ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
東はツグミたちと別れた後、その足で本部長室にいる忍田に会いに行った。
もちろん訓練の結果報告であるが、ひとつの
書類の束を難しい顔で処理していた忍田だったが「東の来訪=ツグミの話を聞ける」なので、東の顔を見るととたんに笑顔になる。
この頃の東はまだ忍田とツグミの関係を知らずにいたから、単に目をかけている隊員の訓練結果を聞けるのを楽しみにしているのだろうというくらいに考えていて、彼も自然と表情を和らげた。
「訓練は終わったのか?」
「はい。今日もなかなか面白いものを見せてもらいましたよ」
「そうか。まあ、そこに座れ。コーヒーでいいか?」
「はい」
忍田は窓際に置いてあるテーブル上のコーヒーサーバーからコーヒーを2杯注ぐと、カップをふたつ手にして応接用ソファへと向かう。
そして東にカップをひとつ手渡し、向かい側のソファに腰掛けた。
「それで今日の成果は?」
「前半はトリオン兵をいかに効率良く殲滅するかという訓練でしたが、いつもとは少し状況を変えてふたりの対応を見てみようと思いましてね、ちょっと意地の悪いことをしてみたんですよ」
東はそう言ってモールモッドが本部基地の外壁を登って来るタイミングとバンダーが射程に入るタイミングを同時にし、ツグミとレイジが連携しなければならない状況を作ったことを説明した。
「これまでの訓練ではそれぞれが自分の目の前のトリオン兵を確実に倒すことでクリアしていた訓練ですが、今回は木崎くんの危機に霧科くんがどのような援護に入るかが重要となります。木崎くんの援護に向かえば自分の受け持つモールモッドが屋上に登って来てしまう状況で、彼女はどうしたと思いますか?」
忍田は少し考えてから答えた。
「あの子の性格だと、まず木崎の援護のために走っただろうな。この訓練では制限時間内にトリオン兵を殲滅するのが目的だから、ひとりが
すると東がニヤニヤしながら言う。
「忍田さんは霧科くんのことを良く理解しているようですね。正解です。俺はわざと木崎くんの側でバンダーとモールモッドの襲撃のタイミングが同時になるようにし、さらに1分後に彼女の側でも同じパターンになるように設定していました。そこでまず彼女は自分が囮となって木崎くんの側のバンダーとモールモッドを沈め、屋上の対角に登って来たモールモッドを自ら狙撃して活動を止めました。モールモッドが屋上に来てしまえばイーグレットしか持たないふたりはおしまいだと思われますが、本部基地の屋上は広い。対角の距離は約400メートルありますから十分に
ツグミが東の出す
子供の頃は誰しも毎日はっきりとわかるほど成長していくものだが、彼女はそれが他の子供に比べて顕著であった。
喜ばしいことではあるが、これで彼女が子供でいられる時期がますます短くなっていくと思うと複雑な気分にもなる。
「霧科くんは賢い子です。訓練の際には必要最低限の情報しか与えず、その中で自ら考えて動く。今日の訓練では初めてバンダーを登場させたのですが、砲撃では本部基地の建物はノーダメージであることと射程距離が300だということだけ教えました。しかし彼女はバンダーの弱点を自分で見付けました。バンダーは
東は続けた。
「これまでの訓練では出現したらできるだけ早いうちにバムスターを倒してしまわなければ後々小型モールモッドが面倒な存在になるということを
それを聞いた忍田が身を乗り出した。
「後半の訓練の方が興味深いものだったようだな? 早く話してくれ」
「はいはい、わかっています。後半の訓練では木崎くんにはイーグレットを使用してもらい、霧科くんはイーグレットは使わずに弧月と
「……」
「そしてもうひとつ重要なポイントに気付いたのです。バムスターとバンダーという大型トリオン兵は同時に2匹までしか出て来ない、ということを。ご存知のとおりあの訓練場で市街地を再現するとそれだけでかなりの量のトリオンを消費し、さらに大型トリオン兵となれば2匹で容量がいっぱいとなる。よって2匹を生存させていれば新たなトリオン兵の出現はないと判断したわけです。これまでバムスターは最優先で撃破していたものですから次々に新しいトリオン兵を出すことができましたから、トリオンの消費量や容量のことに気付かせませんでした。しかしこのカラクリを見破られてしまい、面倒な小型モールモッドを出させてしまってでも生存させようと考えました。そしてこの訓練での基本中の基本である『トリオン兵は最も近い場所にいる
「何度も経験しているうちに仮想トリオン兵の
「でしょうね。俺が言わなくても自分で気付くという点が彼女の優秀さです。木崎くんも気付いてはいるのですが、それが戦術に活かすことができていないというか…彼女の方が先に気付いて木崎くんに指示するという流れになってしまいます。なにしろ彼女は自分と木崎くんの双方の敵がどのように動いてどのタイミングで攻めて来るのかを頭の中でタイムスケジュールを組み立てているんですよ。トリオン兵の進撃スピードをすべて分速100メートルに統一して計算しやすくはしていますが、同時にいくつものトリオン兵の行動を把握して動くことのできる能力は非常に有用です。彼女には同時並行処理能力の才能がありますよ。それを伸ばすべきです」
