ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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202話

 

 

迅がツグミのもとへ戻って来ると、彼女は真剣な顔で迅に訊いた。

 

「さっきの電話は城戸司令からなんですよね? その顔だとアマドさんたちにとってベストな解決策であるようには思えません。どんなことを指示されたんですか?」

 

それが迅にとって答えにくい質問だとわかっていながらも、ツグミには話を聞く権利はある。

迅も隠し通せるものではないと理解しているから、城戸から言われた言葉をそのまま伝えた。

 

「城戸さんが言った言葉を一字一句正確に言うぞ。『()()()()()()()を伝える。明日〇九〇〇時に私と忍田と医師の3人がヘリで上空から採石場へと向かう。私たちが現着した時点でおまえとツグミは現在のトリオン体を破棄して緊急脱出(ベイルアウト)で本部基地へと帰還しろ。そして本部で待機している林藤の指示に従うこと。以上だ』で、俺もそれ以外のことは聞いていないからわからない」

 

城戸の言葉は正確に伝えたが、「それ以外のことは聞いていないからわからない」は嘘である。

迅にはこの事件の先まで視えていて、その影響が後にまで続くことも知っているのだから。

しかしツグミは彼の態度で察してしまった。

 

「ジンさんは嘘をつくのが下手ですね。城戸司令がそう言ったのは間違いないんでしょうけど、それ以外のことがわからないなんて嘘。視えているんですよね? それでそれをわたしに伝えることはできないということ。だから無理やり訊こうとはしません。なんとなくわかってしまいましたから」

 

「……」

 

「でもアマドさんたちにとって不都合なことになるならわたしは絶対に許しません。明日、城戸司令がここに着いたらわたしは断固として戦いますよ。たとえ未来が確定していてもわたしは理不尽な未来であれば全力で抗います。明日の天気が晴れるとか雨が降るなんてことは変えようがないですけど、人と人の関わりであれば人間の意思の力によって不可能を可能にすることができると信じていますから」

 

「……」

 

「少なくとも医師(ドクター)が来てくれるということは、症状を詳しく診てくれて適切な処置をしてくれるということでしょう。今現在よりは状況が改善するのは間違いありません。問題はその後のことです。医師(ドクター)麻疹(はしか)だろうと言っていましたが、そんな感染力の強いウィルスを市中に広めるわけにはいきませんから病院に搬送するのは難しい。それに同じウィルスとは考え難く、現在あるワクチンでは効果がない可能性は高い。だからこの石切場から外に出してはいけないという城戸司令の指示も従わざるをえません」

 

「……」

 

「したがってここで医師(ドクター)が往診することでパメラさんの回復を待とうということなんですよね?」

 

「え? あ、ああ…そうだよな」

 

「アマドさんたちを亡命者として受け入れるかどうかはその後に調整すればいいこと。まずは病気を克服しなければ話になりませんからね。問題の解決には時間がかかりそうですけど、わたしは精一杯彼らに助力するつもりです」

 

城戸の思惑などまったく気付いていないかのような反応のツグミ。

賢い彼女がここまで楽観的な態度でいるのは妙だと迅は感じたが知らぬフリをすることにした。

 

「そうだな。俺もできる限りのことはする。…しかし今回の任務はいつも以上に熱心だな?」

 

「だってアマドさんたちはわたしに大切なことを教えてくれたんですからね」

 

「大切なこと?」

 

近界民(ネイバー)がわたしたちと同じ人間であることはわかっていましたけど、それだけだったんです。わたしがこれまで接してきた近界民(ネイバー)は命を奪おうとする敵兵士であったり、戦いに疲れて逃亡したトリガー使いであったりと様々でしたが、今回は庶民階級の家族。三門市民と同じく戦争には無関係な普通の人々です。アマドさんたちは今まで接してきた近界民(ネイバー)にも家族がいるということをわたしに認識させてくれました。考えてみれば当然のことなんですけど、これまでわたしたちが戦った兵士にも親やきょうだいがいて、わたしが殺してしまった近界民(ネイバー)にも彼の死を哀しむ人がいたはずです。末端の兵士は自分が戦いたいのではなく大切な人を守るために戦っているのだとすれば、それはわたしたちと同じ心を持っている同じ人間であると言えるわけで、それをアマドさんたちが教えてくれたんです」

