ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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109話

 

 

織羽はこちら側の世界に馴染んでいくにつれ「近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい」と考えるようになった。

十数年前に近界(ネイバーフッド)から玄界(ミデン)へ渡航する技術が確立されて以来、近界民(ネイバー)がこちら側の世界へ来訪するようになっていたのだが、目的は近界(ネイバーフッド)で不足しているトリオンを補うため、また近界(ネイバーフッド)での戦争のための兵士となる人間を確保する手段として、こちら側の人間を誘拐するという非道なものである。

そこで織羽は有吾と相談して「トリオン能力のある人間を集め、誘拐事件を防止するための自衛組織」を作ることに決めた。

もちろん「近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい」という願望も忘れてはいない。

これが界境防衛機関「ボーダー」設立の経緯と理念である。

 

 

ボーダーを立ち上げるに当たって、まずは仲間集めを開始した。

隊員になるためには「トリオン能力がある」と「戦闘力の高さ」が重要であるのは言うまでもない。

後者は文蔵の人脈で探すのはそれほど難しくはないのだが、前者は容易ではない。

そこで織羽が人間のトリオン量を計る装置を作成し、密かに候補者をひとりずつ計測していくという方法を取った。

さらに彼らの家族構成や思想信条など身元調査はしっかりと行い、最終的に城戸正宗と最上宗一という青年2名が選ばれた。

真面目で几帳面だが陽気で話好きの城戸。

大らかで大雑把だが人懐っこくて面倒見の良い最上。

そして織羽と有吾の4人でボーダーは始動した。

 

続いて組織の本拠地が必要であった。

そこは文蔵の得意分野で、河川調査のために使われていた建物があり、移転に伴い空家となったため、それを文蔵が買い取り改修した。

この財源は彼の個人資産の()()によるもので、ボーダーの運転資金は第一次近界民(ネイバー)侵攻後の新体制になるまでずっと「文蔵の遺産」に頼ることになる。

ちなみにこの建物が現在の玉狛支部である。

 

そして1年後、城戸は林藤匠と忍田真史という少年たちをスカウトし、その縁で織羽は忍田美琴という女性と出会うことになったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋になる組織を作りたい」という織羽と有吾の遺志は現在の玉狛支部に引き継がれている。

しかしそれは空理空論でしかない。

そもそも近界民(ネイバー)がこちら側の世界へやって来るのは昔も今もトリオン能力者の拉致という犯罪のためである。

観光や交易といった平和的な交流が目的ならともかく、悪意を持つ敵に対してこちらが無防備な姿で接しようとすれば、痛い目を見るだけで友好関係どころではない。

さらに自衛という名目でもこちらが武器(トリガー)を持つことになれば、相手はこちらを危険視してますます関係は悪化する。

そういった現実を認識してはいながらも、こちらが諦めることなく誠意を示せば相手を変えることはできる。

簡単なことではないが自分たちならできる、という根拠のない自信を頼りに突っ走っていた。

当時のボーダーとは、そんな青臭い若造ばかりの集団だったのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

ボーダーが活動を始めたといってもまだ本格的なものではなかった。

「界境防衛機関ボーダー」はその存在自体を公にすることはできず、「異世界近界(ネイバーフッド)に住まう近界民(ネイバー)との友好の架け橋になる組織」などと言っても頭のいかれた連中の妄想だと一蹴されるだけである。

いや、一般大衆の不安を煽り立てる新興宗教扱いされでもすれば、反社会的勢力として公安警察から監視されることになるだろう。

そんな理由でボーダーが一般に認知されるようになったのは第一次近界民(ネイバー)侵攻後である。

もっとも文蔵の人脈の中には警察庁や都道府県警察の幹部が何人もいるので、うっかり表に出てしまうような事件 ── 近界民(ネイバー)による拉致及び拉致未遂事件等 ── が起きた場合には事件自体のもみ消しをしてもらったことはあるのだが。

 

そういった理由で、活動の大部分が本部基地内による作業と自己鍛錬に限られた。

織羽と有吾によるトリガーの開発やトリオン収集装置などの製作がメインで、城戸と最上はそれぞれ文蔵を代表とする会社に就職したという形になり、織羽たちの研究の助手として働くことになる。

