ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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186話

 

 

訓練で「不合格」を言い渡されたものの、ツグミは自分の慢心に気付くことができたので十分意味のある訓練だったと考えている。

しかし彼女は中庭のベンチに腰掛けて物思いに耽っていた。

 

(忍耐力か…。意味は『辛いことや苦しいことを耐え忍ぶ、その能力』だけど、東さんが言いたいのは『我慢強さ』とか『根気』という意味も含まれているんだろうな。辛いことがあった、気に入らないことがあったといって機嫌を悪くしたり他人や物に当たったりするのは忍耐力のない人間である証拠。事情を知らずに東さんに突っかかってしまったのは完全にわたしの落ち度で、自分が未熟だってことを思い知らされた)

 

自販機で買ったペットボトルの緑茶を飲んで気持ちを落ち着けようとするものの、久しぶりに味わった挫折感を拭うことはできない。

おまけに東に対して期待を裏切ってしまったという思いが強く、同時に良い結果を心待ちにしている忍田に対しても罪悪感が募ってしまう。

もちろんこれで東が彼女を見限ることはなく、更なる成長を期待しているのは間違いない。

今回の訓練は春に花が咲くのを促すように降る雨 ── 催花雨(さいかう)のようなものである。

これまでずっと順調で晴天が続いていた彼女は突然の雨に戸惑っているが、この雨が東の降らせた優しい催花雨であると思うことができれば気持ちも楽になれるというもの。

しかしまだ12歳の少女には少し難しいのかもしれない。

 

(トリオン量が少ない人はトリオンを節約しながら効率良く戦うことを常に気にかけているけど、わたしは普通の人よりもかなりトリオンが多いから、火力押しでガンガン攻めることが多かった。だからあの時もバンダーを見てすぐに突撃してしまった。弧月と通常弾(アステロイド)だけじゃ近付かないと戦えないから。東さんはバンダーの出現位置を350メートル先にしたのはわたしに考える時間を与えようとしたからで、その配慮にわたしは気付けなかったんだ。もしわたしが新人隊員で実戦経験がなかったら、無闇に突撃しなかったと思う。わたしは自分の腕に自惚れていたんだ…)

 

当時ツグミが最年少のボーダー隊員で年長のレイジたちと肩を並べて戦うことができたのは本人の努力もあるが、彼女のトリオンが平均よりもはるかに多かったからである。

トリガーを使うために必要なトリオンの量の差、つまりトリオン能力の差はボーダー隊員として重要なポイントであるから、技術的な面が同じならトリオン能力の高い方が防衛隊員としてレベルが上ということになる。

だからツグミが慢心してしまうのも無理はないが、だからといって彼女が不適格であるというわけではない。

 

(今日の訓練だって東さんの言葉という情報から重要なポイントを導き出す必要があった。時間は十分に与えられていたというのに、わたしは考えることなく目の前のことしか頭になくて、『いつもならこうだから』とトリオン兵がなかなか現れないことをおかしいと考えてしまった。実戦でも訓練でもすぐにトリオン兵が現れるのが当たり前だったけど、常にすぐに現れるとは限らない。今回のように数十分経たないと出現しないということだってありえるんだ。『いつもと違う』と感じて、そこでなぜ違うのかを冷静に考えられなかったわたしはバカだ)

 

自分で自分を追い詰めてしまうツグミ。

 

(東さんの前では頑張ると言っておきながら、ひとりになるとウジウジと考えてしまうところが自分でも嫌だと思っている。でもこうして何もすることがなくてぼんやりしているとつい考えちゃう…)

 

さっさと家に帰れば良いのだが元気のない姿を祖母に見せたくないという気遣いで、もう小一時間も無為に過ごしていたのだった。

しかしそこに意外な人物からの連絡が入った。

携帯電話の発信元には「冬島慎次さん」と表示されている。

 

「はい、霧科ですけど」

 

「今、どこにいる?」

 

「本部基地の中庭です」

 

「おっ、ちょうどいい。急いで研究室(ラボ)まで来てくれ」

 

「あ…はい。わかりました」

 

電話を切ると、ツグミは呼び出しの理由がわからないままで研究室(ラボ)へと向かった。

 

 

 

 

「失礼します」

 

ツグミが研究室(ラボ)のドアを恐る恐る開けて中にいた人物に声をかけた。

ツナギ服を足だけ通し袖を腰で結んだ作業服のような格好で、あご髭を生やし長い髪を後ろでひとつにまとめた25歳の男性こそ彼女を呼び出した冬島慎次その人である。

 

「来たか。茶も出さないで悪いが、早速用件に入るぞ。これを使って換装してみろ」

 

