ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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145話

 

 

千佳はツグミの部屋の前で深呼吸をひとつした。

 

(わたしは口下手だから気持ちが上手く伝わらないかもしれない。でもこのままでいたら、ツグミさんとの距離がますます開いてしまう気がする。今ならまだ間に合うはず。あの人が厳しいことを言ったのはわたしにためなんだもの、きっとわかってもらえる!)

 

覚悟を決めてドアをノックしようとして右手を挙げた次の瞬間…

 

「千佳」

 

「ひっ!」

 

突然、千佳は自分の名を呼ばれたものだから縮み上がってしまった。

そして声の主が修だとわかり、胸をなで下ろす。

 

「修くん…。ああ、ビックリした」

 

「驚かせて悪かった。でも、そこで何をしてるんだ?」

 

「ツグミさんに用事があるの」

 

「霧科先輩なら部屋にはいないぞ。ついさっき出て行ったから」

 

「出て行ったって、どこに行ったのかわかる?」

 

「いや、それは言ってなかったからわからないけど、いつも使ってるデイバッグを背負っていた。それよりも先輩が千佳たちとケンカをしたからしばらく頭を冷やしてくるって言ってたけど、何があったんだ? 散歩にしては少し変だと思ったんだけど」

 

「うん、ちょっと…。ねえ、今から追いかければ間に合うかな?」

 

「たぶん無理だな。クロスバイクの鍵を持ってたから」

 

「……」

 

しゅんとしてしまう千佳に修が言う。

 

「ひとまず事情を聞かせてくれないか? ケンカをしたって言っても、あの霧科先輩が理由もなくケンカをするなんてことありえないから」

 

「うん…。上手く説明できるかわからないけど、ちゃんと話す。とっても大事なことだから」

 

千佳はそう言うと修と一緒に彼の部屋に行き、屋上での出来事について話を始めた。

要点が掴みにくい部分もあったが、必死になってわかってもらおうとする彼女の気持ちは修に伝わっていた。

修にとっても大いに関係ある内容であったことで、話が終わった時にはふたりとも真剣な表情で顔を見合わせて黙り込んでしまい、しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは修だった。

 

「霧科先輩ってぼくたちが玉狛支部に来てからずっと親身になってくれていたよな…。本当の姉のように優しく、時には厳しくて、先輩にとってぼくたちは紛れもなく()()だったんだ。千佳が人を撃てないという問題を解決しようといろいろ悩んでくれていたのに、ぼくたち当事者が鉛弾(レッドバレット)狙撃ができるからもう大丈夫ということにして、根本的な部分をスルーしていた。…いや、自分たちで解決できないから理由をつけて誤魔化していただけなんだ。以前に近界(ネイバーフッド)遠征に行くなら人を撃てるようにならなければいけないと言われていた。その遠征へのキップが手の届きそうな場所にあって、ランク戦に勝つことしか考えていなくて、その先のことは考えられなくなっていた」

 

「うん。わたしも鉛弾(レッドバレット)があればもういいって、普通に撃てるようになる努力をしなかった。撃てるようになれば修くんたちが楽になるってわかっていても、撃ったことで責められるのが怖くて、栞さんたちも無理をしなくていいって言うからそれに甘えていたの。それに合同訓練で本部に行ったけど、昨日の試合でわたしが炸裂弾(メテオラ)を撃って奥寺先輩を吹っ飛ばしてしまったのに誰もそのことでわたしを責めなかった。もしかしたらわたしの知らない場所で誰かがコソコソ陰口を言っていたのかもしれないけど、ツグミさんの言うようにそんなことは気にしなければいいんだって思った。わたしのことを悪く言う知らない誰かのことを怖がるよりも、わたしのことを仲間として受け入れてくれている人たちを信じて大切にしなきゃダメだよね」

 

修も千佳も自分たちのこと ── 玉狛第2が部隊(チーム)としてひとりも欠けずに次の近界(ネイバーフッド)遠征に参加する ── しか考えておらず、周囲の人間が自分たちのことをどのように気にかけていたのかまで考えるに至らなかったことを反省した。

なにしろ遊真と千佳とヒュースは遠征参加が確定しており、修は自分だけが取り残されないためには玉狛第2として参加するしか道はなく、よって上位2位までに入らなければならないという制約があって必死になっていたものだから、それ以外のことに頭が回らなかったのも仕方がない。

