ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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174話

 

 

「先に謝っておく。さっきは悪かった」

 

太刀川がまず口にしたのは謝罪の言葉だった。

 

「事情を知らなかったとはいえ、おまえに嫌なことを思い出させてしまったことは事実だからな」

 

ここまで素直に謝られたらツグミも許さないわけにはいかない。

と言うか、そもそも自分が勝手に腹を立てていただけであり、模擬戦でストレスを発散したからもう何も怒ってやしない。

 

「いえ、わたしもあなたに悪いことをしてしまいました。ごめんなさい」

 

「じゃ、これでおあいこだな。だけど俺はおまえのことを全然知らないから、こういったことも起きるんだと思う。だから俺にもおまえのことを教えてくれよ。忍田さんや迅が知っていることを俺も知りたい」

 

「あ…それはちょっと。あのふたりとはもう5年近く一緒にいるんです。信頼できる相手だって確証のある人たちだからいろんなことを話せるわけで、まだ知り合って数ヶ月のあなたとじゃ条件が全然違います。大事な秘密であっても話して大丈夫だっていう確証がなければ教えられません」

 

何でも訊いて良いと言っていながらも大事なことは教えられないということになれば太刀川もズケズケと訊いてくることはないだろう。

これはツグミにとっての予防線で、こう言っておけば太刀川も言葉を選んだり気を使ったりしてトラブルは防げるはずである。

 

「それは俺が信頼できる人間だったら教えてくれるって意味だよな? なら一番にどうすれば俺を信頼してくれるようになるのかを教えてくれ」

 

「いいですよ。じゃあ、一般論からいきますね。まずは約束を守ることです。約束というのは当事者間で決めたルールのようなものですから、それを破るということはルールを守らないってことですからね」

 

「うん、それは当然だ」

 

「次に見た目がしっかりしていること。人は見た目じゃないって言いますけど、見た目は絶対にその人の内面のかなりの部分を表しているってわたしは思うんです。見た目がだらしなくてきっちりとした性格の人はいません」

 

「なるほど」

 

「それから節度のある行動ができること。責任感があること。口が堅いこと…といったところかな。逆に嘘をつく人、自分が悪いのに謝らない人、『ありがとう』が言えない人、相手によって態度を変える人なんていうのは信頼できません。こういったことを頭に入れておけば、自分がどんな行動をすればいいのか、してはいけないのかわかると思います。そしてわたしが一番大切にしていることは、他人に付和雷同せずに自分自身の意思と考えを持つことです。それはさっきもお話しましたけど、状況によって流されてしまう()()()()()()()()()人間は信用できませんから」

 

「わかった。俺がおまえに認められる行動をすれば話してくれることも増えるんだよな? だったこれからは自分の行動に責任を持つよ」

 

「それなら今の状況で話せることについては話します。それでどんな話を聞きたいですか?」

 

「じゃ、まず…」

 

太刀川は最初の質問をした。

 

「ふわらいどう、ってどういう意味?」

 

ツグミは呆気にとられてしまった。

 

「…それ、本気で訊いているんですか?」

 

すると太刀川は当然という顔で言う。

 

「本気だけど。おまえってさ、小学生のくせに難しい言葉を使うし、いろんなことを知ってるなってずっと思ってたんだ」

 

「う~ん…わたしには難しい言葉じゃないんですけど。日常生活で普通に使ってませんか? 『付和雷同』というのは自分に決まった考えがなく他人の意見に軽々しく従うこととか、自分の主義主張を持たずに人の言動につられて行動するって意味です。小学校の授業で習いませんでした?」

 

「覚えがない」

 

「そういうことを堂々と言わないでください。高校生にもなって小学生のわたしよりも一般常識がないなんてダメじゃないですか。この程度の四字熟語は一般常識ですよ。剣の稽古もいいですけど、もっと本を読んで知識を深めた方がいいんじゃないですか?」

 

「えー、俺はそういうの苦手なんだよな~。本とか教科書は開くだけで眠たくなるし」

 

「じゃあ、学校での授業はどうしてるんですか?」

 

「いつも寝てる」

 

「……」

 

ツグミも太刀川のプライベートについて触れずにいたからこの情報は衝撃的であり、これまでのいくつかの疑問を抱いた事柄に納得がいく答えが得られた。

 

(真面目に授業を受けていないから定期テストが最悪の結果で、追試もダメダメで、夏休みには特別な課題が出された上にそれが8月29日になってもまだ終わっていなかった理由がこれか! 2学期の中間テストも追試と再追試でなんとか切り抜けたようなことを言ってたし、真史叔父さんが頭を抱えていたのはこのせいだったんだ。つまり慶は信じられないくらい勉強嫌いで怠け者ってこと。そんな状態で正隊員にしちゃって大丈夫なの?)

