ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
「
ツグミが千佳を試すように訊いた。
すると千佳は当然のように答える。
「もちろんです。ツグミさんには入隊した時からいつもお世話になっていて、信頼できるボーダーの先輩として尊敬しています」
「それならわたしが厳しいことを言ってもかまわない?」
「はい」
そう言って頷いた千佳にツグミはいきなり暴言とも思える言葉を吐いた。
「チカちゃんの嘘つき」
「え?」
「聞こえなかったの? だったらもう一度言うから良く聞いて。…チカちゃんの嘘つき」
「ツグミ!」
「ツグミちゃん、なんてこと言うのよ!」
レイジと栞が同時に声を上げ、ツグミを諌める態度で彼女を睨みつける。
千佳はと言うと想像をしていなかったツグミの態度の豹変にショックを受けているようで声も出ない。
するとツグミは千佳を煽るように続けた。
「わたしがチカちゃんのことを嘘つきと言ったのは、文字どおりあなたがわたしに嘘をつくからよ」
「わたしは嘘なんて言ってません!」
当然のように千佳は否定するが、ツグミはさらに続ける。
「じゃあ嘘じゃないと言うなら騙していたってこと? あなたはさっき『撃とうと思えば撃てるかもしれない』って言ったけど、前には『撃てない』ってハッキリ言ったじゃないの。それって撃てるけど撃ちたくないから撃たなかった…ってことになる。つまりできるのにできないフリをしていたんだから、これは嘘をついている、もしくは騙していたと言っていいわよね? 信頼していると言う人間に対して嘘をついて騙していたのよ、あなたは。そうか、わたしのことを信頼しているというのも嘘なんだから、嘘の嘘は本当、とでも言うのかしら?」
「……」
反論できない千佳に代わって栞が叫んだ。
「そんな言い方はよしなさい、ツグミちゃん! いつものあなたらしくないわよ! 千佳ちゃんの話を聞いていたでしょ? 子供の時に青葉ちゃん以外の誰も彼女のことを信じてくれず、周りの人に相手にしてもらえないっていうキツイ過去があるのよ。それに
「シオリさんが怒るのも無理はありませんね。あなたはチカちゃんを甘やかし放題ですから。でもあなたも言ったように誰だって他人からおまえのせいだと思われるのは怖いです。他人から嫌われたくないからみんなに同調する。嫌なことでも他人に要求されればそれに応えなければならない。そういうのって誰だって多かれ少なかれあります。もちろんわたしにもあります」
「それならチカちゃんの気持ちは理解できるでしょ?」
「理解はできますが、彼女の生き方を肯定することはできません」
「どうして?」
「だって自分のことしか考えていないから。本人も『自分のことばかり考えている』って告白したんだから間違いはありません。どんな人間も第一に優先すべきは自分ですから自分最優先で物事を進めても仕方がありません。でもだからといって周囲の人間のことを顧みないのはいかがなものでしょうか?」
「そんなことはないわよ。周りの人のことも考えているから、今までアタシたちにも心配かけまいとして何も言えなかったんだもの」
「それは違います。周囲の人間が自分のことをどう見ているか気にしすぎているから、何も言えなかったんですよ。『こんなことを言ったら嫌われるかも?』とか勝手に心配して。だから友人がさらわれても、自分のせいだって言葉では言いながら、実は自分が他人から責められることばかり気にしていたんですから、チカちゃんはサイテーです」
「それって青葉ちゃんが
「ええ、それはチカちゃんのせいではありません。だって青葉ちゃんがさらわれたのはチカちゃんのことを信じていたからではなく、単にトリオン能力が高かったからですよ」
「…どういうこと?」
「捕獲用トリオン兵が
ツグミの言い分はもっともである。
トリオン兵がトリオンのない人間を捕獲して連れ去ることはない。
生け捕りにするほどでない場合はトリオン器官だけを抜くということもあるが、さらうとなれば相当なトリオン能力者であるはずなのだ。
そもそもその場に一緒にいたというのなら千佳の
彼女にトリオン能力がなければ、トリオン兵は千佳をさらう機会を伺って彼女を待ち構えているはずで、青葉をさらいに行くとは考えられない。
