ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
1日目の午前中、ツグミと迅は昨夜
ここは第一次
それも1軒だけでなくその地域全体が瓦礫で埋め尽くされている。
おそらく大型トリオン兵によって踏み潰されたり、砲撃にあったのだろう。
辛うじて家の土台が残っているから民家があったのだとわかるほどで、
それだけ凄まじい一方的な破壊と殺戮が繰り広げられたという証拠でもある。
ボーダー本部基地の周辺、東三門地区にはこのような場所はいくつもあって見慣れてはいるが、だからといって平気でいられるものではない。
今でもこうした光景を見るとツグミは胸を痛め、ささやかな幸せを求めて日々を過ごす市民が二度と哀しむことのないようにとボーダーの活動により一層力を注ぐのだ。
「
ツグミは昨夜のうちに忍田から貰ったデータからいくつかの仮説を立てており、そのひとつひとつを検証して消去法で範囲を狭めていった。
そして最後に残った結論が「人型
「どうしてそう思うんだ?」
迅に訊かれ、ツグミは答えた。
「このエリアは見てわかるように2年前の第一次
「だけどこんだけ瓦礫の山になってたらトリオン兵が上を歩いてもわからないだろ?」
「そう思うのは間違いです。一見するとタダの瓦礫の山ですが、良く見るとわかることが多いんですよ。例えば…」
ツグミは足元の瓦を拾うと、両手で持ってまるで板チョコを半分こにするように「パキン」と軽くふたつに割った。
そしてその断面を迅に見せる。
「ジンさんの足元にある瓦の破片を拾ってこれと見比べてみてください」
迅は言われたとおりに瓦の破片を拾い、ツグミに手渡された瓦と比べて見てその違いに気付いた。
「そうか…2年前に破壊されたものは断面が風化しているが、おまえが割ったものはまだ断面が新しくて中が綺麗なままだ。つまりこの辺りの瓦礫でつい最近壊れたものはない。昨日の夜に大型トリオン兵がここにいたなら、新しい断面を持つ瓦礫があるはずだということか?」
「正解です」
「だが飛行能力を持つ新型のトリオン兵かもしれないぞ」
「当然それも考えられます。測定されたトリオン反応の大きさから仮に大型トリオン兵であったとしましょう。大型トリオン兵はトリオン能力者の拉致もしくはトリオン器官の奪取を目的としていますから、飛行型だと地上にいる人間を捕獲する場合は上空からクレーンゲームのクレーンのようなものを伸ばして、こう…引っ掛けたり掴んだりすることになります」
ツグミは右腕をクレーンに見立ててジェスチャーを交えながら説明をする。
「ですがこれは案外難しくて効率が悪い。従来のバムスターのように地上で
「なるほどな…」
「昨夜の状況では
「それでその艇というのはどこに行ったんだ?」
「さすがにそこまではまだわかりません。データが足りませんからね。ただ考えられるのは人型
そう言ってツグミは北側の山並みを見た。
標高200メートルから300メートルクラスの山がいくつか連なっており、深い針葉樹林の森が広がっている。
また山腹には自動車用の道路はなくハイキングのための登山道が整備されているだけなので、春や秋の行楽シーズン以外に民間人が立ち入ることも滅多にない。
もしそこに艇を隠していたら発見するのは容易ではないのだが、ツグミの能力があればさほど問題にはならないだろう。
「北の山ではなく他の方向へ飛んで行く可能性は?」
「ゼロではありませんが、ここからどこかに飛行して艇ごと身を隠すなら人家の多い東から南、そして西にかけては避けるでしょう。
ツグミの推測にはきちんとした根拠があり、迅も納得する。
ボーダーの遠征艇もそうだが、飛行する際のエネルギーは乗員から抽出したトリオンであるから、トリオン能力の高い者が多ければ多いほど運行は楽になる。
逆にトリオン能力者が少ないと抽出するトリオンの量にも限界があって、途中で長時間滞在しなければならずに目的地まで時間がかかってしまうのだ。
小型の艇なら乗員も少ないだろうから、短距離の飛行を何度も繰り返すタイプだと考えるのは妥当な推理である。
「たぶん食糧はある程度積んでいるでしょうからすぐに街へ出て来るようなことはなく、しばらく人目につかない場所で待機。そして同時にトリオンの抽出をすることになると思います。よって数日間は北側の山中に身を潜め、様子見をしながら安全であると判断した後に行動を開始するとわたしは考えます。…しかし三門市に現れたのも別の国へ行く途中の経由地であり、数日後にはまた
この時点ではまだ小型艇に乗った人型
しかし他に手がかりはなく、ツグミの言うことにはそれなりの根拠があっていくつかある可能性の中で最も確率が高いのだから行ってみる価値は十分にあった。
「そうなると念の為に登山の準備をしておいた方がいいかもしれない。不測の事態が起きないとも限らない。一旦解散し、準備を整えてからもう一度集合だ」
◆
2時間後、迅がツグミを忍田家まで迎えに来た。
