ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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128話

 

 

疲れとトリオンの消耗によって、ツグミは朝になっても目覚めることができなかった。

そして昼近くになって心配したゆりがツグミの部屋を訪ねて来て、彼女に起こされるまで死んだように眠っていたのだ。

身体を丸めて小さくなって眠る姿は、ゆり曰く「巣穴の中で冬眠するリスみたい」で、ツグミは眠りから覚めた後もしばらくはぼんやりしていた。

それでもゆりの作った朝食 ── 時間的には昼食に近いのではあるが ── のクリームシチューを食べるとすぐに迅の部屋へと向かう。

しかし部屋の前まで来たところでドアをノックするのを躊躇してしまった。

 

(昨日のミリアムさんとの会話を思い出したら、ジンさんの顔を見るのが恥ずかしくなっちゃった…)

 

ミリアムが16歳で子供を産んだという話はツグミにとって大層ショックなことであった。

16歳での出産となれば15歳で性行為があったということになる。

そんなミリアムの話を聞いたことで、近いうちに自分も同じように()()ことになるのだろうかと想像して赤面してしまうのだ。

もっとも想像するといっても経験はなく、学校で学んだ保健体育での知識しか情報はないのだから、余計に()()な部分を変に補完して、ひとりで狼狽えてしまうのである。

 

 

「ツグミ、そんなところで何してんだ?」

 

「ひゃあっ!」

 

突然背後から声をかけられたツグミは素っ頓狂な声を上げて飛び上がってしまう。

 

「何そんなに驚いてんだ?」

 

声の主は迅で、ツグミの慌てふためく様子を目を丸くして見ている。

 

「ジンさん…驚かさないでくださいよ~。心臓が止まるかと思ったじゃないですか」

 

「すまない。だけど俺の部屋の前で不審な行動をしているから。それで俺に用があって来たんだろ? さあ、どうぞ」

 

そう言って迅は自室のドアを開けてツグミを中へ招く。

しかし彼女はモジモジしていて中へ入ろうとはしない。

 

「ん? どうした? いつものように遠慮しないで中へ入れよ」

 

ツグミの気持ちを知らない迅は平然としているが、彼女は部屋の中のベッドを見るなり動揺して落ち着きをなくしてしまっていた。

以前に見たテレビドラマのラブシーンの男女に迅と自分を重ねてしまったのだ。

心から愛し合っている恋人同士が溢れる想いを抑えきれずに男性の部屋で初めて結ばれるというシーン。

ゴールデンタイムの放映であったから()()の直接的な場面はなく、親子で見ていたら親が少々気まずくなるレベルのものだ。

当時13歳だった彼女にはその()()の意味はわからず、ただお互いが好きでその気持ちに正直になった結果の自然な行動で、いやらしいとか穢らわしいなどと思えなかった。

さらに男優と女優の演技が見事で、本当に幸せな男女の睦まじい姿に見え、羨ましいとさえ思えていた。

迅のことを異性として好きだと意識し始めた頃であったから、自分もいつかあんなことをするのだろうという感じで見ていたのだ。

しかし迅が自分を妹としてしか見ておらず、叶わぬ恋なら諦めて妹に徹しようと決め、それからは自分にとって無関係なものとなっていたのだが、今になって急展開。

自分と迅が結婚することはないと信じていた上、迅以外の男性と結婚することは絶対にありえないと考えていたというのに、迅とキスをする関係にまで進展したのだ。

民法で女性は16歳になれば結婚が可能であるし、成人すれば保護者の承諾もいらない。

だから彼女は漠然と「ああ、あと何年かしたらわたしはジンさんと結婚するんだ…」と考えてはいた。

それなのにミリアムが自分と同い年で出産したことを聞いたものだからツグミの頭の中は混乱してしまう。

16歳という年齢はもういつでも()()に及んでもおかしくないと言われてしまったようなものなのだ。

今ではもうドラマで見たシーンの意味は知っているし、その結果がどうなるかもわかっている。

だから「まだずっと先のことだから、わたしには関係ない」ではいられなくなり、彼女にはそのつもりはなくても迅のことを考えたり顔を見たりすることで過激な妄想が呼び起こされてしまって冷静さを失ってしまうのである。

