ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ゼノンとリヌスとテオの3人は玉狛支部へと移送された。
ツグミの希望もあるのだが、本部基地に連行して取り調べをしたいと思っても、この事件自体が隊員どころか鬼怒田や根付ら幹部たちにも内緒であるから、玉狛支部で極秘に行うしかないのだ。
とりあえずつい先日までヒュースが使っていた部屋に3人で入ってもらい、急いで空き部屋の掃除をしてふたり分の簡易ベッドを入れた部屋を用意する。
もちろん掃除をしたのはツグミで、修やゆりたちが手伝うと申し出ても「キオンの3人は捕虜ではなくわたしの客人で、これは自分のやるべきことだから」と言って頑として譲らなかった。
自分のせいで散々迷惑をかけてしまったことの詫びの気持ちと、彼女以外の人間にとっては敵性
キオンの遠征艇についてはツグミが場所をほぼ確定してあったので押さえるのは簡単であった。
誰も立ち入れないように現場を保存し、ゼノンたちの処分が決まるまで玉狛支部で管理することになる。
ツグミが空き部屋の片付けをしていた頃、忍田と林藤と迅 ── 城戸は立場上、本部へ戻らざるをえなかった ── はゼノンたちの取り調べをしていた。
愛する娘や恋人を拉致られた彼らにとってはキオンの3人はボコボコにしてやりたいほど憎い敵であるが、そんなことをすれば捕虜に対する扱いを定めた法令に違反するし、なによりツグミに叱られるのがわかっているから無茶はしない。
ゼノンたちも素直に事情を説明し、取り調べは淡々と進んでいた。
「ひと通りの事情と流れはわかった。しかしアフトクラトルの侵攻に紛れて侵入し、ひと月以上もかけて作戦を進めていたことにまったく気が付かなかったとはなんとも不覚だ」
忍田は小さく嘆息を漏らした。
彼らは大規模侵攻が始まる前にレプリカから「侵攻してくる可能性が高いのはキオンかアフトクラトル」だと聞かされていた。
実際にはアフトクラトルの大軍勢が押し寄せて来たのだが、その陰に隠れてキオンが別の目的を持って侵入していたことに気付かなかったのだからショックを受けるのも当然である。
また城戸以外の人間はミリアムの
迅ですらゼノンたちの姿を確認したのが当日で、せっかくの
そしてさらわれることが確定した時点で未来が視えても手遅れだったわけで、誰にとっても今回の事件は防ぎようがなかったのだが、それぞれが自分の無力さによってツグミを危険な目に遭わせたと深く後悔しているのだ。
ゼノンたちは捕らえられてからずっと生気の抜けた状態でいる。
それは捕虜になったことで帰国の見通しがなくなっただけでなく、これから自分たちがどのような目に遭うか不安で胸がいっぱいなのだ。
彼らは捕虜を「情報を引き出せるだけ引き出し、不要となったら強制収容所で死ぬまで過酷な労働に従事させる」という人間以下の存在として扱っていたから、自分たちも同様の目に遭わされるだろうと恐れているのである。
その気配を察した忍田が言う。
「キオンではどうか知らないが、我々は捕虜に対して殺害や虐待などの非人道的な行為は一切しない。もちろん情報を得たいがための拷問もなしだ。そこは安心してもいい。個人的には娘をさらった貴様らを許しがたく、その横っ面を殴ってやりたいところだが、それはツグミから止められている。自分が客人として扱われたのだから、貴様らにも同等の待遇をしなければいけないと言ってな。今も貴様らのための部屋の支度をしている。あの子が心優しい娘であったことを感謝するのだぞ」
「承知した。貴殿とツグミ嬢の厚意に感謝する」
ゼノンはそう言うと顔を上げて訊いた。
「ところで、ツグミ嬢は我々のために部屋の支度をしてくれているということだが、彼女の精神や健康状態に問題はないと考えても良いのだろうか?」
「ああ。あんなことがあったというのに、普段と変わらない。…もっとも我々にこれ以上心配させたくないと、カラ元気で走り回っているのかもしれないが。あの子はそういう娘だ」
