「これは過去に何件も起きている近界民による拉致や殺人事件という単純なものではない。織羽と美琴を殺したのはキオンの諜報員だ。織羽はいずれキオンの追っ手が玄界へやって来るだろうと言っていたし、なにより近界民の遺骸と使用されたトリガーとトリオン兵を詳しく調べた結果、有吾と織羽から聞かされていたキオンのものと特徴が一致していたのだからな。織羽がエウクラートンから逃げてこちら側へ亡命したことは皆が承知していたが、彼がなぜキオンに狙われているのかまでを知っていたのは有吾と最上と私の3人だけだ」
城戸はそう言ってミリアムの黒トリガーに触れながら続けた。
「よって今となっては真実を知る者は私だけになってしまった。…そしてこれがすべての元凶なのだ」
迅、忍田、林藤の視線がミリアムの黒トリガーに注がれる。
「…こちら側の世界へ向かう途中、織羽は何度もこれを処分しようとしたができなかった。この中に家族同然の女性の魂があるのだと思えば捨てられるはずがない。それにまさかこれのせいで新しい家族を巻き込むことになるとは想像もしていなかったに違いないのだからな」
黒トリガーは、元になった人物とは無縁な人間にとっては戦況を大逆転させてしまうほどの強力な武器でしかないが、遺族や親しい者たちにとってはかけがえのない形見である。
いくら危険なものだといっても、そう易易と処分などできるものではない。
迅は腰にある風刃に触れて最上のことを思い出した。
自分にとって師匠であり家族でもある存在。
それはまさに織羽にとってのミリアムであり、この黒トリガーを手放せなかった気持ちも理解できる。
だからこそ胸が痛み、行き場のない怒りを自分の中に溜め込むしかない。
「城戸さん、あんたはこれのどこまで知ってたんだ?」
林藤が訊く。
「詳しいことは織羽も有吾も話さなかったが、大切な人の形見であることと、非常に危険なものであることだけは聞かされていた。どのような能力であるかを知ったのは織羽が死んでからだ。彼の遺品の中にあった遺言とも呼べる手紙に書かれていた」
続いて忍田が城戸に詰め寄る。
「危険というのはどういう意味ですか? その存在がこれまで秘匿とされていて、適合者を探すことすらしなかった。私たち幹部にすら教えてくれなかったのはそれが理由ですか?」
「そうだ」
ボーダーはこれまでにいくつもの近界の国々に遠征隊を送ってトリガーを集めてきた。
その中で仲間が黒トリガーになるというやり切れない場面にも遭遇している。
そんな黒トリガーでもその力は絶大で、いくつかの戦いで使用されてきた。
ところが「危険」であるからとして適合者さえ探そうとしないという例はこれまでにない。
ミリアムの黒トリガーがキオンに狙われているのはその特殊性ゆえなのかも知れないと、迅たちはますます真相を知りたいと思うようになってきた。
「ミリアムの黒トリガーはたったひとりで数千の兵士を殲滅できるほどの恐るべき力を持っている。21年前、攻め落とされるのも時間の問題だと思われていたエウクラートンの戦況を一気にひっくり返し、これひとつでキオンを撤退に追い込んだのだ」
「たったひとりで数千の兵士を殲滅できるって…。具体的にどんな能力を持っているのか教えてくれ! そしてどうしてそれが危険なのかも知りたい。あんたなら知ってるんだろ、城戸さん!?」
なかなか核心に迫らない城戸に苛立ち、迅はつい声を荒らげてしまう。
可能な限りの情報を入手し、その中でツグミを救出する手立てを早く見付けたいのだ。
城戸はすべてを告白し、次代を担う者に判断を委ねることにした。
「…これはエウクラートンの危機を救ったのだが、同時に味方にも多数の犠牲者を出した。そして最後には使用者も絶命した…ということだ」
そう前置きして説明を始めた。
