ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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ミリアムの黒トリガー
112話


 

 

迅と忍田は幹部用の仮眠室でベッドに向かい合って腰を下ろした。

忍田は当然のことだが、迅までもがこの部屋を使用するのは夜勤の隊員たちに()()()()であることを知られないようにするために配慮である。

日常的に不審な行動をする迅であるから深夜の本部基地にいること自体はそう珍しいことではないのだが、さすがの彼でもツグミが誘拐されて居場所がわからない状態であれば平静を装うことは難しい。

そこから他の隊員にこの事件のことがバレてしまわないよう、忍田が連れて来たというわけである。

もっとも忍田自身がひとりでいるのに耐えられずに迅を誘ったとも言えなくはない。

もちろん迅もひとりでいるよりは忍田と一緒にいる方が気分的に楽であったのでその誘いに乗り、24時間営業の売店で購入した弁当をふたりは黙々と食べ始めた。

ツグミが誘拐されたものだから、この時間まで夕食どころではなかったからだ。

食欲があるわけではないのだが、いざという時に空腹で何もできないというのが一番無様であるから、今のうちに無理にでも食べておこうというのである。

 

「…そういえば、ツグミも夕飯はコンビニ弁当だと言っていたな」

 

忍田がポツリと思い出したように言う。

 

「キオンの連中はツグミに危害は加えていないようだが、あの子も私たちのように眠れないでいるに違いない」

 

「…すみません。俺が役立たずだったせいで」

 

謝る迅に忍田が慌てて訂正し、頭を下げた。

 

「いや、おまえを責めているわけじゃない。むしろ姉夫婦から託されたあの子を父親として守る責務があったというのに何もできなかった私の方がずっと重い罪を犯していることになる」

 

「そんなことはありませんよ。あいつは忍田さんのことを誰よりも愛し、尊敬し、信頼していました。もしあなたがあなたらしくない態度、つまりボーダー本部長としての役目よりも自分のことを優先したら、あいつにこっ酷く叱られましたよ、きっと。あなたはあいつにとって世界で一番好きな人間なんですから、そんなしょぼくれた顔しないでください」

 

「あ、ああ…」

 

迅は食べ終わった弁当の器を手早く片付けてしまうと、ペットボトルの緑茶をひと口飲んだ。

そしてペットボトルを両手で掴んだまま、じっと何かを考えているようである。

忍田も迅の様子が少し変だとは思いながらも、事情が事情だけに情緒が不安定なだけだろうと考え、弁当の残りを平らげてしまった。

するとそのタイミングを見計らったかのように、迅が忍田に呼びかけた。

 

「忍田さん、ツグミが誘拐されて大変だという時にこんな話をするのは場違いなのかもしれませんが、こうしてあなたとふたりきりで話ができる機会はそうないと思うんで、どうか聞いてもらえませんか?」

 

迅の真剣な表情に、忍田はただならぬものを感じた。

 

「ああ、かまわないさ。どうせ寝ようとしても眠れないのだし、こうしてふたりで話をするのも随分と久しぶりだからな。ただあまり心臓に悪い話はやめてくれるか? ツグミが誘拐されたと聞いて寿命が10年くらい縮まった気がする。これ以上私の寿命を縮めないでほしいよ」

 

「ハハハ…大丈夫ですよ。たぶん」

 

寿命うんぬんは場を和ます冗談のつもりであるから、迅も空笑いをしてから話し始めた。

 

「俺がツグミと最初に会ったのは俺が11歳であいつが7歳の時。あなたが自分の姪だと紹介してくれた時のことを俺ははっきりと覚えていますよ。半年ほど前に両親を交通事故で亡くし、そのしばらく後にトリオン兵に襲われたのだと言ってましたけど、真実はさっき城戸さんが話してくれたとおりだったんですね」

 

「ああ…嘘をついていてすまない」

 

「いえ、あなたが謝ることではありません。ツグミのことを思えばこその判断です。両親を目の前で惨殺されたなんて真実に耐えられる年齢(とし)ではありませんでしたから。でもこれであいつに感じていた違和感が拭えた気がします」

 

「…どういう意味だ?」

 

「あの頃のツグミは分離不安障害を抱えていた。四六時中あなたのそばから離れようとはせず、眠りに落ちる瞬間まであなたがそばに付いていなければならなかった。両親を交通事故で一瞬にして亡くしたのは幼いあいつにとってショックだったでしょうけど、あそこまであなたに執着するというのは尋常ではありませんでしたからね」

