ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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147話

 

 

「今日は一日降水確率0%、まれに見る洗濯日和だわ~」

 

ツグミは鼻歌を歌いながら庭の物干し竿に洗濯物を吊るしていく。

溜まっていたとはいえ忍田ひとり分であるからさほど大変ではなく、シーツとか枕カバーなども洗い、洗えるものは全て洗ったといった感じだ。

 

洗濯を終えると近所のスーパーマーケットへ行って新鮮な野菜や精肉、鮮魚、他には切れかけていたトイレットペーパーや市指定ゴミ袋などを買う。

そして()()に荷物を置くとすぐにボーダー本部基地へと向かった。

理由はもちろん新居探しと部隊解散届の提出である。

本部基地の中を歩いていて、ツグミはふと気付いた。

 

(今日はいつもより人が少ない…。まあ、まだ春休みに入っていない平日だから非番の隊員は学校へ行ってる時間だものね。…あ、そうだ、今日って高校の卒業式があるんだった。普通の学校は3月1日に揃って行うけど、ボーダー提携校は1日にB級ランク戦があるってことで3日に変更になってたっけ。高校生が少ないのは1・2年も卒業生の見送りがあるからかな?)

 

そんなことを考えながら歩いていると、前方から迅が歩いてツグミの方へとやって来た。

 

「よっ」

 

「ジンさん、こんにちは」

 

「昨日の夜、いろいろあったんだって?」

 

「林藤支部長からのメールでもう知ってるんですね?」

 

「そう。でも詳しい話を聞きたいものだからここでおまえを待っていた」

 

未来視(サイドエフェクト)ですか?」

 

「まあね。あー、時間もアレだから、食堂でも行くか?」

 

「ジンさんの奢りなら」

 

「ハハハ…もちろんいいぜ」

 

迅にも直接事情を話さなければいけないと考えていたものだから、ツグミは良い機会だと考えて迅の誘いに乗ったのだった。

 

 

 

 

「ここなら誰にも話を聞かれることもないだろう」

 

迅は食堂の一番奥の隅の席を見付けて料理の載ったトレイをテーブルの上に置いた。

 

「ええ、そうですね。でも先に食べちゃいましょう。わたし、ラーメンだから早く食べちゃわないと麺が伸びてしまうので」

 

ツグミのメニューは塩ラーメン。

ボーダーの食堂は利用者のほぼ99%が学生であるから、安くてボリュームのあるメニューが並んでいる。

その中でも安い部類に入るもので、ちなみに価格は280円だ。

 

「遠慮なんてしなくていいのに。焼豚や煮玉子をトッピングしたって380円だぞ。それくらい俺だって ── 」

 

「遠慮じゃなくて、今日はさっぱりとしたものが食べたかったんです。うどんは昨日食べたし、そばの気分じゃなかったので塩ラーメンにしただけです。焼豚とか煮玉子は好きですけど、今日はその気分じゃないから」

 

「それならいいんだが、何だかいつもと雰囲気が違うんだよな」

 

「そりゃ昨日の夜にあんなことがあったんですから、いつもと同じとはいきません。ただ食欲は普通にあります。朝もきちんと食べました。体調も上々です。でもジンさんみたいに脂っこいカツ丼大盛り、みたいのはちょっと無理です。胸焼けしそう」

 

そう答えると迅は安心したようで、ツグミが食べ始めるのを見てから自分も食べ始めた。

 

「久しぶりに本部の食堂を使いましたが、以前と味は変わりませんね。わたし、この煮干しが豚骨のニオイを消してさっぱりとさせている塩ラーメンのスープが好きなんですよ。本部に異動になれば、またいつでも食べられるようになるんで楽しみにしています」

 

ツグミが少しも悪びれずに言うものだから、迅には彼女が本部異動を喜んでいるように思えた。

 

(玉狛支部への未練などまったくなさそうだが、それはそれだけ『玉狛支部との決別』に後悔はないってことになる。どんなことがあったっていうんだ? まあ、メシを食っちまえばわかることか)

 

迅は気になるものだからいつもよりも早いペースでカツ丼を平らげてしまった。

いくら自分が早く完食したところでツグミが食べ終わらなければ話は始まらないというのに。

 

「ジンさん、食べるの早いですね。申し訳ないですけど、もう少しだけ待ってください。スープ、全部飲みたいんで」

 

「ああ、別に急がせるつもりはないから。…飲み物、買って来ようか?」

 

