ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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116話

 

 

しばらく中休みとなったゼノンたち。

彼らはずいぶんと機嫌が良いようだ。

なにしろ長年追い求めているものが間もなく手に入るとなれば機嫌が良いのも当然だが、(ブラック)トリガーとだとしてもそれは単なる戦争の道具でしかない。

それを20年間も探していたことがツグミには理解できずにいた。

だから逆にどんなものなのか気になってしまう。

 

「あの…わたしはミリアムの(ブラック)トリガーというものがどんなものか知りません。どんな能力を持っているんですか?」

 

ごく自然な疑問を口にするツグミ。

ゼノンも彼女に気を許したのか、すんなりと答えてくれた。

もっとも彼自身詳細については知らないので答えられないが、トリオンキューブを細かく分割して撃つと弾は敵を()()()()追いかけるということと、使用者の意思に関わらず攻撃を続けるということを教えると、ツグミは言葉を失った。

通常、近界民(ネイバー)の戦いは生身ではなくトリオンでできた戦闘体に換装して戦うから「撃たれる・斬られる=死」ではない。

ダメージを受けて換装が解けてしまった段階で降伏し、敵対する者もそれ以上の攻撃はせず捕虜にするものだ。

それなのにミリアムの(ブラック)トリガーは敵が死ぬまで攻撃をするという。

使い続けていると使用者がトリガーをコントロールできなくなり、使用者の意思に反して勝手に攻撃を続けるらしい。

(ブラック)トリガーはトリオン能力の高い人間が命と全トリオンを注いで作ったトリガーであり、作った人物の人格が反映されると聞かされている。

つまり敵を殺すところまで追い込むという能力はミリアムという女性の人格が反映されているということになるのだ。

そんな恐ろしいトリガーを作ってしまう近界(ネイバーフッド)の戦争と、それを利用しようとする近界民(ネイバー)

こんなことを聞くと、ツグミは近界民(ネイバー)と仲良くすべきであるという旧ボーダー、玉狛支部に受け継がれている信念に疑問を抱かざるをえない。

そしてミリアムの(ブラック)トリガーをこちら側の世界に持ち込んだ父親のことを考えた。

 

(お父さんは近界(ネイバーフッド)での戦争に使わせたくなかったんだろうけど、そんな恐ろしいものをこちら側の世界に持ち込んだことをどう考えていたんだろう? そのせいでこちら側の世界がトラブルに巻き込まれることを想像できたのかな? お母さんはそのことを知っていてお父さんと結婚したの? …ううん、そんなことを考えても意味はない。だってもうふたりともいないんだから)

 

その疑問の答えを求めることは、すなわち両親と暮らした幼い日々を振り返ることになる。

彼女にとって織羽と美琴のふたりに「血の繋がった親」という認識はない。

あの事件があって、ツグミは両親に関するすべての「記憶」を無意識に封じてしまった。

織羽と美琴の名前や顔は事件後に忍田や城戸たちから植え付けられた「知識」でしかない。

彼女にとって父親は忍田真史であって唯一無二の存在である。

織羽のことを「お父さん」とは言うものの、彼女にとって「お父さん」とは単なる符号でそれ以上の意味はなく、真史叔父さんの「叔父さん」の方がずっと父親としての意味を持っているのだ。

美琴の「お母さん」も同様で、母親の代わりをしてくれたのは美琴の母親であるツグミの祖母だ。

ツグミの実の両親に対する態度はあまりに冷淡であるが、記憶がない上に不可抗力とはいえ自分を残して逝ってしまった織羽と美琴よりも、自分が辛く苦しい時に一緒にいてくれた忍田たちの方を()()と見なすのは当然であると言えよう。

だから彼女は今の自分と幸せな日常を守るために過去の自分と幸せな記憶を封印し、思い出そうとすると無意識に自己防衛のためのストッパーをかけてしまうのだ。

 

 

「ツグミくん、きみはもう休んだ方がいい」

 

声をかけてきたのはリヌスだった。

ミリアムの(ブラック)トリガーの正体を知ったツグミがショックを受けて沈んでいるのだと察し、彼女の身体を気遣って休ませようというのだ。

 

「私たちはまだやることがありますから、きみは居住室のベッドを使いなさい」

 

「リヌスさんたちは何をするんですか?」

 

「う~ん…そうですね、帰国ルートの選択や、途中で物資の補給をどこでするのかといった相談です。別にきみがいても邪魔にはなりませんが、きみにとってはつまらない話になるだろうし」

