ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
自室で寛いでいたツグミの携帯電話に着信があった。
発信人は修であるから、用件はおよそ見当がつく。
「霧科先輩、お話があるんですけど、今いいですか?」
修の声は遠慮がちというか、少しおどおどした感がある。
「いいわよ。それで、どんな用件かしら?」
「まず先に謝らせてください。どうもすみませんでした」
電話だから姿は見えないが、修がツグミに対して頭を下げている様子が彼女には容易に察せられた。
「オサムくん、自分のやったことが間違っていたというのなら謝罪しなきゃいけないけど、他人に対して無闇に謝るものではないわよ。謝罪の前にその理由を説明してちょうだい。わたしにはあなたに謝られる心当たりがないんだけど」
ツグミの突き放したような言い方に修は少し腰が引けてしまったが、慎重に言葉を選びながら言う。
「えっと…昨日の千佳のことで、ぼくも反省すべきことがあって…。それに先輩が玉狛支部を出て行ってしまったものですからそれで…」
「オサムくんの反省すべき点についてはわからないけど、わたしが出て行ったことはあなたが謝罪する理由にはならない。わたしは自分の意思で玉狛支部を出た。誰に強いられたのではなく、自分に後ろめたいものがあるわけでもない。あなたの言い方を真似すれば『わたしがそうするべきだと思っているから』ってところよ。だからわたしが玉狛支部を出たことに関してあなただけでなく誰にも責任はないから」
「…はい、わかりました。…それで実は夕方に全員が緊急集合をしてレイジさんから詳しい話を聞いたんです。先輩の意見に同意する人もいましたし、怒っている人もいました。レイジさんからは『憎しみあって別れたのではないのだからいずれ和解する時が来る。それまで何もするな』と言われたんですけど、ぼくはきちんと先輩に自分の気持ちを聞いてもらいたいと思って電話をかけたんです」
「うん、わかった。それでオサムくんの気持ちって?」
「はい…ぼくは先輩が言うとおりに麟児さんのことがきっかけで入隊しましたが、ぼくがそうするべきだと思って自分自身の意思で入隊を決めたんです。麟児さんを悪いって決め付けないでください」
「わかったわ。それについてはわたしが悪かったから謝罪する。ごめんなさい。もうその件については二度と何も言わないから」
「ありがとうございます。…次に千佳のことなんですけど、ぼくがランク戦でも千佳の安全確保にばかり熱心になっているということを指摘され、振り返ってみるとそのとおりだって気がしてきました。麟児さんの『千佳を頼む』という言葉が常に頭の片隅にあって、行動のすべてに『千佳を守るため』という理由を付けていた気がします」
「うん、どんな行動にも理由があるものね。それがすべてチカちゃんのためというところがちょっと問題。ユーマくんだってチカちゃんのことを守るために行動することはあっても、ちゃんと状況を見て判断を下し適切な行動をしている。あなたのように何でもかんでもチカちゃん最優先ではないわよね? 誰もが彼女のことを大切に思って行動しているけど、あなたはそれがちょっと度を越している。人間というものは自分のことが一番だって考えるのが普通。そんな中で自分のことしか考えない人もいるし、自分のことを顧みずに他人のことばかりを優先してしまう人もいる。わたしはどちらもダメだと思う。自分可愛さに他人を蔑ろにする人は言うまでもないけど、自分のことを大切にしない人のこともわたしは軽蔑する。何事もバランスが重要ってことね。わたしはあなたのチカちゃんを大事にする気持ちはわかるけど、自分のことも大事にしなさいって言いたいわ。
「はい、わかりました。…それで千佳も先輩に謝りたいって言って、今ここに一緒にいるんです。電話、代わってもいいですか?」
「かまわないわよ」
「じゃ、代わります」
修はそう言って携帯電話を千佳に渡すと、千佳は恐る恐るツグミの名を呼んだ。
「ツグミさん…昨日は、あの…わたしのせいで…あんなことになってしまって…ごめんなさい」
とにかく謝罪しなければならないという気持ちで頭がいっぱいになり、その気持ちが先走ってしまって言葉が追いつかない。
ツグミにも千佳の気持ちはわかるものの、最後まで「憎まれ役」に徹するつもりでいるから冷たく突き放した。
「口では何とでも言えるわよね」
「え?」
「わたしはあなたにずっと騙されていたって思っているの。だからもうあなたのどんな言葉も信じられないのよ。それに口先ではごめんなさいとか反省していますなんて言っても、本心からそう思っていなければ意味がない。そういうことで、あなたの謝罪の言葉は信用できないわね」
「……」
ツグミには千佳の姿は見えなくてもおおよその見当はついていた。
意を決して謝罪をしたのににべもない態度で拒絶されたのだから、小刻みに震えて立っているのもやっとだというくらいショックを受けているのは間違いない。
そう思ったツグミは最後に自分の言いたいことだけ言って電話を切った。
「本気で自分が悪いと思って反省しているのなら、言葉ではなく行動で示してみなさい。次のランク戦であなたが人を撃つことができて玉狛第2の一員としての役目を立派に果たせたなら、その時にはあなたのことをもう一度信じることにするから。じゃあね」
携帯電話をテーブルの上に置いたツグミはやれやれという顔で畳の上に大の字に寝転がった。
(憎まれ役というのは難しいわね…。これまで他人に嫌われたくないってことで気を張って生きてきたから、急に180度方向転換したってことになるんだもの。でも思った以上に上手く演じられた気がする。さて結果はどうなるかな…?)