冬島は試作トリガーをツグミに渡す。

そして言われたとおりに換装すると、それはツグミであってツグミの姿ではなかった。

 

「これは…!?」

 

ツグミが真っ先に違和感を覚えたのは自分の周囲の景色であった。

といっても換装前と後で部屋の様子が変わったのではない。

いつもよりも高い位置から見下ろすような景色になっていたのだ。

 

「それは現在のおまえの生身の身体よりも10センチほど身長を伸ばした換装体だ。15歳女子の平均身長や体重を元にしたから、3年後のおまえの姿…と言ってもいいだろうな。髪を長くして、顔つきも少々大人っぽくしてある」

 

「はあ…」

 

「通常は生身の身体と換装体を大きく変えると生身との感覚のズレから上手く動かせなくなるという理由で外見はほぼ同じ姿にしている。それはおまえも知っていることだと思う」

 

「はい」

 

「ただおまえの現在の身長は145センチで、イーグレットの大きさに苦労していただろ?」

 

「はい。でも大きさはそのままでしたが軽量化していただいたおかげでずいぶんと楽になりました」

 

「体格を少しでも大人に近付けることで楽に構えることができるようになると考えてこのトリガーを作った。…そこでだ、訓練や防衛任務の時だけでなく日常生活でもこれを使ってみてくれ。試作品だが違和感なく動けるようになれば正式採用しようと考えている。これは今後狙撃手(スナイパー)用トリガーの大型化を踏まえてのことだ。対大型トリオン兵用のトリガーがイーグレットの比でない大きさと重量があるもんだから、できればこの『3年後の姿の換装体』を実用化したい。ひとまず1週間。まあ、ダメならダメでも仕方がないが、何事もやってみないとわからないからな」

 

ツグミは困惑していた。

突然3年後の姿になってしまったわけだが、それが冬島や他の技術者(エンジニア)が多忙の中で自分のためにやってくれたことなのだから無下にもできない。

さらに使えるものであれば非常に便利であり、自分ではない自分の姿で行動することで周囲がどんな反応をするのか多少興味もあった。

しかし二の足を踏んでしまう。

腕を大きく回したりその場で足踏みしたりしてみるものの特に違和感はないが、身長プラス10センチと体重プラス10キログラムの差と何よりも日常生活でもずっとトリオン体でいることによる生身の身体への影響が不安なのだ。

冬島はツグミが戸惑っていることに気付き、補足説明をした。

 

「これはおまえの上司である忍田本部長の許可ももらっているし、日常生活の間ずっとといっても寝ている時には生身に戻ってかまわない。むしろトリオン体に換装した直後に違和感があるかどうかも確認したいし、体調が悪くなったらその時点で実験は終了する。無理強いはしない。おまえの自由意思で決めろ」

 

そこまで言われたらNOと言えるものではない。

 

「わかりました、やってみます」

 

「よし、いい返事だ。…いちおう防衛任務の際にもそれを使ってもらうために弧月と通常弾(アステロイド)、そしてイーグレットの3つを装備してある。今は標準タイプの隊服になっているが、他に普段着のデータも入れてある。換装し直してみろ」

 

冬島に言われて一旦隊服の換装を解除して「普段着」に換装してみた。

それは彼女のお気に入りのブラウスとスカート、ジャケットの組み合わせである。

 

「忍田本部長におまえの写真を見せてもらったんだが、もし気に入らなかったら手直しするけど、どうだ?」

 

「いえ、これでかまいません。…で、忍田本部長に見せてもらった写真って、もしかしたら携帯電話の写真ですか?」

 

「ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」

 

「いえ、何でもありません。ではこの姿で1週間ほど過ごし、その後に結果を報告しに来ます」

 

「頼んだぞ。それともうひとつ渡すものがある。これだ」

 

冬島が机の引き出しから取り出したのはメガネケースである。

それをツグミに手渡す。

 

「これは?」

 

「とりあえず開けてみろ」

 

中に入っていたのは細身のシルバーのフレームが品の良いオーバル型のレンズの眼鏡である。

 

「眼鏡…?」

 

「そうだ。しかしタダの眼鏡ではないぞ。おまえの強化視覚(サイドエフェクト)のことを忍田さんから聞いた鬼怒田さんが作ってくれた特別製だ。視力が良すぎるために視覚情報過多になって不便だということだから、それを抑えるためにトリガー技術を応用して作ったそうだ。換装を解いて生身でかけてみろ」

 

ツグミは言われたとおりに換装を解き、眼鏡をかけてみた。

 

「うわぁ…」

 

