ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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200話

 

 

迅が荷物を持って戻って来ると、ツグミは医療キットのポーチから冷却シートを出してすぐにパメラの額に貼った。

解熱剤を与えるには医師の判断が必要で、素人にできる手当は冷却シートを貼るくらいしかない。

もっともタダの濡れた布よりは熱を下げる効果はあるのだし、さらにアマドたちの信頼を得る行為にもなった。

実際、冷却シートを貼るとすぐにパメラは気持ちが良くなったようで、熱にうなされていた苦しそうな表情が少し穏やかになったように見える。

その様子を見ていたアマドとリーノも安堵の表情を浮かべ、ひとまず希望が見えてきたといった感じだ。

 

「詳しい症状がわからないのでひとまず発熱を緩和する手当はしました。薬を投与したのではないのでまだ安心はできませんが、いくらかは楽になるはずです。目が覚めたら十分な水分と栄養を摂らせましょう。水と食べ物はありますか?」

 

ツグミがアマドに訊く。

 

「はい。水はありますが、妻はもう3日何も食べていません。何も食べられないのです」

 

「それじゃ身体が耐えられるはずがありません。わたしが持っているゼリー飲料なら食べられるでしょうからお分けします」

 

「ありがとうございます」

 

アマドのツグミに対する言葉遣いが丁寧なものに変わってきた。

信用できると確信したのか、それとも彼女の行為に感謝しているのか、その両方なのかわからないが、少なくとも冷静に話をすることはできそうだ。

ツグミはリュックサックの中からゼリー飲料を2つ取り出してパメラの枕元に置いた。

 

「アマドさんとリーノくんはちゃんと食事をしていますか?」

 

「あ、はい…。私たちは普通に携帯食料を食べています」

 

「そうですか。ではわたしたちはこれから昼食にするつもりですが、おふたりもご一緒にいかがですか? できれば食事をしながら詳しいお話を聞きたいですし」

 

「わかりました。ここでは狭いですので、外へ出ましょう」

 

「パメラさんはひとりにして大丈夫ですか?」

 

「はい。目を覚ましたらこの壁のボタンを押して私を呼ぶようになっていますので」

 

アマドが枕元の小さな押しボタンを指で示した。

本当はパメラのことが心配でずっとそばにいたいのだろうが、自分まで倒れたらリーノがひとりになってしまうことを危惧しているのだ。

感染を防ぐにはできるだけ患者と接触しない方が良いに決まっている。

そこでアマドとリーノは艇の外にいたのだ。

 

ツグミたちが艇の外に出るとすぐに迅がツグミに内部通話で話しかけてきた。

 

[ツグミ、ちょっと話したいことがある。俺の言うことを黙って聞け。言いたいことがあっても今は我慢して聞くだけにしてくれ。奴らには聞かせたくない話だからな]

 

続いて迅はわざとふざけたフリをして声に出して言う。

 

「ツグミ、俺ちょっとトイレに行って来る」

 

そして出口の方へとすたすたと歩いて行き、50メートルくらい離れた場所から再び内部通話で呼びかけた。

 

[さっき荷物を取りに外へ出た時に城戸さんに現状を報告した]

 

ツグミはさり気なくリュックサックの中から物を取り出す風を装って迅の話を聞く。

 

[城戸さんはあいつらを外に出すのを渋っている。まあ、それは仕方がないことだよな。だがちょっとヤバイことを言うもんだから忍田さんたちと相談してボーダーの総意としての指示をくれと言ってある。その返事がいつになるかわからないが、ひとまず指示待ちってことだ]

 

迅と城戸のやり取りについて詳しいことはわからないが、迅のやることなら安心して任せられるとツグミは信じている。

 

(たしかに市民への感染リスクを考えたらこの石切場から出さないようにするのがベスト。でも早く治療をしなければパメラさんは死んでしまうかもしれないし、まだ発症していないアマドさんとリーノくんだっていつ倒れるかわからない。一刻を争う状況だって理解してもらえれば早く的確な指示をしてくれるはずよね。それにしても城戸司令が言ったヤバイことって何だろ? ジンさん、そこのところは教えてくれないんだ)

 

ツグミにはまだ城戸が「近界民(ネイバー)を殺せ」という意味の指示を出したことには気付いていない。

そもそも敵対心のない相手を殺す必要はなく、タダの民間人であればなおさら危険はないのだから病気であるからといって殺害を命じるとは想像もできないのだ。

 

 

アマドはツグミと迅の行動に疑問を持たず、自分とリーノの食事を作り始めた。

小さな片手鍋にシリアルらしきものと白い粉末と水を入れて、中身をかき混ぜながら焚き火にかざしている。

 