ならば千佳の友人であるとかないとかは無関係で、友人がさらわれたことを自分のせいだと言うのは加害妄想である。
そしてツグミは続けた。
「わたしがチカちゃんのことを『自分のことしか考えていない』と言ったのは、自分可愛さのせいで周囲の人間が自分の本意ではないことをさせられていても平気だからです。平気…と言うよりも気付かないくらい鈍感だと言い換えた方が良いかもしれませんね」
ツグミの言い方がトゲトゲしいものだから、つい栞も言い方がカドのあるものになる。
「そんな遠回しな言い方しないでハッキリと言いなさいよ!」
「じゃあ言います。オサムくんがボーダーに入隊することになった原因はチカちゃんとお兄さんの麟児さんにあります。このふたりがいなければ、トリオンの少ないオサムくんがボーダーに入ることはなかったはずです。チカちゃんが
「……」
「それに麟児さんこそがチカちゃんを守ることに力を注ぐべきでした。彼が
「呪い?」
千佳がやっと口を開いた。
ツグミが自分のことだけでなく兄・麟児のことまで悪く言い出したものだから黙っていられなかったのだ。
「そう、呪い。これまでの話を総合すると、麟児さんは鳩原さんを唆して
「……」
「それでもオサムくんは自分が正しいと思うことをやっているだけだと言うでしょう。それに彼がボーダーに入ったおかげでユーマくんが入隊したのだから結果的に『呪い』は良い効果を出しているわけですけど。オサムくんにとってボーダーと関わることになったのが幸か不幸なのかわかりませんが、少なくとも彼が自分で自分の人生を選んだというよりも選ばされた感が大きいのは事実です」
「……」
「チカちゃんはそのことを考えたことがありますか? きっとあなたは自分が
「……」
「『
「……」
「それにチカちゃんがその膨大な量のトリオンで人を撃ったらずるいとか怖いとか思われるかもしれない、恨まれるかもしれないから撃ちたくないって…わたしには理解できない。だってチカちゃんは入隊式の時にアイビスで壁に穴を開けたことがあったでしょ? その時に誰かがあなたのことを責めた? 怖いと怯えた人がいた? 自分よりもトリオン能力が高いからって『ずるい』と言った人がいたかしら? 鬼怒田さんなんてその能力を褒めていたくらいでしょ? 何で自分の優れた才能に罪悪感を覚えるのかわたしにはまったくわかりません」
するとそれまでずっと黙っていたレイジが口を挟んだ。
「しかし中には他人の行動に対して何でもかんでもケチをつける奴はいる」
「ええ、わかっています。でもそんな卑しい人間に陰口叩かれることを恐れていて、自分のことを信じて大切にしてくれる仲間を騙すのっておかしくないですか? 悪いことをしているんじゃないんですからもっと堂々としていればいい。人目を気にしてコソコソしているから、余計にああいった連中は図に乗るんです。レイジさんなら『ルサンチマン』という言葉を聞いたことがあると思います。『弱者の強者に対する憎悪を満たそうとする復讐心が内攻的に鬱積した心理』のことです。言い換えれば弱者が強者に恨みや妬みを抱き『恵まれているアイツは自分のことばかり考えている嫌な奴だから悪人だ。それに引き換え私は恵まれない境遇の中で一生懸命頑張ってる善人なのだ』とか言ってフラストレーションを解消するしか能がない連中の哀れな心理…というところでしょうか。だいたいそんなことを考えるのは何の努力もしないで他人を羨むだけの下衆な人間たちで、そんな連中は自分が善であるためには敵を想定して、その対象者が悪でなくてはなりません。なぜならその敵こそが悪の元凶であって、その対比として自分が善になるからです。要するにチカちゃんという『トリオンに恵まれている人間』を悪にすれば、『トリオンがなくても頑張っている自分』を善にできるということ。だから陰口を叩く。ああいった輩にはそれくらいしかできませんからね。『悪口は意地の悪い人の慰めである』という言葉もあるくらい。まあ、そういう連中に限って『頑張っている』と言いながら、実際な何も『頑張っていない』んですけど」
「……」