◆◆◆
午後7時を少し過ぎた頃に忍田は帰宅した。
その表情は肉体的に疲れきったというよりも、悩みや不安を抱えて精神的にダメージを受けているといった感があり、原因はいくつもあるがそのひとつがツグミの持ち込んだ例のC級隊員絡みの案件であることは間違いない。
「おや、今夜はちらし寿司なのか?」
食卓に並んだ料理を見て忍田が訊く。
「ええ。今日は3月3日、ひな祭りですから」
「そうか、すっかり忘れていた…」
「ちらし寿司はひな祭りの定番メニューです。まあ、縁起物のようなものですから食べてください」
「そう言えば去年も食べたような…」
「去年はおばあちゃんがわたしのために作ってくれて、3人で一緒に食べたじゃないですか」
「そうだったな…」
ひな祭りが女の子の健やかな成長を祝う祭りだというのに、祝う側の父親である自分がそれを失念しており、娘に料理を作らせて自分は食べるだけということに忍田は少々罪悪感を覚えてしまう。
ツグミはその表情を見逃さずに明るく言った。
「今わたしがこうして健康で暮らしていられるのは全部真史叔父さんのおかげなんです。叔父さんが7歳のわたしを引き取って育ててくれたからこそ、今のわたしがあるんですよ。わたしはもう16歳です。だったらひな祭りは育ててくれた父親に対して感謝する祭りであってもいいじゃないですか? だからそんな顔をしないで。わたしは今でも世界で一番あなたのことが大好きなんですから、わたしの前ではいつもの凛々しい最高の男性でいてください」
ツグミの言葉を聞いて、忍田は嬉しいような困ったような顔をして訊く。
「それなら迅はどうなんだ?」
「もちろん
ツグミが成長するに従って自分の手から離れていくことを寂しく思い、彼女が玉狛支部で暮らすようになってからはますます寂しく感じていた忍田。
特に玉狛支部での暮らしを楽しんでいるという話を耳にするたびに彼女が遠い場所に行ってしまうような気になっていた。
「忍田ツグミ」になると自分から言い出した時は嬉しかったが、忍田の望み ── 本当の父娘になること ── を知っている彼女が面倒を見てくれたことに対しての
彼女が自分のことを「お父さん」とは呼ばないことも、忍田は自分が父親として不適格であるのではないか思う原因でもあった。
しかしツグミが心の底から自分を父親と慕っている確信を得た今、胸が打ち震えて今にも泣き出しそうだ。
その気持ちをグッと堪えてツグミに訊いた。
「ひとつだけ聞かせてほしい。おまえは私のことを父親だと言っても『お父さん』とは言ってくれたことがない。別におまえを責めているわけではないが、その理由があるのなら教えてくれ」
するとツグミは微笑みながら答える。
「わたしにとっての『お父さん』は霧科織羽ただひとりです。だから忍田真史をお父さんと呼んでしまったら、顔もはっきりと覚えていない実父との絆が絶たれてしまう気がするんです。記憶にほとんどない実父とのたったひとつの絆とも言うべきものなので、いくら叔父さんのことを父親だと慕ってもお父さんとは呼べません。それをしたら実父への裏切り行為に思えるからです。冷たい言い方ですが、過去に両親がいくらわたしのことを愛してくれたとしても、わたしは彼らに何の感情もありません。何も覚えていないんですから。ですがだからと言って彼らを嫌っているのではないですし、何よりもわたしをこの世界に生み出してくれた恩人であることに感謝しています。そんな彼らとの絆を自ら断ち切りるなんて残酷なことはしたくはありません」
「……」
「わたしにとって『叔父さん』という言葉は『お父さん』という言葉よりもずっと父親を慕う言葉として相応しいもので、叔父さんと呼ぶのは実母の弟という意味のものではありません。わたしは『お父さん』とは血の繋がりのある父親で、『叔父さん』が本質的な部分で父親であるという意味で使っています。まあ、周囲の人間に父娘関係を知られたくないという部分もありますが、わたしにとって『叔父さん』は『お父さん』よりも父親を呼ぶ言葉としてぴったりな大切な言葉なんです。そして世界中探してもわたしが『叔父さん』と呼ぶ人はあなたしかいません。それだけは忘れないでください」