林藤と忍田はまだ中学生であったから、放課後や休日にボーダー本部基地にやって来て有吾や最上に剣術の手ほどきをしてもらうというもので、現在のボーダー隊員の日常に近いものだ。

野郎6人だけの物理部&剣道部的な組織であったから、美琴はマドンナのような存在であった。

彼女はヤンチャな弟や、一旦研究室(ラボ)に入ると寝食を忘れて何日も出て来ない織羽や有吾のことを心配して週に2-3回のペースで本部基地を訪ねて来ていたのだ。

この美琴という女性はその清楚な見た目からは想像できない「剣の達人」であった

真史少年が剣道を学ぶことになったのも彼女の影響が大きく、「一日も早く美琴姉さんより強くなる!」を目標としていたから剣の修行には非常に熱心で、逆にトリガーの開発には興味はなかった。

一方、何事も要領が良い林藤は剣の修行よりもトリガー開発に興味があるらしく、時間さえあれば研究室(ラボ)に入り浸ってばかりいたのだった。

 

 

ボーダーの活動が軌道に乗ったのはさらに1年ほど経ってからであった。

新たなトリガー技術、加えて現在の近界(ネイバーフッド)の状況などを調べるため、有吾は再び(ゲート)を開いて向こう側へと旅立った。

そして「里帰り」をするたびに新しいトリガーと近界(ネイバーフッド)の情報を提供してくれたのだが、次第にこちら側の世界へ帰って来る回数は少なくなっていった。

それは近界(ネイバーフッド)に大切な女性を見付け、家庭というものを持つようになったからである。

どのような女性かは訊く機会はなかったので詳しいことは知らないが、有吾が見初めたのだから美しく聡明な女性であったことだろう。

有吾にとっての「ホーム」が近界(ネイバーフッド)で、こちら側の世界が「アウェイ」へと変わっていったのは寂しい気もしたが、彼が幸せになってくれることを皆が心から望んでいた。

 

 

美琴は当時大学生であり、長期休暇になると本部基地で賄いや洗濯といった雑務を進んで引き受けてくれた。

アルバイトのようなものであったが、大学卒業を機に正式にボーダーへ入ると言い出した。

それはトリガーを使って戦う戦闘員になるという意味で、当初は全員が反対したのだが最終的には認めざるをえなくなった。

なにしろ剣の腕前は最上が認めるものであったし、トリオン能力も現在の基準で測れば「11」と、当時の隊員の中でトップであったのだから反対できるはずもない。

おまけに料理が上手くて場の雰囲気を和らげてくれる彼女は男たちの心のオアシス的な存在で、誰もが彼女に癒されていたのだから「ボーダーに入ってほしい」と心の中では思っていた。

反対した理由はただひとつ。

美琴には人殺しをさせたくないからである。

戦闘員になれば過失とはいえ人を殺めてしまう可能性もありうる。

彼女のその美しい白い手を血に染めることがないように。

人を殺めた後悔でその笑顔を失わせたくはないという皆の切なる願いであったのだ。

 

 

男性陣の憧れの存在であった美琴の心を射止めたのが織羽であった。

ふたりの馴れ初めや交際期間のことを話すのは野暮であるからあえてここで語ることはしないが、ボーダーの設立理念を地で行くような行動に対し、ボーダーの面々はこのふたりの結婚を心から祝った。

そして2年経ち、ツグミが誕生した。

近界民(ネイバー)玄界(ミデン)の人間とのハーフは、現在確認できる範囲で彼女が初めてのケースである。

人種だけでなく時空を超えた結び付きがふたつの世界にどのような変化をもたらすのか…

その時は誰にも想像できないことであったが、少なくともボーダーという組織に必要な存在であったことは誰もが認めているものであった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミがどのような幼少期を送ったかだと?