 

「霧科先輩は麟児さんに『呪い』をかけられたせいでぼくがボーダーに入隊することになったって言ったようだけど、たしかに千佳のことがなければぼくはボーダーに入らなかっただろう。でもぼくはボーダー隊員になって良かったって思ってる。そのおかげで空閑に会えたし、空閑だけじゃなくて他にも大勢の人たちに出会えた。こんなぼくでも仲間に入れてくれて、一緒に戦おうと言ってくれる。ぼくはそれがすごく嬉しいんだ。もしボーダーに入っていなかったらぼくはごく普通の中学生で、ボーダー隊員が命懸けで近界民(ネイバー)と戦っていても他人事として傍観しているだけだった。でもぼくにもできることがあって、少しだけだけどみんなの役に立っていると思うと大げさだけど生きている、って気持ちになれる。だからぼくは道を間違えたなんて考えたことはなく、むしろ麟児さんに導いてもらったって思ってる。だから千佳は自分のせいでぼくがボーダーに入ったなんて後ろめたい気持ちになることはないからな」

 

それは修の偽りのない本心であるから、千佳は笑顔で頷くことができた。

 

「うん、わかった。…だけど、ツグミさん、どこに行ったんだろ? こんな夜遅くにひとりで出かけたら危険だと思うけど…」

 

「トリガーも持って行ったから大丈夫だよ。換装するくらいのトリオンは回復したってことだから、何かあったら緊急脱出(ベイルアウト)して玉狛支部(ここ)に戻って来るって言って笑ってたから。でも本当にどこへ行くつもりだろ?」

 

 

◆◆◆

 

 

その頃、ツグミはクロスバイクを走らせていた。

目的地は忍田家、つまり彼女の実家である。

彼女にとって他に行く先はなく、少なくとも突然押しかけたからといって追い出される心配はない。

 

(それにこの時間ならまだ真史叔父さんは帰宅していないはず。おばあちゃんも入院しているから、あの家は今誰もいないってこと。わたしがいたら真史叔父さんは驚くだろうけど、まあ事情を話せば2-3日は泊めてくれるわね。その間に新居を探さなきゃ。引っ越しの予定を繰り上げることになったけど、本部への異動も早めてもらった方がいいかもしれない。あんなことがあった後だもの、もう玉狛支部(あそこ)で暮らすことは無理。以前のわたしだったら絶対にできなかったことだけど、今のわたしにはあれが正しいことだったと確信しているし、こうなることを承知でやった。だから後悔していないし、チカちゃんが『ボーダーで戦うための覚悟』に目覚めてくれたならそれでいい)

 

ツグミは玉狛支部の仲間との不和を生じた責任を「玉狛支部との決別」という形で取ろうとしていた。

彼女がよかろうと思ってやったことであるし、千佳や修、栞やレイジが彼女を追い出そうとすることはないだろうが、これが彼女としての()()()のつもりである。

何事もなくてもいずれは本部へ異動になり、転居もすることになっていたわけだが、この()()で「これまでの関係」を続けることができなくなった以上即刻出て行くしかないと考えているのだ。

彼女にとってもっとも大切にし、失うことを極度に恐れていた「家族」と「家」を自ら手放す。

それだけの覚悟で臨んだことだったのだ。

 

ペダルを力強くこぎながら考えるツグミ。

 

(そうだ…わたしが玉狛支部(あそこ)を出て行くとしても、ゼノン隊長たちに不都合なことがあってはならない。わたしの勝手でしたことなんだから。明日の朝ごはんはまだみんなが寝ているうちに作ってしまえばいい。そしてみんなのいない昼間にもう一度行って昼と夜の分のおかずを作る。しばらくはそれを毎日繰り返そう。…でも本部に異動した後はどうしよう? それは林藤支部長に相談するしかない、か…)

 

今の彼女にとっての悩みは自分のことではなくゼノンたちの待遇のことである。

自分がいなくなったことで彼らに不都合なことがあれば、せっかく今まで築いた信頼関係が壊れてしまうのではないかと心配していた。

ツグミの「計画」ではゼノンたちの協力が不可欠で、彼らが積極的に協力してくれるかどうかで結果が大きく変わるものだから、そのためにツグミは必死なのである。

そには自分の口からきちんと説明をしなければいけないとも思っている。

 