「ツグミ!」
忍田は感極まってツグミを力いっぱい抱きしめてしまった。
「私は幸せだ…。私の娘は世界一可愛い娘だ」
耳元で囁くように言うものだから、ツグミはこそばゆい。
「どんな父親だって自分の娘が一番可愛いに決まってます。だからその言い方は変なのでやめてください」
「わかった。それならもう何も言わないから、しばらくこのままでいさせてくれ」
「はい、いいですよ」
そう言ってツグミも腕を忍田の背中に回して抱きしめた。
迅に対する愛情とは違うものだが、大切なもの、失いたくはないもの、愛おしくかけがえのないものというものという点では何ら変わりはなく、どちらが優れていてどちらが劣っているということはない。
迅と忍田、ツグミにとってどちらも
◆
楽しく昔話をしながら夕食を終えたツグミと忍田だったが、ツグミが食器をすべて片付けたところで忍田は話題を一変させた。
「ところで例のC級隊員の件だが…」
忍田はボーダー本部長の顔になって話し始めた。
「この件はガロプラによる本部基地襲撃事件と同様で、…いやそれ以上に極秘としなければならないデリケートなものだから、今から話すことは口外無用だ」
「はい、わかっています。いちおうわたしは情報提供者ですから、話を聞く資格があるってことですね?」
「そうだが、それだけではない。ひとまず会議で決まったことを話す」
忍田の話は次のような内容である。
噂を流したC級隊員を断定するために、大規模侵攻においてのC級男性隊員
まずトリガーの運用履歴を調べることで、いつ、どこに、誰がいたのかはそこから判明するので、「ヒュースと接触したはずのない隊員」と「接触した可能性のある隊員」に分ける。
前者なら「玉狛の新人は
また後者である場合は慎重に接し、その言葉使いや態度から
なにしろ現在のC級男子は200人以上いて、限られた僅かな人員で調査するのだから気の遠くなるような話である。
「そこでおまえにも協力してもらおうかと思っている」
忍田の言葉にツグミは目を丸くした。
「わたしに協力…って、わたしに何をさせるつもりなんですか?」
「おまえにはC級隊員に変装してもらってランク戦のロビー周辺で情報収集してもらいたい。たぶんヒュースの噂が沈静化すれば今日のように油を注いで再炎上させようとするに違いない。だからおまえには
以前にツグミがC級隊員に変装してB級ランク戦を見物したことを忍田は知っている。
その時に誰にもバレなかったのだから、今回も上手くいくと考えているわけだ。
ツグミも自分が役に立てるなら異論はないのだが、ひとつだけ問題があった。
「わたしもやってみる価値はあると思いますので、ぜひ参加させてください。ですが前に使ったものをそのまま使うのではなく、データをいじって顔や髪型など変えてもらう必要があります。なにしろあの時に対戦したC級隊員が未だにわたしのことを恨んでいて、リベンジマッチをしようと意気込んでいる様子を今日見かけてしまったものですから」
「それは問題ない。すでにデータを書き換えたトリガーを用意している」
「本当ですか?」
「ああ。それに架空のプロフィールもできているから、それに合わせて振舞ってもらうぞ。ちなみに名前は『矢嶋千夜子』で、年齢は15歳。スカウトされ四塚市からやって来たという設定だ」
「その矢嶋千夜子という名前はどういう…?」
「矢嶋は私の中学時代の恩師の姓で、千夜子は昔ウチで飼っていたポメラニアンの『チャコ』から取った」
「……」
いくら偽名でも犬の名前を使ったと言われて気分が良いはずがない。
せめて猫の名前ならと思ったが、すぐに頭の中で否定した。
(『タマ子』とか『ミケ子』は絶対にありえない。それよりはまだマシか…)
「わかりました。明日からその矢嶋千夜子として本部基地で情報収集をすればいいということですね?」
「そうだ。よろしく頼む」
「了解です、忍田本部長」
ツグミは背筋を伸ばして敬礼をした。
◆