 

「…姉夫婦が死んで、あの子がその遺体にすがって泣き叫んでいる時、私は自分が父親となってあのふたりの分も愛してやると約束した。もちろんその言葉に嘘偽りはなく、あの子にとってその言葉は唯一絶対のものだった。目の前で訳のわからないうちに最も大切な人間を奪われたのだ、次に私がいなくなればあの子にとって生きる支えを失う。だから城戸さんたちが例の(ブラック)トリガーを使ったという遠征には参加していない。したくてもできなかったからな。そのせいで私と林藤が(ブラック)トリガーの存在や能力のことを知る機会も失われたわけだが、話を聞いて納得できたよ」

 

「たしかに城戸さんの説明を聞いてミリアムの(ブラック)トリガーは使用してはならないものだと強く感じました。あんなものはない方が良い。だから城戸さんが秘密をひとりで抱えて悩み苦しんでいた気持ちはわかります。さっきはああいう言い方をしてしまいましたが、自分があの人の立場だったら同じことをしたはずです」

 

「私も同じ気持ちだよ。苦しいことや辛いことは自分の中だけに納め、家族や仲間には同じ思いをさせたくはないからな」

 

「はい。…ただ俺にはその自分の内に抱え込んでしまう重荷を一緒に背負うと言ってくれる女性が現れました。いえ、ずっと昔から当たり前のように俺のそばにいて、いつも俺を見守ってくれていたんです。そして俺のことを理解し、俺の迷いに的確な答えを与えてくれます」

 

「ほう…それは初耳だ。それでどういう女性なんだ?」

 

迅はツグミとのことを忍田に打ち明けることにしたが、ただ忍田は迅の言う女性がツグミだとはまだ気が付いていないようだ。

 

「とても可愛い女性ですよ。誰にも好かれる性格で、手を抜くことを嫌って何事にも全力投球。子供っぽいところがあると思えば、俺よりもずっと大人の考えを持っていて、俺のくだらない悩みを一刀両断にしてくれます」

 

「なんとも頼もしいな」

 

「でも彼女のことはいくら求めても得られない相手だと諦めていました。それが思わぬことで彼女の本心を聞くことができ、お互いに気持ちを確認しました。俺たちは心から愛し合っているのだとわかり、これからも共に歩くことを約束しました」

 

「それは良かったじゃないか。…しかしなぜ今そんな話を私に?」

 

「その女性というのがツグミだからに決まっているでしょう」

 

「………何だって!?」

 

しばらく間があったのは、忍田の思考が麻痺し、頭がボーダー本部長から年頃の娘を持つ父親へと切り替わるのに時間がかかったためである。

そんな忍田に迅は真剣な表情で再び言う。

 

「俺とツグミはお互いに愛し合っています。もちろんそれは兄と妹という親愛の情ではなく、恋愛感情によるものです」

 

「……」

 

迅とツグミが兄妹のようにして育ったのは、忍田が彼女をボーダー本部へと毎日連れて来ていたからである。

分離不安障害によってひとりになることを極度に嫌がり、忍田から絶対に離れようとはしなかったのだが、そのうちにボーダーのメンバーに懐いていって特に迅のことを気に入ったようであった。

年齢が近く同性である小南よりも迅の方が良いらしく、迅も彼女のことが可愛いくてどこへ行くにも連れて行くようになった。

そして迅と同じように剣の稽古を始め、ボーダーに入隊するきっかけを作ったのだった。

だから忍田から見れば、迅とツグミは限りなく兄妹に近い幼馴染で、それが自分の知らぬ間に恋愛関係にまで発展していたのだからショックを受けるのも無理はない。

 

「先の大規模侵攻の後、俺はオペレーター6人の死亡とC級隊員32人の行方不明者を出してしまった自分の判断が正しかったのかどうか悩みました。そんな中、俺はあいつに言われたんです。答えは『正しい』か『間違っている』の二択に限ったものではない、と。俺の判断によって未来が変わったとしても、それが『正しい未来』なのか『間違っている未来』なのかは誰にもわからないのだと教えられました。その答えを貰って、俺は救われた気がしたんです。俺の判断が正しかったのだと言われるよりずっと確かな手応えと言うか、これこそが俺が欲しかった答えなんだとわかって満たされた気分になりました」

 

「……」

 