 

ツグミは忍田家の前に着いた。

やはり忍田はまだ帰っておらず、家の中は真っ暗である。

彼女は合鍵で玄関ドアを開けて中へ入り、ひんやりとした空気の漂う廊下を歩く。

そして真っ先にしたことは冷蔵庫の中の確認であった。

 

「やっぱり…。真史叔父さんったら、またしばらく家に帰って来ていないみたい。忙しいのはわかるけど、ちゃんと家で自分の布団で寝てほしいものだわ」

 

冷蔵庫の中には食材と言えるものはほとんどなく、あるのは賞味期限ギリギリの卵が4個。

他には食パン半斤、まだ半分も飲んでいない1リットルパックの牛乳が1本、野菜庫の中に干からびて見る影もない「かつてキャベツであった物体」と、350ミリリットルの缶ビールが2本。

忍田がどのような食生活を送っていたのかわかる証拠が残されていた。

幸い米びつにはいくらかの米が残っていたので、明日の朝食は用意できそうだ。

 

「叔父さんが帰って来たら、明日の朝はだし巻き玉子で決まり。とりあえず今のうちにだし汁だけは取っておこう」

 

だし巻き玉子のだし汁は既製品を使わずに鰹節と昆布からきちんと取っているというこだわりを持っているツグミ。

よって以前に沢村に作り方を教えた時にも、市販の粉末だしを使わずにだし汁を取るように指導していた。

そのこだわりが美味しいだし巻き玉子を作り上げ、忍田を()()()()()()のだ。

 

 

 

 

ツグミが作業を始めて30分もしないうちに玄関のドアが乱暴に開かれる音がして、廊下をバタバタと歩く音が続き、その音の発生源 ── 戦闘体姿の忍田が台所の入口で仁王立ちになった。

 

「ツグミ! やっぱりおまえだったのか!?」

 

「あら、叔父さん、お帰りなさい。今日はちゃんと帰って来たんですね」

 

「おかえりなさい、じゃない! 何でおまえがここにいるんだ!?」

 

怒っているというのではなく、連絡もなしに帰って来ていたことで面食らっているだけのようだ。

ツグミが帰って来たのは嬉しいが、状況が状況だけに喜んでばかりはいられない。

さらにツグミはというと忍田の慌てぶりがおかしいらしく、ケラケラと笑いながら答えた。

 

「何でって…ここはわたしの実家ですもの。ところで何でそんなに急いで帰って来たんですか?」

 

ツグミが訊くと、忍田は呆れ果てたと言わんばかりの顔で答えた。

 

「向かいの家の奥さんがこの家に電気が点いているという電話をくれたんだ。留守がちだから何かあった時のために携帯電話の番号を教えてあって、連絡が来たものだから慌てて本部を出た。駐車場へ行って車を使うよりも走った方が早いと思い()()を使って全力で走って来たんだぞ」

 

忍田はそう言って握り締めていたトリガーを見せた。

つまり換装して身体能力を強化して走れば駐車場へ行って車を走らせるよりも早く家に着くということである。

まさか大規模侵攻の時のように外壁を駆け下りてきたとは思わないが、彼が戦闘体で本部基地内を全速力で駆け抜けた姿を見られたら何事かと大騒ぎになっていたかもしれない。

幸い夜間であったために目撃者はいなかったために騒ぎにはなっていなかったという。

しかしこれは任務外の私的使用であり、本部長自ら規定違反をしたことになる。

ただし処分は「本部長による口頭注意」であるから問題にはならないはずである。

 

「ああ、なるほど…。まあ、留守宅に明かりが灯っていたら不法侵入者の可能性が高いですからね」

 

「それだけではない。おまえが倒れた一件からまだ時間も経っていないのだから不安が頭を過ぎるのも無理はないだろ? 連絡もなしに帰って来るとなればただ事じゃないんだからな」

 

「ごめんなさい。驚かすつもりはなかったんです。…ああ、今日はこのまま家で休んで、明日の朝いつもの時間に出勤するんですよね?」

 