「それは何をしているですか?」

 

迅との内部通話を終えたツグミがアマドに訊いた。

 

「これは乾燥させたとうもろこしと燕麦を挽いて粉にしたものとミルクを顆粒状にしたものを水で溶いて煮ているんです」

 

「なるほど、オートミールみたいなものね…」

 

「あまり美味しいとは言えませんが、長期保存ができて軽量なので大量に持ち出すことができました。そのおかげで食べ物には不自由はしていません」

 

アマドはそう言うが、たしかに美味しそうには見えない。

なにしろ塩とか砂糖といった調味料を使用してはおらず、文字通り味も素っ気もない料理に仕上がった。

皿に盛った後にも加えることはなく、そのままの状態で食事を始めようとしている。

たとえ素材が最高のものであっても調味料をまったく使わないのはおかしい。

つまり彼らはそういった調味料を持っていないということだ。

古いものとはいえ艇を手に入れられるくらいだからそれなりの財力はあっただろう。

それで持っていないということは彼らの祖国では調味料自体が非常に貴重な品ではないかと想像できる。

こちら側の世界でも過去には胡椒などの香辛料が同じ重さの金と交換されるほどの貴重品であったというから、近界(ネイバーフッド)でも同様のことがあってもおかしくはないのだ。

ツグミは豆とヒジキのおにぎり、おかずの甘辛あんかけ鶏つくね、ひき肉とジャガイモのオムレツの入った弁当箱を開くとそれをひとつずつ皿に載せた。

 

「はい、ジンさん、どうぞ」

 

迅に皿を手渡すと、続いて弁当箱の蓋を裏返してそこにおにぎりとおかずをふたつずつ載せてアマドの前に差し出した。

 

「よろしければ、どうぞ。少し多めに作ってしまったもので」

 

迅とふたりでふたつずつ食べるために用意したのでどれも4つずつある。

それを半分アマドとリーノにおすそ分けするというわけだ。

分け与えてしまえば自分たちの昼ご飯が半分に減ってしまうが、迅は彼女が「きっとやるだろう」と思っていたのでニヤニヤしながらその様子を見ている。

 

「よろしいのですか?」

 

戸惑うアマドだが、リーノは久しぶりの肉や卵を見て我慢できないとばかりにツグミの持つ料理に手を伸ばした。

 

「コラッ! 行儀が悪いぞ!」

 

リーノはアマドに叱られて、慌てて手を引っ込めた。

 

「アマドさん、リーノくんを叱らないであげてください。育ち盛りの子供ですから栄養のあるものをたくさん食べなきゃいけません。本人が欲しがるなら食べさせてあげましょう。アマドさんだって携帯食ばかりでしょうから、たまには変わったものを召し上がってみてはどうですか? まあ、おふたりの口に合えばいいんですけど」

 

「それでは遠慮なくいただきます」

 

アマド自身も無味乾燥な食事に飽きていたからツグミの料理はとても魅力的で食べたいと思っていた。

しかし見ず知らずの玄界(ミデン)の少女に甘えて良いのか迷っていて、そこにリーノが子供らしく自分の気持ちに正直な行動をしたものだから、彼も自分の気持ちに素直になることができたのだった。

ツグミから受け取った料理を物珍しげに見ながらアマドはリーノの前に置いた。

 

「ほら、リーノ、お礼を言いなさい」

 

「ありがとうございます!」

 

リーノが元気良くお礼を言うと、アマドは苦笑しながら言う。

 

「躾が行き届いていなくてすみません」

 

アマドはそう言って大事なことに気が付いた。

 

「そういえばまだおふたりのお名前を伺っていませんでしたね。差し支えなければ教えていただけますか?」

 

アマドはパメラのことで頭がいっぱいになっていて、ツグミたちの名前を聞いていなかったのだった。

 

「あ、紹介が遅れてすみません。こちらは迅悠一、わたしは霧科ツグミと申します。名前だけでなくわたしたちがなぜここに来たのかをご説明しなければなりませんね。でも食事を先にしましょう。リーノくんは待ちきれないみたいですから」

 

リーノの視線がツグミの料理に釘付けになっており、アマドもかなり空腹のようであるから食事を先に済ませてしまわなければ話をしていても上の空になりそうだ。

ひとまず食事をして、ある程度腹が満たされたところでツグミと迅は「事情聴取」をすることにした。

アマドとリーノは初めて口にする料理に満足したようで、食事を終えると自分たちの身に起きた突然の不幸を淡々と語り始めるのだった。

 

 

 

 