「そして最後にこう言われました。『ジンさんの未来視(サイドエフェクト)は誰のためでもなくて、あなた自身がより良く生きるための指針になればいい。その力を誰かのために使うのはあなたの自由だけど、そのせいで自分の進む道が迷ってしまうようであれば本末転倒ですよ』と。…俺はこの力の呪いに縛られていましたが、あいつの言葉で解放された気がします。あいつはこの力と、この力のせいで悩んだり迷ったりする情けない部分も含めて俺のことを認め、そしてすべてを受け入れてくれるかけがえのない女性です」

 

迅はそこまで言うと忍田から目を逸らして言った。

 

「それなのに俺はその力を一番大事な時に生かせず、大切な…俺にとってただひとりの女性を失いかけています。もちろん傷ひとつない状態で無事に取り戻すつもりです。でもあいつはこれまでのあいつではなくなってしまっているでしょう。絶対に守ると約束していながら、俺はあいつを守りきれずさらわれてしまった。そんな俺に幻滅し、気持ちが離れていってしまうような気がして…。だってそうでしょ? あいつにとっては青天の霹靂で、今頃近界(ネイバーフッド)に連れて行かれてしまうかもしれないという恐怖と不安で押しつぶされそうになっているはず。そんな目に遭って、これまでのように俺に全幅の信頼を寄せられると思いますか? むしろ俺のことを…俺の判断ミスを批難しているに違いありません」

 

「……」

 

「俺にはあいつが近界(ネイバーフッド)に連れて行かれる未来は視えませんし、無事に戻って来る未来も視えません。今こそ一番必要だというのに役に立たない。こんなポンコツな力、なければ良かったと思うような俺のことをあいつが好きだと言ってくれるはずがないんですよ…」

 

自虐的な発言に走る迅に、忍田は厳しい言葉を放った。

 

「そのとおりだ。そんなおまえにツグミを任せられるはずがない。私はあの子が誰よりも幸せな結婚をするのを願ってこれまで育て上げてきた。どこに出しても恥ずかしくない立派な娘になったと思うのは父親の贔屓目などではない。おまえがそんなツグミに惚れるのは無理ないし、あの子の惚れた男なら交際を認めてやらないわけにはいかないと思っていたが、()のおまえに娘はやれん!」

 

「忍田さん…」

 

「ツグミが近界(ネイバーフッド)に連れて行かれてしまうかもしれないという恐怖と不安で押しつぶされそうになっているだと? おまえはあの子のことをまだまだ全然わかっていない。民間人や一般隊員ならともかく、霧科ツグミという娘はそれくらいのことで絶望感に支配されるような人間ではない。あの子を見くびるな」

 

「……」

 

「それにおまえはツグミが『この力と、この力のせいで悩んだり迷ったりする情けない部分も含めて俺のことを認め、そしてすべてを受け入れてくれる』と言ったばかりじゃないか。ツグミが肯定する力をおまえ自身が否定するということは、あの子を否定するのと同じことだぞ。たぶん今頃はおまえが助けに来てくれると信じて待っているはずだ。だからおまえはあの子の期待に応えられるよう今から心の準備をしておけ。そして信じろ。これくらいのことであの子のおまえに対する信頼と愛情が揺らぐことはないのだと」

 

忍田に叱咤され、迅はツグミの顔を思い浮かべてつい苦笑してしまった。

 

「忍田さんとツグミが血の繋がりのある叔父と姪だってことを再認識しましたよ。その言い方、あいつにソックリです。慰めるとか労わるような言葉ではなく、ズバズバと心の中に踏み込んできて痛いところを突くんですよ。それでいてそのアドバイスが的確なものだから、今まで腹に抱えていた汚泥のような悩みや苦しみを綺麗さっぱり洗い流してくれます。その後の清々しさは何とも形容しがたいですね」

 

「ハハハ…それは私も美琴姉さんの影響を強く受けているからだろうな。…歯に衣着せない物言いは相手を傷付ける恐れがある。だから誰もがオブラートに包んだ当たり障りのない言葉でその場を収めようとする。でもそれは自分が傷付くのが怖いからという気持ちの方が強く、相手のためというよりは保身による部分が大きい。しかしツグミは違う。まず自分の正直な気持ちを相手に届く言葉で伝えるために、相手の本質を知ろうとする。そして知った上でその人物に最も相応しい言葉を選び、相手に許しと安らぎを与えるんだ。美琴姉さんがそうだったように…」

