ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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151話

突然何の前触れもなくツグミたちのいる個室の隣の個室のドアが開く音がして、鍵をかける音が続いて聞こえた。

どうやら誰かが中に入ったらしいのだが、人がいる気配はあるものの音がまったくしない。

ツグミたちのように音を立てずにじっとしているようである。

 

するとツグミは何かを思い出したかのように上着のポケットから手帳を取り出してすらすらと文字を書くと、急いでそれを迅に見せた。

 

『これからわたしは一度外に出ます。ジンさんはこのままここで音を立てずに隣の様子を探っていてください』

 

迅にはツグミの行動の意味がすぐにはわからなかったが彼女のやることには必ず意味があると知っており、わかったという合図に首を縦に振った。

ツグミはわざと音を立てるようにトイレットペーパーを乱暴に引っ張り適当な長さに切ると、それを便器に入れて「大」の方にレバーを引いて水を流す。

さらに大きな靴音を立てて歩き、ドアを開くと完全に閉まらないようにドアの隙間に予備のトイレットペーパーを挟んでから外へと出て行く。

そして廊下を10メートルほど歩くとそこで換装し、今度は足音を立てずに戻って来て、さらに音がしないように静かにドアを開けて中に入った。

迅は隣の個室との境の壁に耳を当てており、ツグミも同様に壁に耳を当てる。

そんなツグミの耳に入ってきたのは男性の声で、誰かと電話で話をしているようであった。

 

「……はい、オレが流した噂は正隊員によって否定され、それを大勢の人間が信じてしまいましたので改めて昨日同じ話を別の連中にしました。そいつらはオレの話を信じたようでさらに別の何人かの仲間に言ったものですから、ヤツが近界民(ネイバー)だという噂は再び広がり始めています。あともう少しです。今は噂の段階ですが、騒ぎが大きくなれば上の人間も静観し続けることはできなくなり、沈静化させるために動かざるをえなくなりますよ。そして次にヤツがこの基地にやって来た時にオレが正体を暴いてやります。角があるところを見られれば否定のしようがなくなりますからね。そしてヤツが近界民(ネイバー)だとバレたら最後で、基地中は大騒ぎ。遠征どころじゃなくなります。…………はい、もちろんです。このままじゃ腹の虫が収まりませんから。…………ありがとうございます、隊長。せっかく汚名返上のチャンスをいただいたのですから、必ず成功させてみせます。では、通信を切ります」

 

あきらかに携帯電話か無線機を使って外部の人間と会話をしているとわかるものだ。

ツグミは急いで迅に宛てたメッセージを書く。

 

『わたしが先に出て男の足止めをします。ジンさんはタイミングを見計らって背後からお願いします』

 

迅は指で「OK」の合図をし、換装をした状態で待機をする。

ツグミは音を立てずに外へ出ると、標的(ターゲット)が出て来るのを迅のいる個室の反対側の廊下の中央で待った。

するとすぐにC級の隊服を着た16・7歳くらいの男性隊員が出て来て、ツグミの姿を見付けると一瞬だけ驚いたようであったがすぐに何もなかったかのような顔をしてツグミのいる反対側へと歩いて行こうとしたのだった。

 

「ちょっと待ちなさい。ここは来賓客専用のトイレよ。隊員は使用不可だということを知らないの?」

 

いかにも偶然通りかかって現場を見付けたといった感じでツグミは訊いた。

 

「あ、はい…すみません。オレ、入隊したばかりで何も知らなかったものだから。次から気を付けます」

 

ぺこりと頭を下げて再びツグミとは反対側へと歩いて行こうとする標的(ターゲット)

もちろんツグミは()を行かせるはずがない。

 

「緊急時で他のトイレに行く時間がなかったなら仕方がないけど、携帯電話で誰かと話をするために使うのは大問題だわ」

 

「…!」

 

ツグミの言葉に反応して標的(ターゲット)は振り向いた。

その表情は殺気に満ちており、あきらかに「秘密を知られたのならタダでは済まさない」という顔である。

 

「あんた、何を聞いた?」

 

「何って、あなたが誰かのことを近界民(ネイバー)だっていう噂を広め、本部基地を混乱させて遠征どころじゃなくすって言っていたのを聞いたわ。それと前に何か失敗したみたいじゃないの。これがその汚名返上のチャンスなんでしょ?」