 

「……」

 

「城戸司令はすべての近界民(ネイバー)を敵視していますが、大多数の近界民(ネイバー)は生きることに必死でささやかな幸せを求めて地道に暮らしている普通の人々なんです。きっと玄界(ミデン)と呼ぶ異世界があることすら知らないような人ばかりで、ボーダーが敵だと認識する近界民(ネイバー)とは違うとわたしは思います。だから城戸司令は考え方を改める必要があるんじゃないでしょうか? もしアマドさんたちに対する措置が厳しいものだったら、わたしは城戸司令に進言しますね。『木を見て森を見ず』になりかねませんよ、って」

 

「木を見て森を見ず」は「小さいことに心を奪われると、全体を見通せない」という格言である。

つまり「近界民(ネイバー)憎し」という怨念に囚われてばかりでは近界(ネイバーフッド)全体を見ることができなくて大切なものに気付かないと彼女は言いたいのだ。

 

(それは正論だ、ツグミ。おまえの言うことはもっともだが、世の中正論で片付けられないことは多い。城戸さんだってすべての近界民(ネイバー)を殲滅しようだなんて思っちゃいない。ただ建前上そう言っておかないといけない立場にあるということをわかってやってくれ。まあ、いつかおまえと城戸さんがお互いの気持ちを正直にぶつけてわかり合える時が来る。だけどそれは今じゃない。だからこれから俺たちがやろうとしていることを許してほしい)

 

迅は心の中でツグミに詫びるが、彼女は他人の心が読めるわけではないので迅の気持ちには気付かない。

いや、迅だけでなく城戸たちがどのような気持ちでいるのかも彼女にわかるはずがなく、ただアマドたちが救われる未来を望んでいるだけだ。

そして明日になればきっと未来が開けると信じていたのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

3日目の朝は秋らしい青空が広がっており、坑道から外に出たツグミは大きく深呼吸をした。

 

「う~ん、すっごく良い天気。こんなに気持ちの良い朝なんだから、いいことがありそうだな~」

 

時間は午前9時、城戸たちがボーダー本部基地を発った頃だから、あと10分くらいでやって来るだろう。

ツグミたちは簡単な朝食を済ませ、自分の荷物も整理してあるから城戸たちがいつ到着してもOKな状態になっていた。

パメラは前日に解熱剤を投与してからだいぶ落ち着いてきたようだ。

普段の生活で医薬品を滅多に使用しないために薬剤の効果が大きく出たに違いない。

楽観的に構えることはできないが希望はある。

この時のツグミはまだそう考えていた。

 

 

南の空から飛んで来たヘリコプターが採石場の上空でホバリングし、続いてゆっくりと後下してきた。

そのヘリコプターはドクターヘリではなく、三門市の消防防災ヘリである。

緊急性を要しないということなのだろうが、これは明らかに搬送する予定はないとツグミは判断した。

 

(やっぱり病院での受け入れは無理だったみたい。でも医師(ドクター)が往診してくれるなら安心ね)

 

ツグミは少し離れた場所でヘリコプターが着陸するのを見守っていたが、そのうちに迅がアマドとリーノを連れてツグミのそばにやって来た。

 

医師(ドクター)が来てくれたから、もう安心よ。パメラさんはすぐに良くなるわよ、きっと」

 

ツグミは彼女の手を握りながらヘリコプターを見つめるリーノに声をかけた。

 

「うん、おねえちゃんのいうことだからほんとうだね」

 

ツグミが事態の改善を信じているからこそ、リーノも彼女の言葉を信用しているのだ。

そんなふたりの様子を黙って見ている迅の心境は複雑である。

 

(俺だったらすぐリーノに嘘がバレちまうんだろう。全部知っているわけだし、城戸さんたちが知らない未来すら俺には視えているんだからな)

 

 

ヘリコプターから降りて来たのは城戸、忍田、そして医師の3人だけであった。

パイロットは念の為に機体から降りずに待機するのだろう。

城戸と忍田はいつもの制服姿であるからトリオン体のデータを制服に調整したらしく、医師だけが医療用の防護服を着用している。

症状は麻疹(はしか)で医師はワクチンを接種しているが、近界(ネイバーフッド)から持ち込まれた未知のウィルスに警戒するのは当然である。

ツグミはリーノの手を離して城戸たちに近付いて挨拶をした。

 

