずっとおまえを守らせてくれよな?)

 

 

 

 

5階のフードコートに着いたツグミと迅は昼食を何にするか迷いに迷い、石窯で焼いた本格的なピザが売り物のイタリアンレストランに決めた。

そしてマルゲリータとシーフードミックスのピザとカルボナーラと和風きのこスパゲティを頼んでシェアすることにする。

窓際の眺めの良い場所でツグミが待っているのだが、そこから30メートルほど離れた場所にキオンの3人組が席を取って監視を続けていた。

ちょうど観葉植物の陰になり、ツグミのいる席からは彼らが見えないようになっているのだ。

 

迅が2回に分けて料理を運んで来ると、ツグミたちは食事を始めた。

そのうちに迅がとあることに気付く。

 

「そう言えば…今日はずいぶん食欲があるみたいだな?」

 

迅に訊かれてツグミは一瞬考えこむが、すぐに彼の言っている意味がわかった。

 

「ええ。前にもお話したように、例のガロプラの侵攻のあった日、うたた寝していた時とその夜に眠っている時にものすごく嫌な夢を見たんです。そしてこのまま体調が回復しなくて、みんなに迷惑をかけてばかりでは玉狛支部にわたしの居場所がなくなってしまうかもしれないという不安で、ますます具合が悪くなっていって…。でも玉狛支部を出た途端に悪夢を全然見なくなったんですよ。そしてぐっすりと眠れるようになり、食欲も出てきました。初めのうちは頭が痛かったり吐き気があったりしましたけど、今は全然問題ありません。具合が悪かったのがまるで嘘みたいです」

 

事も無げな顔で答えるツグミに、迅は確信を持った。

 

(やっぱりあのトリオン兵がすべての元凶だったんだな。ヒュースの言った『標的(ターゲット)に定めた相手の脳や神経系に働きかけ、相手に精神的な苦痛を与えたり行動を操ったりといった()()()な攻撃を仕掛ける』の状況にずばり当てはまる。ツグミの体調不良につけ込んで精神的に追い詰め、情緒不安になったところをさらおうとか画策していたに違いない。どういう仕組みかわからないが、ヤバいトリオン兵だよな。…まあ、ツグミが早いうちに自発的に玉狛を離れたことで大事には至らなかったということか)

 

ツグミを苦しめた近界民(ネイバー)がすぐそばにいると知らずに、本人はハムスターのようにピザを口いっぱいに入れてモグモグしている。

 

(問題の近界民(ネイバー)がキオンの人間だとすると、なぜ奴らがツグミを狙うんだろうか…。アフトの連中のように『神』を探しているならこいつよりも千佳ちゃんを狙うだろうし、ヒュースの話だと『神』よりも(ブラック)トリガー集めの方に熱心なようだ。こいつが(ブラック)トリガーを持っているというわけでもないというのに、いったい何が目的なんだ…?)

 

「ジンさん、どうかしたんですか?」

 

急に難しい顔になってしまった迅にツグミが呼びかけた。

 

「あ、いや…何でもない」

 

迅は否定するが、ツグミにはそんなものは通じない。

 

「何でもない人がそんな顔をするはずがありません。もしかして悪い未来が視えたんじゃありませんか?」

 

「そうじゃない。ただおまえを狙っているヤツの目的がわからないから、ちょっと考えてしまっただけだ」

 

「じゃあ『何でもない』じゃありませんよね? わたしのことで何か考えているなら、わたしにも相談してくださいよ。わたしに気を使ったり心配かけたくないとかで何も言わないのはダメです。一緒に戦うって約束したんですから、ちゃんと話してください」

 

数日前の弱りきった様子からは想像できないほど生き生きとした瞳をしているツグミ。

いつもの彼女が戻ったのは間違いない。

 

(それなら例のトリオン兵のことや、近界民(ネイバー)はキオンの人間である可能性が高いという情報を教えてもかまわないだろう)

 

迅は和やかな会食を一時中断し、迅は包み隠さず情報を話した。

それをツグミも真剣な顔で聞いており、話が終わるまでじっと黙っていた。

そして話が終わるやいなや、彼女は右手をグッと握り、小さい声だが力強く言った。

 

徹甲弾(ギムレット)をゼロ距離で顔面にぶち込んで悪夢を見させてやる!」

 

この1週間、ツグミは体調不良で苦しんだり、未来に不安を抱えたりと悩みは多かったはずだ。

それを乗り越えて強くなったのではないかと想像していたのだが、成長がまったく見られない。

もっともいくら短時間でいろいろなことが起きたと言っても、人間の本質などそう簡単に変わるはずもないのだ。

 

「ハハハ…。その意気だ。だがおまえに無茶なことはさせない。まだ戦う力は戻っていないんだからな」

 

「あ…」

 

ツグミはまだ武器を生成するのがやっとで、戦うことができるまでには至っていないのだ。

それを思い出してがっかりすると思いきや、彼女はますますやる気を出したようである。

 

「だったら思いっきり殴らせてください。そして元の顔がわからなくなるくらいボコボコにします。それくらいしないと腹の虫が収まりません」

 

そう言ってピザを口に放り込んだ。

 

「いや、捕虜に暴力を振るったら ──」

 

「いいえ。ボコボコにしてから捕虜にするんです。敵を捕獲する上で()()荒っぽく扱ったところで問題はないでしょ? もちろん捕虜になった後は『ジュネーブ諸条約』に沿った扱いをしますけど」

 

「まあ、それなら…」

 

「それに、一度レイジさんの『レイガストパンチ』をやってみたかったんですよね。徹甲弾(ギムレット)は無理でもレイガストなら今でも起動できるんじゃないかな?」

 

ツグミはそう言って右手の拳を()()()()敵に向けて力いっぱい突き出した。

 

「その近界民(ネイバー)にだって正義とか守りたいものがあるんでしょうけど、人の心の中に勝手に入って来て掻き回すなんて許せない! 抵抗できない状態で、内側から弱らせていくなんていう戦い方、卑怯ですよ。正々堂々戦えって言いたいわ」

 

ペットショップの前では「今は戦う力がありません。お願いです、どうかわたしを守ってください」などと殊勝なことを言っていたツグミだが、30分も経たずに敵に対して「徹甲弾(ギムレット)をゼロ距離で顔面にぶち込んで悪夢を見させてやる!」である。

これには迅も苦笑するしかない。

 

(しおらしい姿も可愛らしくていいが、どっちかと言えばこっちの方がツグミらしくて好きだな。どんなことにも臆することなく向き合い、力強く乗り越えていく姿が眩しくて、俺はこいつのそういう生き生きとした姿をいつまでも見ていたいんだよな…)

 

迅がそんなことを考えているなど露知らず、ツグミは目の前のピザとスパゲティを美味しそうに食べていた。

もうすぐ春がやって来ることを予感させる暖かな日差しを浴びながら。

 


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