軽登山になるので装備もそれなりのものが必要となり、登山口まで公共交通機関で行くのは大変だろうということで、レイジが車で送ってくれることになったのだ。
もちろんレイジは詳しいことを知らないが、迅が頼むことであればそれなりの理由があるとわかってくれて、何も聞かずに運転手の役目を引き受けてくれたのだった。
おかげで昼前には登山口に着いて捜索を始めることができるだろう。
ツグミと迅は戦闘体に換装せず生身のままで登山を開始した。
トリガー使いが近付いて来るとなれば目的の人型
たしかに人型
こちらが
もちろんこちらが敵意を見せずとも襲撃される可能性もあるが、トリガーは常に携帯していていつでも使えるようになっているから生身であっても問題ない。
なにしろツグミには「トリオン体でできているものを
そして生身のままでいるのにはもうひとつ理由があった。
本格的な行楽シーズンの前とはいえシルバーウィークの4連休であるから、民間人がハイキングをしているところに思いがけず出会ってしまう可能性は高い。
その時にボーダーの隊服を着ていれば何事かと訝しがられる恐れがあり、そうならないためにもツグミたちは民間人を装う必要があるのだ。
今のふたりの格好は「学校が休みなので遊びに来たアウトドア派の学生カップル」で、仮にふたりがボーダー隊員だと知っている人間に出会っても「今日は非番だから」と言えばそれで済む。
まさか正体不明の人型
この任務で最も大切なことは「民間人に知られてはならない」であるから、ごく自然に
もっとも演技などせず本心からハイキングを楽しんでいるツグミたちの顔を見て誰も極秘任務の遂行中などとは思うはずがない。
「ジンさん、この700メートル先に休憩できる場所があるみたいなので、そこでお昼ご飯にしましょう」
ツグミは地図を見ながら迅に言う。
この地図というのは市役所の観光課で配布している観光客向けのもので、登山口に向かう途中でレイジに寄り道をしてもらって案内所で手に入れたものである。
他にも国土地理院の2万5千分の1の地図も持って来ているのだが、中学生や高校生のカップルが
そこまで考えて行動しなくても良いように思えるが、念には念を入れて完璧な計画を立てても何らかのアクシデントが起きるものだとツグミは良くわかっているのである。
ちなみに国土地理院の地図は彼女の私物で、三門市内のどこで何があってもすぐに対応できるようにと小遣いで買ったものである。
子供ながらにも「トリオン兵が現れたら誰よりも先に駆けつけて戦うためには三門市内の地理を知っていなければならない」と考えた故の行動だった。
その地図を穴が開くほど見つめ、もう地図など見なくても大丈夫なほどに地理を把握したおかげで、彼女はキオンの諜報員たちに拉致された時にも冷静に行動できたのだった。
ツグミたちが目指した休憩できる場所というのは簡易な木製ベンチとテーブルがあるちょっとした広場になっていて、そこから南を望むと市街地が広がって見える。
その景色の中でボーダー本部基地は異様なほど大きくて目立っており、異世界からの侵略者から市民を守るための砦として頼もしく見えるものの、逆にこれがないと市民の生命と財産を守れないという現実から目を逸らしてはいけないと言われているような気にもなってくる。
ツグミは自分がボーダー隊員であるからそんなことは考えていないが、市民の中はそう感じている人もいるかもしれないのだと自らに戒めた。
ツグミがテーブルの上に広げた弁当は迅が想像していたものよりもずっと豪華で美味しそうに見えた。
少し大きめのおにぎりは昆布の佃煮とおかかの2種類で、おかずはダシ巻き玉子、ブロッコリーのジャコ和え、牛肉のごぼう巻きと栄養バランスを考えたものである。
一時帰宅する前にツグミが迅にふたり分の弁当を用意すると言っていたのだった。
「すごいな…。よくあの短い時間でこれだけのものが作れたな?」
迅は感心するが、ツグミは当然だという顔で答えた。
「これって実は朝のうちに用意しておいたものなんですよ。ジンさんと一緒に調査に出かけることになっていたので、多分必要になるだろうと思って。作業をしていたら真史叔父さんが物欲しそうに見ているので、3人分作ってひとつを叔父さんに渡して出勤させました。きっと今頃同じお弁当を食べているんじゃないかしら?」
そう言ってツグミはボーダー本部基地の方を見た。
そんな彼女の顔を見る迅の心中は複雑である。
彼女にとって理想の男性は忍田であり、事あるごとについ自分と忍田を比べてしまうのだ。
(こいつは俺のことを兄として慕ってくれているが、俺が望んでいるのはそんなことじゃない。俺のことをひとりの男として見て、その上で俺のことを好きだと言ってもらいたいんだ。たしかに忍田さんは俺から見ても凄い男だと思う。あの人を超えなければいつまで経っても俺は兄のまま。こうして一緒にメシを食って、それで十分幸せだと感じているようではダメだ。だが何をどうすればいいのかまるっきりわかんねぇよ…)