 

「いえ、眠れそうにありませんから、しばらくみなさんと一緒にいさせてください。それにひとりでいると余計なことばかり考えちゃうので、ここにいる方が気が休まります」

 

「余計なこととは?」

 

「ここから脱走できないかな…とか」

 

ツグミが冗談半分で言うと、リヌスが失笑する。

 

「それは困ります。きみに逃げられてしまってはミリアムの(ブラック)トリガーが手に入らなくなってしまう。いいでしょう、きみの好きにしてかまいません。ですが眠くなったらちゃんとベッドで寝てください」

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

微笑みながら返事をするツグミ。

 

「あ、ああ…」

 

これまでの人生の中でリヌスはツグミのような少女に礼を言われたり笑顔を向けられた経験がほとんどない。

コンビニの女性店員に挨拶されるくらいで戸惑うくらいだから、ツグミの心からの笑顔に面食らってしまうのは仕方がない。

慌てて後ろを向いてしまうが、そこをツグミに突っ込まれてしまった。

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや…私は若い女性と話をするのに慣れていないのです。私はきみをさらった敵だ。きみの首にナイフを突きつけた憎むべき男に、きみはそうやって隙だらけの笑顔を見せる。そんなきみに接する時、どういう顔をしていいのかわからないんですよ」

 

それを聞いたツグミはクスッと笑った。

 

「わたしに対して嫌な気分になりましたか?」

 

するとリヌスは振り返ってツグミに言う。

 

「断じてそんなことはありません! …そんなことはないから困っているんですよ」

 

本当に困惑しているといった表情でリヌスは答えた。

 

「キオンでは女性を敬うのが当然なので、何かをしたからといって女性から礼を言われるようなことは滅多にない。だから嫌な気分というのではなく、むしろ嬉しいというか…」

 

「嬉しいのなら笑顔を返せばいいんですよ。そうすればわたしも嬉しいです」

 

「そういうものなのですか?」

 

「ええ。たしかにあなたたちはわたしを誘拐した敵です。あなたたちがこんなことをしなければ、今頃わたしは自分のベッドでゆっくりと眠っているでしょう。そのことを考えれば腹立たしいですけど、だからといって喧嘩腰の態度でいたり悪態ついたりしていたらこっちが疲れちゃいます。キオンの習慣がどうであっても人質のわたしに対して礼儀正しい態度で接してくれていますから、自然に警戒心が薄れてしまうのかもしれません。それにわたしは相手が誰であっても嬉しい時には笑顔を見せてしまうし、感謝の気持ちがあればお礼の言葉を口にします。それが当たり前のことだからです」

 

「……」

 

「わたしが言っていること、本当かどうかテオくんに確認してもらってもかまいませんよ」

 

ツグミがイタズラっぽい目つきで言うものだから、リヌスは困惑気味の笑みを浮かべた。

 

「そんなことをしなくても嘘じゃないとわかっています。…では、私は仕事に戻ります。用事があったら遠慮なく()を呼んでください」

 

そう言ってリヌスはその場をそそくさと離れ、ゼノンたちと話を始めた。

 

ゼノンたちの会話に耳を傾けていると、ツグミにとって初めて聞く近界(ネイバーフッド)の国名や地名がたくさん出てきた。

遠征経験はあるといっても2回だけの彼女にとって、近界(ネイバーフッド)は未知の世界である。

 

(エウクラートンってお父さんの故郷よね…。どんな国だったんだろ?)

 

名前すら初めて聞いた国であるのだから何も知らないのは当然で、興味を示すのもまた自然の成り行きというもの。

ただし気軽に訊けるような雰囲気ではなかったので、黙っていることにした。

 

(後でリヌスさんに訊いてみようかな?)

 

 

 

 

そのうちにツグミは居眠りを始めてしまった。

この一日の間に様々なことが起こり、感情が高ぶっていても身体は疲れている。

おまけに日付は変わっており、眠くなるのも仕方がない。

椅子の背もたれに身を預けて、小さく寝息を立てている。

敵のアジトにいるという緊張感がまったくなく、その無邪気な寝顔はゼノンたちを困惑させてしまった。

 

ゼノンが腕を組みながら言う。

 

「せっかく気持ち良さそうに眠っているのに起こすのは可哀想だな」

 

「そうですね。でも椅子に腰掛けたままでは十分に身体を休ませることはできませんし、私たちも気が散ってしまって困ります」

 