「城戸司令にまで御足労いただき申し訳ございません」

 

「いや、状況が状況なだけに責任者である私が自ら動かねば収拾がつかないからな」

 

いつもと変わらず冷たく厳しい視線を向けて言う城戸。

続いて医師がツグミに言った。

 

「きみが電話で話しをしたツグミくんだね? 挨拶は後にして、早く患者のいるところへ連れて行ってくれないか」

 

「じゃあ、俺が案内しますよ」

 

迅がツグミと城戸の会話に割り込んできた。

前日の「くれぐれも邪魔はさせるな」という城戸の言葉が頭にあって、ツグミに任せず自らがリードしようという意味だ。

ツグミも迅がアマドたちに不利になるような発言や行動をするとは露ほども思っていないから迅にすべてを任せることにした。

 

迅はアマドたちを紹介してから城戸と医師を坑内に停めてある艇へと案内するが、ツグミはそのまま外で忍田と一緒に待つことになった。

ツグミも迅たちについて行こうとしたのだが、彼に無言で制止されたからだ。

もし以前の彼女であったなら迅の態度に違和感を覚えたはずなのだが、茶屋での出来事が彼女に迅に対する絶対的な信頼を植え付けたものだから、自分に対して裏切るようなマネをするとは想像できないでいる。

ただ城戸たちが現着したら直ちに緊急脱出(ベイルアウト)するように指示されているが、最後まで見届ける義務があると考えてその場に残ったのだった。

 

 

「ツグミ、お疲れだったな」

 

忍田がツグミに労いの言葉をかけた。

 

「今回の任務は想定外の特殊なケースだった。おまえには申し訳ないことをしたと思っている」

 

「いいえ、どんな任務であっても全力で臨むのは当然のことです。ただいつもと違うもので戸惑うこともありましたが、良い経験にもなりました。今後この経験を活かして近界民(ネイバー)と上手く付き合っていけたらと考えています」

 

「そうか…」

 

忍田の「申し訳ない」はこれからツグミに対して理不尽なことをすることの詫びの気持ちも含まれている。

なにしろこれからツグミに対して行う酷い()()()の「共犯」でもあるのだから。

 

 

 

 

30分ほど経って、迅たちが戻って来た。

しかしツグミが想像していたものと大きく違っていた。

というのも坑道の奥から出て来たのが人だけではなく、アマドたちの艇も一緒に現れたからだ。

 

「これは…どういうこと…?」

 

ツグミの予想では医師がパメラの診断をし、彼女が回復するまで坑内で適切な治療をするというものであった。

しかし艇が外に出て来たということで、アマド一家をこの採石場から追い出すという城戸の魂胆が見えてきた。

 

「城戸司令! どうして ──」

 

ツグミが城戸に詰め寄ろうとした瞬間、後ろから忍田が肩を掴んで彼女を制止した。

 

「忍田本部長、放してください! わたしは城戸司令に訊きたいことがあるんです!」

 

「落ち着け、ツグミ! 城戸さんには城戸さんの考えがある。おまえには納得できない手段だろうが、これは上層部の会議で決定したことだ」

 

「……」

 

「それに彼らにはきちんと城戸さんから説明をしてもらい、彼らはこちらの出した条件を呑んだのだから、おまえがどうこう言おうとも彼らの意思は変わらないだろう」

 

「だけどまだパメラさんの具合は良くなっていないのだし、アマドさんやリーノくんが感染しているのはほぼ確実。もしこのタイミングでアマドさんまで倒れてしまったらどうなるかわからないはずがありません!」

 

「それは我々もわかっている! …しかしボーダーは人道援助団体ではない。三門市民の生命と財産を守ることを目的とした組織で、わずかでも市民に被害が及ぶ可能性があるのならそれを排除しなければならないのだ」

 

忍田はツグミを諭すように言うが、彼女は忍田の言葉であっても受け入れられない。

 

「相手は死ぬかもしれない病人なんですよ! 助けを求めてやっとこちら側の世界にたどり着いたというのに、それを情け容赦なく追い出すなんて真史叔父さんも城戸さんも鬼です!」

