ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
ツグミのことは自分で守ると決心したものの、忍田はまだ不安を拭いきれずにいた。
下手をすればガロプラとの直接戦闘にもなりかねないというのに精鋭とはいえ戦闘員はたったの3人で、そのうちのひとりがツグミなのだから心配にもなるわけだ。
ガロプラの戦闘員は5人が確認されており、その中でも隊長のガトリンは忍田と同レベルの強者。
そんな彼らを相手にし、ツグミを守りながら戦えるのか気が気でない。
迅は普段と違う様子の忍田のことを案じ、忍田のそばに寄って言った。
「ツグミのことなら大丈夫ですよ。忍田さんだけでなく俺だっているんですから。それにあいつが積極的に動いたことで成功した例はあっても失敗したことは一度もなかったじゃありませんか。それにあいつだって二度もトリオン切れで倒れるなんて失態を見せるようなことはしないでしょうし、城戸さんもあいつの体調のことは知っています。その上で任せたってことは、それだけあいつのことを信用してるってことですよ。城戸さんですらあいつのことを信じて任せるって言うんですから、忍田さんがそんなんじゃダメでしょ?」
「そうだな…たしかにおまえの言うとおりだ。それに拉致された隊員を救出するだけでなく、この機会にガロプラ関連の問題をすべて片付けてしまおうなどと、あの子以外では考えようともしないだろう。おまけにガロプラを利用してアフトクラトルに一泡吹かせてやるといった大胆なことを考えるその発想自体が私にはない。いつものように頭は冴えているし、行動にも迷いはない。心配は無用、か…」
「それにあいつの作戦が無事に成功すれば俺たちは枕を高くして眠れることになります。三門市民と隊員の多くはガロプラの本部基地襲撃自体を知らない。おまけにヒュースが
「しかし…目的のためなら全力を尽くすというあの子の意思はボーダー隊員としては立派だが、そのために自分の身体を顧みず無茶をするのは勘弁してもらいたいものだ」
「同感です。…ですが一見無茶にも思える行動あっても、これまで蓄えた経験や知識、そして技術に裏付けされたもの。そしてあいつ自身が自分の正しいと思うことをやっているだけです。その行動力もあいつの魅力のひとつですから、その輝きを失うようなことはさせたくありません。だからあいつが積極的に行動しようというなら、俺がいつもそばにいてあいつのことを守ってやりますから、忍田さんは父親として娘を信じてやってください」
迅から
そもそもツグミの常識破りな行動は今に始まったことではなく、無茶をするといっても
そして常にツグミの隣には迅がいて、
ツグミと迅は単なる恋愛感情ではなくもっと深い根本的な部分で固く結ばれているのだということは、この9年間のふたりをずっと見守ってきた忍田であればわかることなのだ。
「フッ…娘にだけでなく息子にも諫められるようになるとは、この私もヤキが回ったというところかな?」
忍田に息子と言われ、目を丸くする迅。
「忍田さん、俺が息子って…。それは俺がツグミと交際するだけでなく、結婚も認めてくれたってことですか?」
「ああ、おまえ以外にツグミの伴侶は務まらんと思ったからな。…昨日、あの子が私のことを世界で一番好きで、恋愛対象としてはおまえのことが一番好きだと言っていた。そんなことを言われたらおまえたちのことを信じて見守り、そして時が来たら精一杯祝福してやるしかなかろう。まあ、私の息子になるのならそれなりの覚悟がいるということを忘れるなよ」
そう答えた忍田の顔はボーダー本部長ではなく、年頃の娘を持つひとりの父親のものであった。
そして迅は忍田の「私の息子」という言葉に感極まってしまい、両目に熱いものが湧き上がってきたのを感じて思わず足を止めてしまった。
「…ん? どうした、迅?」
「いえ…何でもありません」
迅はそう言って後ろを向くが、彼の様子がただ事ではないということは忍田にもわかる。
「何でもないということはないだろう。…迅、おまえ…!?」
迅の顔を覗き込んだ忍田は迅が大粒の涙をポロポロと零しているのを見て驚いてしまった。
「俺、急に嬉しくなって…。嬉しいのに涙が湧き上がってきて止まらなくなってしまったんですよ…」
迅は人前で涙を流すなどという行為に自分自身で驚いており、自分の感情を抑える方法がわからないでいた。
しかし嬉しくなった理由ははっきりとわかっており、迅は笑いながら涙を零すというクシャクシャな笑顔で答えた。
「忍田さんも知っているとおり、俺は母親を亡くし、5年前には最上さんも亡くしました。そのショックでもう俺には家族はいない、もう二度と家族と呼べる人間はできないんだとずっと思い込んでいました。ツグミ以外の人間は俺の戦闘能力や
「……」