リヌスがそう言うと、テオが割り込んできた。

 

「面倒な奴だな…。だったら眠ったままの状態でベッドに運んでやればいい」

 

するとゼノンが困った顔で否定する。

 

「それはそうだが、それはつまり彼女を抱きかかえて居住室へと行くということになる。それを誰がやる? おまえがやるか、テオ?」

 

「それは勘弁してくださいよ~」

 

「ではリヌス、おまえがやるか?」

 

「私も無理です。ここは隊長にお願いします」

 

「俺は…できない」

 

「「「………」」」

 

ゼノンを含め彼らは若い女性に免疫のない独身男3人組である。

任務を遂行する上で余計なことは考えないようにして、極めてストイックな日々を過ごしてきた。

しかしツグミの柔肌は10代20代の若者には刺激が強すぎる。

30代のゼノンともなれば性欲を理性で抑え込む術を身に付けているが、それでもツグミという16歳の娘の色香には正気でいられなくなりそうな状態なのだ。

3人のうちひとりでもタガが外れれば、残りのふたりにも影響は及ぶだろう。

彼らは自分を律する自信がないとわかっているから誰もできずにいる。

 

「そうだ! この部屋にマットを運び、そこに彼女を寝かせましょう。そして我々も今日はこれでおしまいにして、居住室へ行けばいいんですよ」

 

リヌスの提案はこの状態でのベストな判断であった。

 

「なるほど、それなら彼女を抱きかかえても一瞬で済む。良いアイデアだ」

 

ゼノンはリヌスにマットを、テオに毛布を持って来させた。

ツグミを移動させるのは隊長であるゼノンの仕事である。

彼女を起こさないようにと、そっと抱きかかえて部屋の隅に置いたマットの上に寝かせると、すぐに毛布を掛けてやる。

ツグミは何事もなかったかのようにスヤスヤと眠っており、男3人の複雑な心境など我感知せずという状態だ。

 

「このお嬢さんは人質だという認識がないらしい。敵地でこんなに無防備な様子で眠っているのだからな」

 

呆れ顔のゼノンに、テオが口を尖らせて言う。

 

「まったくですよ。でもそれって隊長が(ブラック)トリガーさえ手に入れれば見逃してやるだなんて約束したからです。もし当初の予定通りだったら今頃は帰りたがって泣き叫んでいたはず。ボーダーの奴らもこいつのためなら(ブラック)トリガーを差し出すでしょう。だから身の安全が保証されたのと同じ。暢気なものですね」

 

「それでも私たちを信じ、気を許してくれたからこそです」

 

リヌスはそう言って作戦室の照明を常夜灯モードにした。

 

「これくらいの暗さなら彼女も不安にはならないでしょう。女性の寝顔を見つめているのはマナーに反します。さあ、行きますよ」

 

ゼノンとテオの背を押しながら、リヌスは作戦室を出て行く。

しかし部屋を出る瞬間、リヌスが名残惜しげな表情でツグミの寝顔をチラ見した。

そんな彼の行為とツグミへの好意に気付いた者は誰もいない。

 

 

◆◆◆

 

 

夜中、喉の渇きで目覚めたツグミは自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。

薄暗い照明の中で大きな机や部屋の片隅の段ボール箱の山を見て、やっと自分がキオンの遠征艇の作戦室にいることを思い出した。

 

(そうだった…。ゼノンさんたちに捕まって人質になっていたんだっけ。…ここは作戦室。わたし、ここにいさせてほしいって言ってそのまま眠っちゃったんだ。マットが敷いてあるってことは誰かがここまで運んで、その上にわたしを寝かせてくれたんだ。なんか、恥ずかしい…)

 

枕元にはツグミの飲みかけのペットボトルが置いてあり、それをひと口含んで口を湿らす。

 

(ミリアムの(ブラック)トリガーがキオンの手に渡ってしまえば、近界(ネイバーフッド)の戦争だけでなくアフトクラトルのようにこちら側の世界に戦争を仕掛けてくるかもしれない。ゼノンさんの話だと追尾弾(ハウンド)の強化版っぽい。でも換装が解けた生身の人間にまで攻撃をして死なせてしまうなんて、近界(ネイバーフッド)の戦争としては非常識な存在よね。わたしたちに関係のない場所で行われる戦争であっても使わせちゃダメなトリガーだわ。だったらそれを今所有しているボーダーが責任を取って処分しなきゃいけない。それもこちら側の世界に持ち込んだ織羽の娘であるわたしがすべきこと。でもそれよりも今はどうやってこの問題を解決するかよね…)