 

「ああ、近界民(ネイバー)に対してなら私は鬼でも悪魔にでもなろう」

 

ツグミのそばに近付いて来た城戸が冷たい瞳で彼女を見下ろしながら言った。

 

「私がボーダーの最高責任者であり、おまえがボーダー隊員である以上、おまえには私の命令に従う()()がある。それに従えないのなら今すぐボーダーを辞めろ」

 

「くっ…」

 

上の人間の命令を下の人間が従う…組織の秩序を守るためには当然のルールである。

よってルールを無視したり逆らったりすれば組織の円滑な運営に支障をきたす。

それはツグミも良くわかっていることなので反論することはできない。

ボーダー隊員であることは彼女にとってのアイデンティティーであり、ボーダーを辞めることになれば彼女は自分の存在に意味を成さなくなると考えているのだから絶対にボーダーを辞めざる選択をするはずがないのだ。

しかしこれでツグミは城戸や上層部のメンバーに対して不信感を抱くことになり、今後の任務に向かい合う姿勢にも大きな影響を与えることだろう。

それは両者の対立はどちらにとっても好ましいものではない。

だからこそやらなければならないのだ。

 

「迅、やれ」

 

城戸は感情のこもっていない声で言うと、迅はさっとツグミの前に立ち塞がった。

 

「ジンさん…?」

 

「ごめんな、ツグミ」

 

迅は哀しげな目でツグミの顔を見ると、ノーモーションで彼女の胸をスコーピオンで刺し貫いた。

 

「…ジンさん…何…で…?」

 

何が起きたのかまったくワケがわからないという顔のツグミ。

そしてトリオン供給機関を破壊された彼女は緊急脱出(ベイルアウト)してしまったのだった。

 

 

「うぐっ…」

 

ツグミが消えてしまうと、迅は口を押さえてその場に蹲ってしまった。

トリオン体を破壊しただけなのに右手には何とも言いようのない不快感だけが残り、本当にツグミを殺してしまったかのような罪の意識で吐き気をもよおしたのだ。

トリオン体であっても涙やあくび、動悸や呼吸の乱れなど生身で起きることはほぼ再現するものだから、嘔吐感を覚えるのは無理もない。

 

「迅、大丈夫か?」

 

忍田は迅の背中を摩りながら訊く。

 

「ええ、大丈夫ですよ、これくらい。あいつにしたことに比べれば大したことじゃありませんから」

 

迅は呼吸を整えながら続けた。

 

「ツグミのことは林藤さんが上手くやってくれると思いますが、俺も行きます。あとはよろしくお願いします、忍田さん」

 

そう言って迅はツグミの時と同じように自分の胸をスコーピオンで刺し、彼女の後を追うようにして本部基地に帰還したのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ボーダー本部基地の緊急脱出(ベイルアウト)用ベッドの上にツグミは落下した。

しかしそのベッドの感触に慣れていないものだから、彼女は自分の身に何が起きたのかわからずに頭の中は混乱したままだ。

そんな彼女の顔を林藤が上から覗き込んて言った。

 

「ご苦労さんだったな。その顔だとまだ何が起きたのかわからないってカンジだが、やっぱ城戸さんたちのやり方に納得できなかったか?」

 

「……」

 

ツグミはここでやっと自分が緊急脱出(ベイルアウト)して本部基地に戻って来たのだということを理解した。

そして同時に迅が沈痛な面持ちで自分の胸を刺したことも思い出し、彼女は自分の足元が音を立てて崩れていくような錯覚に襲われた。

さらに涙が溢れてきて止まらなくなり、両手で顔を覆うがその隙間から涙の雫がこぼれ落ちる。

その様子を見ている林藤も辛くなり、迅を待たずに自分の役目を果たすことにした。

 

「すまねぇな、ツグミ。でもこうしてやるのがおまえにとって一番楽になることなんだ」

 

林藤はそう言って素早くツグミの鼻と口に薬品の染みた布を押し付けた。

 

「次に目を覚ました時にはもう泣かずに済むからな、少しだけ我慢してくれ」

 

意識が朦朧としてきたツグミは隣のベッドに人が落ちて来るのを見たが、それが誰なのか確認する前に深い眠りの底に落ちていったのだった。

 

 