「能力は『追尾弾』。使用者が一度敵と認識したものを着弾するまでどこまでも追尾する能力を持っている。簡単に言えば追尾弾の強化版だ。実際に起動したところ、追尾弾よりも高速度で追尾する能力も高く、まさに『狙った獲物は絶対に逃さない』といった感じだった」
「追尾弾の強化版…。それがどうして危険なんだ?」
追尾弾の能力は熟知しているが、それがなぜ危険なのか迅にはピンと来ない。
「追尾弾はトリオン体のトリオン供給機関もしくはトリオン伝達脳を探知し、自動追尾する。トリオン兵であっても同じだ。追尾弾なら身をかわすことも可能だが、追尾弾は着弾するまでどこまでも追いかけてくるので絶対に逃げられない。さらに戦闘体を破壊されて換装の解けた状態となれば、次はトリオン器官を狙う。生身だとトリオン器官のトリオンに反応するのだろう。したがって、一度目は換装が解けるだけで済むが、二度目が着弾したら必ず死ぬ。スズメバチなどの蜂刺されによるアナフィラキシーショック死のようなものだと思えばわかりやすいかもしれん」
「「「……」」」
「1回に撃ち出される弾の数は使用者のトリオン能力で決まるが、織羽の手紙にはエウクラートンで使用された際、ひとつのトリオンキューブが125弾に分割されたと書かれていた。つまり一度に125人を狙うことが可能であるという意味だな。分割された弾のひとつひとつは小さくとも、間違いなく急所を狙ってくるのだから効果は非常に高い。射程距離は『使用者の視界の範囲』。建物の中に隠れたり隠密トリガーで姿を消していれば敵と認識できないために防げるが、エウクラートンの人間にはトリオン体が見えてしまう者もいるために隠れても意味はない。建物の中であっても完全に閉鎖された場所でなければ隙間から入り込んで襲撃できる。キオンの大軍をたったひとりで殲滅し、撤退に追い込んだというのも頷ける」
仮に1000人の兵士がいたとして、1射目で125人が被弾し、換装が解けて生身の状態となる。
さらに被弾しなかった875人と生身になった125人に向けて2射目が撃たれる。
追尾弾はトリオン反応が消える ── つまり死ぬまで追尾することになるので、これを繰り返していけば計算上は16射目で1000人すべてが死亡する。
通常の戦いでは換装が解けてしまえば戦闘不能になり、敵側に捕虜として捕まるものだが、この追尾弾は生身であっても容赦なしである。
迅たちはそれぞれ自分の頭の中で想像し、恐怖に身震いしてしまった。
「圧倒的な破壊力を持つ黒トリガーであるが、それを使用する者への負担は大きい。いや、大きいなどという単純な言葉で片付けて良いものではない。肉体的なものはもちろん、精神的な負担も尋常ではなく大きいのだ。人殺しという重い罪を犯す対価…と言うべきなのか、使用し続けると次第に理性を失っていき、暴走状態となってトリオンが切れるまで止まらないという致命的な欠陥がある。おまけに敵味方の区別がつかなくなり、使用者の視界の範囲内にいる敵兵、トリオン兵、友軍といった自分以外の存在すべてを巻き込んでしまう。使用者の意思で制御できるうちならいいのだが、限界を超えたなら周囲の人間が無理矢理にでも拘束して止めなければ味方までもが命を落とすことになる」
「「「……」」」
「使用者はトリオン切れになれば暴走は止まるが、トリオン器官に負荷がかかりすぎてしまったことで意識不明となり、目覚めることなく衰弱して死亡する。もっとも織羽の知っている使用者がそうであったということで、すべての使用者が同様に死ぬとは限らない。暴走する前に使用を止めれば済むだけのことだ。…しかし不明な点が多く、使用しないという判断は賢明なものであると言えよう。たぶんキオンはミリアムの黒トリガーのデメリットを知らず、…いや、デメリットを知っていてなお近界での戦争に用いるつもりだろう。20年間も探していたくらいなのだからな」