アマド一家の祖国はプラーヌスという小国である。

国が小さく、国民も少ないから他国からの侵略を受けることがないため、彼らの国も他国を侵略しようという気はなく温厚な国民性を持っている。

さらにこの国は決まった軌道を持たない「乱星国家」であり、主産業は農業でトリガー開発はこちら側の世界並みのレベルでけっして高いとはいえない。

食料の自給率は200%で、近付いた国との交易によって生活必需品を手に入れるという方法を取っていた。

しかしひと握りの上級市民が一般市民を支配する「封建制」によって国が治められていて、アマド一家は農民の中でも比較的裕福な家族であったらしい。

2ヶ月ほど前にとある村から原因不明の病気が発生し、それが瞬く間に国内全域に広がっていった。

特効薬がなく、治療を受けられる貴族でも対処療法であるから回復する者もいれば死亡する者もいる。

そうなると治療を受けられない一般市民は発症してしまうと手の付けようがなく、患者を隔離してそれ以上の感染を防ぐという消極的な方法しか身を守る手段はない。

つまり発症してしまった者は何の手当もされずに高熱にうなされて死を待つしかないのだ。

こうなると感染する前に国を出て行こうとする者が現れ始め、金のある貴族たちは先を争うようにして祖国(プラーヌス)を捨てたのだった。

アマドは自分の住む村に感染者が出たことで即座に行動した。

財産のすべてを注ぎ込んで中古の小型艇を買い、パメラとリーノを連れてプラーヌスを脱出したのは10日ほど前のことであった。

プラーヌスは乱星国家であるから交易といっても常に決まった国との取引ではなく、旅から旅への行商人のような1度きりの取引になる。

よって親しい国ができるはずがなく、特定の友好国や同盟国といったものもない。

だから原因不明の病気が蔓延しているプラーヌスの人間を受け入れる国がないのは当然で、「玄界(ミデン)では医療技術が発達していて、庶民でも医療を受けられる」と聞いたアマド一家が玄界(ミデン)に最後の希望を抱いて亡命してきたのは仕方がないことなのである。

パメラの感染が判明したのはプラーヌスを発った5日後のことで、薬はなく医師に診てもらうこともできずに彼女はずっと苦しんできた。

そして苦労してたどり着いた玄界(ミデン)であるが、アマド自身はトリオンを消費しすぎていて身体に多大な負担がかかっており、生身の身体では山を越えることができずに困っていた。

どうやって玄界(ミデン)の人間と接触しようかと悩んでいたところにツグミたちが現れたのだから、アマドにとっては彼女たちが神のような存在に見えるわけだ。

 

アマドから事情をひと通り聞いたツグミと迅。

本来ならば一刻も早くパメラを病院に搬送して適切な処置をしてもらうべきなのだが、このケースではそうもいかない。

なにしろ近界(ネイバーフッド)から持ち込まれた正体不明の感染症が原因であるから、こちら側の世界の人間が迂闊に関わりを持ってしまうと問題が大きくなってしまう。

さらにこの病原体が市中に広まってしまうことになればトリオン兵の襲撃どころの問題ではない。

城戸が「近界民(ネイバー)を採石場から一歩たりとも外に出すな」と言ったのは当然で、だとすれば医師に()()してもらうしかないのだが、現在は城戸の指示待ちということになっているのでツグミたちにはどうしようもないのだ。

幸いアマドとリーノには自覚するような症状はないようだが、油断は禁物である。

 

「アマドさんたちの事情はわかりました。今からわたしたちは本部基地にいる上司に報告して指示を仰ぎますので、ちょっと外へ出てきます」

 

ツグミはアマドにそう言い残して迅と一緒に席を立った。

 

 

 

 

外に出ると迅は再び城戸に連絡を入れた。

 

「ああ、城戸さん。ツグミから新しい情報の報告です」

 

そう言って携帯電話をツグミに手渡す。

 

「城戸司令、電話、変わりました。病人である女性の様子についてお伝えします。彼女は25歳の女性で ──」

 

「待て。私は患者の症状を聞いても何もわからない。そこで後で言う電話番号に電話をかけて、出た医師に話をしてくれ」

 

「わかりました。では亡命希望をしている近界民(ネイバー)の一家についてですが、彼らはトリガー使いではなくタダの民間人です。艇の中のトリオン反応を探りましたが、トリガーは所持していません」

 

「つまりボーダーにとって役に立つ情報は持っていないということだな」

 

「まあ、そうなります。ですがまだわかりません。彼らの国は乱世国家で、ボーダーがまだ接触していない国ですし、彼らが交流した国の位置や国情などの話を聞くことができるかもしれません」

 

アマド一家に価値があると思わせることができれば城戸も手厚い保護をしてくれるだろうと考えてツグミはそう言った。

逆に言えば、価値がないとわかった途端に切り捨てられる可能性があり、それを恐れたのだ。

 