「そのつもりだが、おまえが帰って来た理由によっては有給を取ることになるかもしれないな」

 

実家には滅多に帰って来ないツグミが帰って来たことで、その原因が深刻なものであると感じている忍田。

だから場合によっては仕事を休んででも問題を解決しなければならないという意味なのだ。

今の忍田はボーダー本部長ではなく、ツグミの父親である。

 

「夕食は本部で済ませたんですよね? 今、お茶を淹れますから着替えて居間で待っていてください」

 

そう言ってツグミは水の入ったヤカンをガスコンロにかけて火をつけた。

 

 

 

 

部屋着に着替えて居間で待っていた忍田にお茶を勧めると、ツグミはテーブルの向かい側に座り、玉狛支部の屋上で起きたことを全部包み隠さずに告白する。

しかし人を殺したことを千佳たちに告白したとは言わなかった。

そのことは黙っていたのは忍田に無用な心配をかけさせたくないためである。

そして忍田はじっと黙ってツグミの話を聞いていて、話が終わると何度も小さく頷いて言った。

 

「事情はわかった。おまえにも雨取たちにもクールダウンする時間が必要だ。しばらくここにいなさい。ここはおまえの家なんだから好きなだけいるといい」

 

「ありがとうございます」

 

「いちおう林藤には話をしておく。ここにいることを伝えておかなければ騒ぎが大きくなるからな。それと本部異動の件は城戸さんの裁定によるものだ。あまり無理を言えるものではないが、おまえの事情は伝えておこう」

 

「お手数をおかけしてすみません」

 

「父親に謝ることなんてないんだぞ」

 

「いえ、これは忍田本部長に対しての謝罪です」

 

ツグミがさも当然といった顔で言うものだから、忍田は自分の勘違いに苦笑するしかない。

 

「ハハハ…。しかし思い切ったことをしたものだ」

 

「玉狛を出たことですか?」

 

「いや、おまえが雨取に対して苦言を呈したことだ。彼女の辛い過去を知ってしまえば、問題を解決したいと思っても心の中に立ち入ることはなかなかできない。非常にデリケートに扱わねばすべてを台無しにしてしまうとわかっているから誰もが率先して動くことはなかった。()()おまえだからこそできたとも言えるな」

 

「まあ、半分はチカちゃんのためですが、半分はなぜこんな簡単なことに気付かなかったんだと自分に腹が立ったです。彼女には過去にいろいろあったものですから、原因がそっちにあると思い込んでいました。でも実際はくだらない連中の陰口に怯えていただけ。それは過去のわたし自身にもあったことです。優れた者が劣った者に嫉妬され、嫌な思いをすることがあるという()()()()()()の悩みが彼女の過去のトラウマによって増幅されていた。もっと早く気が付いてあげることができたならと思うと自分の愚かさに腹が立ってしまって…」

 

「……」

 

「それに彼女の過去は知っていました。周囲の人間だけでなく両親からも信じてもらえなかったというのは筆舌に尽くし難い哀しみと苦しみであったと思います。だからわたしたちは言葉だけでなく『あなたのことを信じていつでもそばにいる』という態度で彼女に接していたはずなんですが、その気持ちは彼女に届いていなかった。他人の気持ちを100%理解するなんて不可能だってことはわかっていますから、チカちゃんにこちらの気持ちがわかってもらえなくても仕方がないことだと承知しています。…でもやっぱり悔しいです」

 

「……」

 

「わたしは玉狛支部を家に、仲間たちを家族に見立てて『家族ごっこ』をしていたようなものです。林藤支部長が父親で、レイジさんやゆりさんといった兄や姉がいて、ヨータローは弟。そこにオサムくんたち弟や妹ができたものだから、彼らの役に立ちたい、どんなことがあっても守ってあげたいと思って接してきました。でもそれはわたしの勝手で、彼らにとっては迷惑なことだったかもしれませんね。だからわたしは『家族ごっこ』をやめることにしました。でも彼らはボーダー隊員で、わたしもボーダー隊員です。仲間であることはこれまでと変わりはありません。だから彼らとは適度な距離を保ち、これからは『同じ目的を持つ戦友』として接するつもりです」

 

「それが玉狛支部を出る理由か?」

 

ツグミは小さく首を横に振った。

 