さっきの試作トリガーを起動した時よりも衝撃的な光景が広がった。

これまで見えていた机の上や床の埃などの非常に細かいものが見えなくなったことで、普段見慣れていた景色が()()()()したからである。

普通は近眼や乱視の人間が眼鏡をかけるとハッキリと良く見えることに感動するものだが、彼女の場合は逆なのだ。

 

「計算上はこれをかけると視力が10分の1に抑えられるそうだ。2.0の視力があれば日常生活に不便はないだろうということだが、具合はどうだ?」

 

「はい、快適です。眼鏡なんてかけたことがないので気になりますが、慣れてしまえば何の問題もありません。鬼怒田さんに会ってお礼を言わなきゃ」

 

「今は無理だ。30分ほど前に仮眠室に入ったからな。まあ、今日でなくても良いだろう。会った時にちゃんと言っておけよ」

 

「はい、わかりました!」

 

「とりあえず用事というのはそれだけだ。もう帰ってかまわないぞ」

 

「はい。では失礼します」

 

ツグミは冬島に一礼すると研究室(ラボ)を出た。

そして誰もいないことを確認すると再び換装して廊下の真ん中でジャンプしてみる。

 

「わっ、いつもよりも高く飛べる。何か楽しいかも?」

 

さらに普通に歩いてみるのだが、それだけでも新鮮な感覚を覚えた。

 

(普通に一歩踏み出すだけなのに、何かちょっと違う。足が長くなった分歩幅が広がってるからだ。…いつもと違うけど特に不都合は感じられない。こうして身体を動かしているうちにすぐに馴染んでしまうんじゃないかな?)

 

研究室(ラボ)の前の廊下を行ったり来たりしながら歩くことで()()()()()に慣れようとするツグミ。

これまでと違う()に魂を入れたようなものだから普通の人間なら違和感を覚えるのだろうが、彼女は生来こういうことに順応しやすいタイプのようである。

 

「そうだ…!」

 

ツグミは換装体だというのに貰ったばかりの眼鏡をかけた。

 

(この姿ならきっとわたしだって気付かれない。このままで家に帰っておばあちゃんを驚かせてみようっと)

 

たしかに12歳のツグミがモデルであるから顔はそっくりだが、3年後を想像して少々変えているし身長・体重ともに増えている。

もちろん胸囲も本人には不満であるものの年齢相応の大きさにしてあるから、知り合いに会ったとしても彼女の()だと思われるかもしれないが本人とは気付かれる恐れはない。

誰かを騙そうという気は毛頭ないが、面白い玩具を貰ったようなものだから普段は抑え込んでいる子供っぽいイタズラ心が疼いてしまい、少しだけハメを外してしまうことになるのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

本部基地からの帰宅途中、ツグミは「三門市民会館」の前を通りかかった。

すると普段は見かけない職種の人間が大勢いるのを見かけ、興味を持った彼女は近付いて行く。

第一次近界民(ネイバー)侵攻時に被害を受けていなかった建物は市民の避難所として使用されていたものの、半年経って仮設住宅に全員が移ったために元の姿を取り戻していた。

とはいえ文化的なイベントが行われなくなったためにいつも閑散としていたのだが、なぜか今日は人が大勢いる。

そこにいたのは新聞記者やテレビ局のカメラマンたちで、ざっと見て50人はいるだろう。

さらに一般市民と思われる人たちもちらほら見かけられる。

しかしその理由は玄関に立てられていた「ボーダー新入隊員披露記者会見」という看板を見て納得できた。

 

(そっか…今日は嵐山さんと柿崎さんが正式隊員として紹介される日だったんだ)

 

新ボーダーが始動して3ヶ月ほど経ち、その際に入隊した嵐山らが訓練生から正隊員に昇格したことで、この機会にマスコミを通じて一般市民にボーダーの紹介をして市民からの信頼を得ると同時に新入隊員の募集をしようというものである。

根付メディア対策室長が仕切っており、旧ボーダー時代からの隊員であるツグミには一切関係ないことであったので詳細については知らなかったが、近々市民向けの会見があるとだけは知っていた。

 

(面白そうだけど、マスコミ関係者以外はNGなのかな? でも一般市民ぽい人もいるから見物できるのかも?)