 

 

「可哀想なことをしちまったな。俺はこいつを泣かせるようなことは絶対にしないって決めていたのにさ…」

 

迅はそう言ってツグミの涙を指で拭いてやった。

すると林藤が迅を慰めるように言う。

 

「迅、自分を責めるな。たしかにこいつにとって酷いことをしたが、こいつにために良かれと思って皆で決めたことだ。今回の件できちんと説明をして納得してもらっても、城戸さんや俺たちへの不信感は残る。それが積もり積もって、いつか決定的な亀裂を生むだろう。なにしろ俺だって城戸さんの考え方にはついて行けない部分がある。まあ、俺は大人だから上手く折り合いをつけることはできるが、まだ子供のツグミには無理だ」

 

「そうですね。俺だって城戸さんの気持ちは理解できても納得はできません。だけど俺には未来が視えていて、こうすることがみんなのためだって自分に言い聞かせて…それで納得したように自分を騙しているんですよ。…あの時だって俺は最上さんたちの未来が視えていて、あの人たちを死なせたくなかったけど、結局みんなを死なせてしまった。そうなることが定められた運命であって、人の力ではどうすることもできなかったのかもしれません。でもツグミは言うんですよ、『人と人の関わりであれば人間の意思の力によって不可能を可能にすることができると信じている』って。俺だってあの頃はそう思っていました。今のツグミはあの頃の俺と一緒なんです」

 

「……」

 

「だから俺はこいつを今の俺のようにはしたくない。こいつにはいつまでも『不可能を可能にする強い意思』を持ち続けていてもらいたい。どうすればいいのかはわかりませんが、少なくとも今回の事件はこいつにとって悪い影響を与えてしまうと思います。子供の自分では大人たちに敵わない。大人になっても自分がボーダー隊員である以上は司令や本部長といった上司には逆らえない。逆らえばボーダー隊員を辞めさせられて自分自身の存在価値を失ってしまう。そして無理をして命令に従っているうちにいつかこいつの心は壊れてしまうでしょう」

 

「……」

 

「こいつは俺や城戸さんや林藤さん、レイジさんや小南の家族でいるためにはボーダー隊員でなければならないって思い込んでいます。ボーダーという絆で結ばれた関係だから、それを失った時の自分を想像すると怖くなってしまい必死なんですよ。自分の人生をボーダー一色に塗り固めてしまってそれ以外の自分を認めようとしないない。ボーダー隊員ではない自分を否定し、ボーダー隊員であろうとして自らの心を壊してしまうなんてこと()()である俺たちがさせちゃダメなんです!」

 

「だからこいつの記憶を消す…か」

 

「はい。これは俺が言い出しました。今回の事件はボーダーにとってもイレギュラーでその存在は公にできないものです。関係者もできる限り少なくしましたから関わった者が口を閉じてしまえばなかったことにできますから、こいつのためにも『なかったこと』にすればいい。そうすれば近界民(ネイバー)の一家とも出会わなかったのだから、彼らのことで悩んだり自分の無力さを責めることもなくなります」

 

「詭弁、だがな」

 

「ええ。俺たちがこいつに憎まれたくないって気持ちがあるのも確かですし。…それでこいつの記憶を消すついでに俺のも消してもらおうかなって思ってます」

 

ツグミの記憶を消すことは前もって打ち合わせしていたとおりなのだが、迅が自分の記憶まで消すと言い出すとは想像もしていなかったので林藤は泡を食う。

 

「なにもおまえまで記憶を消すことはないだろ?」

 

「いいえ、こいつの記憶を消しても俺がついうっかりと口にしてしまっては元も子もありません。だから俺の頭の中からも『なかったこと』にしてしまうんです。…それにこいつと過ごした時間はとても貴重な宝物のようなものでした。たぶんこいつにとっても大事なもので、それを奪うのですから俺もそれなりの罰は受けなきゃいけませんよ」

 

「……」

 

「でも俺は信じています。記憶を消してしまってもこの3日間に経験したことがなかったことになるわけではありません。いつかきっとこの経験が無意識の内にも役に立つことがあるでしょう。この3日間は無駄にはならない。いや、俺は絶対に無駄にはしません。それはこいつも同じことですよ」

 

