ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
昼食を終えたツグミと迅は西三門駅へ戻り、駅前のバスターミナルから『ミカドファミリーパーク』行きのバスに乗った。
ここでキオンの3人組はどうすべきか悩むことになる。
乗車するバスはごく一派的な都市型の路線バスタイプで、中央にあるドアから乗車して運転席の反対側にある前方のドアから運賃を支払って下車するようになっている。
そしてツグミと迅が先に乗車し、中央ドアのすぐ後ろの2人掛け座席に座ったものだから、乗車するには必ずこのふたりの前を通らなければならない。
さらにウィークデーの昼間で遊園地行きのバスともなれば閑散としていて、3人が別々に乗車して席をバラバラにしても顔を見られることになる。
3人が同じ便に乗るとなれば3人とも面が割れてしまうことになるわけだ。
そこでひとりだけが尾行を続け、1時間後のバスに残りのふたりが乗って追いかけるということになった。
ゼノンが素知らぬ顔でバスに乗り込み前方の1人掛け席に腰掛けると、それから間もなくバスは発車した。
「ショッピングモールの次に遊園地だなんて、ずいぶんとベタなデートコースみたいですね?」
ツグミにそう言われ、迅は答えた。
「そりゃ人の多いところとなれば自然にそういう選択になるだろ? それにおまえの気分転換になれば一石二鳥だと思ってさ。…で、どうだ? 楽しいか?」
「ええ、楽しいです。ジンさんと一緒にいられるだけで十分なのに、こうして気を使ってもらって申し訳ないくらい。だからジンさんが一緒に楽しんでくれたら、わたしはもっと楽しめるはずです」
「じゃ、俺も目いっぱい楽しむとしようか」
「はい」
ツグミと迅の会話を聞いているゼノン。
(こいつら…我々が手を出せないように人の多い場所を歩き回っていたということか。たしかに
ゼノンが悩んでいる間もツグミと迅は親しげに会話を続けている。
(あのふたり…ああやって我々を油断させておき、どこかに仲間を配置して逆に我々を襲撃するつもりなのではあるまいな? 次の目的地に奴らの罠が仕掛けてあり、知らずに踏み込んで一網打尽…にでもなれば任務完遂どころか捕虜にされてしまう。ああ、どうしたものか…)
まったく見当違いのことで悩んでいるゼノンの後ろ姿を迅は見つめていた。
迅の
(こいつが例の
迅はゼノンに対して十分に注意を払いながらも、ツグミとは不自然にならないような会話を続けた。
◆
30分ほどでバスは終点『ミカドファミリーパーク』に到着した。
ツグミと迅が現金で運賃を払って下車すると、ゼノンも後を追うように降りようとする。
しかしここでトラブルが発生した。
このバスは交通系ICカードが利用できず現金でしか支払えないというのに、ゼノンの財布には小銭がなく、札も1万円札しかなかったのだ。
「これで頼む」
そう言ってゼノンは運転手に札を渡そうとするが拒否されてしまう。
「お客さん、万札は両替できませんよ。千円札1枚くらいないんですか?」
「今はこれしかない」
すると運転手が面倒くさそうに吐き捨てる。
「困るんですよね~。乗車の案内の時に放送したじゃないっすか。両替は千円札だけって」
「すまん。うっかり聞きそびれていた」
そんな運転手とゼノンのやり取りが耳に入ったツグミは降り口のステップを昇ってゼノンに声をかけた。
「わたし、両替できますよ」
そう言って財布から千円札5枚と五千円札1枚を出す。
「いいのか?」
不思議そうな顔をしてゼノンが訊くと、ツグミは微笑みながら答えた。
「もちろんです。困っている人がいたら助けてあげるのは当然です。さあ、どうぞ」
ツグミは自分の札とゼノンの札を交換する。
「じゃ、わたしは連れを待たせていますから先に行きますね」
ツグミは軽く会釈をしてからバスを降り、迅と一緒に入場ゲートへと歩いて行った。
ゼノンは千円札を硬貨に両替し運賃を支払うとバスを降りる。
(あの娘…俺が敵だと気付いてはいないようだ。そうでなければ困っている俺に手を差し伸べるはずがない。
去って行くツグミの後ろ姿を見失わないようにと適度な距離を保って歩きながら、ゼノンは考えていた。
