ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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203話

 

 

「玉狛支部」が正式に発足したのは10月になって間もない頃であった。

林藤は以前から城戸の近界民(ネイバー)に対する「すべての近界民(ネイバー)は敵である」という方針を苦々しく思っており、空き家になっていた旧本部の建物を()()()として水面下で活動していたが、とうとう我慢できなくなってしまったのだ。

これまでいろいろな意見の食い違いがあったが、「独立」の契機となったのはやはりアマドたちの亡命事件に関する考え方の大きな違いである。

そもそもボーダーは「近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)の友好の架け橋となる組織を創りたい」という有吾と織羽の意思によって創設され、それに賛同した者たちが集まって育て上げた組織である。

それが「近界民(ネイバー)の襲撃から市民を守る()()の組織」になりつつあった。

もちろん悪意ある近界民(ネイバー)によって善良な市民がさらわれたり殺されたりするという現実を目の前にして「仲良くしよう」は無理がある。

特に肉親や友人を殺された者にとって近界民(ネイバー)は仇でもあるわけで、そのような人々の前で近界民(ネイバー)との友好的な交流を目指す声を上げるのはあまりにも非情だ。

しかしだからといって創設理念を蔑ろにしても良いわけではない。

もしここで林藤と城戸のふたりが完全に袂を分かつことになればボーダーは完全に「近界民(ネイバー)の襲撃から市民を守る()()の組織」に成り果ててしまうだろう。

この頃の新規入隊の隊員たちの多くが近界民(ネイバー)によって大切なものを奪われており、近界民(ネイバー)を絶対悪と考える者が多かったから自然と城戸の考え方に賛同するようになる。

一方、無闇に近界民(ネイバー)を憎悪することはないが市民の安全を守りたいという意思で集う者たちもいて、忍田の「防衛を重視する」という考え方を支持する隊員も一定数いた。

このままでは城戸派の意思がボーダーの意思となってしまうと危惧した林藤は忍田と相談して玉狛支部を立ち上げることに決めた。

本部司令の命令系統から外れる支部の隊員になることで、志を同じくする隊員たちを城戸の好き勝手にさせないで済むわけだ。

有吾や織羽の理想は林藤だけでなく迅たち旧ボーダーの隊員たちにも引き継がれており、林藤は彼らを連れて本部を出た。

旧ボーダーの隊員たちは人数こそ少ないが実力は侮れない上に迅が風刃を持つS級隊員であるから、城戸も玉狛支部の存在を無視できなくなる。

当初の玉狛支部のメンバーは迅、レイジ、小南、ゆり、クローニン、陽太郎という少人数であった。

ここにツグミがいなかったのは彼女が忍田派であったためなのだが、2ヶ月後には彼女も合流することとなる。

そのきっかけ(トリガー)となったのがメノエイデスへの遠征で起きた隊務規定違反事件なのだ。

そして玉狛支部は行き場を失った彼女の受け皿となった。

いや、こうなることが視えていた迅による作為的なものがあったのは間違いなく、城戸たち上層部の傀儡になりそうなツグミを彼らから切り離すために彼女が捕虜を逃がすことを迅は黙認したのである。

ツグミが異動したことでますます城戸は玉狛支部に対して警戒感を抱くこととなるのだが、同時に胸をなで下ろしている部分もあった。

近界民(ネイバー)憎し」によって感情が暴走してしまいそうな自分を抑えることはかなりの精神力を消費する。

さらにボーダーの最高責任者としての激務だけでなく、孤独であることは知らず知らずに心と身体を蝕んでしまっていた。

いざという時に自分の暴走を止めてくれる存在は必要であり、玉狛支部のメンバーならそれができると信じていたからである。

 

城戸の「近界民(ネイバー)は殲滅すべき敵である」という思想に賛同する者は多いが、彼の理解者となる人間はいなかったし現在でもいない。

ただ、本人だけでなく周囲の誰も気付いていないが城戸にはたったひとりだけだが理解者がいた。

それが意外なことにツグミなのである。

ツグミは城戸も家族の一員として認識しており、家族であるからこそ本音でぶつかり合って、理解してもらえると考えて行動をしていた。

だからメノエイデスでの事件も「城戸()()ならわたしの気持ちをわかってくれる」と信じて実行したのだが、城戸()()はそれを許すことはできなかったのだった。

この時の彼女の()は自分の行動を理解してもらえるという気持ちだけしか持っておらず、城戸の気持ちを彼女が理解できなかったことである。

もっとも当時まだ13歳の少女には難しいことで仕方がないといえるものであった。

しかしツグミはこの事件で城戸に対して慎重に接することになるが憎しみや恨みを抱くことはなく、成長することで彼の事情や心情を理解できるようになっていき、そして和解にまで至るのだ。