「そうですか…。彼女をさらったのは祖国の命令によるものですから詫びるつもりはありませんが、私個人としては大変申し訳ないことをしたと心から思っております。できることなら彼女に会って謝りたいのですが…」
そこで口を噤むゼノン。
その続きは「そんなことを言える分際ではない」と考えて言えなかったのだ。
「あの子のことだから、そろそろ『昼食の準備できたから食堂に来てくれ』と言いに来るだろう。詫びたいならその時に詫びればいい」
忍田がそう答えたタイミングでドアがノックされ、ツグミが顔を出す。
「お昼ご飯ができましたので、食堂に来てもらえますか?」
彼女がそう言った途端、忍田たちは失笑してしまう。
事情を知らないツグミは怪訝そうな顔で訊いた。
「何で笑うんですか?」
「いや、タイミングが良すぎたものだからつい、な」
「? …それで申し訳ないんですけど、ゼノン隊長たちの分はこの部屋に運びますでここで食べてください」
ツグミは一緒に食堂で食べてもかまわないのだが、彼女以外の玉狛メンバーの心情を考えれば当然の措置である。
ゼノンも彼女の心遣いには感謝し、詫びと礼の言葉をかけた。
「いや、申し訳ないなどということはない。捕虜である我々に対しここまで厚遇なのは心苦しいくらいだ。それに君に対してしたことに、個人として謝罪をしたいと思っていた」
そう言ってゼノンが立ち上がるのと同時にリヌスとテオも立ち上がり、3人は深々と頭を下げた。
「拉致などという非礼な行為で自由を奪い、不快な思いをさせたことを深くお詫びする。誠に相すまない」
言葉にはしないが、リヌスとテオも同じ気持ちであった。
任務が失敗したのは彼女の奸計によるものであったのだから、彼にとって本来ならツグミは恨んでも恨み足らない相手である。
しかしあまりにも見事な策略であったから感服するしかなく、さらに自分たちを捕虜ではなく客人として迎え入れる彼女には怒りや憎しみの感情は湧きようがない。
そんな彼らにツグミは優しく声をかけた。
「頭を上げてください。謝るのならわたしにではなく、ここにいる忍田本部長や林藤支部長、そしてジンさんにです。たぶん昨夜は不安で眠れなかったはずですから。わたしはこうしてかすり傷ひとつ負うことなく無事に
「……」
「それにわたしはみなさんに言ったじゃないですか? 『もしみなさんに任務というものがなければ良い友人になれそうなのに残念です』と。任務に失敗した今、
「…ありがとう」
下を向いていたからであろう、ゼノンの目から涙の粒が零れて床に染みを作った。
それを見てツグミはすぐさま迅の背中を押しながら言った。
「さあ、忍田本部長、林藤支部長、ジンさん、行きますよ。せっかくのご飯が冷めちゃいます」
そう言ってこの3人を急かして部屋を出た。
成人男性が涙を流すところは他人に見られたくないだろうというツグミの気遣いだ。
ゼノンたちの部屋のドアには外側から鍵が掛けられた。
これは林藤による支部長命令で、ツグミも当然の措置だとして納得している。
「わたしのワガママを許してくれてありがとうございます」
後ろを歩くツグミの言葉に林藤は振り向かずに答えた。
「別にかまわねーよ。ヒュースん時も同じだったし。…だが無事に戻って来たから良かったものの、何かあったら織羽さんに顔向けできなかったぞ。だから俺はあいつらのことが許せない。それなのに一番酷い目に遭ったはずのおまえがあいつらのことを客人扱いすんだからな、複雑な気分だぜ」
「まったくだ。愛娘が一晩あのような男たちに監禁されていたというのだ、私は未だに怒りが収まらずにいる」
忍田が憎々しげに言う。
するとツグミが声を荒らげ、林藤たちは足を止めて振り返った。
「何度も言ってますけど、わたしは酷い目になんか遭ってません! もちろん突然拉致されたんですから驚いたり戸惑ったりしましたが、彼らのわたしに対する扱いはとても紳士的で、遠征艇の中では比較的自由に動けましたし、嫌な気持ちになったことはこれっぽっちもありませんでした。真史叔父さんたちが想像するようないかがわしいことなんて一切されていません!」
