ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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181話

 

 

ツグミが初めて実際に射撃をさせてもらったのは年の瀬も間近になった12月29日であった。

ボーダーも警察と同じく24時間365日活動しなければならない組織であるから、お役所仕事のように年末年始は完全に休業というわけにはいかない。

とはいえボーダーの隊員や職員も人の子だから正月にはゆっくりと休みたいもの。

そこで12月30日から1月2日までの4日間は最小限の人員で上手く回していくことになったため「仕事納め」的な感覚で全員出勤し、本部基地の大掃除や事務処理などを行った。

そしてそれが終わった後に東の方からツグミに声をかけたのだった。

 

「霧科くん、この後時間があるなら少し俺に付き合わないか?」

 

「もしかして撃たせてもらえるんですか?」

 

「ああ。木崎くんには声をかけたら用事があるということで断られたんだが、きみはどうかな?」

 

「わたしなら喜んでお願いしたいところですが、東さんは大丈夫なんですか? 年末年始の買い出しとか家の大掃除とか」

 

「俺の方は母親が全部やってくれるし、父親も手伝ってくれているから問題ない。きみの方は?」

 

「わたしの家は明日から本格的にやります。祖母がおせち料理を作って、わたしと叔父が掃除と買い物担当です。だから今日の午後からは年内最後の自由時間になって、その時間に自主訓練をしようと考えていたところなのでグッドタイミングだったんです」

 

「それは良かった。訓練室は忍田さんに頼んで開けてもらってある。早速行こうか」

 

 

 

 

広い狙撃手(スナイパー)用訓練室には東とツグミのふたりきりしかいない。

ふたりが声を出したり足音を立てたりしなければまったくの無音の状態であるから的に集中するにはちょうど良い環境だ。

 

「初めに前回教えた基本の構えの復習をしよう。今日からはこのトリガーを使っての訓練だ」

 

東はそう言ってツグミに新しいトリガーを手渡した。

 

「これは前回使用したイーグレットを軽量化したものが入っている。サイズは変更できなかったが、重量は約25%減だからきみの身体への負担はかなり減るはずだ」

 

「わかりました」

 

ツグミは預かっていたトリガーを返却して新しいトリガーを受け取った。

 

「トリガー、起動(オン)!」

 

元気良く掛け声をかけて換装したツグミ。

続いてイーグレットを起動すると驚いた顔で銃身を片手で掴んだ。

 

「軽い…。前のよりもずっと軽くなってますね。25%減ということですけど、わたしには半分くらいに感じられます」

 

「それはきみが重いイーグレットでずっと真面目に構えの練習を繰り返してきたからそう感じられるんだよ。その様子なら問題なさそうだな」

 

「はい。では見ていてください」

 

ツグミはそう言うと「立射」「膝射」「伏射」の順で構えをしてみせた。

もっとも苦手としていた立射の構えも何度も繰り返したこととイーグレットの重量が減ったことで初心者には見えないほど完璧なものに仕上がっていた。

 

「良いだろう。じゃ、こっちに来て実際に的を撃ってみようか」

 

東がコントロールパネルを慣れた手つきで操作すると、ブースから100メートル離れた場所に黒い板に白い円の描かれた「的」が出現した。

 

「まずは立射の構えであの的を撃つ。このイーグレットは照準器(スコープ)を覗いて中心に的を捉えたら引き金を引くだけでいい。的は動かないからそう難しくはないだろう。初めのうちは的に当たればそれで十分だ。さあ、やってみろ」

 

東に指示されたブースに入ると、ツグミは立射の構えで引き金を引いた。

 

「!」

 

生まれて初めて銃というものを撃ったものだから、ツグミはその衝撃に驚いた。

 

(ある程度は覚悟していたけど、これが銃を撃つということなんだ…。だけどもう大丈夫)

 

ツグミは次弾を撃つ。

 

「よし!」

 

今度は反動があることを考慮に入れておいたので、弾は見事に的に命中した。

それも着弾したのは中心に近い場所で、競技であったら高得点を得られる場所であるものだから本人だけでなく東も驚いてしまう。

 

「すごいな…。2発目でもうコツを掴んだようだ。…あと8発、続けて撃ってみよう」

 

「はい」

 

ツグミは言われたとおりに連続して8発撃った。

そして撃ち終わると的を確認した。

1発目は完全に外れているが残りの9発は的に命中していて、そのうち7発が中心の円を撃ち抜いていた。

 

「これはなかなかの逸材かもしれないな。初めてでこれだけ撃てれば十分だ」

 

東に褒められて満面の笑みを浮かべるツグミ。

 