(任務とはいえ子供をさらうのはどうも気が進まない。それもあのように心優しい娘を家族や友人たちから引き離すなど気が重くなる。せめて
情けをかけられたなら、手心を加えたくなるのも無理はない。
そもそも任務であるからこそ祖国を離れてこちら側の世界までやって来たのである。
個人的には納得のいかない任務であっても、祖国のためとなれば心を鬼にしてでも遂行せねばならないのだ。
(一緒にいるのは護衛だろうが、特に親しい人間のように見える。ふたりの間に漂う雰囲気からするとたぶん恋人同士だな。楽しんでいるところを邪魔するのは忍びない。今日くらいは見逃してやりたいと思うがそうもいってはいられないんだ。すまないな、お嬢ちゃん)
ツグミに対しては個人的な恨みはないし、親切にしてもらった恩もある。
しかし祖国への忠誠心の前には些末なことでしかなく、情を捨てて任務に専念するゼノンであった。
◆
入場券売り場へやって来たツグミと迅。
迅が窓口係の女性に「大人2枚」と言うと、ツグミが慌てて言い直した。
「ペアチケット1枚でお願いします!」
係の女性は笑顔で、ペアチケットを1枚出して言う。
「4200円になります」
迅は4200円を支払うと、それを持って入場した。
「ジンさん、こういう時はひとりずつ買うんじゃなくてペアチケットを買うのが普通ですよ。大人ひとり2500円で、ふたりなら5000円。でもペアチケットなら800円割引で、さらに平日なら園内での飲食が10%オフになってお得なんです」
「ずいぶんと詳しいんだな?」
意外だという顔で訊く迅に、ツグミはさも当然という顔で答えた。
「それくらいは知ってますよ。でもカップル限定なので一生使うことなんてないと思ってましたけど。まさかジンさんと一緒に来ることになるとは想像もしていませんでした」
「俺じゃカレシとしての資格はないのか?」
迅のイラつくような言い方に引っ掛かるものを感じるが、ツグミは素直に答えた。
「そんなことはありませんよ。むしろわたしの方があなたのカノジョに相応しいとは言えません」
「どういう意味だ、それ?」
ツグミは迅の機嫌を損ねたかもしれないと察し、思わず立ち止まってしまった。
そして同じく足を止めた迅に言う。
「単刀直入に言うとジンさんは大人で、わたしは子供だってことです。一緒にいてもジンさんと釣り合うように見せるためには、わたしは精一杯背伸びをしなきゃなりません」
「背伸びって…」
「もちろん言ったとおりの意味じゃありませんよ。…ジンさんから見ればわたしは妹のような存在。実際に3つも年下なんですから。そしてあなたは守る側で、わたしは守られる側。いつもあなたに守られて、助けられてばかり。今の状況に甘んじていたらいつまで経っても対等な関係になれない」
「……」
「わたしは恋愛関係って男性と女性が対等でなければならないと考えているんです。どちらかが優れていて、もう片方が劣っているという格差があると、優れている方は『自分がなんとかしなければ』という義務感を持ち、劣っている方は『自分が何もできないから』と負い目を感じてしまう。今のわたしたちがまさにそのとおりなんですよ。ジンさんがこうしてわたしを守ろうとしてくれているのは、元をたどればボーダーのため。ジンさんはわたしのことを守らなければならないという責任感で行動し、わたしは何もできずに守られてばかりで心苦しい。違いますか?」
「…違う、とは言い切れない。だが ──」
「だからわたしは早くジンさんに追いつきたくて背伸びをしている。わたしは早くジンさんと同じステージに立ちたい。対等な立場になった時にやっとわたしは妹じゃなくてひとりの女性であると認めてもらえるんじゃないかという淡い期待を抱いているから」
「……」
