本部司令執務室を出たツグミ、迅、忍田、林藤は言葉なく廊下を歩いていた。
それぞれ思う所があって黙っているのだが、その中でツグミは今回の事件よりも林藤から一昨日の夜の一件をいつ聞かれるだろうかと考えていたのだった。
しかし林藤は黙ったままで一向に彼女に声をかける気配もないものだから、逆にツグミの方から林藤に話しかけることにした。
「支部長は一昨日の夜のこと、わたしに訊かないんですか?」
すると林藤は意外だといった顔で答える。
「ん? 一昨日の夜のこと? …あー、あのことか。俺はレイジや宇佐美からも特に事情は聞いていないし、おまえからも聞こうとは思ってないぞ」
「どうしてですか?」
「どうしてって…俺はおまえたちのやったことについて問い質すとか審判をする立場じゃない。双方の話を聞いてどっちが良いとか悪いとか言うことはできないからな。だってそうだろ? おまえもレイジも宇佐美も千佳のためを思ってそれぞれが正しいと思うことをやっただけだ」
「はい…」
「俺はおまえたちの父親代わりのつもりでいる。だから子供たちの間できょうだいゲンカをしたところで口出しはせず、本人同士で折り合いを付けてもらおうというのが俺のやり方だ。ま、放任主義だと言われたら否定はできないが、俺はおまえたちのことを信頼しているから最悪の状態になりそうな時以外は傍観することに決めている。城戸さんもこの件は知っているがおまえに何も言わないのは俺と同じだ。あの人にとってはすべての隊員が自分の子供みたいなもんだからな。…そりゃおまえが玉狛を出てってしまって俺は寂しいが、こうやって顔を合わせる機会はあるんだしボーダーの一員であることには変わりない。千佳や宇佐美、修たちもレイジに諭されておとなしくしている。もっともあいつらには明日のランク戦の方が重要な問題だからな」
林藤はあえて双方の言い分を聞かず、公平な立場でいようという考えでいるようだ。
これはツグミたちに全幅の信頼を寄せている林藤であるからできるものだといえよう。
いくつもの言葉を重ねて説得するよりも何も言わないということによって相手の心を動かすこともできるのだとツグミは思い知らされた。
「支部長、この度はお騒がせして申し訳ありませんでした。…でもわたしは後悔していませんし、やったことも間違ってはいないと信じています。ただしわたしの行動が直接関係のないゼノン隊長たちに迷惑をかけてしまったことについては彼らに直接謝罪したいと思っています。私物もその時に運び出しをする予定です」
「わかった。俺はおまえの意思を最優先し、見守ることしかしない。だが俺を頼りたいと思った時には遠慮なくいつでも俺を頼れ。俺もおまえの父親のひとりなんだからな。いいな?」
「はい、ありがとうございます」
「よせよ、父親に礼なんて言うな。それよりも引っ越しとなると軽トラが必要だろ? 車の手配は済んでんのか? 人手が足りないなら俺が手伝ってやるぞ」
「いえ、荷物は玉狛のジープの後部座席に載るくらいの量しかありませんから。人手もジンさんが手伝ってくれるというので、それだけで十分です」
「だがあの大量の本はどうすんだ?」
林藤も迅と同じことを訊いた。
ツグミが「本の虫」であることは玉狛支部の人間なら誰でも知っていることだから、林藤が疑問に思うのは当然である。
「ああ、あれは全部置いていくのでそちらで処分してもらおうかと思います」
ツグミと林藤の会話を耳にした迅が話に加わってきた。
「支部長、こいつはあの200冊を超える本の内容を全部暗記しているらしんですよ」
「ほぉ~、そりゃすごい」
感心する林藤に迅は続ける。
「でもこいつはそれが当然だと思っているんです。まるで強化視覚の能力がサイドエフェクト認定される前と同じじゃないですか」
「…たしかにツグミだけでなく他のサイドエフェクト能力者も自分ではそれが当然だと思っていて、調べてみたらサイドエフェクトだったというケースが多いからな。まあ、こいつのサイドエフェクトは強化視覚ってことになっていて、今さら別の能力でしたなんて言えるものじゃない。だから特に調べたり、改めて認定や発表をするなんてことはしなくていいだろう。この話はここだけにしておくぞ」