そんなことはここで話す必要などなかろう。

それに今の彼女を見ればそれくらい想像がつくというものだ。

両親の愛情をたっぷりと注がれたに決まっている。

おかげでツグミは快活で清廉な娘に育った。

お転婆で少々頑固なところもあるが、それは忍田家の血筋であるからどうしようもない。

見た目も中身も彼女は母親そっくりだ。

 

両親から愛されていたツグミが彼らのことを語らない理由、か…

たしかに彼女は織羽と美琴のことを「家族」として捉えていないように感じるな。

7歳の時に死に別れたわけだが、それまでの思い出はたくさんある。

たぶん彼女が両親との楽しい記憶を思い出せば哀しくなると、自ら記憶を封印しているからに違いない。

それにあの事故…いや、事件のことがよほどショックだったのだろう。

彼女にはあの時の記憶が一切ない。

記憶を封じておかなければ生きていくことができなくなるほどの凄まじい光景だったからな。

よって何か起きたのかを知る者は誰もおらず、すべてはあの場に駆け付けた最上、有吾、忍田、林藤、そして私の5人が目撃した惨状から想像するしかないのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

その日はツグミの通っていた小学校で学芸会があり、彼女がお芝居で主役を演じるからということで両親揃って参観していた。

その帰り道に彼女はこの世でもっとも大切なふたりの人間と、それに関わる記憶を失うことになる。

 

当日は午前中から城戸と林藤が本部基地の研究室(ラボ)に詰めていて、最上と忍田は市内巡回をしていた。

数日前から不審者が徘徊しているという情報があり、念の為に皆が交代でトリガーを携えて見回りをすることに決めた矢先のことであった。

たまたま帰国していた有吾は4年前に他界した文蔵の墓参りをしていた。

そんな中、突然(ゲート)が開いた反応があったため全員が換装した状態で現場に駆け付けた。

そしてそこで見たものは…

弧月によって一刀両断にされたトリオン兵の残骸がひとつ。

さらに近界民(ネイバー)の男がひとり、生身の状態で既に死亡していた。

顔は判別がつかないほど滅茶苦茶になっていたが、これは織羽がトリオン製の義手でボコボコにしたようだった。

その織羽は背後からトリオン兵に襲われ、トリオン器官を引き抜かれていて瀕死の状態。

無傷でいるのはツグミだけ。

美琴が命懸けで娘のことを守っていたからだ。

しかし美琴は息も絶え絶えな状態で、ツグミの上に覆い被さっているのがやっとである。

生身の背中をトリオン兵のモグラ爪のような鋭い(ブレード)で斬り裂かれ、彼女もトリオン器官を引き抜かれていたのだ。

 

 

 

 

見るに堪えない惨状を目にするやいなや、忍田と最上のふたりが弧月でツグミたちに襲いかかろうとしているトリオン兵を一刀両断し、倒れるトリオン兵に潰されそうになるツグミと美琴のふたりを城戸と林藤が救い出した。

そして有吾は瀕死の織羽に駆け寄ると、精一杯の笑顔で呼びかける。

 

「ツグミちゃんは無事だ。美琴さんもなんとか助かる。だからおまえも頑張れ。死ぬんじゃないぞ」

 

「そうか…。…後は、頼…んだ。…有吾」

 

有吾の言葉を聞き、織羽は安心したかのような穏やかな表情に戻ってそのまま息絶えた。

織羽の死を嘆き悲しんでいる暇はない。

出血が酷くて意識を失っている美琴を忍田は抱えて呼びかけた。

 

「姉さん! しっかりしろ、姉さん!」

 

その声が聞こえたらしく、うっすらと目を開けた美琴が力なく忍田に言う。

 

「ツグミを…お願い」

 

それが彼女の最期の言葉となった。

 

トリオン器官を奪われてしまったら、もう救う手段はない。

織羽もそれをわかっていたはずだが、仲間が駆けつけてくれてツグミが無事であることと美琴が助かるかもしれないと聞いて救われた気持ちになったのだろう。

そして娘を信頼できる弟に託した美琴も心残りなく逝ったようで、ふたりの死に顔はとても穏やかである。

しかし両親の亡骸を前にして幼いツグミは泣き喚いている。

 

「おとうさん…、おかあさん…、おきてよ…。しんじゃヤダ…。おとうさん、おかあさん! うぁあぁぁぁぁ…!」

 

