ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
午前9時、城戸は自らが運転する車でボーダー殉職者慰霊碑のある公園へとやって来た。
もちろん彼ひとりだけで、ツグミの見える範囲内にはボーダー側の人間は誰もいない。
慰霊碑を背にしてタキトゥスの
そこから30メートルほど離れた正面に城戸が立ち、ゼノンたちに呼びかけた。
「
城戸は
「そこに描いてあるバツ印の上に置け」
バツ印というのは公園のほぼ中央となる場所に、ツグミが予めチョークで描いておいたものだ。
城戸はゆっくりと歩いて行き、ゼノンの指示どおりに
「では、さっきいた場所から10メートル下がってそこで待て。彼女が回収に行く。妙な動きはするな。俺たちの仲間が貴様を狙っているぞ」
城戸が公園に現れた時からリヌスの銃口はずっと城戸の頭に向けられている。
リヌスなら
しかし城戸は普段から表情筋がないと思われるほど無表情であるから、ツグミの立てた作戦のことが彼の表情からバレることはない。
そしてキオンのトリガーはボーダーの弾トリガーのような流れ弾防止の安全処理がされていないため、生身の城戸に当たれば死に至ることはツグミも承知している。
これではツグミにとって城戸が人質になったも同然で軽はずみなことはできないはずなのだが、彼女にとってリヌスが城戸をずっと狙っているというのは非常に都合が良かった。
ゼノンが「城戸ではなくツグミを狙え」という指示の変更をしなければ、彼女の動きは視界の狭い
城戸が指示された位置に着いたところで、今度はツグミがバツ印の上に置かれている
(ああ、ちゃんとわたしの作戦はみんなに伝わっていたみたい。よかった…)
ツグミは
そして
「今から起動してみます」
「ああ、やってみたまえ」
ゼノンたちはツグミの行動を微塵も疑ってはいなかった。
それは彼女が前日から「彼女の言葉に嘘はない」という小さな信頼を積み重ねてきたことによるもの。
ミリアムの
だから目の前にある
ツグミは心の中で叫んだ。
(風刃、起動!)
次の瞬間、ツグミの握った
生身の身体に戻ってしまったゼノンとテオは自分の身に起きたことが信じられないという顔で、放心状態のまま地面に座り込んでしまう。
そんな彼らに対し、ツグミは16本の光の帯が揺らめく風刃を握ったままでゆっくりと近付いた。
「騙し討ちのようなことをしてすみません。でもミリアムの
「「……」」
「戦闘体を破壊されたあなた方では
ツグミは携帯電話を握りながら近寄って来た城戸に訊く。
「ああ。おまえが日守山の山頂に敵が潜んでいるということを教えてくれたからな。たった今、木崎から確保したと連絡があった」
「ではゼノン隊長とテオくんにもおとなしくボーダーに捕まってもらいましょう。城戸司令、もう手筈は済んでいるはずですよね?」
「もちろんだ。風刃の起動を確認次第、山のふもとで待機している忍田と林藤と迅がこちらへ向かうことになっている。もっと近くで待機したかったのだが、念の為にな」
「それは懸命な判断です。…さて、忍田本部長たちが到着する前に、おふたりの疑問にお答えしておきましょうか」
ツグミはそう言って風刃の光の帯を解除してからゼノンたちの方を振り向いた。
「この風刃は通常ボーダー本部で管理していて、状況によって適宜使用者が変わります。昨日はわたしと一緒にいた男性が持っていましたし、アフトクラトルの侵攻の時にはまた別の人が使用していました。風刃は適合者をあまり選ばない
「「……」」
「能力は遠隔斬撃で、このブレードから物体に斬撃を伝播させ目の届く範囲どこにでも攻撃ができるというすぐれもの。だからリヌスさんの姿が
ツグミの視線の先には迅と忍田が血相を変えて全速力で走って来る姿があり、その後ろには林藤がロープの束を抱えて同じように走って来るのが見えた。
「ジンさん! 真史叔父さん! 林藤さん!」
手を大きく振りながら、自分は無事であるとアピールするツグミ。
「「ツグミ!」」
ツグミの姿を見付けた迅と忍田は同時に名を叫んで駆け寄って来た。
そしてわずかに早く着いた迅が彼女を抱きしめ、遅れて到着した忍田は抱きしめようとして挙げていた腕を下ろさざるをえなかった。
その様子に気付いたツグミは迅の腕の中からするりと抜け出すと、最後に着いた林藤と城戸の4人に深々と頭を下げた。
「ご心配おかけして申し訳ございませんでした。詳しいことは戻ってからお話します。城戸司令、ひとまずキオンのみなさんは玉狛支部で身柄を預かりたいと思います。捕虜としてでなく客人として。どうか許可をください」
「…この場合、仕方なかろう。では迅と忍田には若い方を任せる。林藤とツグミは隊長を私の車に乗せてくれ。林藤、玉狛第1へはおまえが指示を出し、玉狛支部で合流だ」
「了解」
戦うことも逃げることもできずにいるゼノンとテオ。
ふたりはそれぞれ黙って城戸の指示に従い、2台の車に分かれて乗り込んだ。
◆◆◆
時間を遡り、話はツグミからの電話の直後に戻る。
「とにかくあいつの言葉をもう一度思い出してみましょう」
迅が仕切ってツグミの言葉の分析を開始した。
「まずは行ったことのない日守山の山頂という場所を口にしたこと。そしてあいつはそこから公園に人がいるのを見つけることができたと言ったことの意味です。あいつは強化視覚の能力を持っていますから見えても不思議はありません。ですが…そうか!」