 

「いえ、ここでいいです。用事というのは本部基地へ行く時間のことを伝えに来ただけですから。今から急いで支度をしますので10分後に駐車場で待っていてください。それじゃ」

 

それだけ言うのがやっとのツグミはあたふたと逃げるように自室へと戻って行った。

いつもと違う彼女の様子が気になるものの、迅は彼女の後ろ姿を見送ってから部屋のドアを閉める。

 

(あいつ…何か変だぞ。まあ、あんなことがあった後だからな…。まだ体調が悪いというなら無理はさせたくないが、本部の医務室へ行くんだし、何かあればまた医師(ドクター)に診てもらえばいいか)

 

自分が原因であることを知らない迅は暢気なものだ。

しかしツグミの方は混乱していることが良くわかる。

迅に本部基地まで送ってもらい、さらに精密検査の結果を一緒に聞くということはその間ずっと「迅がそばにいる」ということで、これではますます()()が悪化するだけだというのにそれに気付かないくらいなのだから。

そして自室で外出着に着替えていた途中で、やっと彼女は大事なことに気付いたのだった。

 

(どうしよう…。これってジンさんとふたりきりのドライブ…になるのよね、これ。…ううん、ジンさんはわたしのお願いで運転手と付き人をしてくれるだけなんだから、変なことを考えちゃダメ。わたしが意識しなければ何事もなく終わることなんだもの、ここは頭を冷やして冷静にならなきゃ)

 

部屋の窓を大きく開けて外気を室内に取り込む。

すると間もなくやって来る春を感じさせる暖かい日差しと共に、まだ居座り続けている冬の冷たい空気が入って来た。

暖かい日差しが彼女に穏やかな気持ちを取り戻させ、冷たい空気が思考回路の熱暴走を食い止めてくれたおかげで彼女はようやく普段の落ち着きを取り戻す。

 

(よし! これで大丈夫。検査の結果を聞いて、城戸司令にミリアムの(ブラック)トリガーを渡して、それから帰って来たらゼノン隊長たちに話をしなきゃ。やることがいっぱいあるんだから、こんなことであたふたしてちゃダメなのよ!)

 

自分の両頬を叩いて気合を入れ直し、何事もなかったかのようなフリをしてツグミは自室を出た。

 

 

◆◆◆

 

 

2度行った精密検査の結果はツグミにとって喜ばしいものであった。

彼女のトリオン値は「18」で、去年の5月に行った定期検診の「16」から2ポイントアップしていることが判明した。

これは彼女が意識してトリオン器官を鍛えていた結果であり、彼女の努力が実ったことになる。

一般隊員のそれの成長率と比べると格段の差があるものの、正常な数値の範囲内であると判断された。

今後は生身の身体を適度に鍛えることで「器」を強化し、それに見合うトリオン器官の鍛錬をするべきであるという医師の助言にツグミは素直に従うことになる。

しかし彼女にとって良いことばかりではなかった。

前日に彼女は風刃を3発撃ち、ミリアムの(ブラック)トリガーの検証実験を行ったことで、せっかく回復したトリオンの多くを消費してしまい、簡易検査でトリオンの残量が3分の1を切っていたことがわかった。

これではランク戦も防衛任務もしばらく参加できるはずもなく、改めてドクターストップを言い渡されてしまったのだった。

 

 

 

 

本部司令執務室へと向かう途中で、ツグミと迅は忍田と出会った。

 

「迅、少し顔を貸せ」

 

忍田は厳しい顔でそう言って、迅をツグミから引き離した。

以前なら普通に挨拶しておしまいなのだが、ツグミと迅が交際を始めたと知った忍田は悶々としている。

愛娘に恋人ができた父親の立場としては当然の反応なのだが、このふたりの親密さを良く知っているからこそ不安でたまらない。

交際を認めたとはいっても内心は不愉快で、()()()()()とりあえず「初めが肝心」とばかりにガツンと言っておこうというのだ。

訝しがるツグミを残し、20メートルも離れた場所まで迅を連れて行った忍田は言う。

 