「同時並行処理能力か…。たしかにあの歳でいくつもの仕事を同時に且つ完璧にやるのだから才能があるというのは間違いないだろう。しかし普段から当たり前のようにやっていることだからな。あの子の趣味は料理をすることで、毎日家族の食事を作るのはあの子の役目なんだが、効率が良いというか無駄がないというか…とにかく仕事が上手いんだよ」
「はあ…」
「いくつもの料理を作る際にそれぞれの手順と作業時間を頭の中に思い浮かべ、時間のかかるものから順に作業を始める。そして煮込みと焼き物といった同時にできる作業は並行して行い、最終的に全部がほぼ同時に出来上がるんだ。おまけにわた…いや彼女の叔父が帰宅時間を前もって言っておくとその時間に合わせて出来立ての料理を出してくれるそうだ。帰宅時間から逆算して作業を始めるらしい」
「それは凄いですね…。12歳の少女とは思えないですよ」
「ああ。だからその才能を活かすためにも私立の進学校の受験をさせようとしたらしいのだが、本人は中学は義務教育だからどこでも行けばいい。もっと勉強するならレベルの高い高校へ行くから、あと3年間はボーダーに専念したいのだとさ。今は与えた分だけ吸収する時期だから、勉強だろうがボーダー活動であろうが本人のやりたいようにさせるしかなかろう」
「そうかもしれませんね。しかしそれにしてもあなたは霧科くんのことを娘のように可愛がっているんですね。彼女のことも良く知っているようですし」
東にそう言われて忍田はドキッとした。
さっきもうっかり「私」と言いかけてしまい焦った彼はどう繕おうかと考えた。
「娘? それはそうかもしれない。なにしろあの子が7歳の時から剣術を教え、ボーダーに入隊してからは私だけでなく城戸さんや林藤も彼女や隊員たちを自分の子供のように慈しんできたからな。特にあの子には木崎ら他の隊員たちよりも長い時間接しているから、つい特別扱いしてしまいたくなるんだ」
「なるほど、そういえばそうですよね。彼女も旧ボーダーのメンバーのことを家族だと言っていますから、あなたが彼女の父親でなくてもそれに近い存在だと思っているんでしょう」
「あ、ああ…」
「ではボーダーでの父親であるあなたに彼女のことでひとつお願いがあります」
「ん? 何だ、言ってみろ?」
「これからの防衛隊員の組織についてです。現在はまだ人員が少ないですから防衛任務の度に仮の部隊を作るという形でやっていますよね。ですがこれから人員が増えていけば恒常的な部隊を作ることになります。そこで俺は自分の部隊を作りたいと考え、そのメンバーに彼女を加えたいと思うんです。もちろん彼女の意思を最優先しますけど」
東の言うように現状では市内巡回等の防衛任務の際にはレイジを隊長とした「木崎隊」と東を隊長とした「東隊」という仮部隊を作り、その都度メンバーを組み合わせている。
レイジは旧ボーダーからの経験者であり、東は一番の年長者であるからという理由で隊長をやっているわけだが、それも仮部隊であるから仮の隊長でしかない。
しかしふたりとも隊長として相応しい人物であるから、隊員の数が増えて恒常的な部隊を作ることになれば彼らはそのまま正式な隊長となるはずで、そうなった場合に備えて優秀な隊員、つまりツグミを囲い込もうというわけなのだ。
「それは本人さえよければ何の問題もない。むしろ歓迎すべき話だ。もちろん木崎に不満があるわけではない。ただ私はあの子にもっと広い世界を見てもらいたいと願っているから、昔の仲間たちとばかり親密に関わっているより良いのではないかと思うだけなのだが」
「俺は自分が指導者として相応しい人間であるか不安でしたが、彼女が『わたしが認めた師匠なんですから大丈夫。わたしの人を見る目は確かです』と言ってくれたことが嬉しくて、自信の回復に繋がりました。たぶん俺もまだ学ぶことがたくさんあり、彼女と共にいることで俺自身も成長できるような気がします。だから彼女が欲しいんです」
「わかった。その話は私の方からあの子に話しておこう。もっとも部隊の編成はもう少し先になるだろうが、それまであの子を一人前の
「いや、
ツグミは数日後に東の言う「
◆◆◆
その日の訓練はレイジがおらず東とツグミのふたりきりの予定であったのだが、訓練開始直前となって東が忍田の呼び出しを受けたということで、急遽ツグミはひとりで東から与えられた課題を行うことになった。
[俺は用事を済ませてすぐに戻って来る。何時になるかわからないが、俺が戻るまできみは出現したトリオン兵をひたすら撃つだけだ。俺がいない間は自動的に
東はそう言って通信を切った。
(たしかにいつもとは様子が違うわよね…)
ツグミが転送された先はいつもの「空き地A」ではなく、なだらかな丘が続くのどかな田園風景が見渡す限り広がっていて、遠くに雪を被った山々が見える。
そして彼女がいるのはどこかの牧場の母屋の屋根の上である。