「じゃ、ミルクティーをお願いします」

 

「わかった」

 

迅が食堂の片隅にある自販機で自分のコーヒーとツグミのミルクティーを買って戻って来ると、ツグミはラーメンを食べ終わっており、口を懐紙で拭いていた。

 

「お待たせ。しかしおまえはいつも懐紙を持ち歩いてるんだな? 普通はポケットティッシュだろ?」

 

「懐紙は普通お茶席で使うものですが、日常生活の中でもすごく便利に使えるんですよ。紙ナプキンの代わりになるだけでなくメモ用紙にもなるし、テーブルに何かこぼしてしまった時に拭き取る台布巾やハンカチとして使うこともできます。どら焼きを食べる時にもティッシュを使うより懐紙を使った方が()()()食べることができます」

 

ゆりに残したメッセージもこの懐紙に書かれたものであり、雪弥との会食の際にも使用して「若いのに懐紙を常備しているとは今時珍しい」と感心されたことがある。

ツグミは常に懐紙を持ち歩き、ごく自然に使っているのだが、それが茶道を嗜んでいた彼女の母親の美琴と同じであったことを本人は知らずにいる。

いや、知らないというよりは母親の記憶に関係するものであるから「パンドラの匣」の中に仕舞い込まれていると言うべきか。

記憶にはなくても過去に美琴がツグミのために口を拭いてやったり、彼女が汚したテーブルを美琴が拭いている姿を見た()()が無意識に彼女の行動に表れているのだ。

 

「なるほどな。ほら、ミルクティー」

 

「ありがとうございます」

 

礼を言って紙コップを受け取るツグミ。

そして両手で紙コップを包み込むようにして、視線を下に落とす。

迅と視線を合わせたくないといった感があり、その状態で話を始めた。

 

「昨日の夜、チカちゃんとレイジさんとシオリさんの3人を相手にケンカしちゃったんです。言い争いといっても、わたしが一方的に持論を展開しただけなんですけどね」

 

そんな言い方で、ツグミは昨夜の出来事を話し始めた。

そして最後に彼女は忍田にも言わなかった「人型近界民(ネイバー)を斬り殺した」ことを千佳たちに話したと迅には告げたのだが、その時の迅の表情はツグミ以上に暗く哀しげであった。

 

「どうせ近いうちに玉狛支部を出ることになっていたんですから、その時期が少し早まっただけです」

 

ツグミがケロリとした様子で言うものだから、迅は少し腹が立った。

 

「違うだろ! そんな()()()をして出て行ったとなれば、もう二度と玉狛支部には戻れなくなるだろ。それでおまえはいいのか?」

 

「いいんです。これはわたしが自分の意思で決めたことですから。わたしは常に自分の行動に責任を持ち、後悔をしないように生きているつもりです。昔は自分の無力さに腹が立ち悔やむことばかりでした。もうあんな思いをしたくないですからね」

 

「……」

 

「それにさらわれたチカちゃんの友達や麟児さんが近界民(ネイバー)に洗脳されていて敵として目の前に立った時、彼女がどうなるのかって考えると彼女は絶対に人を撃てるようにならなきゃいけないと思ったんです。普通の人間だって目の前に自分の親しい人間が敵として現れたら戸惑ってしまう。でもその人物が自分と仲間の命を奪おうとして立ちふさがるのなら()()しなければなりませんが、トリオン体であるならトリオン供給機関か伝達脳を破壊すれば生身の身体に戻ってしまうので敵を無力化できる。それに生身であったとしてもボーダーの弾丸トリガーは流れ弾防止のために当たったとしても気絶するだけで済む加工が施されているので、(ブレード)トリガーと違って撃っても相手を死なせるまでには至らない。だからランク戦などで人を撃つことに慣れ、そのことを頭と身体に染み込ませなきゃ近界(ネイバーフッド)遠征になんて行かせてはいけないんです」

 

ツグミの言うことはもっともである。

近界民(ネイバー)がこちら側の人間をさらうのは近界(ネイバーフッド)での戦争に利用するためである。

トリオン能力者を戦闘員に育てて戦わせるということは当然のように行われていて、さらわれた時には小学生だった青葉も今は千佳と同じ14歳で十分に戦える年齢になっている。