「わかってます」
ツグミのサイドエフェクトは強化視覚であると公表されているから、これがサイドエフェクトでないというならば常人をはるかに超える視覚を持つ理由を説明せねばならない。
まさか父親が近界民で強化視覚が父親由来の能力であるなどと言えるはずがなく、それに彼女の優れた能力がサイドエフェクトであろうとなかろうとそんなことは関係ないのだから。
これで謎のC級隊員による「玉狛の新人が近界民である」という噂は沈静化することになるだろう。
半数以上の隊員たちがガロプラの本部基地襲撃を知らず、さらにスパイが潜入していたことを知る者はほんのひと握りの人間だけである。
大規模侵攻後の記者会見で公になった近界遠征に対して三門市民は多大な期待を抱いており、ボーダーと民間人が一丸となってさらわれた家族や友人たちの奪還を目指している。
そんな時に新たな近界民による襲撃があったと外部に漏れたなら、不安に駆られた民間人の人口流出がさらに進み、市民のボーダーへの信頼度が低下する恐れがあるため絶対に知られてはならない。
さらにスパイが潜入して情報操作をして内部を混乱させようとしていたとなれば、隊員の間でも動揺が走るだろう。
よってツグミたちの関わったこの事件は「事件そのものが存在しなかった」ことにされる。
しかし「なかった」ことにされてもツグミたちの活躍がなかったことになるのではなく、これまでにツグミと迅が何度も解決してきた極秘任務と同じ扱いとなるわけだ。
城戸たちもツグミたちの働きを認めているものの「事件そのものが存在しなかった」のだから公式に報奨金やポイントを与えることはできない。
すなわち「タダ働き」のようなもので誰からも感謝されることはないが、それでも本人たちが「ボーダーと仲間たちに何もなくて良かった」と精神的に満たされているから両者の関係は上手く続いているのである。
そこで城戸はツグミには本部異動とS級昇格を機会に一定の範囲内であれば上からの命令に縛られずに行動できる「自由」を与え、今後も組織の「イレギュラー的存在」として働いてもらうことに決め、ツグミはそれを了承した。
それはツグミにとって「渡りに船」の状態で、彼女がこれからやろうとしていることにとってはありがたい措置であった。
◆◆◆
同時刻、ガロプラの遠征艇の中ではガトリンたちが作戦室に全員集合していた。
彼らにとっては当初の計画とはまったく違う結果となったものの、予定外の「土産」を手に故郷へ帰国できるものだから内心複雑ではあるが、任務から解放されたことでリラックスしている。
その中でガトリンは部下たちを前にして演説を始めた。
「今回の任務はアフトクラトルからの指令で『玄界の足止めをする』というものであった。俺達にとっては玄界に何の恨みも、また戦略的に襲撃する理由もなく、ただ宗主国の命令に従わざるをえないという非常に胸糞悪いものであり、当初の作戦は完全に失敗した。大量のトリオン兵を導入し、俺達は遠征艇まであと一歩というところまで踏み込んだものの辛くも敗れたのは誠に残念であった」
「……」
「しかし最後の最後で思いがけずアフトのツノ野郎共に一泡吹かせてやることができそうなものを手に入れた。俺達の基地襲撃によって玄界の連中はかなりの物的被害を受けただけでなく隊員を拉致されたというのに俺達のやったことをすべて水に流し、あまつさえアフトに対する申し開きの証拠物件となる『土産』さえ用意してくれた。もちろんこれは玄界にとっても都合の良いことであるから手放しで感謝する必要はないが、それでも早期に全員で無事に帰国ができるのは彼らのおかげである」
「……」
「よって俺個人としては今後玄界とは事を構えることはしたくない。もっとも上からの命令があれば刃を交えることとなるが、その時には正々堂々と戦いたいと思っている。おまえたちにそれを強いるつもりはないが、俺の部下として共に戦うのであれば俺の胸の内を知っていてもらいたいと思っただけだ。皆、お疲れだった。ひとまずこれで本国到着まで何もすることはない。各自寛いでくれ」
ガトリンの「挨拶」が終わると、隊員たちは各々テーブルの上に置かれた飲み物や軽食に手を伸ばした。
