ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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139話

 

 

ツグミと唐沢は約束の時間の10分前に雪弥から指定された場所に到着した。

そこはごく普通の小料理店で、中堅ゼネコンの社長が使うような高級な店ではない。

 

(なんとなく忙しいビジネスマンが仕事の息抜きにちょっと寄りたくなるようなぬくもりが感じられる店構え。この店を選んだのはわたしたちのことを軽んじているんじゃなくて、わたしたちに気遣いをさせたくないってことで、あえてカジュアルな店を選んだってカンジがする。小笠原社長というのはそういう人なんだろうな…)

 

そんなことを考えながら暖簾をくぐると女将らしき品の良い中年女性に店の奥の個室に案内され、ツグミはごく自然に出入り口に近い最も下座の席の座布団の横に正座した。

その様子を見ていた唐沢は下笑んだ。

 

(ツグミくんは社交マナーを弁えているから、こういう場所に連れて来ても安心できる。近頃の若いコにしてはしつけが行き届いているが、これも忍田さんの…いや、忍田さんのおふくろさんの賜物かな?)

 

そしてツグミの隣の席で同じように座布団の横に正座して雪弥の到着を待った。

 

 

小笠原雪弥は約束の時間よりも5分ほど遅れ、ツグミたちのいる個室に息を切らせてやって来た。

頭はボサボサで、この店に来るのに全力で走って来たといった風体だ。

 

「いやー、申し訳ない。ちゃんと約束の時間に間に合うように余裕を持って家を出たんだけど、ここへ来る途中で大きな荷物を背負った老婦人を見付けてね、家まで送って行ったものだから少々遅刻をしてしまった」

 

申し訳ないと言いながらも悪びれる様子はなく、まるで男子高校生が担任教師に遅刻の言い訳をしているようだ。

それが笑って許したくなるような人懐っこい顔なものだから、ツグミは失笑してしまう。

 

「謝罪も遅刻の言い訳も不要ですから、先に髪を整えてください。頭ボサボサですよ」

 

「え? マジで?」

 

ツグミは微笑みながら自分のバッグから櫛と手鏡を取り出して雪弥に手渡した。

すると雪弥は急いで髪を梳かし、手鏡で確認する。

 

「よし、これで女子高生にも好印象を与えるイケメンになったな」

 

そんなひとり言を呟きながら手鏡に向かってポーズを決める雪弥の姿にツグミは笑いを堪えながら声をかけた。

 

「小芝居はもうけっこうです。そんなことをしなくても緊張はほぐれていますし、小笠原社長のことを警戒してませんから」

 

「え? バレた? …ハハハ、相手は女子高生だからね、こんなオジサンに会うっていうんだから萎縮してるんじゃないかって思ってたから。でもさすがに織羽さんの娘だ、肝が据わってる。僕の杞憂だったな」

 

雪弥は照れ隠しに頭をポリポリと掻くが、そのせいでまた髪が乱れてしまった。

ツグミが「あ~あ」という顔で見たものだから、雪弥は自分の失態に気付いて空笑いをするしかない。

そして上座の座布団の上に腰を下ろし、さりげなく唐沢に視線を向けた。

するとそれを合図のようにして、唐沢が雪弥にツグミを紹介する。

 

「この度はお忙しいところお時間を作っていただきありがとうございます。こちらがボーダー玉狛支部所属防衛隊員の霧科ツグミ。霧科文蔵氏の孫で、織羽氏のお嬢さんです」

 

続いてツグミに雪弥を紹介した。

 

「ツグミくん、こちらが愛信建設の代表取締役社長の小笠原雪弥氏。きみのお父さんの友人だ」

 

お互いに相手の名前と簡単なプロフィールを知っているのだからこんな紹介の仕方は滑稽だが、節度を保つことも重要である。

ツグミもそれは弁えているので、雪弥を初対面の目上の男性としてきちんと挨拶した。

 

「初めてお目にかかります。霧科ツグミと申します」

 