「わたしだって本部時代にいろいろと言われました。わたしが弧月メインで戦っていたランク戦を見た隊員たちの中に『あいつが強いのは師匠が忍田本部長だからだ。俺たちだって本部長が師匠だったらあれくらいできるようになる』なんて言う連中がいました。でもそうやってコソコソと陰口を叩くだけで、わたしには直接言わない。本部長が師匠だったら、って言うなら弟子入りすればいい。それなのにそれもしないで仮定のことを言う。そもそも忍田本部長の弟子がわたしと太刀川さんしかいないのは、その稽古の厳しさに音を上げてみんな逃げてしまったから。あの血反吐を吐くような地獄の稽古に耐えることができたからこそ周囲から一目置かれるような弧月使いになれたわけです。自分の弱さを素直に認められず強者の存在を否定したがる奴、それこそが
「……」
さすがのレイジも反論できずにいる。
彼自身も初めは甘やかさずに厳しく指導するつもりでいたのだが、栞に千佳の事情を聞いてしまったものだから甘やかす
そこを突っ込まれては何も言えるはずがない。
そしてツグミは再び千佳に問う。
「さっきチカちゃんは『青葉ちゃんがさらわれたのが自分のせいだって思われるようになるのが怖かった』って言ったけど、実際に誰かがあなたのことを責めたのかしら? 違うでしょ? 被害妄想に駆られて周囲の人間が自分を責めているんだって思い込んでいただけでしょ? もし現実にあったことなら『青葉ちゃんがさらわれたのが自分のせいだって責められたことが辛かった。みんなに責任を取れって詰め寄られて怖い思いをした』って言うはずだもの」
「……」
「それから『オサムくんたちにダメな奴だと思われたくないから一生懸命やるけど、自分は他の人より弱いんだから許してください』…ですって? オサムくんたちにダメなやつだと思われたくないから彼らを騙すって…そのことを彼らが知ったらどう思うかしら? オサムくんはトリオンが少なくて
「……」
ツグミはゆっくりと千佳、レイジ、栞を見回して言う。
「努力もしないで他人の才能を妬むような下衆な連中のことで悩むなんてバカバカしいことです。才能を持っている人のことを羨ましいと思う気持ちは誰にでもあります。たとえばクラスメイトにすごく足の速い人がいたとして、その人のことを羨ましいと思ってもずるいって思いますか? 中には妬んだりする卑しい根性の奴もいるかもしれませんが、多くの人間はそのヒーローを羨望の眼差しで見つめ賞賛するでしょう。わたしなら足の速いクラスメイトがいたら大歓迎ですね。運動会の時には力強い味方になるんですから。そしてわたしもその人みたいになりたいと思って走る練習をします。ボーダーもそれに似ています。チカちゃんのようにトリオンが多ければ戦闘が楽になるし、ランク戦でも活躍して目立つ存在になります。そんなチカちゃんの姿を見て自分もあんなふうに戦いたいと思う人が出るでしょう。でも人が大勢いれば嫉妬する人も出て来るのも仕方がない。そんなのはどこの世界にもいるんですから、それを完全に排除することは不可能。だったら陰口叩くような矮小な連中には勝手に言いたいことを言わせておけばいい。そういう輩はあなたが胸を張って堂々としている姿を見ることでますます自分の弱さや醜さを意識せざるをえなくなる。あなたを悪に仕立てて、相対的に自分を善にしたい連中だから、あなたが堂々と『善』であり続ければいいだけのことなんです」
「……」
「それにボーダー隊員の中で二宮さんや太刀川さん、東さんのような優れた人たちの姿を見て『ずるい』って言う人がいると思いますか? 彼らは生まれつきの才能もあるでしょうが、努力と工夫によって力を伸ばしてきた人たちです。彼らの姿を見ていれば誰でも『自分もあんなふうになりたい』って思うようになります。そして彼らに弟子入りして技術を学んだり、ランク戦で対戦することで自分に足りないものを感じ取ったりして、自分自身を高めようと努力します。ランク戦というシステムは実戦に向けての予行練習的な面もありますが、仲間同士で模擬戦をすることで互いに切磋琢磨して個人の技術を磨き合うためのものでもあるんです。…ねえチカちゃん、次に戦う二宮隊は元A級
「……」