そんな彼女を抱きしめる忍田と、ふたりを見守るしかできない城戸、林藤、最上、有吾。

彼らの表情はとても悔しげで、大切な家族と仲間を喪った哀しみと同時に残された幼子の将来を憂いていて言葉も出ない。

 

「ツグミ、今日から私がおまえのお父さんだ。織羽さんと美琴姉さんの分もおまえを愛してやる」

 

泣き疲れてうなだれているツグミに忍田が力強く言った。

 

「これからは私がおまえを守る。おまえが大人になり、おまえを託せる男が現れるまで、私がすべての敵となるものを排除し、おまえを守り続けよう。だから心配するな」

 

ツグミは力なく小さく頷くと、電池が切れた玩具のようにパタリと動かなくなってしまった。

 

「忍田、ツグミのことはおまえに任せる」

 

城戸は忍田に言う。

 

「彼女に目立つ怪我はない。ずっと張り詰めていた精神の糸が切れてしまっただけだろう。幼い子供には正視できるものではなかったはずだからな。後始末は私たちがやっておく。おまえはこの子を早く温かい布団で寝かせてやれ」

 

「わかりました。姉さんたちのことを頼みます」

 

「ああ」

 

忍田は美琴の血にまみれた状態で眠っているツグミを抱きかかえ、一目散に走ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

不幸中の幸いというか、織羽たちが襲撃された場所は河川敷沿いの遊歩道であったから民間人に目撃されることはなかった。

とはいえこのまま近界民(ネイバー)の遺骸やトリオン兵の残骸をここに放置しておくことはできない。

トリオン兵の残骸と近界民(ネイバー)の遺骸は城戸たちで運び出して処分したが、こちら側の人間である織羽と美琴の亡骸まで内密に処理はできない。

こちら側の人間がふたり殺されているのであるから、警察関係への報告や公的手続き等やらなければならないことがある。

人間が惨殺されているのであるから「殺人事件」として扱われるだろうが、近界民(ネイバー)の存在が公にされていない以上、そこで死んでいる男を犯人にしておしまいということにはできない。

仮にこの事件を「近界民(ネイバー)と呼ばれる異世界の人間がこちら側の世界の人間を誘拐しようとして失敗し、両親を惨殺された幼い娘がひとり残された」と発表すれば世間はパニックとなるに決まっているのだ。

また死亡診断書がなければ死亡届が提出できず、埋火葬許可申請もできない。

そこでこういう時こそ文蔵の人脈が効果を持つことになる。

当時ボーダーの存在はまだ極秘であったものの、何人かの人間には知らされていたのだ。

警察関係は文蔵が個人的に親しくしていた三門署署長と県警本部本部長に連絡をし「強盗殺人事件」として扱われ、容疑者が見つからず人々の記憶から消えるのを待つことになる。

死亡診断書の方は文蔵の元主治医が上手く書いてくれたので、こちらは簡単であった。

世間的に信頼されている医師の証明であるから誰も疑う余地はない。

さらに織羽の遺産に関してはその半分がボーダーの運営資金として遺贈され、もう半分をツグミが相続することになる。

こちらも文蔵の元顧問弁護士が上手くやってくれた。

そしてツグミは血縁者が忍田と祖母しかいないということで、忍田が引き取ることとなった。

 

 

ボーダー本部基地の医務室で目を覚ましたツグミは近界民(ネイバー)に襲われて両親を殺されたことをまったく覚えていなかった。

医師の診断では「強い心的外傷による健忘」ということで、日常生活に支障はないものの、大きなショックやストレスのかかることから精神を守るための、無意識的防御機制だという説明があった。

だからなのか父親代わりの忍田のそばから決して離れようとはしない。

彼女にとって唯一自分を庇護してくれるのが忍田であると本能で察したからに違いない。

しかし単純に父親の愛情を求めるだけでなく、まるで自分の肉体の一部であるかのように忍田に執着し、引き離そうとすると泣き喚くという症状が半年ほど続き、登校さえままならなかった。

この事件はボーダーの土台を揺るがす大事件であったと同時に、ツグミという幼子の精神を長期間蝕み続けたのだった。

 

 

 

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