迅はツグミの本当の気持ちを知らずにいた。
ツグミにとって忍田は「人として素晴らしく敬愛できる父親」で、迅こそが「恋愛感情を抱いている異性」なのである。
だからいくら彼女が「真史叔父さんだ~い好き!」と言ってもそれは単に娘として父親が好きなだけであり、自分と忍田を比べたところで意味はないのだ。
ふたりの出会いはツグミが7歳の時で、その時から兄妹のようにして育ってしまった結果、お互いに兄妹としてならいつまでも一緒にいられると信じ込んでいて男女の関係になろうという一歩を踏み出せずにいた。
そうしてふたりは絆を深めていくのだが、この時の迅、そしてツグミはまだ何も知らない。
アフトクラトルによる大侵攻での自分の決断が正しかったのか否か迅が苦悩していた時、ツグミはいともあっさりと彼の悩みを消し去ってしまった。
「正解のない問い」に悶々としていた自分が愚かだったと思ってしまったほど、迅にとって目からウロコの「答え」であったのだ。
たぶんずっとそばにいて迅を見続けてきたツグミだったからこそ、深い霧の中で彷徨っていた彼を救い出せたのだろう。
そしてキオンの諜報員によって精神攻撃を受け、心身共に憔悴していたところを拉致されてしまったツグミを救ったのは迅である。
何もせずにゼノンたちの取引に従えば良かったものの、迅のことを誰よりも信頼していたから彼女は大博打のような作戦を練って実行したのだった。
この時の迅はまだこれらの未来を視ることはできない。
この亡命
3ヶ月後の
その遠征で捕虜の
彼女がボーダーをクビになって玉狛支部に転属することがなかったら…
どれかひとつでも選択肢を誤れば、ふたりは進む道を分かつこととなっていたかもしれないのだ。
いや、このような人生を変えるほどの大きな選択肢でなくとも日常の中にいくつもの小さな分かれ道はある。
それを迅は
まだ視えぬ未来に不安を抱きながらも、迅はツグミという「魂の片割れ」によって前へと進み続けている。
(俺にとって忍田さんは絶対に越えられない高い壁のようなものだ。道の真ん中に立ち塞がっていて今のままじゃ前には進めない。だけどツグミが高い壁にしてしまっているだけで、こいつの意識が変われば壁は低くなるどころか俺にとって何の障害でもなくなる。その意識を変えること、俺には忍田さんが持っていない良さがあるとわかってもらえればきっと…)
迅はツグミの顔をチラリと見ながら思った。
(たしかに俺には俺にしかない良さはあるはずなんだけど、俺自身がわからないんだからどうしようもないんだよな…)
と、重大なことに気付いてため息をついてしまった。
「はぁ…」
するとそのため息に気付いたツグミが迅に訊く。
「ため息つくほどわたしのお弁当はNGでした?」
「あ、いや…そういう意味じゃなくて…」
迅は慌てて言い訳をした。
「任務じゃなけりゃ心からハイキングを楽しめるのに残念だなって思っただけさ」
とっさに思いついたにしては上出来だと迅は自信を持っていたが、ツグミのひと言でへこんでしまった。
「何を言っているんですか? 任務だからこそここに来てお弁当を食べているんですよ。そうでなかったら今頃わたしは本部基地で狙撃訓練か
ツグミは任務であることを強調する。
しかしこれは迅に言っているというよりは自分に言い聞かせていたのだった。
(ジンさんと一緒にお出かけできるなんてこんなチャンス滅多にない。だけどこれは任務なんだから浮かれてちゃダメ。気が緩んで、それが原因で任務に失敗したってことになれば城戸司令のジンさんへの信頼度はガタ落ちになる。そうならないためにはふたりとも気を張っていなきゃ。間違ってもデートだなんて思っちゃいけない。だってジンさんにとってわたしは妹みたいなものなんだから…)
せっかく和やかな雰囲気であったというのに、少々雲行きが悪くなってきた。
それはツグミと迅の間の空気のことだけでなく、それまで快晴だった空に黒雲が出て来て文字どおり「雲行きが悪く」なってきたのだ。
天気予報では一日中晴れだということだったが、所によっては雷を伴うにわか雨が降るとも言っていた。
念の為に雨具は用意してあるが、できることなら使わずに済ませたいものだ。
「ツグミ、さっきの地図を出してくれ」
迅が真面目な顔でツグミに訊いた。
「ここから一番近い雨宿りのできる場所を探してくれ。すぐにそこへ行こう」
「もしかして
「長時間降られることにはならないだろうが、ちょとヤバイかもしれない」
「わかりました」
ツグミは地図を広げると、この場所から登山道を1000メートルほど行ったところに茶屋があることを見付けた。
「山を降りても雨宿りできるような場所は近くになかったですから、ちょっと無理をしてでも登ってここまで行った方が良いと思います」
「そうだな。じゃあ、早くここを片付けて向かうぞ」
大急ぎで荷物をまとめてリュックサックに詰めると、ツグミは迅に手を引っ張られながら登山道を登って行った。