「大規模侵攻の後、記者会見の場でオサムくんは大勢の大人に罵倒されていましたが、彼は堂々としていました。自分の行動を正しいと信じ、生じた結果は自分が背負うと言い放ち、さらにそれが口先だけでなく実行するために自分にできることを精一杯やっている。そんな彼のことをわたしは応援したいと思っています。誰かのように自分に言い訳をして自分の限界を決めて周囲の人間に許しを請うようなずるいことをしない、彼の前向きな姿勢に共感できるから」
「……」
「そもそもチカちゃん、レイジさん、シオリさん、あなた方の中に実際に誰かがチカちゃんのことで陰口を叩いていたのを聞いたことがある人はいるんですか? 少なくとも玉狛や
「……」
「入隊動機はどうであれ、ボーダー隊員として戦うと決めた以上は仲間との信頼関係は必須です。疑う気持ちがあれば実戦において気持ちに不安が生じたり、一瞬の判断にミスが発生する原因ともなりかねません。自分が危険な目に遭っても仲間が必ず助けてくれるという気持ちがあれば安心して戦えますが、チカちゃんのようにいざという時に援護射撃をしてくれるのかしてくれないのかわからない隊員であったらどうでしょう? わたしならチカちゃんの援護は期待しないという条件で戦います。『きっと撃ってくれるだろう』と期待していて撃ってもらえなかったら死ぬかもしれないんですから。いくら
「……」
ツグミは千佳の目を見つめて言う。
「チカちゃん、少し想像してみてください。大規模侵攻のような実戦となった時、換装の解けた状態の修くんが人型
「わたしは…」
千佳は口ごもった。
修が死んでしまうような状況に追い詰められれば間違いなく撃つだろう。
もちろん修を死なせたくないからである。
しかし同時に「あなたが撃たなかったから修が死んだ」と周囲の人間に責められるのが怖いという気持ちがあるのは否定できない。
でも「撃つ」と答えれば「これまで撃てないフリをしていて周囲を騙していた」と言われ、「撃たない」と答えれば「仲間を見殺しにするのか?」と責められる。
そして「撃ちたくない」と答えたなら「撃てるのになぜこの状況であっても撃たないのか?」とやはり責められることになると考えて怯えている。
だから答えに窮するのだ。
この場に及んでもまだツグミに責められることに怯えて、千佳はたったひと言「撃つ」と言うだけなのにできないでいた。
このように迷っていては実戦において助けられる命も助からないだろう。
「さっきレイジさんは『お前が撃たなかったことが原因で、修や遊真がお前を責めるとは思えない』と言いましたが、たしかにそのとおりです。ですがもし実戦においてチカちゃんが撃たなかったことでオサムくんやユーマくんが死ぬようなことになったら、それこそ彼らがチカちゃんを責めることはありません。だって死んじゃっているんですもの、何も言えませんよね」
「……」
それは千佳も承知している。
しかし千佳が敵を仕留めることができれば何ら問題はない。
だから彼らを死なせないためには「人を撃ったことで責められるのが怖い」という考えを捨て、撃つべき時には必ず撃たねばならないのだ。
そして確実に敵を仕留めるために普段から人を撃つことに慣れ、狙撃技術を高める必要がある。
「以前にヒュースと話をした時に彼は『千佳は追い詰めれば撃つ』と言っていました。わたしもそう思います。だからわたしは今ここでチカちゃんを追い詰めることにしました。物理的なものではありませんが、精神的に追い詰めることで『撃たなかったら起きるかも知れない恐ろしい現実』を想像させ、撃たなければ大事なものを失う。失ったものは二度と戻らないという恐怖を植え付けているんです。追い詰められなければ撃てないと言うなら、追い詰めて撃たせるしかありません」
「……」
「誰だって他人に嫌われたくない、褒められたい、印象を良くしたいと思うものです。だから嫌なことでも我慢したり無理をしたり、本当の自分とは違う自分を演じてみたり…。そうやって周囲との摩擦をなくして物事を穏便に済ませようとします。チカちゃんの場合も同じ部分はありますが、他人に合わせようというよりも他人に関わらず、
そう言ってツグミは自らのことを語り始めた。
通常の2話分にあたる長い文章になりましたが、一気に読んでいただきたく1話にまとめました。
屋上での会話は144話に続きます。