(三門市にはありえない風景だけど、たまにはこんなのも良いかも。さて、どこから来ても大丈夫なように全方位見える一番高いところで待機ね)
この建物は「マンサード屋根」といわれる特徴のある形の屋根をしている。
いわゆる「腰折れ屋根」で屋根の勾配の上部が緩く下部が急な2段になっているもので、雪が積もりにくいという利点があるため北海道など積雪の多い地方で良く見られるものである。
その屋根の上に転送されたのだが、周囲は身を隠すようなものはまったくないため、トリオン兵が出現すれば背の低いモールモッドであっても狙撃はそう難しくない。
(それにしても何で東さんはこんな非現実的なステージを選んだんだろ? たぶんこれはわたし向けの特別なものだと思う。何か意味があるんだろうけど、推理するには
ツグミは棟 ── 屋根の屋根の頂上にある水平な部位 ── に腰を掛けてイーグレットを起動すると遥か遠くに見える山の稜線をぼんやりと見つめた。
「……」
「……」
「……」
いつもなら開始すぐにバムスターやモールモッドが姿を現すのだが、この日に限って5分経っても10分経っても
「……」
「……」
「暇だ…」
20分経過してもまだ何の変化もない。
晴れ渡った青空の下、爽やかな風が吹くのどかな田園風景はいつまで経っても戦場になる気配はない。
ツグミは少々苛立ち始めた。
「……」
「……」
「……」
30分経っても何も起きないものだから、ツグミはとうとう我慢できなくなって立ち上がった。
「あー、もう絶対におかしい! 故障してるんじゃないの!?」
そう叫ぶと何もしないまま自ら
◆
ツグミが仮想フィールドに転送されてからずっと東は管制室にいて、彼女の一挙一動をつぶさに見守っていた。
忍田の呼び出し云々は嘘で、彼女をひとりきりにするための方便であったのだ。
そしてツグミがイライラしながら
「ハァ…30分が限界か…」
東はこうなることを想定していたものの、自分の想像が良い意味で裏切られることを期待していた。
しかしこれまでのツグミの性格と行動パターンから推測されるとおりの結果が出た。
(技術的には十分に
ところが30分で耐えられなくなってしまったものだから、東はこれでは「お墨付き」を与えることはできないと判断。
東がツグミを見付けたのは、彼女が作戦室から廊下に出たタイミングであった。
ツグミは東の顔を見るなり駆け寄って来て子供っぽい怒りを彼にぶつける。
「東さん、今日の訓練は何なんですか!? 30分待ってもトリオン兵が1匹も出て来ません。システムの故障ですか? それともトリオンが足りなくてモールモッドすら出せないとか? あれじゃ時間の無駄です。わたしは訓練のために来ているのであって、景色の良いところで日向ぼっこをするためじゃないんです!」
すると東は険しい顔で彼女を諌めた。
「霧科くん、今日の訓練は不合格だ。俺は時間制限があるとは言っていないし、勝手に訓練を終了しても良いとは言っていない。『俺が戻るまで出現したトリオン兵をひたすら撃つ』という課題だったはずだが、覚えていないのか?」
「いいえ、覚えています。ですがトリオン兵が出て来なければ撃ちようがありません」
「
「…!」
「
するとツグミは嫌味なことを言う。
「
「それで?」
「わたしは
東は表情を一変させた。
彼が口で言って教えてしまうことは簡単である。
しかし本人に自ら気付かせることの方が大切だと考え、ツグミは彼の期待に応えて自分自身で答えを見付けることができたのだ。
「正解だ。よって前回の訓練を改めて合格とする。だが今日の訓練では『ひたすら待つ』というのがクリア条件であったから不合格にするしかない。いちおう1時間待つことができたら合格にしようと思っていたのだが、さすがに30分しか待てないのではダメだな」
「はい…」
「たしかにいつ襲撃されるかわからない状態で待ち続けるのは難しい。今回のように360度どこから現れてもおかしくない状況で、おまけに隠れるところもない。いつもと環境が違うというだけでストレスは溜まるし、ゴールが見えない状態でマラソンをするようなものだから不安でもある。しかし実戦でそういう状況にならないとは言い切れないのだから、
「わかりました。今回の訓練で東さんの意図が読めなくてイライラしてしまったものですから、つい冷静さを失ってしまいました。それが
すると東は微笑みながらツグミの頭に手を置いて言う。
「今のきみは待つことの重要さに気付いたのだから、むやみに突撃するようなことはなくなるだろう。そもそも忍耐力を鍛えるといっても具体的に何かをするというものではない。日々の暮らしの中で自然と培っていくものだから、意識して行動するだけで随分と変わるはずだ」
「そういうものなんですか…。どうしたらいいのかわかりませんが頑張ってみます!」
ツグミが気合を入れて答えると、東は苦笑した。
「焦りは禁物だぞ。焦りは挫折しか生み出さない。一歩一歩じっくり足場を踏み固めるように物事に取り組んで行こう」
「はい、わかりました」
こうしてツグミは一人前の