 

忍田は太刀川の剣の腕前は申し分なく正隊員にしても大丈夫だと判断していたものの、まだどうしようか迷っていたのはこのためであったのだ。

学業と任務の両立はツグミですら苦労しているというのに、この勉強嫌いで怠け者の太刀川が両立できるとは思えない。

せっかく高校生になったといってもこのままでは留年や退学も現実味を帯びてくる。

現在のボーダーでは市内の特定の学校と提携しており、隊員たちの任務は公欠扱いにするとか入学時もボーダーの推薦があれば学力がイマイチでも受け入れるといった()()()()()()()()()()ことになっている。

つまり公務によって学力が一定レベルに達していなくても大目に見てもらえるということである。

このシステムは忍田が提唱したものであるが、その原因が太刀川にあったことはまず間違いないだろう。

そして太刀川のおかげでこの()()を受けている隊員たちが大勢いるのは事実で、すべては太刀川の救済のために始まったことなのであった。

さらにこの後ツグミは()()()()()()太刀川の勉強の面で何度もフォローすることになるのだが、そんなことになるなどこの時の彼女は知る由もない。

 

「ひとまず慶が平均的な16歳の学力に達していないことはわかったので、それを踏まえてあまり難しい言葉は使わないように努力します。次の質問は?」

 

ツグミは別の意味で前途多難だなと思いながら訊いた。

 

「そうだな…おまえの考え方ってちょっと変わってるトコがあって、迅に言わせれば理由がわかれば理解できるってことだからさ、おまえのことをいろいろと知りたいと思ってるんだ。だけどそうなると家族のことや辛かった過去の出来事とかに触れることにもなる。さっきみたいに思い出したくないことを思い出させることにもなるとすれば訊きづらいし、訊いちゃいけないことと訊いて良いことの区別が俺にはできないんだ。だから俺が嫌なことを聞いたら機嫌悪くするだろ?」

 

「もちろん。でもそのことをわかっていてなおわたしに訊かなければいけないって考えたから追いかけて来たんでしょ? 慶がわたしの気持ちを気遣ってくれる気持ちがあるってわかったから、わたしも多少のことは大目に見るし怒ったりはしないつもりです」

 

「そうか? それなら訊くけど、おまえは大事な人間を近界民(ネイバー)に殺されているけど、おまえは奴らを憎いと思ってるのか? 思ってるよな? 俺だったら恨んだり憎んだりして復讐をするためにボーダーで戦うってことになる気がする。だけどおまえの普段の様子を見ているとそんな素振りがないから不思議に思ってたんだ。おまえがボーダーにいる理由は自分と親しい人間との日常を守るためって聞いてるけど、近界民(ネイバー)がいなけりゃ仲間や家族が死ぬこともなかったんだから恨んで当然だろ? 近界民(ネイバー)は敵だ。敵だからボーダーは戦う。そういう組織にいて毎日どんな気持ちで稽古や任務をしているのか知りたい」

 

太刀川の疑問はもっともなものだ。

すべての元凶である近界民(ネイバー)がいなければツグミが哀しんだり苦しんだりすることはなかった。

ならば近界民(ネイバー)を憎悪するのが当然だというのに、日頃の行動の中でその気配を見せないのだから疑問に思うのも無理はない。

そしてツグミはおもむろに口を開いた。

 

「わたしにとっての敵は仲間たちを殺した連中と、わたしたちの平穏な日常を破壊しようとする奴らのことです」

 

「だから近界民(ネイバー)は敵なんだよな?」

 

「いいえ。近界民(ネイバー)のすべてが敵というのではなく、また敵は近界民(ネイバー)に限らないということです」

 

「?」

 

太刀川の顔は「わからん」というもので、ツグミは説明を続ける。

 