 

「…そうか、全部聞かれちまったってわけか。だとしたらこのままで済ませるわけにはいかない」

 

そう言って標的(ターゲット)は弧月を右手に握るとツグミに襲いかかって来た。

 

「くっ…!?」

 

標的(ターゲット)の刃はツグミには届かず、逆に彼の胸には長く伸びたスコーピオンの刃が生えていた。

迅が背後からスコーピオンで刺し貫いたのだ。

そして標的(ターゲット)はトリオン供給機関破損によって戦闘体が破壊されて生身の状態に戻ってしまう。

 

「おまえ…あの時の…!」

 

迅は標的(ターゲット)の顔に見覚えがあった。

 

「ジンさん、こいつのことを知ってるんですか?」

 

「ああ。こいつは例の襲撃の時、ヒュースと接触したガロプラの兵士だ」

 

その近界民(ネイバー)はレギンデッツであった。

C級隊員のトリガーを使って本部基地に潜入し、内部を混乱させる目的であったのは間違いない。

よって任務に失敗したのだから今は逃げるしかなく、レギンデッツは隙を見て逃げ出そうとするが迅が足を引っ掛けて転ばせた。

 

「…っと、逃げるんじゃねーよ。ツグミ、こいつに1発撃っておけ」

 

「了解です」

 

ツグミは拳銃(ハンドガン)で床に転がっているレギンデッツの腹に向けて1発撃った。

生身の身体であってもボーダーの弾丸トリガーであるから気絶はしても命に別状はない。

拘束するためのロープや手錠がないので、逃走させないために気を失った状態にしたというわけだ。

 

「これでひとまず安心だな。…しかしどうしてこいつが例の犯人だってわかったんだ?」

 

迅にはまだツグミの行動で不明の点が多く気になっていたのだ。

そんな彼にツグミは説明をする。

 

「普通、ここを利用する来賓客は革靴を履く男性やヒールのある靴を履く女性といった()()()人間です。そうなると必ず靴音がする。でも戦闘体の場合は靴自体に特殊な加工がされていて足音がしないようになっています。そこで近付いて来る靴音がしなかったのに隣の個室のドアがいきなり開閉したものですから、これはわたしたちのような戦闘体の状態の隊員の誰かが入ったのだとわかったんです。裸足で歩いている人はいませんし靴底がウレタンやラバーであっても無音にはなりませんから、結論はひとつだけになります」

 

「なるほど」

 

「換装した状態の防衛隊員がこのトイレを使う理由はふたつ。他のトイレを探していたら間に合わない()()()の場合と、わたしたちのように本来の使用目的以外のことをするためです。たとえば人のいないところで外部とこっそり連絡を取り合うとか。そこで隣に入った人がすぐに使()()した気配がないので、前者ではなく後者だと判断。そこであえてトイレットペーパーを使ったり水を流したりする音を聞かせ、靴音を立てて外に出て行くことで隣には誰もいないと思わせたわけです。こいつがすぐに行動しなかったのは、隣の個室の人間が出て行くのを待っていたからです」

 

「ふむふむ」

 

「そして隣の個室には誰もいなくなり、誰にも聞かれる心配がなくなったと思ったこいつが外部と連絡を始めました。わたしたちが躍起になって探していた標的(ターゲット)が向こうから現れてくれたんですから運が良かったですよね。そして上手い具合に尻尾を出してくれたものだから、こうして無事に確保できたというわけです」

 

「おまえの頭の回転の速さには毎度ながら驚かされるよ。…つまり昨日視えた『おまえの何らかの行動が敵を動かす』というイメージはこのことだったんだな」

 

もしツグミが隣の個室の()()に気付かなかったなら、レギンデッツは仲間との通信を諦めてしまってスパイを捕獲する千載一遇のチャンスを逃してしまったことだろう。

 

「とりあえずこいつを忍田本部長に引き取ってもらいましょう。そして拉致されたC級隊員を急いで取り戻さないと」

 

床に落ちているトリガーと携帯電話を拾いながらツグミは言った。

 

「ああ。しかしこいつが素直に吐くかな?」

 

「こいつが吐かなくても()()があれば大丈夫ですよ」

 