「私はおまえをツグミの交際相手として認めはした。しかしそれは()()関係を前提としており、不健全なことをしても良いと承認したわけではない。一昨日の夜、おまえはあの子と手を繋いだりハグをしただけのようなことを言っていたが、本当はそれだけではないだろ? 正直に言え」

 

迅は一瞬戸惑うが、やましいことはしていないと正直に答えた。

 

「…昨日、キスしました。あいつが無事に帰って来てくれたことが嬉しくて思わず抱きしめてしまい、そのまま…。でも本人に確認をとってからしましたから、無理やりとかではありません」

 

言い訳や隠し事をすれば激しく責め立てるつもりでいたが、素直に告白するものだから忍田も勢いが衰えてしまう。

 

「キス、だけか?」

 

「はい。俺はあいつのことを本気で愛していますから、あいつが望まないことは絶対にしません。あいつは忍田さんたちに俺との交際を許されて、自分が大人として認められたと感じて浮かれている部分がありますが、男女の色事なんてまったく知らない子供です。俺は時が満ちるのを待って、あいつが俺にすべてを委ねてくれると決めた時には遠慮なく抱きます」

 

「…!」

 

迅ははっきりと「抱く」とまで宣言した。

しかし迅の言葉には強い意思が込められており、忍田には反論できないほど完全に理論武装しているものと思われたのでそれ以上言えることはない。

 

「…しかしおまえたちは未成年であり結婚もしていないのだから、いくらふたりの気持ちが高ぶったとしても後先考えずにその…行動はするなよ」

 

あからさまに「S○X」とは言えず、行動という言葉で濁したところが忍田らしい。

迅も忍田のこれまでに見たことのない狼狽えっぷりに苦笑するしかない。

 

「大丈夫です。まあ、俺が衝動を抑えきることができれば一線を超えることはありませんし、時が来て()()することになったらちゃんと避妊しますから心配しないでください。忍田さんが()()()()()()になるのはまだまだず~っと先のことですよ」

 

「何だと!?」

 

「ははは…冗談ですって。俺たちは誰からも祝福される幸せな結婚をしたいと思っています。俺たちはボーダー(こんなこと)をやってますし、お互いにいろいろな過去(こと)があって人並みの幸せなんて掴めないだろうなんて考えていました。そんな中で相手のすべてを受け入れて共に歩くことができる()を見付けることができたんです。だから好きな相手と一緒にいられるという当たり前でささやかな幸せを失いたくはありません。一時の衝動で愚かしい行為に及び、それですべてを失うようなことは絶対にないと誓えます」

 

「……」

 

迅が真剣にツグミと交際したいと考えていることは忍田にも伝わった。

旧ボーダー時代から彼らを含め多くの若者が過酷な現実を目の前にしてきた。

命を失う者もいれば、大事な人を亡くしてそれがトラウマとなっている者もいる。

迅は師匠である最上が死ぬ未来を視たのに助けられなかったとして心を閉ざしてしまったことがあった。

そんな彼に寄り添い、魂を救ったのがツグミである。

ツグミも両親を亡くし、周囲の環境が「自分の進むべき道はボーダー隊員になる()()()()」のだと思わせてしまった。

そんな彼女のそばに常にいて支えてきたのが迅である。

もしボーダーという組織がなければこのふたりにも()()()()別の道があったはずなのだ。

そんなふたりが自分たちの力で幸せになれる道を見つけて歩み始めたというのだから、それを応援してやるのが()()としての責務である。

迅にガツンと言おうとしていたのに逆に言われてしまったことになり、忍田は自嘲気味に笑った。

 

「フッ…おまえがそういう覚悟でいるのなら問題ない。私がバカだった。もう何も言うまい」

 

「うん、そうですね。…いや、それよりも忍田さんは早く結婚してツグミを安心させてやってくださいよ。あなたのすぐそばにも良き理解者がいて、彼女もあなたと一緒に幸せになりたいって思っているんですから」

 

「私の良き理解者?」

 

「そうです。まだ気付いていないんですか? お膳立てはツグミがしましたから、後はあの人がもっと積極的に動いて、それに気付いてくれさえすれば万事解決なんですけど、忍田さんは鈍感だからな…」