「それが忍田さんまで俺の家族になってくれるって言うんですから、こんなに嬉しいことはありません。…俺、やっとわかったんです。あいつがなぜ家族というものにこだわって、玉狛支部の仲間を家族だと言い張っていたのか。単に両親を亡くした寂しさを周りにいた人間を家族と見なした『家族ごっこ』で紛らわせていたんだと思っていました。でもあいつはそんな子供じゃない。仲間と家族との違い、それは嵐山の度を越したようにも思える家族愛を見ていればわかります。ツグミのそれも嵐山と同じなんです。入隊したばかりの嵐山がマスコミの前で『民間人と自分の家族のどちらを守るか』と訊かれた時に迷うことなく家族だと答えたことを覚えていますか? ツグミも同じことを訊かれたら家族だと答えるでしょうね。嵐山とツグミにとって家族とは『何よりも優先して守らなければならないもの大切な人たち』で、家族の安全が保証されたなら心置きなく
「……」
「俺も何かあったらまず家族を守りますよ。そして家族の安全が確保されたら、俺も最後まで全力で戦えます。まあ、俺の場合も家族はツグミと忍田さんですからこれまでと変わりませんけど。ただ心構えは変わりましたね。家族がいるというだけで勇気と力が湧いてくるような気がします。そしてそれと同時に安らぎと自分の存在意義についても感じられ、これまで以上に『生きたい』という気持ちにさせてくれます。大切なものを手に入れましたが、それを失う恐怖も同時に持つことになりました。だから絶対に失いたくはない、あいつに
そう言って、迅は袖で涙を拭うと晴れ晴れとした笑顔を見せたのだった。
迅は母親を
周囲に「仲間」はいたものの、家族と仲間ではまったく意味が違う。
仲間では穴埋めできない部分を補ってくれるのが家族の存在である。
そんな時にツグミは常に迅のそばにいて、特に何をしたということはなかったが彼はそれで救われていた。
なぜならツグミは当時から迅を「家族」と見なしていたからだ。
その時のツグミはまだ迅を「兄」として慕っていただけであったがそれでも家族であることには変わりなく、ツグミは迅にとって一番必要なものが家族の愛情であると
迅の幸せそうな笑顔に釣られ、忍田はつい胸の中に秘めていたことを吐露してしまった。
「家族か…。私も姉夫婦を亡くし、その忘れ形見であるツグミを命に代えても守らなければならないと考えていた。ツグミの成長が私の生きがいであるから、あの子が私の手から離れていくのを寂しいと感じ、父親として喜ぶべきことを哀しんでいた。与えることのみに夢中になっていたが、あの子から与えられたものの方がはるかに大きかったことに最近になってやっと気付いたよ。昨日の夜、ひな祭りだからと言ってあの子は夕食にちらし寿司を作ってくれたんだが、ひな祭りは娘の成長を祝う行事だというのに私はあの子を祝うどころかすっかり忘れてしまっていた。しかしあの子は私に『今わたしがこうしていられるのは全部真史叔父さんのおかげ。叔父さんが7歳のわたしを引き取って育ててくれたからこそ、今のわたしがある。だったらひな祭りは育ててくれた父親に対して感謝する祭りであってもいい』と言ってくれたんだ。それを聞いて私は胸が打ち震えて不甲斐なくも泣きそうになってしまったよ」
「その気持ち、良くわかります。ツグミの言葉って魂を揺すぶられるというか、心にジーンと来るものがありますよね…。それで俺は何度救われたことか。あいつはごく当たり前に言っているだけなんでしょうけど、本心からの言葉だから胸を打たれるんです」
迅は胸に手を当てて過去の記憶を思い出しながら、そのひとつひとつを噛み締めるように言う。
「ああ、私も同感だ。それに私たち以外にもあの子の言葉によって救われている人間は大勢いる」
「そうですね。最近の城戸さんの変化もあいつの影響なのは間違いないでしょう。2年前の例の件があってふたりの間には深い溝ができてしまいましたが、アフトの大侵攻後は何度か一対一で話す機会を得て、お互いの本音を吐き出したことで歩み寄れたんじゃないでしょうか。城戸さんもあいつのことをまだ子供だと思っていて、それが想像以上に大人の考えを持って行動していたことを知ったものだから、あいつの言うことにすすんで耳を傾けるようになった。キオンの捕虜をあいつに任せたことや、今回のガロプラとの接触に関しても以前の城戸さんだったら絶対にさせないことですよ」
「そのとおりだ。それに最近の城戸さんの顔に表情の変化が見られるようになった。相変わらずあまり感情を表に出さないようにしているが、ツグミのこととなると僅かだが口元が緩んだり、目尻を下げたりすることがある。たぶん城戸さんにとってもあの子の成長が嬉しいんだろうな」
「城戸さんにとってツグミは
「ああ…」
5年前の遠征に参加していた迅と忍田は
それがきっかけとなり城戸が