「どんな理由であれ、わたしは乱暴な言葉と態度によって玉狛支部の輪を乱したことになります。許してくれると言われても、今更『はい、そうですか』と言って戻ることはできません。もっともわたしは悪いことをしたとは思っていませんから、許すとか許されるとかいう話ではないですし。それにわたしはチカちゃんに『大切なものを失うことの恐怖』を植え付け『失ったら二度と戻らないものもある』のだと教えたつもりです。わたしは玉狛支部での暮らしという大切なものを失う覚悟で彼女を諌めました。それなのに簡単に元の生活に戻ってしまったら説得力に欠けてしまいます。そして…やっぱり今までとまったく同じというわけにはいきません。だからこれでいいんです」

 

「そうか…。おまえがそういう気持ちでいるならそれでいい」

 

「はい、しばらくお世話になります。…いえ、叔父さんのお世話をします、かな?」

 

そう言ってツグミは無理やり笑顔を作る。

 

忍田はツグミの成長をずっと見守ってきた。

両親を亡くした直後は父親代わりの忍田のそばからけっして離れず、日常生活にも支障をきたすほどの時期もあった。

しかし自分の意思でボーダー入隊を決め、そのための努力は怠らなかった。

大人でも音を上げるような厳しい剣の稽古にも耐え、9歳で入隊資格を得られるまでに腕を上げた。

小学生の彼女が様々なものを犠牲にしてボーダー隊員としての務めを果たそうとしていたことを忍田も知っていたが、レイジと同じで見守ることしかできなかったのだった。

子供とはいえ本人の強い意思と努力を大人である自分が否定するようなことはできなかったというだけでなく、彼女の潜在能力を引き出すためには厳しい訓練は必須で、幼い少女の精神的肉体的犠牲に頼らなければならないほど、当時のボーダーは戦力となる隊員を必要としていたのだ。

5年前の近界(ネイバーフッド)遠征に参加できなかった彼女の悔しさは、彼女をさらに成長させるきっかけともなった。

しかしこの頃から父親代わりの忍田に甘えたり頼るようなことをせず、何もかも自分でやろうとする癖がついた。

まるで弱い子供であることが罪であると感じているようで、少しでも早く強い大人にならなければいけないという強迫観念に迫られているかのような態度も見られたものだから、逆にそれが忍田には不安の種となった。

父親としてどう接するのが正しいのかわからず、彼女の自主性に任せていたものだから、ますます彼女は「父親・忍田真史」の手を離れていく。

彼女が2年前に隊務規定違反を犯して降格処分になり玉狛支部へ異動となった頃からは特に忍田を父親としてよりもボーダー本部長、上司として接する機会が増えてきた。

そのようなことがあって忍田は自分の父親としての資質に不安を抱いていたのだが、中学を卒業するタイミングで彼女が「忍田ツグミ」になりたいと言ったことで自信を取り戻すことができたのだった。

 

(ツグミの人格形成にはいくつもの『死』が大きく影響している。両親の死は記憶がないといっても死亡したという事実は変わらない。さらに5年前の近界(ネイバーフッド)遠征では隊員の半数を亡くした。あの子にとっては父や兄や姉であった存在だ。自分の力不足ゆえに遠征に参加できなかったという悔しさはその後のあの子の様子を見ていればわかる。睡眠時間を削ってまで剣の稽古の時間を増やし、(ブレード)トリガーだけではなくトリオン量を生かした弾丸トリガーの訓練までも始めた。自分が強くなればそれだけ戦闘に有利になるというだけでなく、自分が窮地に追い込まれた時には単身でも切り抜けることができ、また仲間が同様な目に遭えば自分が救援に駆けつけることができる。そう考えて無茶ともいえるハードな訓練を自らに課した。ツグミの行動原理はすべて『大切なものを失いたくないなら、自分で自分に限界を作らず全力で立ち向かう』というもので、それは今でも変わらない。ただ…)

 

忍田は湯呑み茶碗を片付けているツグミの横顔を見ながら思った。

 

(この子の常軌を逸したと思える信念が自分の命というもっとも大切なものを失わせることにならなければいいのだが…)

 

ツグミが明るく、そして健気に振舞うほど忍田の不安は広がるのだった。

 

 

 

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