ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
自分の横で黙ったままで歩いている迅にツグミが声をかけた。
「さっきの林藤支部長との会話を黙って聞いていてくれてありがとうございました」
「ん? …ああ、別に礼を言われるようなことじゃないさ。俺はいつでもおまえの味方だ。もちろん
迅の言葉にツグミは強張っていた表情を緩めた。
「たしかに今のメガネくんじゃ遠征部隊に選ばれるのは難しい。例の記者会見での爆弾発言のせいで遠征計画自体が前倒しになって、参加する隊員の訓練の時間もあまり取れそうにない。たぶん今回のアフト行きはこれまでの遠征以上に厳しいものになるだろう。なにしろおまえが言うように敵の本拠地に正面から殴り込みに行くことになるんだからな」
「ええ。そしてわたしが一番心配しているのは、オサムくんが選ばれなかった時にジンさんが城戸司令たちにいろいろ根回しして参加させてしまうんじゃないかということです。『俺の
迅には入隊試験に落ちた修を強引に入隊させたという前歴があるから、ツグミはそのことを心配しているのだ。
遠征に連れて行くことはどうとでもできるが、無事に帰還させるのはとても難しいということを良く知っているからである。
「今のところメガネくんが遠征部隊に選ばれるかどうかは俺にも視えない。正直言って彼が遠征へ行くのが良いのか悪いのかもまだわからない状態だ。もし遠征先で悪いことが起きると言うなら俺は止めるし、そうでないなら傍観する。そしてメガネくんが行くことで最善の未来となるのなら、俺は彼を全力でを応援するさ。それにしてもおまえのメガネくんに対して心配性だよな?」
「それは当然ですよ。別にオサムくんのことだけじゃなくて、遠征に参加する隊員すべてのことが心配になります。相手がハイレインのベルティストン家一党だけならまだしも、他の領主たちの率いる軍までが加わったら…想像するだけでも恐ろしいです。ベルティストン家と対立する領主に接触して何らかの取引によって味方にするという手も考えられますが、アフトに着いた途端にヒュースが離脱してしまうでしょうから難しそう。他には…」
ツグミはそう言って少し考え込んだのだが、迅が急に怖い顔でツグミを睨んだ。
「おまえ…今、とんでもないことを考えただろ?」
するとツグミは困惑した顔で作り笑いする。
「やっぱりジンさんにはわかっちゃうんですね。わたしがちょっと考えただけで未来が視えるって凄いです。でもこれは冗談ですから気にしないでください」
ツグミは笑って誤魔化そうとするが、迅はますます厳しい表情になりツグミに詰め寄った。
「冗談で済ませられることじゃないだろ? 俺にはおまえがハイレインと一緒にいる光景が視えたんだぞ。俺の
言葉は穏やかだが、この状況を「冗談」では済ませることができるはずがないという
こうなれば正直に話すしかないと、ツグミはため息をついてから言う。
「ハァ…ジンさんには変に隠し事はできませんね。…ふとわたし自身の価値を考えてみたんです。大規模侵攻で戦った時、あの男はわたしに自分の部下にならないかって誘ってきたんです。
「……」
迅にはツグミの言葉が「半分本当で、半分嘘」だということはすぐにわかった。
彼女が自分とC級隊員の身柄の交換を考えたことは「本当」だが、そのことを本気ではないと言ったことは「嘘」である。
一瞬でも本気で考えたからこそ、迅にはその先にある未来が視えたのだ。
よって彼女の話を冗談で済ませることはできない。
「だってわたしの身柄がアフトに引き渡されたとしても殺されるようなことは絶対にないし、誰も傷付かずにC級を無事に取り戻すことができれば遠征は大成功ってことになりボーダーにとって最善だと思ったからで、それで…」
「ボーダーにとっても最善ではなく、俺にとっては最悪だ」
「もちろんヤツらの思いどおりにさせる気はありませんよ。ミリアムの
「いいや、ヤツらのことだから拷問や洗脳をして無理やり使わせることだってありえるぞ。ヤツらの手の内にある以上、おまえが無事で済むとは思えない。そんな状態になるのを俺が黙って見逃すはずがないだろ?」
「だから冗談だって言っているじゃないですか~。わたしだって痛いこととか苦しいことは嫌ですし、なによりジンさんと離れ離れになって二度と会えなくなるなんて絶対に嫌です」
ツグミが否定しても「最悪の未来」が消えないものだから、迅の顔がますます怖いものになる。
「たしかにおまえは本心を言っているのだろうが、嘘をついている部分があるからこそ最悪の未来のイメージが消えずにいる。これはどういう意味かわかるか?」
「……」
「今ここでおまえを責めても未来は変わらない。未来が変わるとすればそれはおまえ自身がこのくだらないアイデアを冗談だとか言って誤魔化すのではなく完全に捨てるしかないだろうな」
迅はツグミ自身が馬鹿なことを考えたことを反省するように突き放した言い方をした。
いくら口で言っても弁の立つ彼女を改心させる方法がないため、事態を収拾させるにはこうするしかないのだ。
ツグミは迅から見限られたと感じたものだからしゅんとしてしまう。
しかしすぐに「あること」に気付いた。
(わたしがちょっと考えただけで未来に影響が出るというの? そもそもわたしが本気でやろうとしても城戸司令や忍田本部長が許すはずがないし、わたし自身が遠征に行けないんだからありえない未来のはず。それなのにどうしてジンさんにはわたしとアフトの人間が一緒にいる未来が視えたんだろ!?)