 

そんなことを考えながら様子を見ていると玄関が開放されて、人々が中へと入って行く。

そして会場の案内係らしき人物の中に見知った顔を見付けたものだから、ツグミはその人物に近付いて行った。

 

「ジンさん、こんなところでアルバイトですか?」

 

知らない人物から声をかけられ、迅は怪訝そうな顔で聞き返した。

 

「きみ、誰? 俺のこと知ってるの?」

 

この言い方は完全に目の前の少女がツグミだとはわからないようである。

ツグミに似ているとは感じているだろうが、彼女に姉がいないことを知っているから「他人の空似」としか思わないはずだ。

そこで彼女は種明かしをした。

 

「ツグミですよ。わかりませんか?」

 

「ツグミ? マジで? …たしかに似てるけど、何か急に背が伸びたみたいだな? ってか大人っぽくなってないか?」

 

「今は試作品のトリガーの試験運用中で、これはわたしの3年後の姿を想像して作ったものなんだそうです。だから今のわたしはジンさんと同い年になりますよ」

 

嬉しそうに言うツグミの姿を見て、迅は妙な胸の高まりを感じていた。

これまで3つ年下の妹であった彼女が急に大人っぽくなり、見かけだけとはいえ自分と同い年になっているのだからドキドキするのも無理はない。

 

「驚いたな…。でも本来の姿と換装後の姿に違いがあると上手く動けないって言われてるけど、そっちはどうなんだ?」

 

「それがけっこう平気みたいなんです。本部基地からここまで自転車で来ましたけど、多少いつもと違うというカンジはあっても問題はまったくなかったですから。今日から1週間ほどこの身体で生活し、結果が良好なら実用化されるかもしれないです」

 

「へえ~、そうなのか。それで、何でここにいるんだ?」

 

「通りかかったら人がいっぱいいたので寄ってみたんですよ。例の嵐山さんと柿崎さんの記者会見があるんですよね?」

 

「ああ。俺は非番だったものだから根付さんに頼まれて案内係をやってんだ」

 

そんな会話をしていると、そこに風間がやって来た。

 

「迅、そんなところで油売ってる暇はないぞ。開場したら後は誘導と整理があるだろ」

 

どうやら風間も迅同様に案内係として駆り出されていたようだ。

 

「すいません、風間さん。すぐに行きます」

 

「俺はマスコミ連中をやるから、おまえは招待客の方をやってくれ」

 

「わかりました」

 

風間は言うことだけ言い終えるとさっさと立ち去ってしまった。

そこにいたのがツグミだと気付かず、招待客の市民のひとりだと思っているのだろう。

なにしろ数日前に風間がツグミと会った時の彼女は自分よりも背の小さい少女であったが、今まの前にいる少女は自分と同じくらいの身長なのだからいくら似ているといっても同一人物だと考える方が無理なのだ。

 

「ねえ、ジンさん、招待客って? マスコミの人たちだけでなくて一般人も呼ばれてるの?」

 

ツグミが訊くと、迅は答えた。

 

「ああ。市長とか市議会議員といったお偉いさんや、町内会会長とか市内の中学や高校の校長とか、な。これから隊員を募集するのに市民の理解が必要だってことで記者会見を行って、それをテレビでも放送することになるんだが、記者会見を行う際に市民を除外してマスコミだけにする訳にはいかない。とにかく市民に愛されるボーダーを目指すために市民の代表っぽい人には生で見てもらおうってわけさ」

 

「そういうことならわたしもその市民のひとりにこっそり加えてもらえませんか? 記者会見を見てみたいんです。今のわたしはボーダー隊員霧科ツグミではなく、ただの一市民という立場でいますから」

 

「う~ん…」

 

迅にはツグミがこの場所に来たタイミングで彼女が「この記者会見で()()をやる」という未来は視えていた。

そして彼女に記者会見を見せたところでボーダーにとって不都合なことは起きないということもわかっている。

会場内の人間で12歳のボーダー隊員・霧科ツグミのことを知るのはごく一部の関係者のみで、おまけに長年の付き合いのある自分ですら彼女のことに気付かなかったくらいだから誰にもバレないはずだと考えた迅は彼女の()()()()を許すことにした。

 

「わかった。マスコミ席の後ろが招待客の席で、そこで空いている席があったら座って見ているといい。その代わりおとなしくしているんだぞ」

 

「は~い、わかってま~す」

 

ツグミは無邪気に答えるが、この後の記者会見でひと波乱起きることになる。

もちろん彼女はトラブルを起こす気など一切なかったのだが、結果としてその場にいた人間のボーダーに対する認識を変えることになってしまっただけだ。

本人もまだ自分の行動と発言が他人に大きな影響を与えるとは想像もしていない。

 

 

 





今回186話と次回の187話に描かれている記者会見は、原作の第142話「柿崎国治」の中で柿崎が回想した4年前の記者会見のエピソードを元にしています。
オリ主が()()したことでひと波乱起きるのですが、それは次回187話で。


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