ツグミの保護者たちが
彼女は女性で、男3人組に拉致・監禁されて一晩過ごしたのに何事もなかったと言われてもにわかに信じがたい。
恥ずかしいことをされて誰にも言えずにいるのではないかと思われても仕方がないのだが、ツグミは自分自身が疑われているように感じ、ゼノンたちを侮辱することは彼らの人間性を否定するようで我慢ならないのだ。
「彼らが男性で、忍田本部長たちも男性であるから妙な勘ぐりをするんですよ。自分たちが同じ立場だったら
「……」
「電話の時にはわたしのことを信じてくれたからこそ風刃を使った作戦が成功したんです。それなのに事件が解決したとたんにわたしの言葉を信じてくれなくなるんですか? わたしだって家族や仲間が同じ目に遭わされたら相手のことが許せませんけど、当人の言葉まで疑うようなことはしません」
「……」
「あ、もしかしてストックホルム症候群だとか思ってるんですか? だとしたら大間違いです」
ストックホルム症候群とは、誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象のこと言う。
ゼノンたちを庇うのもそれが原因であると忍田たちが考えているに違いないと、彼女は思ったのだ。
「そもそも彼らは暴力による支配などという愚かなことはせず、かなり早い段階でわたしの身の安全を保証してくれました。適合者であったらキオンに連れて行く予定だったそうですけど、ゼノン隊長はわたしが家族から引き離されるのは可哀想だから、本国には死んだと報告するとまで言ってくれていたんです。それがわたしを懐柔するための嘘か彼の優しさによる本当の気持ちなのかわかりませんが、少なくともわたしはそのことで怖い思いをせずに済みました。だから命の危険を感じるようなことはなく、むしろ精神的な余裕があったことでいろいろ作戦を練る時間も持てたんです。それに…」
そこでツグミは口を閉じ、改めて忍田たちを見据えて言った。
「いえ、これ以上彼らを庇うと重度のPTSDだと思われて、精神科のある病院に送り込まれることになるかもしれません。だからもうこの件に関しては何も答えません。わたしのことを信用できるのなら『何もなかった』と心を落ち着け、信用できないのなら『何かあった』と勝手に想像して憤慨していればいいんです。こんなことを言うと親不孝娘だと感じるでしょうけど、今頃になってやっと
そう言うと、ツグミはひとりでパタパタと走って行ってしまった。
「そういやあいつは遠征で捕虜の扱いが気に入らないと言って、城戸さんと喧嘩したことがあったっけな…。そのせいでB級に降格され、玉狛支部に来たっていう
林藤はそう言うが、忍田はツグミの態度にショックを受けていた。
「ツグミが…あの子には私が女性の自由を奪い、いかがわしい行為に及ぶような男に見えているのか…?」
「そんなことねーだろ。俺たちが一般論で何かあったのかもしれないと想像したものだから、同じ理論で反撃されただけだ」
「そうだろうか?」
「当たり前だ。あいつにとっておまえは『世界で一番好きな真史叔父さん』なんだぞ、自信を持て。それにあいつも言っていたが、遅い反抗期が来たと思っていればいい。迅、おまえだってそう思うだろ?」
「そう…ですね」
迅はそれだけ言って口を噤んだ。
事件が解決してツグミと共に玉狛支部へと帰って来たというのに、迅はまったく元気がない。
忍田や林藤も彼の様子がいつもと違うことには気付いていた。
なにしろ自分の無力さのせいでツグミが誘拐され、自分の手で助けるのだと気合を入れていたというのに、現実はツグミが自力で敵を倒して助かった。
ツグミには「後で大切なお話があります」などと真面目な顔して言われたものだから、そのことが気になって落ち着かないでいるのだ。
「ジンさんには失望しました。
その不安が顔に出ているのであった。
「俺、食欲ないんで自分の部屋に戻ってます。午後、本部へ行く時には同行しますので、その時には声をかけてください」
迅はそう言い残し、自分の部屋へと向かってトボトボと歩き去って行った。