 

迅に鈍感と言われてムッとくる忍田だが、そんなことで怒りをぶつけては大人げないとしてグッと堪えた。

 

「何を言っているのか良くわからないが、話はこれで終わりだ。ところでおまえたちは城戸さんのところへ行く途中か?」

 

「はい、そうです。ミリアムの(ブラック)トリガーを預けに来たんですけど、一緒に行きます?」

 

「いや、これから私は例のキオンのトリガーの件で鬼怒田さんのところへ行かなければならないんだ」

 

「例の…というと、敵の持つトリガーに干渉して起動できなくする()()ですね?」

 

「そうだ」

 

忍田たちが話しているのは一定範囲内にある敵のノーマルトリガーが起動できない状態にするリヌスのカテーナというトリガーのことで、起動している状態であれば強制的に「トリガーオフ」にするという反則技的なものである。

ゼノンたちは情報を漏らさないのでボーダーは独自に調べるしかない。

もし他の国でもこれと同様のものが使用されているとなれば非常に厄介であるため、アフトクラトルへの遠征の前に対策を練りたいとして開発室に解析を急がせているのだ。

どういう手段で手に入れたのかは鬼怒田しか知らされておらず、今朝から技術者(エンジニア)が総出で作業を続けていた。

 

「空間操作の(ブラック)トリガーの方はどうなってます?」

 

「う~ん…あれは使えたら便利だが、扱いが少々面倒だからな…」

 

忍田の言う「扱いが面倒」という理由はふたつあった。

ひとつは適合者の問題である。

タキトゥスの(ブラック)トリガーは接収した後に玉狛支部の隊員全員が起動実験をしたのだが、誰ひとりとして起動できなかった。

全隊員を調べればひとりくらいは適合者が見つかりそうなものの、手に入れた事情が事情だけに公にはしたくないのだ。

アフトクラトルによる大侵攻のどさくさに紛れてキオンの諜報員が侵入。

隊員を拉致して(ブラック)トリガーを要求して来た…などと公になれば隊員たちに衝撃が走って遠征計画にも少なからず影響を与えることになるだろし、民間人に知られたら遠征どころではなくなる。

ガロプラが攻めて来たことも内密にしてあるほどである。

よって今はこの「秘密」を守らなければならない。

そこでミリアムの(ブラック)トリガーを公にすると決めた以上、タキトゥスの(ブラック)トリガーは絶対に秘密にしておくというのが城戸たちの総意である。

ふたつ目の理由は、ツグミがタキトゥスの(ブラック)トリガーはゼノンに返却すべきであると言い出したことだ。

任務に失敗した上にタキトゥスの(ブラック)トリガーまで奪われたとなれば極刑は免れず、そうとなればいくら祖国への忠誠心が高いゼノンでも逃亡してしまうのではないかと彼女は言う。

ツグミのシナリオではゼノンたちには帰国してもらってミリアムの(ブラック)トリガーを持つ彼女の覚悟を伝えてもらう必要がある。

前任者のように行方不明となれば、また同様の事件が起きる可能性があるとして、正確な情報を伝える役目をゼノンに担ってもらわなければならないのだから、タキトゥスの(ブラック)トリガーはゼノンに返却したいというのである。

彼女の言い分はもっともなのだが、せっかく手に入れた貴重な(ブラック)トリガーを返すのは惜しいという気持ちがあり、この件に関しては保留となっている。

 

「とにかくカテーナの解析を最優先でやってもらっている。場合によっては玉狛の技術者(エンジニア)にも協力要請するかもしれん」

 

「わかりました。帰ったら伝えておきますよ。では俺はツグミのところに戻ります」

 

迅はそう言ってツグミの待っている場所へと戻って行った。

 

(迅ならツグミを大切にしてくれるだろう。どこの馬の骨ともわからない奴に奪われるよりははるかにマシだ。どうせあの子は迅と一緒にいるだけで幸せだと思っている()()だからキスやハグで十分満足しているに決まっている。迅も迂闊に手を出したらどうなるか良くわかっているようだし、心配することはない)

 

迅の後ろ姿を見送る忍田はそう自分に言い聞かせた。

 

 

 

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