「だって宣言したじゃありませんか。『4ヶ月後の中学生になるまでにはちゃんと撃てるようになってみせる』って。この『撃てる』は単に撃てるではなく、正式なトリガーにイーグレットをセットして使用するという意味です。こうなれば少しハードルを上げて2月末までには、と期限を決めます」

 

相手の期待の上をいく結果を出すことと、自分に対してハードルを上げることが()()()()の彼女であるから、こうして新たな目標を宣言することでモチベーションを上げようということなのだ。

東も彼女の性格を知っているので多少無茶とも思えることであっても否定しないことにしている。

 

「そうか、期待しているぞ。…続いて膝射で同様に撃ってみよう」

 

膝射の方が安定感があるということで、今度は10発中9発が中心を撃ち抜いていた。

初めの1発だけわずかに外れてしまったのだ

 

「これは…俺が高一の時に半年間必死になって練習してもここまではできなかったぞ。ちゃんと狙って引き金を引くだけで当たる。さすがはボーダーのトリガーだ」

 

東がわざとそう言うと、ツグミは頬をハムスターのように膨らめて口を尖らす。

 

「ハハハ…きみもそういう子供っぽい顔をすることもあるんだな。もちろん冗談に決まっている。ボーダーのトリガーだからといって素人が簡単に的当てをできるようにはなってはいないさ」

 

するとツグミも表情を元に戻して言った。

 

「わたしだってもちろんわざとこんな顔をしたんですよ。この前の訓練でレイジさんが苦労していたのをこの目で見ています。照準器(スコープ)で的を拡大しているとはいえ100メートルも離れていれば()()()()は手を焼くでしょう。わずかなズレが的に当たった時には大きなズレになりますからね。でもわたしには照準器(スコープ)を覗くと中心部分がはっきりと見えますから()()()()()のは特に難しいことではありません。1発目がずれたのは、膝射の構えで折り曲げた左足首の上に座った時に上手く座れていなかったせいです。座り直した2発目からはちゃんと当たっていたでしょ?」

 

それはツグミの言うとおりで、1発目の時に違和感を覚えた彼女は座り直して姿勢を正したことで残り全弾を中心に命中させたのだった。

通常なら照準器(スコープ)で拡大した的とはいえ同心円の中心と照準器(スコープ)のレティクル ── 覗き込んだ時に焦点の場所に出ている目盛り線や十字線などのこと ── を合わせなければならず、それに手間取るものだ。

しかし彼女ならレティクルの十字線と的の中心を合わせるのは容易いことなのである。

立射だとイーグレットの重さで多少は手が震えるものの、膝射であればそれがなくなるので命中率は格段に上がるのは当然と言えよう。

 

「とにかく撃てば撃っただけ命中率はアップするということですから、これからもどんどん撃って精度を上げていきたいと思います」

 

「やる気満々だな? よし、それなら的の距離を50メートル下げて150メートルでやってみようか?」

 

「はい!」

 

ツグミは言葉にはしなかったもののとても嬉しかった。

なぜならレイジですら初日の訓練では的までの距離が100メートルが限界であったからだ。

ファーストステップでは出遅れたものの、ここでレイジに追いついただけでなく追い越したのだから嬉しいに決まっている。

しかしそれくらいで喜んではいけないと自分に戒め何も言わなかったのだが、やはり嬉しいことに変わりはない。

的の位置を下げるために操作している東の後ろでツグミは笑みを浮かべていて、的の位置が決定するとすぐに元の真面目な顔に戻った。

 

「さあ、さっきと同じように立射と膝射で10発ずつ撃ってみろ」

 

「はい!」

 

ツグミは再びイーグレットを構えた。

するとふたつ隣りのブースに東が入り、彼も同様に150メートルの的を用意して立射と膝射の構えで射撃を始める。

 

「弟子にあれだけの腕前を見せられたら師匠としてうかうかしていられないからな」

 

ひとり言のような、それでいてツグミに聞かせるような言い方をする東。

彼は高校時代にエアライフルの選手として全国大会に出場するレベルであり、現ボーダー隊員の中に他に狙撃手(スナイパー)がいないという理由でツグミとレイジの教育係を命じられている。

しかし彼も()()()()()のライフル射撃の経験があるというだけで、実戦で撃ったことは一度もない。

さらに競技とは違う部分が多く、特に標的が静止したものではなく動くものを撃たなければならない上に、その標的が()()()()()場合も覚悟しなければならないのだ。

そうなると彼ですら練習しなければ実戦で使いものになるかどうかわからない状態で、のんびりとツグミの指導だけをしていてはいられないということである。

 

 