「何かわかったのか?」
忍田が訊いた。
「敵の中にもあいつと同じ能力を持つ人間がいるということを教えたいんじゃないか、と思ったんです。地図、ありますか?」
「それならここにある」
忍田が三門市内の地図を開き、迅がその中の一点を指差す。
「ここが三門山で、ここから東にこう…」
指をスライドさせ、日守山の山頂を示す。
「ここが日守山山頂で、公園まで見下ろすとなると…距離は約1600メートル。あいつがスラッシュを使えばこれくらいの距離は問題ありません。それと同じ能力を持つ
「それは面倒だな…」
「こちらが妙な動きをすればいつでも狙い撃ちしようってことでしょう。日守山の山頂に敵が潜んでいることを教えようとして行ったこともないピクニックだとか、そこから人がいるのが見えたなどという作り話をしたのだと考えます」
「なるほど…」
感心する忍田に迅は言う。
「それから…他にも気になることがいくつかあります」
「どういうことだ?」
「あいつは城戸さんにひとりで
「それは当然だ。あいつが言うように城戸さんは戦闘員ではないからな」
「それはわかっています。もちろん理由もそのとおりでしょう。だとすればわざわざあいつが『戦闘員ではない』と改めて言う必要はありません」
「……」
「仮に俺みたいなトリガー使いなら自分のトリガーを隠し持って行き、いざという時には使うでしょう。でも城戸さんがトリガーを持って行くことは絶対にありません。持っていても使えないんですから」
「まあ、それはそうだが、キオンにはノーマルトリガーを無効化できるトリガーがあると聞いている。それがあれば…そうか、わかったぞ!」
忍田が叫ぶ。
「そのノーマルトリガーを無効化するトリガーが効果の範囲外にあって使用できないということだな!」
「そうです。たぶん日守山に潜んでいる
「たしかに一理ある。しかし敵が3人だけとは限らない。他に伏兵がいるかもしれないぞ」
「それは大丈夫ではないでしょうか。初めにあいつは『ゼノン隊長もリヌスさんもテオくんも』と3人の名前を挙げています。その必要はないというのに、あえて個人名を挙げたのはそれにも意味があるということ。つまり敵側がこの3人だけであることを強調しているんです」
「そういうことか…」
迅の推理に忍田はまたまた感心してしまう。
「…そういえば、あいつはおかしなことを言っていたな。城戸さんが寒がりだとか、風が強くて寒いとか、風邪をひいては目も当てられないとか。他人の心配もいいが、今は自分の心配をしてもらいたいものだ」
忍田が困惑した顔でいると、それまでずっと黙り込んでいた林藤がおもむろに口を開いた。
「フフフ…わかったぞ」
「何がわかったんだ、林藤?」
林藤の気になる言い方に忍田が訊く。
「あいつが伝えたかったことだよ。あいつは『ミリアムの
「了解、
迅は携帯電話を操作して音声を再生した。
「ツグミは城戸さんに
林藤の説明で迅は理解したが、忍田はまだわかっていないようだった。
「わかりましたよ。あいつが城戸さんの身体のことを気遣っていた理由も」
「さすがは迅。ツグミのことを良くわかっている」
林藤は迅を褒めるが、忍田としては面白くない。
「父親である私よりも迅の方がツグミのことを理解しているとは気に食わないが、今はそんなことも言っていられない。どういうことなんだ?」
「キーワードは『風』と『刃』。そう言えばわかりますよね?」
「そうか! 風刃か!」
「そうです。たしかにあの公園は風が強いですから、今の時期はけっこう寒いです。ですが『肌を
「それはつまり城戸さんに風刃を持って来させようとしている…ということになるな」
「忍田さんの言うとおりです。あいつも風刃の適合者です。あいつは『まずわたしが試しに起動します』と言っていました。きっと風刃を使うことで目の前にいるふたりと、日守山にいる
ここでずっと黙って聞いているだけだった城戸が口を開く。
「ずいぶんと分の悪い危険な賭けだな。日守山の
「あいつはミリアムの
「……」
「それに『わたしのことを助けようと思うのであれば、わたしの言うとおりにしてください』という言葉は『自分のことを信じろ』と同じ意味で、あいつも俺たちのことを信じているからこそ、察してくれるものとして無謀に近い作戦を立てたのだと俺は思います。あいつは俺が不都合な未来を視たと言っても『意思の力で覆してみせる』と言い切るヤツですからね」
「迅、おまえはそういう考えなのだな? …では忍田と林藤の意見はどうだ?」
「私は迅の意見に賛成です。それがツグミの信頼に応えることでもありますから」
「俺は…やっぱ迅に賛成だな。たぶんあいつが必死になって情報を集め、それを総合して考えた作戦だ。あいつのやりたいようにさせてやろうや。まあ、失敗したところですぐにあいつの身に危険が及ぶことはあるまい。次の取引の機会に
忍田と林藤は迅の意見に賛成した。
「…ならば私も信じることにしよう。迅、私に風刃を預けてくれ」
「はい」
そう言って、迅は風刃を城戸に手渡す。
「あいつの言うように俺たち戦闘員は現場に近付けません。生身のあなたにとっては非常に危険な
「ああ。これは私が招いた事件でもある。ならば私は私の責任を果たそう。林藤、日守山の方は玉狛に任せる」
「了解」
「念の為にミリアムの
そう言って城戸は立ち上がり、忍田と林藤と迅の3人はそれぞれ自分の役割を果たすためにその後ろに続いたのだった。