「これでツグミが黒トリガーを持っていると勘違いされた理由が良くわかりました。エウクラートン出身の織羽さんが持ち出し、それを娘のツグミに託した…と思い込んでいたわけですね。奴らはアフトクラトルとの戦いの時からツグミに目を付けていた。あれだけの活躍をすれば否が応でも目立ちますし、強化視覚のことがバレれば織羽さんとの血の繋がりは疑いようもありません。あなたたちはサイドエフェクトだと言っていましたが、それは彼女が近界民とのハーフであることを隠すため。そうですね?」
「…ああ、そうだ」
城戸は大きく頷いた。
「そして織羽さんたちが襲われた事件の記憶が一切ないツグミに偽の情報を与えて真実を隠してきた。もちろんそれが彼女のためであることはわかっていますが、おかげで何も知らずに狙われて、攫われて、今頃心細い思いをしていることでしょう。彼女もすべてを受け入れることができるだけの年齢なんですから、無事に帰って来た時には正直に話してもらいますよ」
「わかっている。そしてあの子には散々叱られることだろうな。まあ、それも仕方がないことだが」
そう言って城戸は自嘲の笑みを浮かべた。
迅は城戸の行動について納得したものの、どうしても理解できないという点について訊いてみた。
「20年前に始まったこの黒トリガーにまつわる一連の騒動ですが、9年前に強奪未遂事件があった以上同じようなことが再び起きることは予測できたはず。それなのに何の対策もせずにいたのはどうしてですか? ツグミ本人には知らせずとも、あなたたちだけでも何らかの手を打っておくべきだったんじゃありませんか? せめて俺にも事情を説明してくれさえすれば、ここまで状況を悪化させずとも済んだかも知れない」
「…それについては申し開きのしようがない。すべて私の責任だ。しかし当時は対策をしようにもキオンという国についての情報はあまりに少なく、いつまた現れるのか、次はどのくらいの規模でどのような手段を用いるのかなど皆目見当がつかない状態だった。近界の情勢に詳しい織羽が逝き、有吾がたまに持って来る新しいトリガーと情報に頼るしかない私たちにできることはすべてやった。言い訳のように聞こえるだろうが、それだけは自信持って言うことはできる」
「……」
当時のボーダーは今のように大規模な遠征艇を建造して近界へ遠征することなどできなかった。
それは迅自身がその目で見ているし、当事者たちが今の自分よりもずっと歯がゆい思いをしていたことは想像に難くない。
なにより城戸たちがツグミの命のかかっている事案に関して手を抜いたはずがない。
迅が城戸を責めたのは彼に対してつい八つ当たりしてしまったようなものなのだ。
自分の無力を棚に上げ、城戸に当り散らすことで溜飲を下げるようなマネをしたこと迅は反省した。
ふとそこで迅は城戸の言葉の中に気になるものがあったことを思い出した。
「そういえば、さっき城戸さんは黒トリガーを『実際に起動した』と言いましたけど、それっていったい誰ですか?」
迅がそう訊くと忍田と林藤の表情が強ばった。
このふたりもミリアムの黒トリガーの存在を知らなかったのだから当然の反応である。
使い方によっては敵だけでなく味方や使用者を死に追い込むほど危険で殺傷能力の高い武器であるからと封印し、敵国に渡さないために近界からこちら側の世界へと持って逃げてきたほどのシロモノである。
使わないで済むのが一番だが、敵の侵略を許すくらいなら使うに決まっている。
ところが20年前のエウクラートンには適合者がおらず、キオンの大軍の前に屈してしまった。
よっていざという時のためにも適合者は把握しておくべきである。
そのことは城戸も承知していたのか、念の為に調べていたようだ。
とはいえミリアムの黒トリガーの存在を知っていたのは有吾と城戸と最上の3人だけ。
だとするとこの中にいるということになる。
「…私だ」
城戸がはっきりとした口調で答えた。