「1年前の遠征で無事に帰還したのは9人だけでした。それまでの遠征は戦闘を前提としたものではなかったので、負傷者は出ることがあっても死者はひとりもいませんでした。だからわたしはこの時もまた全員で帰って来て、それまでと同じ日常が続くと信じていました。でも現実は違っていて、一時期わたしは近界民(ネイバー)に対して深い憎悪の念を抱えてしまいました。仲間や家族を失った哀しみを癒す一番簡単な方法はそれを上回る感情、つまり近界民(ネイバー)に対する憎しみで上書きしてしまうことだったからです」

 

「……」

 

「そして闇落ちしそうになっていたわたしを助けてくれたのが忍田さんでした。わたしの剣に憎悪や怨嗟といった負の感情が顕れていたので気付いたんでしょう。忍田さんは難しい言葉を小学生のわたしにもわかりやすいように噛み砕いて説いたんです。ドイツの哲学者ニーチェの有名な言葉で『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気を付けなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』という意味のものです。慶じゃそのままだとわかりませんよね?」

 

「ああ」

 

「それじゃわたしが忍田さんに教わったように言いますね。…悪を倒そうと立ち上がる時点では善である。しかし悪を倒そうとするのに、善が善のままでは勝つことができない。だとしたらどうするのか? そこで善は悪を倒すための悪になるしかない。つまり怪物と戦う者は自らも怪物になってしまうということだ。だから怪物になってはならない。おまえが自ら怪物になろうとしているのではなくても、向こうはいつでもおまえを怪物にしようとして待ち構えているのだ…と。わたしはこれだけで忍田さんの言いたいことはわかりました。慶はどうですか?」

 

「…わからん」

 

「もう仕方がないですね。…ようするに悪と戦うためだからといっても自分が悪に成り果ててはダメなんです。人間というものは簡単に闇落ちしてしまうものです。あなたはさっき『俺だったら恨んだり憎んだりして復讐をするためにボーダーで戦うってことになる気がする』って言ってましたけど、まさにそのとおりなんです。戦う原動力が復讐だったとしても、戦う目的が復讐であってはダメ。だってすべての近界民(ネイバー)を倒したって死んだ人は生き返らない。元の日常が戻らないなら、現在と未来の日常を大切にするしかないんですから」

 

「……」

 

「このままでいるとわたしは怪物になってしまい、忍田さんたちを悲しませてしまう。そんなことはしたくないから、もう誰も憎まない。近界民(ネイバー)がわたしを憎んでも、わたしは近界民(ネイバー)を憎まないでいようと決心しました。仲間や家族を失った哀しみを忘れるための行動が、生きている仲間や家族を哀しませてしまうなんて矛盾していると気付き、わたしにとっての()は自分の弱い心だと悟ったわけです」

 

(ツグミは小学生とは思えないな。大人でも難しい哲学的な言葉を自分なりに理解しているし、信念というものを持って行動している。忍田さんの言ったことは俺にはまだ良くわかんないけど、こいつの言うことや行動にはちゃんと理由があるってのはわかった。それに『わたしにとっての敵は自分の弱い心』って、何かカッコイイ…。俺もそんなセリフ言ってみたいぜ!)

 

ツグミの想いが太刀川に通じているのかどうかはちょっと不明だが、少なくとも「忍田さんはスゲェけど、ツグミもスゲェな」とは感じているようである。

 

「今でも時々『近界民(ネイバー)を憎む心』が湧き上がって来ることがあります。そういう時には無心で木刀を振るんです。そのうちに疲れてしまい、近界民(ネイバー)のことなんて忘れてしまう。そうやって哀しいこととか辛いことを思い出さないようにするんです。たまに今日みたいに思い出したくないことを思い出してカチンときてしまうこともありますが、それは自分の心が弱いせいですから剣を振ってモヤモヤした気分を解消します。今日は慶がわたしのモヤモヤの原因となったので、あなたには悪いと思ったんですが利用させてもらいました」

 

「俺でストレス発散できるならいつでも相手してやるよ。…じゃあ、次の質問な。おまえは市内巡回をしている時に市民から応援の言葉をかけられたり、逆に苦情とか非難とか暴言吐かれたりするけど、そん時どんな気持ちでいるのか教えてくれ」

 