姿勢を正した正座の状態から手を前について会釈をする。

その様子を見つめる雪弥が「なるほど」といった顔になり、ツグミに気付かれないようにしてニヤリと笑った。

そして元の姿勢に戻った彼女に雪弥が自己紹介をする。

 

「僕は小笠原雪弥。きみの親父さんの舎弟だった男だ。僕は堅苦しいことは嫌いだからね、楽にしていいよ。さあ、座布団を使いなさい」

 

雪弥から座布団を勧められたツグミは美しい所作で座布団の上で正座し、唐沢は彼女のマネをして座り直した。

その様子を満足そうな表情で見ていた雪弥が言う。

 

「今日は資金援助の話は一切ナシだ。もちろんきみたちがガッカリするようなことにはならないから安心していい」

 

雪弥の意表を突いた登場の仕方はツグミの反応を試すためにわざとやったと思われ、ツグミも機転を利かせて雪弥に合わせた。

そういう賢くてユーモアを持つ人間が好きな雪弥のハートをツグミは初っ端からしっかりと掴んだことになるのだ。

スポンサーになるといっても愛信建設という法人としては役員会議にかける必要があるが、雪弥個人としてなら本人の胸三寸。

ひとまず雪弥個人の支援は得られることが決まっているということ。

まあ、彼の()()()からの援助であるから金額は大したものではないが、彼の性格からくる幅広い人脈はそれ以上の価値がある。

そういう意味で彼は「ガッカリするようなことにはならない」と言っているのだ。

 

「ここはいわゆる料亭のような堅苦しい店じゃない。ごく普通の小料理店だ。メニューはあるけど希望があれば何でも言ってくれていい。大概のものは作れる腕の良い板前がいるからね」

 

雪弥がそう言って「お品書き」をツグミに手渡すが、彼女はそれを受け取るだけで開こうとはしない。

そして言う。

 

「よろしければ小笠原社長のお勧めの料理をお願いできますか?」

 

「どうしてだい?」

 

「小笠原社長はこの店の常連のようですから、何もわからないわたしが自分の好みで注文するよりもはるかに美味しいものが食べられると思います。もっともわたしは未成年でお酒が飲めませんから、いわゆる酒の肴は口に合わないかも知れません。でも好き嫌いなく何でも食べられますから、大概のものは大丈夫です」

 

「なるほどね。じゃ、僕が適当に選ばせてもらうよ。僕は冷酒を頼むけど、きみは飲み物を何にする?」

 

「わたしは日本茶をお願いします」

 

「唐沢部長はノンアルビールでいいかな?」

 

「いえ、私はウーロン茶で。ノンアルであっても空酔いするとマズイですから。なにしろ大事なお嬢さんをお預かりしている身です、万が一のことがあったら私はボーダーをクビになるどころの問題ではありません」

 

唐沢は食事の後2時間以上も車を運転して三門市まで帰らなければならない。

最近のノンアルコール飲料は味や香りが本物のアルコール飲料と変わらないクオリティの高いものが多く、飲んだ時に「本物のアルコール飲料を飲んだ」と脳が錯覚してしまい、酔った時と同じ感覚になる現象が起きてしまうことがある。

それが「空酔い」である。

その状態で事故を起こせば唐沢だけの問題では済まないことは誰の目にも明らかだ。

 

「それはそうだ。じゃあ…」

 

雪弥はそう言うと仲居を呼んで「お品書き」のページを開いて指をさしながらテキパキと注文をする。

 

(この人…わたしのことを試しているわね、きっと。九住市にある彼の会社は三門市や近界民(ネイバー)に縁がない。つまりボーダーに資金援助したところでメリットはないってこと。それなのに唐沢部長からの連絡にひとつ返事で面会を承諾したってことは『織羽の娘』に対しての『投資』みたいなもの。『ガッカリするようなことにはならない』と言ってるのは、彼個人としては既に『投資』を決めているということ。この後のわたしの様子を見て()()()を決めようってところじゃないかしら? だったらその()()の満額引き出してみせるわ。ここで成功すれば愛信建設としてもスポンサーになってもらえる可能性が高くなるもの)