タイミングとしてはツグミが自分とC級の身柄交換を考えた直後であるから、迅の視た未来は彼女の「くだらないアイデア」が原因であることは間違いない。
すべての事象には「原因」があって「結果」がある。
しかしその間の「経過」がありえないものであるから、ツグミは疑問に思うわけだ。
彼女が考えるように遠征に行くことができない以上「ハイレインと一緒にいる未来」は実現するはずがないし、仮にアフトクラトル遠征に参加することになって彼女が自分の身柄と引き換えにC級隊員を助けるためといっても、それを
それなのに迅には最悪の未来が視えてしまった。
(そうか…ジンさんが視た悪い未来でもわたしが自分の意思で変えてみせると言って、実際に良い方へ変えてきた。だから逆にその意思の力が実現不可能だと思われることでも可能に変えてしまう。つまりありえない未来を招いてしまうということなのかも!)
ツグミが本気で自分とC級隊員の身柄交換を望んで行動した場合、それが実現することもありえるということになる。
だから彼女が冗談のレベルで考えたことでも、迅には実現するかもしれない「いくつもある可能性のひとつ」として視えてしまうのだ。
(そうなるとわたしがやたらに考えたことでジンさんに要らぬ心配をかけてしまうってことになる。ジンさんのためにと思っていろいろ考えて行動しているつもりなのに、それが裏目に出てしまうなんて…。そんなのイヤだよ。わたしのせいでジンさんを苦しめるなんて絶対にダメ!)
不安に駆られながらツグミは考えた。
(…でもわたしがちょっと考えただけで未来に変化が起きてジンさんが予知したなんてことは今まで一度もなかった。それってわたしとジンさんの関係に変化があったから視えるようになったと考えられないだろうか? ふたりの心の距離がぐっと近付いたから? それとも別に理由がある?)
気になるが手掛かりになる情報がなく、ツグミは迅に訊いてみた。
「ジンさん、わたしがあなたの前からいなくなる未来というのはいつから視えたんですか?」
「ん? …ああ、あれはたしかアフトの侵攻の少し前だ。…そういえば近いうちに
「いえ、それはもう済んだことですし、何もなかったんですから気にしないでください。それで大規模侵攻以降もわたしがいなくなる未来のイメージがずっと消えずにいたんですよね?」
「ああ。それから少し変化があったのはおまえがトリオン切れで倒れた後だ。おまえに自分がボーダー隊員を続けている未来が視えるか、玉狛のみんなと一緒にいられるかと訊かれた頃だな。それまでは漠然と視えるだけだったが『何者かと一緒に』という具体的なものが視えてしまった。おまけにその何者かが『男』であるところまで視えたものだから、最悪の未来を回避したはずなのに逆に近付いてしまったと感じ、さすがの俺にも手の打ちようがなかった」
「……」
「そしてガロプラの襲撃が終わってもまだ視え、そのうちにキオンの連中に拉致された。それまで俺はヤツらの顔を見たことがなかったものだからヤツらに関する未来は視えなかったわけだが、当日それも拉致される直前になってやっと全貌がわかった。手遅れになってしまったが、おまえが自力で帰って来てくれたものだから心からホッとしたよ。なんだか悪い未来を回避するにも全部おまえ任せになっているようで申し訳ない気がする」
「そんなことはどうでもいいです。…つまり今から2ヶ月くらい前から視え始め、例の事件が起きるまで徐々にイメージがハッキリしていった。でも最悪の未来を回避することができたので、もうわたしがジンさんの前からいなくなる未来は視えなくなった…と考えていいですか?」
「あ、ああ…そういうことだ。しかしそんなことを訊いてどうする?」
怪訝そうな顔で訊く迅にツグミは正直に答えた。
「ジンさんの
「まあ、そうだな」
「ジンさんには大規模侵攻の直前にわたしがずっと一緒にいる未来といなくなる未来が同時に視えていて、いなくなる未来はもう視えなくなったというのに今度はわたしがハイレインと一緒にいる未来が視えてしまった。一緒にいる人物が漠然とではなく特定の人物として視えたってことは、けっこう実現の可能性が高い未来っぽいですけど。つまりわたしが今後もジンさんと一緒にいられるかどうかはまだ決まっていなくて、わたしの行動によって最善も最悪もありうる。それもわたしがまだ行動に移らなくても考えただけで結果とも呼べる未来が視えてしまうなら、逆にわたしが何も考えず何も行動しなければ良いか悪いか関係なく『確定した未来』が視える…ってことになるのかなって」