「とにかく病人のことは医師に任せる。念の為にもう一度言っておくが、絶対にそこから出すな」

 

「はい、わかっております」

 

「では医師の電話番号を言うぞ。番号は…」

 

ツグミは城戸の言う電話番号をメモすると、携帯電話を迅に返した。

続いて迅が城戸に言う。

 

「城戸さん、相手が近界民(ネイバー)であるからといって門前払いをするのはNGだぜ。もしかしたら先の大侵攻でさらわれた市民の手がかりが掴めるかもしれないんだから」

 

「…ああ、こちらもできる限りのことをしよう。三門市民の利益を最優先で、な」

 

城戸の言い回しに少々不安はあるものの、さっきの電話の時よりはかなり譲歩してきているのように迅には思えた。

 

 

一方、ツグミは早速指示された電話番号に電話をかけると中年の男性が電話口に出た。

 

「あの…わたしはボーダーの霧科ツグミと申します。城戸司令からお話は聞いていらっしゃるかと思うのですが…」

 

「ああ。さっき連絡があったよ。どうやら表沙汰にはしたくない病人がいるそうじゃないか。その人物は我々とは違う世界の人間らしいが、私は医師として最善を尽くすつもりだ」

 

「ありがとうございます!」

 

「そこで往診…というわけにはいかないようだから、きみに患者の様子を教えてもらいたい。できれば患者の写真を撮って送ってくれるとありがたいな」

 

「わかりました。写真はすでに撮ってありますので、後でお送りします。それで症状ですが…」

 

ツグミは自分が見たことをできるだけ詳しく正確に伝えた。

そして写真を送ってしばらくすると、医師からの電話が来た。

 

「きみから聞いた症状と写真を照らし合わせてみると、麻疹(はしか)だと思われる」

 

麻疹(はしか)…ですか」

 

「ああ。きみと迅くんはトリオン体とかいう身体になっていて感染する心配はないそうだが、麻疹ウィルスの感染力は極めて強く、感染経路は空気感染、飛沫感染、接触感染と多彩だ。同じ空間に患者といるだけで感染してしまう恐ろしいもので、マスクや手洗いでもウィルスの侵入を防くことはできない。よって一緒にいる家族にも感染していると思われる。きみたちは子供の時にワクチン接種をしているだろうが、くれぐれも感染しないように十分注意してくれ」

 

「はい」

 

「それから麻疹(はしか)の特効薬はない。解熱剤や鎮咳去痰薬による対処療法しかないのだが、きみは解熱剤を持っていると言っていたがアセトアミノフェンやイブプロフェンが使用されているものはあるか?」

 

「それならアセトアミノフェンが配合されている風邪薬を持っています」

 

「ではそれを患者に飲ませておいてくれ。それから発熱によって脱水症状を起こしているだろうから、水分補給はこまめにしてもらいたい。スポーツドリンクがあればその方が良い」

 

「はい、スポーツドリンクなら持っています。それとゼリー飲料もありますから、目が覚めたら食べさせようと思っていました」

 

「それは良い。栄養補給も重要だからな。あと患者の家族はできるだけ患者から遠ざけておいてくれ。手遅れの可能性は大だが無駄とも言えないからな」

 

「わたしが患者の看病をします。同じ女性ですから彼女もその方が安心するでしょうし」

 

「ああ、頼んだぞ」

 

ツグミは医師の指示に従ってパメラの看護をすることにした。

そしてそばでツグミたちの会話を聞いていた迅に言う。

 

「ジンさん、わたしはこれから艇に戻ってパメラさんの看護をします。アマドさんとリーノくんはすでに感染しているでしょうが念の為に艇には入らないでもらうことにします。そこでジンさんにお願いなんですが、ここでリーノくんの遊び相手をしてもらえないでしょうか?」

 

「俺が?」

 

「はい。外はこんなに天気が良くて気持ちのいい風が吹いているのだから、リーノくんだけでもここで遊ばせてあげましょう。さっき焚き火のそばでリーノくんは手持ち無沙汰にボールを転がして遊んでいました。父親や病気の母親のそばを離れたくはないのでしょうが、外で少し気分転換をさせてあげた方が良いかと思って。それに中に入ってしまうと携帯電話が繋がらなくなり、医師(ドクター)からの連絡が受けられません。なのでジンさんにはわたしの携帯電話を持ってここにいてもらいたいんです。そして何かあったらすぐにわたしに教えてください」

 

「そういうことか。わかった、おまえの言うとおりにするよ」

 

迅はそう答えてツグミから携帯電話を受け取った。

 

 

 

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