 

キオン側はミリアムの(ブラック)トリガーを手に入れることさえできれば、ツグミをボーダー側に引き渡して帰国してくれるだろう。

それはこれまでの接し方を見ていれば信じても良いとツグミは考えている。

しかし問題はミリアムの(ブラック)トリガーが手に入れられない場合、手に入るまでツグミは解放されず何度もボーダー側に要求を突きつけてくるはず。

時間が経てばゼノンたちもイライラが募り、穏便に解決する道が絶たれてしまうかもしれない。

 

(そうならないように1回の取引で終わらせなきゃならない。そのためには周到な準備が必要だけど、わたしには何もできない。せめてこっちの情報をジンさんたちに伝えることができたらいいんだけど…)

 

 

ツグミがそんなことを考えていると作戦室のドアが静かに開き、誰かが入って来る気配があった。

 

「誰ですか?」

 

「私です。リヌスです」

 

深夜の訪問者はリヌスだった。

 

「起こしてしまったようですみません。毛布1枚だけでは寒いかと思い、予備の毛布を持って来ました」

 

リヌスはツグミを怯えさせまいと、部屋の入口で立ち止まって言う。

 

「少し前に喉が渇いて目が覚めていたのでご心配なく。それにお気遣い、ありがとうございます。でも寒いのは平気なんですよ。夏の暑さには弱いですけど」

 

「夏、ですか…。懐かしい響きですね」

 

「え?」

 

「キオンは1年のほとんどが冬で、夏と呼べるような時期はまったくありませんから」

 

リヌスの言葉で、彼がキオン出身ではないことを確信した。

 

「リヌスさんって、エウクラートンの人ではありませんか?」

 

ツグミが訊くと、リヌスは頷いた。

 

「そうですけど、どうしてそう思ったんですか?」

 

「だってリヌスさんは今キオンには夏の季節がないって言いました。夏を懐かしいと思うのなら、過去に何度も夏を経験しているということですよね? それにあなたの表情から良い思い出があるというカンジがしました。それにリヌスさんはゼノンさんやテオさんとは風貌が違っていて、どちらかというと玄界(ミデン)の人間に似ています。わたしの父が近界民(ネイバー)だということがわからなかったくらい玄界(ミデン)の人間に似ていたそうですから、もしかしたらあなたもそうかなって思ったわけです」

 

「なるほど、あなたは敏い女性ですね。たしかに私はエウクラートンの人間です。まあ、訳あって今はキオンに身を寄せていますけど」

 

「ああ、やっぱり。なんとなく他の人たちよりもあなたは親しみやすいなって感じていたんですよ。容姿やメンタリティが似ているから、気が合うのかもしれませんね」

 

「そうですね。さあ、これを掛けて眠ってください」

 

そう言ってリヌスは毛布をツグミに手渡した。

 

「ありがとうございます。リヌスさんとはもっとたくさんお話したいですけど、時間がありませんから無理ですね。ちょっと残念です」

 

「私もです。でもあなたさえ ──」

 

リヌスはそこまで言って口を噤んだ。

 

「いえ、何でもありません。おやすみなさい」

 

「はい…おやすみなさい」

 

おやすみの挨拶をすると、リヌスは入って来た時と同じように静かに出て行った。

 

(何か言いかけていたけど…まあ、いいか)

 

ツグミは毛布を重ねると中に潜り込んだ。

 

一方、リヌスは自分の意気地のなさに落ち込んでいた。

 

「あなたさえ良ければ朝までふたりでお話しませんか?」というひと言が言えたなら、きっとツグミは喜んで付き合ってくれただろう。

 

(だがこれ以上彼女に惹かれたら、私は玄界(ミデン)を離れがたくなる。いっそ彼女を連れて行くことができたなら…。いや、そんなことをすればきっと彼女は私たちを憎むようになる。私は彼女に嫌われたくない。だからこれでいいんだ…)

 

自分にそう言い聞かせることで自分の不甲斐ない態度を正当化するしかないリヌスだった。

 

 

 





リヌスがツグミを呼ぶ時の二人称が「きみ」から「あなた」へと変わったのは気付いてもらえましたでしょうか?
ツグミは「人たらし」で、無自覚に周囲の人間を惹きつけてしまう()()()キャラなんです。


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