そこにあるものはガロプラから持参した糧食ではなく、すべて三門市内のコンビニで購入したものである。
彼らもまたキオンのゼノンたちのようにこちら側の世界で暮らすうちに「玄界の一般市民の豊かな生活」に魅せられてしまったのだった。
「玄界は近界と比べてトリオンに関する技術は未熟だけど、市民の暮らしのレベルははるかに玄界の方が上だな」
コスケロがチーズブールを食べながらしみじみと言う。
「近界ではこんなに柔らかくてふっくらとしたパンを食べたことがない。玄界では普段から誰もがこんなに美味しいものを食べられるというのは、それだけ優れた技術と資源があるということになる」
その意見に賛成だといった顔でコーヒーの入ったカップを握るラタリコフが言った。
「そうですね。このお湯を入れるだけで飲めるコーヒーなんて、近界のどこにも存在しませんよ。そもそもコーヒーは貴族しか口にできない超高級品です。それが玄界ではいつでも誰でも手軽に楽しめる。それだけでもこの玄界が豊かな国だってわかります」
近界にはない「昼夜時間に関わらずいつでもすぐ食べられる温かい料理を売っている店」や「お湯をかけるだけで食べられるようになる食品」に興味を示すのはゼノンたちと同じである。
おまけに同様の食品が自国にあっても品質は劣る上に値が張るものばかりで、上級市民でなければ手に入らないような高級品でも玄界では誰もがごく普通に、それも安価で手に入れることができるのだから彼らが驚くのも無理はない。
そもそも貴族や一等市民、庶民といった階級制度すらないということを知り、驚くと同時に憧れすら抱いていた。
すると普段は口数の少ないヨミが会話に加わってきた。
「玄界はトリオンに頼らない文明を築いてきたから、ぼくたちが想像もしていない方向に技術が進んでいるんだ。たとえば保存食に関してだと、近界の国々では農作物を収穫期以外にも食べられるように乾燥させたり塩漬けしたりして長持ちさせるけど種類は少ないし品質も良くない。糧食については味なんか二の次で、量があって腹持ちさえ良ければそれで十分っていうものが多い。でも玄界では食料の保存には別の方法がいくつもあるようだし、野菜や果物が季節に関係なく収穫できる栽培システムがあるらしい。こんな寒い時期でも夏に採れる野菜が当たり前のように売られていた。そして近界ほど戦争が日常的ではないから、長期保存の手段というよりは手軽に美味しく食べられることを重点として考えられているんだ。食品を乾燥させて保存するにしても、ただ干したり水分を抜くだけでなく何か他の技術を併用しているに違いない。そうでなければこれほどの味を再現できるとは思えないから。たぶん技術的にはぼくたちにも作ることができるような簡単なものなんだろうけど、近界ではそんな研究や技術開発自体考えたこともなかったんじゃないかな」
「つまり技術的な面でだけでなく、目的が違うから目指す方向も違ってくるということか?」
ラタリコフが訊く。
「そう。ボーダーという組織も同じ。近界では少ないトリオンの資源を奪い合うために愚かしい戦争を繰り返している。そもそもトリオンエネルギーに頼るしかない文明だからトリオンを生み出す人間を大事にしなきゃいけないのに、その人間を死なせる戦いをしているのだから馬鹿げていると思う。ぼくたちガロプラは積極的に他国への侵略をしようとはしないけど、アフトのような攻め込んでくる国からの自衛のために軍備を増強してきた。だから日常生活で使うトリオンも不足しがちになるんだ。だけど玄界ではトリオンエネルギーに依存しない文明を築いてきたから、はじめから近界への進出なんて考えていない。ボーダーが遠征を行う目的は自衛のためのトリガー技術を手に入れるためとさらわれた同胞を取り返すこと。たぶん近界民が玄界に門を開かなかったら、玄界の人間は近界の存在すら知ることはなかっただろうね」
雄弁に語るヨミの言葉には説得力があった。
誰もがその言葉に耳を傾け、それぞれが近界と玄界の違いを比べてみる。
そんな中で、レギンデッツが口を開いた。