 

一企業の代表取締役社長という立場の人間が「友人の娘」といっても初対面のツグミに無条件で「投資」するはずがなく、彼女にそれだけの「価値」があれば投資する意味が出てくるというもの。

よってあからさまな()()()ではなく、普段の思考や立ち居振る舞いを見て「価値」を見出そうとしているのではないかとツグミは推測したのだ。

実際、雪弥は「織羽の娘」という先入観で彼女のことを見ていたが、ここまでの彼女の様子で自分の判断を改める必要ができたと感じていた。

彼女は「織羽の娘」ではなく「霧科ツグミ」というひとりの人間として接してこそ、その本質がわかるのだと考えて彼女を「()()な取引先の相手」のように扱おうとしている。

そんなことを考えているツグミと雪弥だから、このふたりの間には和やかな空気の中に独特な緊張感が漂っていた。

一方、唐沢はこのふたりの「対決」を心配するどころか心底から楽しんでいる。

 

(小笠原社長は若いながらも海千山千の老人たちと渡り合えるだけの才能と力量を持っている人物だ。人を見る目も確かで、義理人情に厚いがビジネスに関しては非常にクールな面がある。そんな彼にツグミくんという良い意味で()()()キャラクターを正面からぶつけてみるのだから面白いことになるのはわかりきっている。重要なのはどんな遣り取りを見せてくれるかと、どれだけの支援が受けられるかだ。まあ、ここはツグミくんに任せ、おれは観客として楽しませてもらおう)

 

 

雪弥が注文した料理は会席料理のコースに則ったもので、先付は菜の花とホタルイカの酢味噌和え、椀物は蛤の道明寺蒸し、お造りは甘海老・真鯛・シマアジの盛り合わせと続いた。

そこで状況が大きく動く。

初めのうちはツグミがボーダーでどのような仕事をしているのかとか、学業との両立はどうかといった当たり障りのない話題で会話をしていたのだが、お造りに添えられている桃の花を見て雪弥がひとり言のように呟いた言葉がきっかけで様子が一変したのだった。

 

「桃の花といえば…『春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ少女』…」

 

するとツグミが答えを返した。

 

「万葉集、大伴家持ですね。わたしの大好きな歌です」

 

雪弥は特にツグミに話題を振ったわけではなかったのだが、打てば響くといった様子の反応の良さが雪弥の琴線に触れたようで、本気で会食を楽しもうという気になってきたのだ。

 

「そうか、 僕もこの歌が大好きなんだ。僕は万葉集が好きなんだけど、きみも好きなのかい?」

 

「はい。古今和歌集や新古今和歌集も良いですけど、三大歌集の中で万葉集が一番好きです。素朴で力強く、自然を詠んだ写実的なものが多いので、頭の中でその光景が鮮やかに浮かび上がってくるカンジが好きなんです」

 

「そうそう。詠み人も天皇、貴族から下級官人、防人、それに農民といった名もなき庶民もいるという幅広い層なのがいいね。僕も貴族の優美で技巧的な歌よりも庶民のおおらかな歌風が好きだ。だから古今和歌集や新古今和歌集は好みじゃない」

 

「その気持ち、わかる気がします。正岡子規の『歌よみに与ふる書』を読んで、『まさにそのとおり!』って思いました」

 

意外な部分でお互いの共通項を見付けたふたりは初対面であるとか26歳の年の差などまったく感じさせず、しばし万葉集談義で盛り上がった。

そんなツグミと雪弥の会話に入ることのできない唐沢は一歩退いた位置でふたりを観察している。

 