そんな彼女が過去の記憶を失い、千佳のことを覚えていなければ躊躇うことなく襲いかかってきてもおかしくない。

その時に千佳が「冷静に対処」できなければ彼女自身が近界民(ネイバー)にさらわれるか殺されるかしてしまう可能性がある。

あきらかに敵性近界民(ネイバー)であれば千佳も警戒するだろうが、青葉や麟児であったなら()()彼女は絶対に撃つことができないのだから結果は目に見えている。

栞やレイジたちによる甘やかすだけ甘やかして千佳の言動を全肯定する行為は「最悪の事態」に備えた心の準備を蔑ろにしてしまい、ツグミはそのことを恐れて千佳に厳しくしたのだった。

戦闘員ではない上に第一次近界民(ネイバー)侵攻の後に入隊した栞は仕方がないとしても、旧ボーダー時代からの隊員であるレイジは5年前の遠征の悲劇を経験している。

緊急脱出(ベイルアウト)システムの導入等で「死人が出ない戦い」に慣れてしまい、ほとんどの人間がボーダーと近界民(ネイバー)との戦いにおいて「死亡者ゼロ」が当たり前のような気になってしまっているのだ。

リヌスの使用していた「敵のノーマルトリガーを無効化するトリガー」と同じものが敵の手にあれば、武器(トリガー)が使えなくなるだけでなく換装も解けてしまうことになる。

そうなれば効果範囲内にいる攻撃手(アタッカー)射手(シューター)銃手(ガンナー)は手も足も出なくて降参するしかない。

よって狙撃手(スナイパー)による敵トリガーの効果範囲外からの狙撃が最悪の事態を逃れる切り札になるのだ。

つまり千佳が狙撃手(スナイパー)として人を撃つことができるか否かは本人だけでなくボーダーにとって重要なことなのである。

もちろん千佳が「追い詰めれば人を撃つ」ならば()()()()撃つだろうが、それがすぐ撃つか迷った上に撃つかによって結果は変わる。

自分がすぐに撃たなかったことで仲間に犠牲者が出たとしたら、千佳は一生自分を責め続けることになるだろう。

そこまで考えてツグミは千佳にあえて厳しく接したのだが、その気持ちが彼女に届いているのかどうかはツグミにはわからない。

 

「とにかくわたしが人を殺したことがあるということも告白しちゃいましたから、チカちゃんはわたしの顔を見るだけで怯えるでしょうし、そうすれば周りの人間もいずれ知られてしまう。人殺しの人間の作った料理など食べたくはないだろうし、一緒に戦いたくもない。同じ空気を吸うのすら我慢ならないということにもなりかねない。なにしろボーダー隊員の中で人を殺したことがあるのってわたしくらいですからね。理由はどうであれ、人の命を奪ったことに変わりはありませんし、そのことを隠していた。だったらこの騒ぎを引き起こした『嘘つき』で『人を騙していた』わたしが身を引くしかない。もっともボーダーを辞めるべきなんですけど、今のわたしにはやるべきことがあるのでボーダーを辞めることはできません」

 

「だから玉狛支部の人間とは縁を切って本部でやっていく…か?」

 

「縁を切るというのは大げさですね。どうせミリアムの(ブラック)トリガーの件もありますから、予定を少し繰り上げだけのことです。だからジンさんも気にしないでください。…それよりもお願いがあります」

 

「お願い?」

 

「そうです。玉狛支部に置いてある私物を運び出さなければならないんですけど、わたしひとりではどうすることもできないので都合の良い時に手伝ってもらいたいな、って。車を使えば一度で運べる分しかありませんから時間もそうかかりません」

 

「あの大量の本はどうするんだ? 200冊以上はあるだろ?」

 

「あれはもう必要ないので処分してしてください。本を捨てるのは忍びないですから、古本屋に売ってもらえたら嬉しいです。まとめて紐で縛っておきますから」

 

「だけどおまえが読みたくて、少ないボーダーの給料の中から買った大事なものだろ?」

 

「たしかに大事なものですけど全部ここに入っていますから」

 

ツグミはそう言って自分の頭を指さした。

そんな彼女に対し、迅は呆気にとられた。

 

「ここに入ってるって、つまり全部暗記しているってことか?」

 

「はい。一度読めば内容は全部把握してしまうので、手元になくてもかまわないんです」

 

「全部把握ってマジか?」

 

「そうですけど、普通そういうものじゃないんですか? どんなジャンルのものでも一度読めば全部覚えていて、まず忘れることもありませんから」

 