「オレはボーダーに潜入していろいろなものを見た。玄界の連中はトリオン技術とかトリガーの種類なんかはまだまだだけど、奴らはそれなりに足りない部分を補っているように見えた。オレたちのように個人の特性に合わせた専用トリガーを使うのではなく規格化された汎用性のあるトリガーを使っていても、複数のトリガーを各自で組み合わせて使い手がもっとも使いやすいように調整し、様々な状況に対応できるようにしている。また仮想空間を使うことでトリオンを消費せず、さらに安全で何度も繰り返して戦闘訓練を行えることにより短期で優れたトリガー使いを生み出すという結果に繋がっているようだ」
「レギーの言うとおりだ」
ガトリンが言う。
「玄界側に地の利があったとはいえ4人の黒トリガー使いを含めたアフトの精鋭部隊と戦った際、善戦しただけでなく最終的には奴らを撤退に追い込んだ。アフトの国宝星の杖を持つあのヴィザを倒した強者がいるということだから、玄界を侮ってはならない。玄界には俺達の想像をはるかに超える技術や国力があるのだろう。新しい遠征艇を造る余裕もあるようだし、それだけの力を持っているからこそアフトの連中は彼らを恐れているんだ。『神』探しで国内が混乱しているところに準備万端の状態の玄界の兵士が攻め込んできたら、負けることはないとしてもかなりのダメージを受けることだろう。だからこそアフトの連中は俺達に足止めをさせようとしたわけだ」
そしてニヤリと笑って続けた。
「もし玄界が計画どおりにアフトへの遠征を決行し、上手い具合にアフトの戦力と国力を削いでくれたらどうなるかわかるか? あのツノ野郎共に虐げられている我がガロプラにとって千載一遇のチャンスとなるかもしれないのだぞ」
アフトクラトルの勢力が弱まれば、これまで属国として虐げられていたガロプラやロドクルーンといった国々が一斉に蜂起してその支配から逃れるための戦いが始まるだろう。
そうなるとアフトクラトルという国自体が存続するかどうかも怪しくなり、近界の勢力地図が塗り変わることになるかもしれない。
「それで玄界の連中の策略に乗ったということですか、隊長?」
コスケロがガトリンに訊く。
「ああ、それもある。しかしこのまま玄界に長期滞在となればおまえたちに不自由をかける上、本国に残してきた家族にも申し訳ないからな。あの『土産』が玄界の遠征艇の一部であることは調べればすぐにわかるはずで、あれなら基地に乗り込んで遠征艇を破壊した証拠として通用するだろう。もちろん玄界が新しい遠征艇を建造して追って来ると奴らは考えるはずだが、しばらくは時間稼ぎできると油断するに決まっている。そこに玄界の連中が予定どおり攻め込んでアフトの連中に大打撃を与えてくれさえすればこちらもありがたい。もし奴らが玄界の追っ手のことを察知して俺たちを尖兵にして戦わせようとしたとしても、適当な言い訳をして時間を稼いでいるうちにどちらにつくべきか見えてくるだろう。その時に優勢な方に付けばいい。玄界との関係を悪化させず済んだのは幸いだった。これが後に俺達の未来にも大きく関わってくるに違いないのだから」
どちら側にも味方せず、タイミングを見計らって有利な方に付くというイソップ童話のコウモリのような立場でいようと考えるのは卑怯に見えるが、弱者にとってはそうしないと自分と家族や仲間の命を守れないのだから仕方がないことなのだ。
「今回の遠征では特にこれといった収穫は何もなかった。しかしこうして全員が無事に帰還できることと、玄界の文明の一端を垣間見ることができたということで良しとしようではないか。それに珍しい玄界の食料もたっぷり手に入れた。これだけあれば本国に着くまで十分だろうし、家族への土産としても足りるだろうからな」
そう言ったガトリンの視線の先には大量のダンボール箱がある。
中身はゼノンたちの時と同様で、ケース買いしたカップ麺やペットボトル飲料など保存の効く食料のカルトンケースが現在彼らのいる作戦室や倉庫、それに居住区の一角にまで所狭しと積まれていた。
彼らはツグミたちの前で門の向こう側に消えたと思わせておき、場所を変えて出現してコンビニで大量買いをした後に再び近界への門を開いたのだった。
ガトリンたちとの邂逅がツグミとボーダーの未来に影響を与えることとなるのだが、それはまだしばらく先のことである。