彼はボーダー隊員の少年少女らのことをわが子のように慈しんでおり、その中でも特に旧ボーダー時代を生き抜いたツグミや迅、レイジたちのことは死なせずに済んだ子供たちとして特に気にかけているのだ。
5年前のような悲劇が二度と繰り返されてはならないと隊員たちに注意喚起を促すために、彼は「
殲滅するなど現実には不可能なことだが、そういう意識を持って油断をすることなく戦えば犠牲も少なくなるだろうという「願い」が込められているのだと迅たちは知っている。
それに
迅やレイジは親を殺されてもなお
そしてツグミは両親を目の前で
そんな
「城戸さんは昔から辛いとか苦しいってことを他人に知られまいと何でもひとりで抱え込んでしまうところがありましたよね? でも最近のあの人の変化を見ていると、ツグミとのわだかまりが解けた流れの中で何かあったって気がするんです」
迅の言葉に忍田は頷いた。
「私たちにも話していない胸の底に沈殿していたオリのようなものを吐き出したんじゃないだろうか? ツグミのさりげないひと言で私たちが救われたように、城戸さんもまた何か感じるものがあって希望が見えてきたに違いない」
「俺もそう思います。…あいつは懺悔をしても許しを与えてくれるわけではなく、優しい言葉や慰めで癒してくれるわけでもありません。でもあいつの言葉はいつでも渇いた土に染み込む清水のように身体全体をじんわりと潤してくれるような気がするんです。あいつの言葉の中にはいつでも自分ひとりでは見付けられない、そしてその時に一番欲しいと思っているものが含まれている。だから救いを求めるように縋り、誰にも見られたくない情けない部分でもあいつには全部曝け出してしまうんじゃないでしょうかね」
「だろうな。きっと城戸さんもあの子と話をしていて、私たちがもうずっと見ていない穏やかな笑顔をあの子にだけは見せていたかもしれない」
「昔の城戸さんは今のあの人の姿からは想像もできないほど朗らかで人付き合いの良い人でしたからね。そんなあの人を取り戻すことができるのはツグミだけなのかもしれないと思うと妙に期待をしてしまいます。俺は昔の城戸さんのことがすごく好きでしたから」
「ああ。しかし私たちの期待が大きすぎてあの子を潰してしまわないか心配だ」
「大丈夫ですって。なんたってこの俺がそばにいるんですから。忍田さんにも結婚を認めてもらえたことだし、これからはもっと大事にしますよ。もうあなたが嫉妬するほど愛して、世界で一番幸せにしてやりますからご安心を。お
「う…」
迅から「お
自分から迅のことを「息子」と認めた以上、彼から父親として見られるのは当然である。
ただツグミからは絶対に呼ばれない「お父さん」という言葉を迅の口から聞くことになったのだから妙にむず痒いのだ。
迅と忍田がそんな会話をしているところにツグミが戻って来た。
「あー、ふたりともこんなところにいたんですね。エレベーターホールで待っていたのになかなか来ないから迎えに来ちゃいました」
彼らの事情を知らないものだから、ツグミは彼らの間に漂う空気の変化を察して怪訝そうな顔をする。
「何だか妙なことで意気投合したってカンジがするんですけど、わたしに聞かれたらマズイことでも話していたなら怒りますよ」
「そんなことはないぞ、ツグミ。迅と私はおまえのことが世界で一番愛おしいと話していただけだ」
それを聞いてツグミの顔は一瞬で真っ赤になった。
「な、何を言ってるんですか!? その気持ちはすごく嬉しいですけど、そう面と向かって言われると恥ずかしいですからやめてください!」
考え方ややることは大人びていても所詮16歳の少女である。
可愛らしい反応をするものだから、迅と忍田は可愛いと思ってつい優しい眼で彼女を見つめてしまう。
「もう…これから重大な任務だっていうのに、どうしてそんな浮ついた話をしてるのかしら? もっと真面目にやってもらわないと城戸司令がこんな顔をしますよ」
そう言ってツグミは両手の人指し指で眉間にシワを作り「あからさまに不機嫌だ」と言わんばかりの城戸の顔マネをした。
迅と忍田はついさっき城戸の表情が豊かになってきたと話していたばかりだから、ツグミの顔マネについ失笑してしまう。
「ふたりとも笑ってないでさっさと行きますよ。それから作戦開始前に夕食は済ませてしまわなければならないので、今夜は本部の食堂ってことになります。全員で一緒に食事となると周囲からの目が気になりますから、それぞれ時間をずらして別行動が良いと思います。一七三〇時までに食事を済ませ、その後は地下格納庫で『お土産』を受け取ってから最終打ち合わせ。やることがいっぱいあるんですからね」
照れ隠しのつもりでキツイ言い方をするものの、それがまた愛らしいものだから、迅と忍田はますますツグミのことが愛おしく可愛いと思ってしまうのだった。