(やっぱりツグミくんだ…。この年齢で相手の心を掴む術を身につけている。礼儀も弁えていて年長者に好印象を与えるのが無自覚のうちにできるってところがすごい。おまけに博識で、会話を盛り上げることが得意。相手の趣味や嗜好を前もって調べておいて話を合わせることはおれたちも時々やるが、彼女の場合はたくさんの引き出しを持っていて、常にその中に様々な知識や自分なりの考えを整理して管理しているから、今回のように突然のことであっても上手く対応できる。おまけに上っ面だけでなく本物の知識だからメッキが剥げるようなこともない。難しい相手であっても安心して会わせられるし、想定外のことが起きても最適な行動ができるからおれがフォローする必要もない。先方は年長の男性が多いから彼女のような若い女の子を連れて行くだけでその場が華やかになって空気が和らぐ。彼女自身も度胸があるから物怖じすることもなく、そういった点でも先方から好印象を受けられるんだよな)

 

 

続いて運ばれて来た焼き物は鰆の田楽焼きで、揚げ物は桜海老と白魚のかき揚げ、蒸し物はワラビとさつま揚げの炒め煮と続き、その間もツグミと雪弥の会話は弾んでいた。

話題は料理の食材に関してのものが多いが、鰆についての会話はツグミでなければできないような内容であった。

 

「鰆とは魚へんに春と書いてサワラと読む。俳諧では春の季語だけど、脂が乗った冬場が美味いと僕は思う」

 

雪弥がそう言うと、ツグミが返す。

 

「そうですね。冬季の鰆は産卵期前ですから身が締まって脂が乗り、上品で淡白ながら奥深い味わいで…。この鰆もいわゆる『寒鰆』で、こういうお店でなければ食べられないです」

 

一般に鰆は3~5月が旬とされているが、回遊魚であるために旬は地方によって違う。

関西では春に瀬戸内海に産卵のために集まるので、関西での旬は春である。

しかし12~2月が漁期となる「寒鰆」は関東地方で好まれ、漁獲高が少ないから高級魚として取引されている。

 

「鰆といえば岡山が有名だよな。以前に仕事で岡山に行った時に先方が刺身をご馳走してくれたことがあった。あれはあれで美味かったな」

 

するとツグミは即座に雪弥の期待以上の反応をした。

 

「『鰆の値段は岡山で決まる』とまで言われるほどの一大消費地ですからね。ですが瀬戸内海に面した岡山県ですけど意外に水揚げ量は低いそうです。近年では瀬戸内海よりも日本海に面した土地の方が漁は盛んらしく、福井県や石川県などが多いということです。これにはちょっと驚きますね。でも昔から鰆と言えば岡山ですから、岡山には全国から新鮮なものが運ばれて来て、新鮮だからこそお刺身で美味しく食べられるのでしょうね」

 

これだけの会話でもツグミが博識であることを証明している。

鰆が回遊魚であるとか産卵期が春であるとか、また冬期に揚がった鰆が「寒鰆」と呼ばれて好まれているとか、岡山県で多く消費されているものの漁獲量は多くないなど、様々な知識があるからこそ口からポンポン飛び出してくるわけだ。

そして重要なのが、彼女が「この人にはこういう話をしても良いかどうか」を判断しているということ。

彼女は数少ない情報から相手の知的水準や嗜好の方向性などを推測し、相手にあったレベルの話をしている。

これは一人前の人間として見てもらいたいという自分の気持ちを雪弥なら理解してもらえると判断し、()()()()()()()()()()知識を誇示したもの。

例えば同じ内容の話を太刀川にしたところで彼には「???」だろう。

そもそも彼が「鰆」を「サワラ」と読めるはずもなく、「食って美味ければそれだけでいーだろ」と言って会話にもならずに終わるに決まっているのだ。

そういった点でツグミは優れている。

その証拠に雪弥の表情は満足げで、心の底からこの会食を楽しんでいるようだ。

 

そして和やかな雰囲気で進んでいた会食だったが、最後の最後で雪弥はこの会食の良い流れを大きく変えるきっかけを作ることになってしまうのだった。

 

 

 

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