ツグミは迅にレギンデッツが使用していた携帯電話を見せる。

これはおそらく拉致されたC級隊員のものであろう。

 

「敵さんだって仲間の命を助けたいなら人質の交換に乗ってくるはずです。それに向こうのリーダーと話ができれば、お互いにとって良い方向に進めることができるかもしれません。なにしろガロプラだってアフトクラトルっていう宗主国に命令されて嫌々やっていたはずですからね」

 

「そうだな。じゃ、忍田さんに連絡だ」

 

 

 

 

レギンデッツの身柄は一般隊員立ち入り禁止となっているエリアにある牢に極秘裡に移送された。

台車に大きなダンボール箱を載せ、その中に入れて運んだのだから誰の目から見ても「荷物」で、怪しまれずに連行することができたのだった。

気絶をしているためにすぐに尋問するということもできず、先に本部司令執務室で城戸、忍田、林藤の3人がツグミと迅に事情を説明させることにした。

そこで迅がひと通り流れを話すことになったのだが、本題に入る前に当然のごとく忍田にツッコミを入れられた。

 

「ツグミ、またおまえはC級相手に派手なことをしたようだな?」

 

「すみません。でも今回はあまりC級離れした技は使ってません。観客も少なかったですから騒ぎにはならないと思います。そもそも原因はあのバカふたりのせいなんですから、わたしに罰を与えるならあのふたりにも同様の罰を与えてください。そうでなければ納得しません」

 

ツグミは謝罪と言い訳をする。

もっともこれは本題とは別のトラブルであるから、忍田もこれ以上は何も言わなかった。

続いて忍田は迅に質問する。

 

「迅、なぜおまえたちは来賓客用のトイレにいたんだ? おまえはともかくツグミはロビーで情報収集をしているはずだぞ」

 

「それは…」

 

本当のことは絶対に言えず、とっさに言い訳をする。

 

「…もちろん俺の未来視(サイドエフェクト)で『そこに事件の鍵がある』とわかったからです。さらにツグミが絡んでいるのが視えていましたから、こいつだけでは危険なので俺も一緒に待機していた、というわけです」

 

「そうか。そういうことであればあんな場所でふたりきりでいたのも納得できる。…すまない、私はおまえたちのことだから後ろ暗いところはないと信じているが、状況が状況だけに少しだけ妙な勘ぐりをしてしまった」

 

忍田は自分の邪推を詫びるが、迅はそんな忍田の姿に罪悪感を覚えた。

しかし今は真実を知られてはならないのだ。

 

「いえ、それは仕方がないことです。…それよりここはどうやって近界民(ネイバー)と接触して拉致されたC級隊員を救出するかの議論の場です」

 

「そうだったな。では話を元に戻そう」

 

それから迅は隣の個室の異変に気付いたツグミが芝居を打って敵を油断させて証拠を掴んだこと、さらに身柄確保への流れを説明した。

その話を聞いていた城戸たちはツグミの「僅かな異変に気付く研ぎ澄まされた感性」と「瞬時に判断し、自信を持って行動に移せる度胸」に目を見張るしかなかった。

昔から賢い子供であったことは旧ボーダー時代からの人間は皆知っているが、この数ヶ月間にまた一段と磨きがかかってきたと城戸は感じずにはいられない。

 

(これまでに蓄えた知識や経験を元に適切な判断を下し、自分が正しいと思う行動をする。これは織羽のサイドエフェクト『高速思考』由来のものかもしれぬな…)

 

織羽は数式の計算はもちろんのこと、ロジックパズルやシチュエーションパズルなどもあっという間に解いてしまう能力を持っていた。

エウクラートンでサイドエフェクトだと認定され、トリガー開発の技術者(エンジニア)として厚遇されていたことを城戸は聞かされていたものだから、ツグミの能力が父親譲りのもので、かつサイドエフェクトではないかと考えるのも無理はない。

実際、彼女の「常人よりも記憶力が高く、頭の回転が早い」能力の前半は彼女自身の、後半は父親譲りの能力なのである。

迅とは違って未来が視えるわけではないが、結果として彼女の選択した道が現状での「最善」であることに間違いはなく、彼女のこの能力もボーダーのためには欠くべからざるものだと城戸は確信している。