「……」
「実際にわたしがゼノン隊長たちに拉致されてしまった時に諦めて何もしなければ今頃はキオンに連れ去られて『わたしがジンさんたちの前からいなくなる未来』が実現した可能性は高いです。あ、でも何もしないでいてミリアムの
「あ、ああ…少なくとも悪い未来は視えなかったと思う」
ツグミの問いに迅は答えるものの様子がおかしいことにすぐ気が付いた。
視線を合わせようとせず、何かを隠しているのは明らかだ。
「その言い方、ちょっとひっかかりますね。まあ、わたしが追求しても教えてはくれないでしょうからひとまずここでおしまいにしておきます。優先すべきは引っ越しですから」
そう言ってツグミはあっさりと引き下がった。
そして迅もツグミにこれ以上「嘘」を詰め寄られずに済んで安堵していた。
「わたしはクローニンさんの
ツグミは迅を残すとひとりで
一方、迅はツグミの部屋に向かいながら考える。
(あいつと一緒にいられる未来と同時に俺たちの前からいなくなる未来が
ツグミには「少なくとも悪い未来は視えなかった」などと嘘をついたが、「彼女がいなくなる未来」はまだ消えたわけではなかったのだ。
漠然とではあるが迅には彼女がいない世界のイメージが視えていて、さらに彼女がハイレインと一緒にいるという具体的なシーンが視えたものだから混乱してしまった。
現在、迅にはツグミが「自分たちと一緒にいる」「いない」「ハイレインと一緒にいる」という3つの未来が同時に視えていて、そのうちのふたつは絶対にあってはならないものである。
どうすればツグミが「自分たちと一緒にいる」未来以外を回避できるか必死に考えた。
(まず城戸さんがあいつを遠征に参加させるとは思えないし、参加できたとしても遠征の
さらに迅は考える。
(あいつの強い意思は実現する可能性の低い未来でも変えてしまう。それは良い方に動くのなら大歓迎だが悪い方にも動く場合もある。さっきの予知は悪い方、それも最悪も未来だ。あのまま放っておいたら冗談などと言って済まされず、あいつは本気で実現させたかもしれない。…それにしても今まであいつが考えただけで導かれる未来を予知するようなことはなかったというのに、これはどういうことなんだ? あいつが言うようにまだ行動に移らなくても考えただけで結果とも呼べる未来が視えてしまうなら、逆にあいつが何もしなければ良いか悪いか関係なく『確定した未来』が予知できるのだろうか…?)
自分の力であってもわからない部分が多く、迅自身も力のコントロールができるわけではない。
視たくないものも視えてしまうし、悪い未来を予知しても回避できないことが何度もあって、その時には後悔してばかりだ。
もしツグミのことで取り返しのつかないことになれば、その時には自分を責めて自暴自棄になるだろう。
(俺の
そしてここでふと気付いた。
(だとすれば俺が悪い未来を予知した時、そばにあいつがいればすぐにその話をすることで未来を良い方へ変えられるかもしれない。あいつに直接関係することではなくても何らかの変化は起きるだろうし、あいつのことであれば手遅れになる前に対策を講じることができる。それに変えることができないとしても、少なくともそれ以上悪い方へ傾くことはないはずだ。…ただし未来予知で俺が苦しんでいたものと同じものをあいつにも背負わせることになる)
迅は迷っているが、それをツグミに言えば彼女はきっと笑って「あなたの荷物を半分背負うことができるなら大歓迎」だと答えるだろう。
そしてどんなに覆すのが困難な最悪の未来であろうともふたりなら必ずできると迅を励ますに違いない。
しかし迅にはツグミに言う勇気がない。
残酷な未来が起きるかもしれないと告げれば自分のことのように思い悩むのは目に見えているし、なにより知らなくてもいいことを教えるのは忍びない。
彼女の笑顔をいつも見ていたいと思うのに、その顔を自分の手で曇らせることに抵抗を感じているのだ。
心の整理がつかないまま、迅は再び歩き始めた。