それから東のトリオンが半減したところで訓練は終了となった。

万が一の時のためにトリオンを温存しておかなければならない規則(ルール)のためにトリオンを使った訓練時間には制限がある。

現在のように「仮想訓練モード」がない時代は仕方がないことだったのだ。

トリオン能力が7の東に対してツグミは当時12であったからまだ十分にトリオンは残っているのだが、東に遠慮して訓練をおしまいにした。

 

「自主練習はしないのか? 俺に遠慮することはないんだぞ」

 

東もツグミの気遣いを察したようでそう言うが、ツグミは首を横に振る。

 

「いえ、わたしもここまでにしておきます。こういうものは集中力が途切れてしまったらおしまいにすべきです。その後いくら練習しても集中力が足らず効果は上がりません。ひとまず距離250メートルの的までクリアできました。次の訓練の時にこの腕が鈍らないよう、基本の構えと狙撃時のイメージトレーニングを繰り返しておきます」

 

「次の訓練がいつになるのかはまだ決まっていないが、顔を合わすのは2日の午後の新年会だな」

 

「はい。新年会は全員出席が原則ですからわたしも出席します。なので2日は午前中にここに来て自主練習でもしようかと考えていたところです」

 

「正月くらいご家族と一緒にゆっくりと過ごせばいいのに」

 

「実を言うと叔父も2日は出勤なので祖母ひとりにしてしまうのは心苦しいんですが、その祖母がわたしにやりたいことならやれる時にやりなさいって言ってくれているものですから」

 

「今のきみのやりたいことが狙撃手(スナイパー)になることなんだな?」

 

「はい。正確には『一日も早く』が付きますけど。近距離、中距離、遠距離とすべての攻撃が可能になればそれだけ戦術の幅も広がるというものです」

 

ツグミが「戦術」などという難しい言葉を口にしたものだから、東は普段の眠たそうな目を大きく見開いた。

 

「戦術か…。俺も趣味で戦史を少々研究していてね、過去のいろいろな戦役や戦闘など調べていくとなかなか面白い。きっと近界民(ネイバー)との戦いでも活用できるんじゃないかと思って、来年からはもっと力を入れてみようかと思っているんだ」

 

「なんか難しそうですけど、その分面白そうな学問ですね、戦史というのは。わたしも興味あります」

 

「そうか? まあ、人間の歴史は戦争の歴史でもあるわけだから、興味を持たずとも無視して通り過ぎることもできないものだからな。トマス・ホッブズという哲学者は『万人の万人に対する闘争』つまり簡単に言うと『人間社会は自然状態においては、欲しいものを獲得するため、お互い争い続ける状況となる』という表現をしている。一方、同じく哲学者のジャン=ジャック・ルソーは『人間不平等起源論』において人間は本来与えられた自然の環境的条件のもとで自足的に生きており、自己愛と憐憫の情以外の感情は持たず無垢な精神の持ち主であったとし、人は平等だとしている。それが理想であったというのに人々が農業を始め土地を耕し家畜を飼い文明化していく中で、生産物からやがて不平等の原因となる富が作り出され、富を巡って人々が次第に競い合いながら不正と争いを引き起こしていったと考えた。『私有財産制度がホッブス的闘争状態を招いた』と指摘している。文明の発展と戦争は相互に作用しているのだ」

 

東は目の前の相手が12歳の子供であることを忘れ、哲学者の思想を持ち出すなどして解説をする。

 

「実際に20世紀以降の科学技術の発展の背景には戦争による軍事技術の革新があったのは事実だ。例えばこの国の航空機産業は過去の世界大戦の軍用機の技術が元になっているし、レトルト食品は糧食(レーション)を缶詰からもっと軽量化したいと考えて開発された包装だ。他にも様々な分野で軍事技術の平和転用が行われてきた。歴史を学び、その中で戦争とそれに関わった人々の考え方や生き様を学ぶことは…って、すまない。ひとりで勝手に難しいことを話してしまっていた。これくらいにしておこうか」

 

途中で自分の()()に気付いた東はツグミに謝罪するが、ツグミは不満そうな顔になった。

 

「いえ、非常に興味深い話ですのでもっと聞きたいです」

 

「え? 意味がわかるのか?」

 

「戦争が()であってもそれは避けられないことであり、人間が文明を発展させていく上で役に立っている部分もあるのだから、賛同せずとも認めざるをえないということですよね? 軍事目的で開発された技術であってもそれがわたしたちの普段の生活を向上させるものとして生かされているものも多い。だから戦争は人命を奪い哀しみを多く生むけれど、わたしたちがより良く生きていくための技術革新にもなっている。よって人間が過去の過ちを反省して同じことを繰り返さないためにも戦史とは学ぶべき分野だということですよね?」

 

「あ、ああ…」

 

東はツグミのことを単に聡明であるというだけでなく、末恐ろしい少女だと感じていた。

 