「ジンさんに守ってもらっていることに不満はありません。とても感謝しています。そして心苦しいのに、同時に居心地の良さも感じてしまっているんです。このままずっとあなたがそばにいてわたしのことを守ってくれるなら、わたしは別に無理をする必要はない。背伸びなんかしなくても、妹という守られる側の立場でいればずっと楽ができる。あなたに釣り合う大人の女性になりたいと考える一方でこんな考えを持ってしまうくらいだから、わたしはまだ子供だっていうんですよ。そういうことで、ジンさんがカレシとしての資格がないなんてことはなく、わたし自身があなたに釣り合わないということなんです。ジンさんは男性としてとても魅力的ですよ。自信持ってください」
「男性としてとても魅力的」というツグミの言葉に、迅は気持ちが昂ぶった。
それを表情には出さないが、胸は波打っている。
「俺…って、男として、魅力があるの?」
それだけ言うのがやっとだ。
ツグミは迅の内面の変化に気付きもせず、本人が舞い上がってしまうようなことを言い出した。
「もちろんです。数え上げたらキリがないですし、恥ずかしいから言いませんけど。…ただひとつ言えるのは、わたしがずっと一緒にいたい男性はジンさんひとりだけ、ということです」
「だけどおまえにとって理想の男性は忍田さんだって言ってたろ?」
「ええ。真史叔父さんはわたしにとって完璧な理想の男性ですけど、恋愛対象にはなりえないでしょ? 世界中のどこを探したって忍田真史と同じ人間はいません。理想は理想で、現実は現実。いくら子供でも理想と現実の区別はキッチリできますよ。…さあ、こんなところで立ち話をしていては時間がもったいないです。せっかくのフリーパスなんですから、バンバン使って遊びましょう」
「ああ」
迅はツグミの手をしっかりと握りると、絶叫系のアトラクションが集まっているエリアへと歩いて行く。
「今日はカップルということになっているんだから手を握るのは当然だよな?」
「え? ええ…」
ついさっきあれだけ堂々と自分の恋愛観を語っていたというのに、手を握られただけで頬を赤らめてしまうツグミ。
そんな彼女が愛おしく、少しエスカレートして迅は自分の指を彼女の指に絡めて握り直した。
いわゆる「恋人繋ぎ」だ。
「こっちの方がカップルっぽいし、しっかり握っていないとおまえがどっかに行ってしまいそうだから。別にかまわないよな?」
「手を離したからって迷子になるほど子供じゃありません! …でもジンさんがそうしたいというならわたしもそれでいいです」
そう言ってツグミは自分の指に軽く力を入れる。
すると今度は迅が赤面した。
「自分でやっておきながら…これはちょっと恥ずかしいかな? でもおまえの手は温かくて気持ちいい」
「子供の体温は高いから、なんて思ってませんよね? 一般に大人と子供の体温…というか深部温度はほとんど変わらないんですよ。ただ子供の皮膚は大人よりも薄いから深部温度がダイレクトに伝わって体表の温度が高く感じるだけなんです」
「へえ~、そういうものなんだ。おまえってけっこう物知りだよな」
「そうですか? 一般常識の範囲内ですよ」
そう言ってツグミは迅に顔を向けて微笑んだ。
「思い返してみると、こんなふうにジンさんに褒められると嬉しいから、いろいろな本を読んで知識を身に付けたんだって気がします。だからいっぱい褒めてくださいね」
「あ、ああ…。じゃあ…」
迅は繋いでいない方の手でツグミの頭を撫でた。
すると今度は頬を膨らませて迅を叱りつける。
「ああー、そうやってすぐに子供扱いするんだから。頭をナデナデって、小学生じゃないんですよ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ? これまでは頭を撫でると嬉しそうにしてただろ?」
「今日から大人になるんで、もうそういう子供扱いはしないようにしてください。そしてどうしたらわたしが喜ぶのかは自分で考えてください」
「今日から大人になるって…。そういう言い方自体が子供っぽいだろ? …ったく、俺のお姫様はワガママだな」
「ジンさんはわたしの護衛、つまり
それならばと迅は芝居がかった大げさな身振りをして言った。
「では、お姫様。この私にご希望をなんなりとお申し付けくださいませ」
するとツグミもそれに合わせる。
「それじゃあ、まずはローラーコースターに乗ります。付いて来なさい」
「姫の仰せのままに」
迅はそう言って頭を深々と下げたのだった。