よって多少常識外れであっても彼女の言葉に耳を傾け、勝手な行動にもある程度までは目を瞑るべきだと考えるに至ったのだった。

 

迅の説明によって一連の流れを把握した城戸たちは、続いて拉致されたC級隊員救出についての話に移行した。

レギンデッツの所持していたトリガーによって判明した隊員は武川智則(むかわとものり)で、半年前に入隊した16歳の高校1年生。

三門市内ではなく蓮乃部市に自宅があって、そこで父親と兄との3人暮らしをしているという。

警察に問合わせたところ先月28日の夜から帰宅しておらず、父親は友人宅へ遊びに行っているものと勘違いしていて警察へ捜索願を出したのが遅れて一昨日の夜になってしまった。

さらに警察からボーダーへ報告がなかったものだから、隊員が拉致されて近界民(ネイバー)が入れ替わって潜入していたとは思いも寄らなかったというわけだ。

 

「ツグミの推理によると武川隊員は無事であるということだから、捕虜にした近界民(ネイバー)との交換は可能だろう。奴らの目的はボーダーという組織を混乱させて遠征を中止もしくは延期させることにあって、隊員の拉致や命を奪うことではないのだからな」

 

忍田の言葉に皆が頷く。

 

「敵との通信もこの携帯電話を使えば可能であり、さっそく捕虜の目が覚めたところで交渉を始めようと思う。そこで ── 」

 

「忍田本部長、ちょっといいですか?」

 

ツグミが挙手して発言を求める。

 

「何だ? 話してみろ」

 

「ガロプラのみなさんには人質交換だけでなく、ついでに帰ってもらおうかと考えています」

 

「帰ってもらう…? もちろんそれができればこちらも好都合だが、何か案でもあるのか?」

 

怪訝そうな顔の忍田にツグミは自信満々の顔で答えた。

 

「はい。ちょっとした『お土産』を渡して機嫌良く国に帰ってもらうつもりなんですが、そのためには開発室のみなさんにも協力を求めることになります」

 

「もったいぶらないで言ってみろ」

 

「わかりました。わたしの計画ですと…」

 

そう言ってツグミは自分の考えた案を説明した。

 

「…ということになります。わたしの頭の中では成功率は90%以上なんですけど、いかがでしょうか?」

 

ツグミの提案に反対する者はいないが、半信半疑であるという顔ではある。

しかし城戸の言葉で流れが変わった。

 

「私はツグミの案に賛成する。仮に失敗したところで損害はなく、成功すればアフトクラトルの連中を出し抜くことができるだろう。やってみる価値はある」

 

忍田、林藤、迅も城戸が賛成するならといった感じで、全員一致で「決行」となった。

すると城戸がツグミに訊く。

 

「やると決まったからにはこのまま最後まで付き合ってもらうが、どうだ?」

 

「はい、ぜひやらせていただきます。言い出したのはわたしですから最後まで責任を持ちます」

 

「よし、良く言った。ならばこのまま任務は続行だ。とりあえず捕虜の見張りを頼む。奴が目覚めたのを確認したら私たちに連絡をくれ」

 

「了解です」

 

ツグミはやる気満々である。

彼女がロビーで近界民(ネイバー)の噂話を耳にしたことから始まったことである上に自分の立てた作戦を決行するのだから当然なのだが、彼女自身やるべきことは何においても全力投球する性格であるから最後まで責任を持ってやろうというのだ。

 

「じゃ、俺もこいつと一緒に行きますよ。今のところ特にやることもないんで」

 

迅がツグミの頭をポンポン叩きながら城戸たちに言う。

 

「ああ、いいだろう。用事があればこちらから呼ぶ」

 

迅は城戸の許可を貰い、ここで一旦解散となったのだった。

 

 

 

 

ツグミと迅は再びふたりきりになり、人気のない廊下を並んで歩いていた。

 

「せっかくのデートを邪魔されちまったな…」

 

迅がそうぼやくものだから、ツグミはつい笑ってしまう。

 

「でもそのおかげでガロプラの件が早く片付きそうなんですから、任務が無事に終了したらご褒美に特別休暇を貰ってそれで穴埋めをしましょうよ」

 