(幼い頃から近界民(ネイバー)に関わっていたからなのだろうが、必要以上に大人であることを求められてこうなってしまったんじゃないだろうか? 平時であったなら年相応の少女らしく友人と遊んだり、習い事をするにしてもピアノやスイミングといったものになったはず。それが彼女には友人と遊ぶ時間などなく、敵を()()ための技術を学んでいる。将来近界民(ネイバー)との戦いがなくなった時、彼女はどんな大人になってどんな道を歩くことになるのだろうか? 俺が心配したところで意味はないが、少なくとも俺は彼女の人生に大きく関わることになったのだから無責任なことはできないな)

 

東が自分の将来のことを考えていることなど露知らず、ツグミは「戦史」という興味深いものに出会ってしまったものだからワクワクが止まらない。

 

「東さんがお勧めする本があったら教えてください。高校生向けくらいの内容なら大丈夫です」

 

「それなら俺が高校生の時に読んだ本を新年会の時に持って来ようか?」

 

「はい、ぜひお願いします」

 

「じゃあ、そろそろここを出よう。歩きながら話そうか?」

 

 

東に促されて一緒に訓練室を出るツグミ。

人気のない廊下をふたりで並んで歩きながら会話をする。

内容は日常の他愛のないことであったが、途中で東が少々遠慮がちにツグミに訊いた。

 

「こんなことを訊いて戸惑うかも知れないが、教えてほしいことがある」

 

「何でしょうか?」

 

「きみの尋常ではない視力のことだ。きみは以前に100メートル以上も離れた場所から100円硬貨の表裏までわかるという信じられないような能力を見せてくれた。普通の人間なら小さすぎてコインを持っていることすらわからないというのに、君には見えている。その時にどのように見えているのかが気になっていたんだ。遠くのものが判別可能な大きさに見えるのなら、近くのものはとんでもなく大きく見えてしまうのか?」

 

「フフフ…だとしたらすごく不便ですね。わたしにはこの能力が当たり前なので、あなたの言う()()の人がどのような見え方をしているのかはわかりません。ですがわたしと他の人の見え方はそんなに違いはないと思います。わたしは遠くのものを見ることができるのは視覚の倍率を変更できるからでしょう。つまりこの両眼に20倍くらいの倍率の照準器(スコープ)が装備されていて、必要に応じて使っているということです。なので意識して見ようとしなければ遠くにあるものを見ることはできません」

 

「なるほど照準器(スコープ)か…」

 

「とても便利な能力のようですけど、これがけっこう面倒なことが多いんです。近くにあるものだとかなり細かいところまではっきり見えてしまうので、障子の桟のホコリとか床に落ちている細かいゴミとか目に入っちゃうんです。そして気になると掃除をせずにいられなくなり、常に家の中はきれいになっていますけど掃除の回数は一般家庭よりもはるかに多いんじゃないでしょうか」

 

「ハハハ…それは大変だ。つまり人間にとって情報の8割が視覚からだと言われているが、きみはその視覚が優れているからさらに多くの情報が頭に入ってしまうということなんだ」

 

「そういうことです。どうでも良いことでも目に入ると気になるんです。市内巡回していても家屋の瓦礫の中にその家の子供が遊んだオモチャが埋もれているとか、誰も手入れをしなくなった庭の荒れ果てた花壇とか。半年前まではここにも人の営みがあったのだと思うと切なくなってしまいます。1週間ほど前には警戒区域内の民家の玄関脇に小さなクマのぬいぐるみが落ちていたことに気付きました。避難する時に持ち出したのでしょうが、慌てていて落としたことに気付かなかったのかもしれません。なので拾ってきれいに洗って保管してあります。いつか持ち主に返してあげられたらいいんですけど…」

 

ツグミは自分で言っていてしんみりとしてしまったものだから、慌てて場を繕おうとする。

 

「でも良いこともあるんです。以前に市民の一時帰宅に付き添った時なんですけど、その家のお婆さんがうっかり大事な指輪を落としちゃったんですけど、わたしが見付けてあげられたんです。20年も前に亡くなったご主人との結婚指輪だったのでものすごく感謝されました。こうして人の役に立てるならこの能力も邪険にしちゃダメですよね」

 

そう言って微笑むものだから、東もつられて笑みを浮かべた。

 

「そうだな。俺たちは人命や財産を守るだけでなく、人の大切な想い出や生きたいという意思も守らなければいけない。きっとそのお婆さんは指輪をなくしてしまったらご主人との想い出も失い、さらに生きる気力も失ってしまっていたかもしれない。そういう点できみはそのお婆さんを救ったとも言える。良いことをしたな」

 

「はい」

 

東に褒められて本心からの笑顔を見せたツグミであった。

 

 

 

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