太刀川にとってツグミが市民の暴言を意に介していないことが不思議である。

彼女が自分と違う反応をするのにはそれなりの理由はあるはずで、その答えを彼女から貰おうというのだ。

 

「市民の声は正直です。それが自分にとって好ましいものでも胸に突き刺さるようなものでも耳を傾けなければいけないと思うんです。ボーダーが市民の生命と財産を守るという目的を掲げることで多くの市民から支持を受けているのですから、その人たちの声を無視してはなりません。だから市民から酷いことを言われても耳を塞いで逃げるなんてできないんです」

 

「でもあんなこと言われて平気でいられるはずがないだろ?」

 

「ええ。慣れてしまいましたが平気でいられるほど無神経ではありません。でも言いたい人には言わせておけばいいんです。彼らの口を塞ぐ方法なんてありませんし、わたしの力不足のせいで彼らが大切なものを失ったのは事実ですから。それでもあの戦いで全力を出し切った、手を抜いたことはないという自信がありますから、わたしを責めた人たちに対して謝罪も言い訳もしません。忍田さんから聞いていると思いますが、わたしは市民のためになんて言う綺麗事は言いません。わたしは自分の大切なものを守るために戦うだけです。だから平気ではありませんが我慢することができるんですよ」

 

そう言って微笑むツグミの瞳は剣を握る時のそれと同じだった。

 

「わたしはこれからもボーダー隊員であり続けますが、好んで近界民(ネイバー)と戦うつもりはありません。わたしが戦うのは近界民(ネイバー)がわたしたちの敵として現れた時だけです。もし友好的な近界民(ネイバー)であったなら、わたしは積極的に交流をしたいと思います。逆に近界民(ネイバー)ではなく()()()()()()()()()()がボーダーを潰そうとしたり活動を否定するのなら、それこそわたしの敵ですから全力で戦いますよ。これがわたしの正義、戦う理由です。…じゃあ、今度はわたしが逆にあなたに訊きますね。慶、あなたには自分の正義がありますか? そのために全力を尽くすことができますか?」

 

「それは…」

 

太刀川は言葉に詰まってしまった。

目の前にいるのは自分よりも年少であり、か弱い少女だ。

しかしその小さな身に宿しているものは自分が持ち合わせていない「揺るぎない信念」と「目的を達するための根性」、そして「大切な者たちへ惜しみなく注がれる愛情」である。

様々な経験をしたことでツグミは大人顔負けの思慮分別を持ち、彼女なりの「答え」を見付けた。

そんな彼女に「おまえは何のために戦うのか?」と問われているようなものなのだから返答に窮するのも無理はない。

しかしツグミに負けたくはないと、太刀川は彼なりに必死に考えて()()()()「答え」を出した。

 

「今の俺はまだおまえみたいな『答え』は持ってない。だけどおまえがボーダー隊員としていろんな経験をして答えを見付けたように、俺も入隊していろんな奴らと戦っているうちに見付けられるんじゃないかって思うんだ。だけど俺はおまえと違ってバカだから時間はかかるだろうし、いつまで経っても見付けられないかもしれない」

 

「……」

 

「おまえがボーダーで戦う、強くなりたいというのは大切なものを守るためだということはわかった。だけど俺は違う。俺はこれまでダラダラと生きていて特にこれといってやりたいことなんてなかったけど、忍田さんに会ってあの人のそばにいて剣を学びたいって思った。強くなりたいっていうのもあの人みたいになりたいからで、強くなればなった分だけ強い奴とも戦える。この戦うって行為が俺にとって初めて本気でやりたいって思ったことで、今の俺にとって何のために戦うのかと訊かれたら『戦いたいから』って答えるしかない。でもこれから正隊員になっておまえや忍田さんや迅たち、さらにこれからボーダーに入隊する仲間たちと一緒に戦っていくうちに考えが変わるかもしれない。そして俺にとっての『答え』が見付かるって思うんだ」

 

「……」

 

「戦う理由が『戦いたいから』だなんておまえに馬鹿にされそうなものだけど、それが正直な気持ちなんだ。さっきおまえは嘘をつく人は信頼できないって言ってたろ。だから俺は嘘じゃなくて本当のことを言った。そうすればおまえは俺のことを信頼してくれるようになって、もっと俺にいろんなことを教えてくれるようになるだろ? 俺はおまえと知り合ってから自分が変わったって感じる部分がある。数ヶ月前の俺にはなかったものを今は持っている。おまえに与えられたものだけど、何だと思う?」