いとも簡単に言うがそれは並の人間では不可能なことで、彼女のサイドエフェクトが成せる技なのである。

子供の頃「強化視覚」が当たり前の能力で誰もが同じように見えると勘違いしていたように、ツグミは誰でも一度読んだ本の内容をほぼ完璧に把握できることも当然のことだと思っているようだ。

 

「それはすごいな…。羨ましい能力だ」

 

迅が感心していると、ツグミが言う。

 

「もしかしたらこれがわたしのサイドエフェクトだったりして、アハハ…」

 

本人は冗談のつもりだが、実際にはこれが彼女の真のサイドエフェクトの能力の片鱗である。

 

「そういうことで、残った私物は服と教科書・文房具と身の回りの細々とした品、それとその他いろいろくらいです」

 

彼女の言う「その他いろいろ」とは「モフモフで可愛い」と言って買ったぬいぐるみやクッションといったものである。

 

「ジンさんの部屋にあるダンボール箱を少し分けてもらいますね」

 

「それはかまわないが、都合の良い時に手伝ってほしいというのなら明後日の5日の夜がいいだろ。その時間なら玉狛支部には支部長(ボス)と陽太郎とキオンの連中しかいない。修たちの最終戦だから、レイジさんたちもみんな本部へ行っているはずだからな」

 

「そうですね。みんなの留守中にコソコソするようで気が引けますけど、それしか方法はありませんから。わかりました、明後日の夜に引っ越しを予定しておきます。…でも夜に荷物を持ち出すのって、まるで夜逃げですね」

 

ツグミはそう言って笑った。

本来なら仲間たちに見送られて出て行くはずだったというのに、こんなに哀しい旅立ちになるとは本人も想像していなかっただろう。

笑っているのは自分に心配をかけたくないというツグミの気遣いだろうと迅は思うものだから余計に哀しくなってくる。

 

(本当に楽しいのなら笑っていい。だけど哀しいのを隠すために無理して笑わなくてもいいんだぞ。見ているこっちが辛くなる)

 

迅の考えていることをツグミは察しており、笑顔のままで言う。

 

「無理しているわけじゃありませんよ。わたしにはジンさんがいるから笑っていられるんです」

 

「ツグミ…」

 

「泣きたい時にはジンさんの胸で泣きますから、その時にはよろしくお願いします」

 

「あ、ああ…」

 

ツグミにとって迅の存在は父親である忍田以上のものとなっていた。

だからもし迅に裏切られたり死なれるようなことがあれば、彼女は自我を保てなくなる可能性もある。

大げさかもしれないが、迅がいるからこそあれほど大切にしていた玉狛支部という家を捨て、仲間たちという家族と決別することも恐れずにできたのだ。

 

(だから俺は絶対に死ねない。ツグミのために生きなければいけないんだ)

 

いくら迅に未来視(サイドエフェクト)があるといっても自分が死んでしまった後のツグミの姿を視ることはできない。

しかし自分がツグミを失った時にどうなるのか想像は容易にできるものだから、ツグミがどうなるかもわかるのだ。

涙を流すこともできず、ただ真っ暗闇の部屋の中でひとり廃人にようになって座り込むツグミ。

生きる希望を失い、水や食べ物を一切受け付けずに衰弱していく彼女の姿を想像してしまった迅は彼女を残して絶対に死んではならないと自分に言い聞かす。

 

「ところで、これからおまえはどうするんだ?」

 

迅に訊かれ、ツグミは答えた。

 

「総務課へ行って新居探しをして、あと部隊解散届の提出をします」

 

部隊解散届と聞いて迅は顔を顰めた。

 

「S級になれば自動的に部隊は解散となるのに、わざわざ届を出すのか?」

 

「ええ、もちろんです。シオリさんには無理を言って名義貸しをしてもらっていましたからね。こうなったらからにはきちんとケジメをつけなければいけないですし、前日までに事務処理が済めば月例隊長会議にも出なくてもいいってことですので」

 

隊長会議に出席すれば嫌が応でもレイジと修のふたりと顔を合わすことになる。

避けているというのではないが、無用な気遣いやトラブルを防ぐためには会わないのが一番なのだ。

 

「そっか…そういうことなら仕方がないな」

 

「はい。それよりもジンさんこそこれからどうするんですか?」

 

「2時から会議。忍田さんに呼ばれたんだけど、会議の後にきっとおまえの話も出てくるだろな」

 

「でしょうね。じゃ、遅刻をしないでください。引っ越しのことはまた後で連絡します」

 

そう言ってツグミは普段と変わらない笑顔を残して食堂を出て行った。

 

 

 

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