ツグミは自分の部屋で「矢嶋千夜子」のプロフィールについて書かれたメモを見ながら考え事をしていた。
(矢嶋千夜子、四塚市出身の15歳で誕生日は11月13日のとけい座。血液型O型。父親は6年前に病死、現在は母親とふたり暮らし。きょうだいはなし。4月から六頴館高等学校に進学予定。好きなものは猫とケーキとゲーセンで遊ぶこと。ポジションは
入隊したばかりで、しかも病欠していたという設定は彼女の顔を初めて見たと言われた時の言い訳にするためであろう。
忍田から手渡されたトリガーは迅が玉狛支部から持ち出した
前回の容姿とはまったく違うものになっているということだが、実際に起動してみないとどんな姿なのかはわからない。
試してみたい気持ちはあるがそうなると「トリガーの私的使用」となり、また忍田に叱られることになる。
二度目は口頭注意では済まず、厳重注意処分になるはずであるから明日まで我慢するしかないのだ。
(
すべてのトリガーを器用に操れるツグミに枷を付ける方法などない。
それは彼女の好奇心、向上心、そして何よりも旧ボーダー時代から積み重ねてきた絶え間ない努力によるものである。
ひとつのトリガーを極める隊員がほとんどであるから彼女のようなタイプは非常に珍しいが、どんな状況になっても戦える、仲間を守れる、そして生き延びることができるようにと考えた末に出した答えがこれなのだ。
(あと…身長や体重とかは元の身体と大差ないみたいだけど、髪型とか顔の感じとかはかなり変えているらしい。楽しみのような怖いような…複雑な気分。明日の朝をお楽しみに、ってことね。…ん? 電話?)
机の上に置いてあった携帯電話に着信があった。
(ジンさんからだ…!)
迅からの電話だというだけで嬉しくなり、ツグミは大喜びで通話ボタンを押した。
「ああ、俺だ。ツグミ、今いいか?」
「はい、自分の部屋にひとりでいますからいくらでもOKです」
「そうか。それで用件なんだが、忍田さんから話は聞いていると思うが、例のC級隊員の件だ」
「はい。わたしもC級に変装して調査に加わるってことになって、今から張り切っています」
「…なるほどな」
「なるほど、ってどういう意味ですか?」
「いや、これまで視えたことのなかった未来が視えたものだから、何か変化があったんだろうって」
「…?」
「たぶんおまえの何らかの行動が敵を動かす」
「何らかの行動って、何ですか?」
「それはまだわからない。ただ本部での会議でおまえにも役割が当てられた時にはまだ視えなかったんだが、さっき急に視えるようになったものだから、たぶんおまえが作戦に関わるかどうかで未来が変わるということだったんだ」
「そうか…わたしがNOって断る場合もあったわけですからね」
「まあ、それだけではないと思うんだが、おまえの行動や判断が未来を変えたのは間違いない」
「そうなると責任重大ですね」
「だが気を張らずに自然体でいけ。それが最善の未来への近道になる」
「わかりました。わたしらしくやりますね」
「うん、それでいい。…じゃ、おやすみ、ツグミ」
「おやすみなさい、ジンさん」
「……」
「……」
「……」
「……」
「おやすみ」を言ったというのにお互いに電話を切るのが名残惜しいものだから通話を終了できずにいる。
しかしいつまでもこうしているわけにはいかず、ツグミは電話を切るタイミングを計っていたのだが、そこに彼女の名を呼ぶ者が現れた。
「お~い、ツグミ。風呂が空いたぞ。おまえも早く入ってしまえ」
風呂から上がった忍田がツグミに入るように促しているのだ。
本来なら「タイミング悪く」となるものだが、今日ばかりは「ナイスタイミング」であった。
「は~い、わかりました。わたしもすぐに入ります」
そう返事をしてから、携帯電話の通話口に口を近付けて囁くように言う。
「ジンさん、お風呂に入らなきゃならないので、電話を切りますね」
「ああ。じゃあな」
今度は自然に切ることができた。
忍田に邪魔をされたような形で通話が終了したのだが、これが「きっかけ」になったことは間違いないのだから
(真史叔父さん、ありがとうございました)