 

太刀川に問われてツグミは首を横に振った。

 

「わからない。まったく想像できない。わたしも慶のことをあまり知らないから、知り合う前のあなたのことなんて想像できないもの」

 

「答えはズバリ『競争心』。おまえにだけは絶対に負けたくないっていう気持ちになったのはこれが初めてなんだ」

 

「それは…また想定外の答えだけど、これまで誰かをライバルだって思ったことはなかったの?」

 

「まあな。こう言うと自慢っぽいけど、俺はこれでもスポーツは万能で、運動会とかで走ってもいつも1位だったんだぜ。これといってトレーニングとかしなくても簡単に勝てるし、他の奴らなんて目じゃない。それなのにおまえは小学生で女子のくせに俺よりメチャクチャ強いだろ、それが悔しくてたまらなかったんだ。おまけに忍田さんにものすごく可愛がられているし。始めの頃はすげぇムカついた。生意気なおまえを倒してやろうと思っても剣術では敵わない。だから目一杯稽古をして、そのおかげで俺は強くなったと思う。それでもまだおまえに勝てないが、近いうちに必ず倒してみせるからな、覚悟しておけよ」

 

ライバルとは自分と同等もしくはそれ以上の実力を持つ競争相手のことであるから、生まれつき他者よりも優れた能力を持っていれば努力せずに優位に立てるし、自分より劣る者に対して関心を示すはずもない。

太刀川の場合はそれが運動神経であったから、ツグミという剣術で優位に立つ者が現れれば意識せざるをえなくなり、競争心が生じて勝つための努力を始めたのだった。

生来ツグミと同じくらいの負けず嫌いであったものだから、短期間で剣術の腕前が現役隊員とほぼ同レベルに達した。

これで忍田の狙いどおりになったわけだが、まだ問題はある。

太刀川がツグミに模擬戦でまだ一勝もできないのは剣の技術ではなく知略の面で格段に劣るからに過ぎないのであり、一度でも勝つことができたならそこで正式入隊させようと忍田は考えていた。

だからなかなか入隊させられずに困っていて、条件を引き下げようかと思っているところでもある。

 

「そうか…わたしは慶に良い影響を与えているんだ。じゃあ、姉弟子として合格ってことね。ああ、よかった」

 

そう言ってツグミは嬉しそうに笑った。

 

「…!」

 

ツグミの笑顔を見た瞬間、太刀川の胸は熱くなってしまった。

 

(こいつのこんな笑顔、初めて見た…。こんな幸せそうな笑顔ができるんだ。…いや、俺が見たことなかっただけだろな。ハードな人生を送っているからちょっとしたことで嬉しいとか楽しいって思って笑えるんだな、きっと。それにこいつ、笑うとけっこう可愛いかも…)

 

太刀川がそんなことを考えているなど露知らず、ツグミは忍田に褒めてもらえると思って浮かれていた。

 

(これで真史叔父さんの希望に見合う働きをしたわけだから、きっとご褒美がもらえるわね。…そうだ、前から欲しかったスロークッカーをおねだりしてみよう。ちょっとお値段高めだけど、美味しい料理を作ってあげられると言えば買ってくれるかも!)

 

スロークッカーとは沸騰する直前の温度で食材をゆっくりと煮込むことで味が染み込みやすく煮崩れが起こりにくい点が特徴の電気調理器具の一種である。

食材を入れてスイッチを押すだけで自動的に調理してくれるだけでなく火を使うこともない。

さらにタイマーがあるので外出前にセットして帰宅後に温かい料理を食べるといった使い方ができるものだから、任務や訓練で忙しい彼女にとっては欲しい家電のひとつだったのだ。

 

気分を良くしたツグミは太刀川に訊いた。

 

「時間があるようならこのまま一緒に巡回する? 換装できないからトリオン兵が現れた時にはどこかに隠れていてもらわなきゃいけないけど」

 

「ああ。まだおまえに訊きたいことがあるからな」

 

ツグミと太刀川はこれまでよりも少しだけ近付いた状態で、再び並んで歩き出した。

 

 

 

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