「特別休暇か…。たしかにアフトへの遠征には俺も参加しなきゃならないだろうし、そうなるとおまえと一緒にいられる時間も限られてくる」

 

「ええ。だからその前にふたりだけの時間を作って遊びに行くんです。ホワイトデーのお返しで蓮乃辺にある動物園へ連れて行ってもらうことになってますから、それを少し前倒ししましょう。もしかしたら来月のジンさんの誕生日に一緒にお祝いできなくなるかもしれませんから、そのお祝いもやっちゃいましょうか? もちろん誕生日当日にお祝いできるなら、もう一度お祝いしてもいいんですし」

 

当初の予定ではホワイトデーに動物園へ行き、来月9日の迅の誕生日はツグミの新居で祝うということになっていた。

しかし今回のガロプラの件のようにイレギュラーな事件も起きることも多く、その場合は無所属(フリー)な立場の迅やツグミが駆り出される。

だからせっかく計画していてもキャンセルとなることもあって、できる時にやらないと次のチャンスがいつになるのかわからないという状態になるわけだ。

 

「うん、そうだな。おまえはまだ病欠ってことになってるからいいが、俺は何だかんだで城戸さんや忍田さんに呼ばれて休みなしだもんな。…よし、この件が無事に終わったら休みをもらおう!」

 

「はい!」

 

ツグミはそう元気に答え、周囲を見回して誰もいないことを確認すると迅の腕にしがみついた。

 

「わたしたちの関係は城戸司令、忍田本部長、林藤支部長といったお三方の公認なんですもん、ハグやキスじゃなきゃ見られてもへーきです。もし誰かに見られたら、その時には堂々と『わたしたちは恋人同士です』って言えばいいですよね~」

 

恥じらいながらも大胆な行動をしたり、臆病に見えるほど慎重でいながら怖いもの知らず。

そんな相反するふたつの気質がツグミの魅力で、迅は彼女のそんな部分にも惹かれている。

 

(俺にはもったいないほどイイ女だよな…。いや、女って言い方は違うか。こいつは男とか女とか関係なく人間として優れている。俺にないものをたくさん持っていて俺の欠けている部分を補ってくれるし、なによりもちゃんと俺のことを見ていて何も言わなくても適切なフォローをしてくれるところがすげーよ)

 

そんなことを考えていたものだから、迅の視線はおのずとツグミの顔に向けられていた。

それに気付いたツグミが迅に訊く。

 

「何か言いたそうな顔をしてますけど、言って差し支えのないことなら言っちゃってくださいな」

 

すると迅は目を細めて言った。

 

「いろいろあるが…まあ、ひと言で言えば…」

 

そしてツグミの耳に口を近付けた。

 

「愛してる、ってことさ」

 

そのまま頬に唇を移動させて軽くキスをしてから顔を離してニヤリと笑う迅。

ツグミはというと、迅の()()に動揺して彼の腕からパッと手を離して飛び退いた。

 

「そ、そういうのはふたりきりの時だけにしてください!」

 

「うん、だけど今はふたりきりだよな? 周りには誰もいないし、この廊下には防犯カメラもない。したがって誰も見ていないし聞いていないんだからかまわないだろ?」

 

「それは…」

 

ツグミは周囲をキョロキョロと見回し、誰もいないことと防犯カメラがないことを確認すると迅の正面に立って言った。

 

「なんかやられっぱなしなのは悔しいです」

 

そう言って爪先立ちをして軽く背伸びをすると、自分の唇を迅の唇に重ねた。

 

「!?」

 

今度は迅が慌てる番だ。

しかしツグミのように飛び退くのではなく、彼女の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめた。

 

(誰も見ていないんだものな…)

 

たしかに人間は誰も見ていないが、神はすべてを見ていた。

神はこのふたりを結び付けたいと考えているのだが、当人たち、特にツグミの行動はさすがの神でも読み切れずにいる。

そしてツグミたちの「Happy end」がこの世界の「Happy end」とは限らず、ツグミと迅の片方でも自分たちのことよりも「最大多数の最大幸福」を選んでしまった時、彼女たちにとっては「Bad end」となる可能性もある。

ただどんな結果が待っていようとも、ツグミならきっと言うはずである。

「後悔はしていない」と。

 


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