 

忍田は子供の頃の想い出を噛み締めるかのように言う。

 

「ツグミは美琴姉さんに良く似ている。…織羽さんがこちら側の世界に上手く溶け込んでいけたのも、美琴姉さんの献身的な支えがあったからだ。近界民(ネイバー)であるという自分ではどうしようもない事情と複雑な悩みを抱えていたあの人の心を解放したのは彼女だった。いくらこちら側の世界の戸籍を得て仲間に囲まれていたと言っても、あの人の胸の底にある『自分は平和な世界に紛れ込んだ異物である』という意識はずっと消えずにいた。その気持ちを払拭したのは彼女のひと言だったそうだ。何と言ったと思う?」

 

「いえ、全然想像できません」

 

「『わたしと結婚しましょう』だとさ」

 

「…。それは想像をはるかに超えるひと言ですね。どうして結婚という斜め上の言動になるのかわかりません」

 

「私もわからなかったが、織羽さんに教えてもらって納得したよ。美琴姉さんの考えでは、あの人の悩みの根源が『自分にとっての大切な場所』がどこにあるかということだった。あの人にとってはエウクラートンが故郷であり、そこに家族同然の大切な人がいた。その大切な人が命を賭して守ろうとした国を見捨てて、自分だけ平和な国でのうのうと生きていることに罪の意識を感じていたんだ。その気持ちは私にも理解できる。同じ立場であったなら、同じ悩みを抱えて苦しんだことだろう」

 

「俺にもわかります。親しい友人たちに囲まれていても、本来は自分がそこに存在するはずのない人間だと考えると言い知れぬ孤独感を覚えると思います」

 

「ああ。そこで美琴姉さんは織羽さんと結婚することで、こちら側の世界の『家族』になればいいと考えのだ。新しい家族ができることで浮き草のようだったあの人がこちら側の世界にしっかりとした根を張ることができる。そしてそれを祝福してくれる仲間たちがいるこの世界こそが『自分にとっての大切な場所』になると。実際、織羽さんは美琴姉さんに惚れていたからこの()()()()()を断る理由はなく、ふたりは結婚した。さらにツグミという可愛い娘も生まれたことで、あの人の『大切な場所』は完全にこちら側の世界となったわけだ」

 

「俺は美琴さんに会ったことがないのでどういう人なのかわかりませんが、今の話を聞いてツグミでも同じことをしそうだと感じました。もっとも美琴さん自身も織羽さんのことを愛していたからこそできた奇想天外な行動ですけど」

 

「まあな。当時はあのふたりが付き合っているという様子がまったくなかったから、突然結婚すると言い出した時には私だけでなく皆が呆気にとられてしまったよ。実際のところは()()()深い仲になっていたらしいが」

 

そこまで言って、忍田が迅を睨みつけながら訊いた。

 

「それでおまえたちは()()()()進んでいるんだ? まさかもう ──」

 

突然ツグミとの関係について訊かれ、迅はあたふたしながらも無難な答えを返した。

 

「いやいや、まだ全然ですって! そりゃ…手を繋いだりハグすることはありますけど、それは兄妹でもよくやるレベルのもので、まだデートだってしてませんよ。…まあ、今日一緒にショッピングモールや遊園地に行ったのをデートと言えなくはありませんが。なにしろ遊園地でツグミに告白されて、それでやっと俺たちは気持ちが一緒だったんだと気付いたくらいですから、忍田さんが心配するようなことは一切ありません」

 

以前に医務室で眠っているツグミにこっそりキスしたことは、それこそ「墓場まで持っていくほどの秘密」であるから、ツグミ本人だけでなく将来の義父になるはずの人物であっても言えるはずがない。

観覧車の中での行為(キス)も説明が面倒であるから()()()()()()にしておくことにした。

 

「それならいいが…。まあ、改めておまえとツグミにはきちんと事情を説明してもらわなければならない。もちろん城戸さんや林藤といったあの子の()()()()の前で正座をして、な」

 

「…はい」

 

ツグミと正式に交際するとなれば、それを忍田()()に報告せずにはいられない。

いずれは必ず通らなけれなならない道である。

 

「はあ…とんでもない話を聞かされたものだから目が冴えてしまった。迅、しばらく私の話に付き合え」

 

その後、迅と忍田は寝落ちするまでツグミや美琴の話を続けた。

 

 

 

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