迅は眠り続けているツグミの頭をそっと撫でながら言った。

 

「わかったよ。おまえがそう言うならそのとおりにしよう」

 

 

◆◆◆

 

 

採石場に残った城戸と忍田と医師はアマドたちの艇が(ゲート)の中に消えていくのを確認するとヘリコプターに乗り込んだ。

これで今回の事件は無事に解決したことになるわけだが、3人の表情は沈んだままである。

後味の悪い終わり方であるから当然のことなのが、何よりツグミのことを思うといたたまれない気分になるのだ。

 

城戸はアマドたちに亡命近界民(ネイバー)として受け入れることはできないと断言した。

もちろんそれだけではアマドは納得しなかったが、今すぐに近界(ネイバーフッド)へ戻るなら十分な医薬品と食料を渡すという条件を呑んで承知したのだった。

もっともこの言葉の裏には「この条件を呑まなければ武力を用いる覚悟がある」と言う迫力があったものだから、アマドは承諾するしかなかったのだが。

しかしこれはアマドたちにとって悪い取引だとは言えない。

まず麻疹(はしか)は治療方法がなく重症化しやすい疾患であるが、通常1回の感染で終生免疫を得るため、一度罹患したら再度罹患することはまずない。

幸いパメラの症状は軽いもので、この麻疹(はしか)のウィルス自体がこちら側の世界のものよりもずっと弱いものだからではないかと思われる。

そして投与した薬が思ったよりも効いていることで、近いうちに回復するだろうというのが医師の判断であった。

よってアマドやリーノが発症したとしても有効な薬があり、プラーヌスに帰っても麻疹(はしか)で苦しむことはないという保証がある。

アマドたちも好き好んで住み慣れたプラーヌスを離れたいわけではないのだから祖国に帰るのは当然のことだ。

ただし手放しで喜んでばかりはいられない。

プラーヌスは乱星国家であり決まった軌道を描いてはいないので、10日前に発った国が現在どのような位置にあるのかは不明で、往路を逆に辿って行くにしても時間がかかるのは間違いないのだから。

さらに国全体に麻疹(はしか)が蔓延しているということであるから、彼らが無事に帰国したところでどれだけの人間が生き残っているのかわからず元の生活に戻ることは難しいだろう。

それでもアマドは帰国する道を選んだのだった。

彼らにとってプラーヌスはかけがえのない故郷であり、もし自分たちだけしかいない国になってしまっていても3人一緒なら生きていけると信じているからだ。

 

そしてアマド一家は近界(ネイバーフッド)へ戻って行ったのだが、その後の彼らがどうなったのかは知る由もない。

 

 

 

 

ツグミは3日間の記憶を消され、その空白となった部分に別の記憶を植えつけられた。

その別の記憶とは「新しいトリガーの試用の最中にトリガーが暴走して緊急脱出(ベイルアウト)したものの生身の身体に相当のダメージを受けてしまったことで医務室に運ばれて3日間ずっと眠ったままになっていた」というもの。

迅はその様子をそばで見ていたことでトリガーの暴走に巻き込まれたということになっている。

意識を取り戻したふたりは自分たちの記憶が操作されているなど微塵も思わないので、林藤に言われたことをそのまま信じてしまった。

そして4連休の最終日、城戸からふたりに特別休暇が与えられた。

今回の亡命近界民(ネイバー)の事件が()()()()こととして扱われることになったとはいえ、実際にはツグミと迅の働きがあったからこそ解決したものであるから、それに対する慰労と城戸の贖罪の気持ちが込められている。

もっとも当の本人たちはその特別休暇の意味がわからないまま、のんびりと身体を休めることにしたのだった。

 

 






プラーヌスからやって来たアマド一家の亡命騒動はこうしてボーダーの記録には残らない事件として終わりました。
ツグミと迅の記憶にも残ってはいませんから、ふたりは茶店で雨宿りをしたことも一切覚えてはいません。
ふたりの心の距離がぐっと近付くことになったのですが、それはすべてリセットされてしまいミリアムの(ブラック)トリガーの事件が起きるまで進展はありませんでした。
しかし迅が言ったようにこの3日間は無駄にはなりません。
この事件がなければキオンの諜報員による拉致未遂事件が未遂で終わらなかったかもしれないのですから。


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