その過程で重要なポイントがアマド一家の亡命事件で「近界民(ネイバー)にも自分と同じ家族がいて、彼らも喜んだり悲しんだりする感情を持っている。だから無闇に戦いたくはない」という信念が彼女の心の中に生まれて、記憶を消されてもなお彼女の行動原理に組み込まれてしまった。

さらにそれがメノエイデスでの事件に繋がり、結果として玉狛支部への転属へと流れていったのだった。

もし亡命事件の際に記憶を消さなかったら、この時点でツグミは城戸を「自分を理解してくれないのだから家族として認めたくない」と子供っぽい身勝手で切り捨てていただろう。

逆に自分がボーダー隊員であり続けるためには城戸の命令は絶対遵守で、自分の心を殺してでも従わなければ家族を失うと考えて、ボーダーという組織に利用されて身を滅ぼすことになったかもしれない。

いずれにせよ迅はいくつもある未来の可能性の中から最善と思われる道へ彼女たちを導いた。

彼の判断が正しかったことは証明されている。

亡命事件がきっかけとなって玉狛支部が始動し、ツグミがメンバーとして加わることで各派閥のバランスが取れ、様々な意見が存在することにより組織の自浄作用が働いてボーダーは()()()運営されることになり現在に至っているのだから。

 

 

捕虜の逃亡を促すという隊務規定違反を犯したツグミがボーダーに残ることができたのは彼女のこれまでの功績と人柄によるものが大きい。

この事件は直ちに本部基地全体に広まり、多くの隊員にショックを与えた。

これまでにも小さな違反行為は日常的にあった。

トリガーの私的使用や家族への機密漏洩など()()()()やってしまうことは誰にもあり、口頭による厳重注意などで済んでいた。

しかし捕虜を逃がしたとなれば厳重注意などで済むものではなく、おまけに城戸の命令に逆らったのだから処分は免れない。

前例のなかった違反行為であったため、彼女の処分の決定までには時間がかかった。

そして「除隊」という厳しい処分が命じられることとなったのだが、こうなることが視えていた迅によって助命嘆願の署名活動が行われていて、その結果クビになることだけは免れたのだった。

隊員・職員の約3分の1の署名が5日間で集まったのだから、彼女がボーダーにとって必要な人材と認識されているのは間違いない。

ただしお咎めなしというわけにはいかず、謹慎1ヶ月、B級降格、ポイント10000点剥奪の処分を受けることになった。

この処分は重いように見えるが、ツグミにとってはたいしたものではない。

なにしろ彼女の考えでは防衛隊員として働けるのならA級B級の違いなど意味はなく、1ヶ月の謹慎は骨休みに丁度いい「特別休暇」になった。

さらにポイント剥奪に関しては彼女がどのトリガーもほぼ同レベルで使える完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)であったから、10種の攻撃用トリガーからそれぞれ1000ポイントずつ没収されただけで済んだのだ。

もっとも弧月や通常弾(アステロイド)、イーグレットといった高ポイントのトリガーからも引かれてしまったので完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)を名乗れなくなってしまい、この時点でイーグレットのポイントが一番高かったので彼女のポジションは狙撃手(スナイパー)となったのだった。

さらに彼女が玉狛支部へ異動となったことで、本部基地に顔を出すのは週2回の合同訓練だけになり、以降に入隊した隊員たちの多くが彼女の実力どころか存在すら知らずにいた。

それが彼女の思いがけないB級ランク戦参入によって皆にその尋常ではない実力と才能を知らしめることとなるのは2年後のことである。

 

 

ツグミが玉狛支部で過ごした2年は彼女にとってだけでなくボーダーという組織にとっても必要な期間であった。

彼女は近界民(ネイバー)を「()()()平穏な日常を脅かすもの」として認識していたが「自分にとって敵である近界民(ネイバー)にも自分と同様の暮らしがある」という考えに移行し、さらに「自分と自分の手の届く範囲の人間=家族・仲間()()幸せに暮らせればそれで十分」であった考えが「()()()()()()()()だけが幸せであっても意味はなく、今は手の届く範囲だけであってもいずれはその範囲を広めていく必要がある」のだと考えを改めたのがこの玉狛支部所属であった時期であるからだ。

アマド一家との()()については記憶を消されたものの、生まれて初めて近界民(ネイバー)と「人対人の対等な交流」を経験したことは心に深く刻まれて記憶の操作くらいでは「なかったこと」にはできなかったようで、逆に記憶にはないが経験として残っていることが違和感として残り、彼女の意識に変化をもたらしたのではないだろうか。

迅がどこまで未来を予知していたのか本人以外誰もわからないが、ツグミが自分の置かれた状況がどうであっても腐ることなく全力で生きようとしているからこそ、近界民(ネイバー)を含めた周囲の人間を少しずつ変えていくことになる。

このツグミの変化について忍田は喜ばしいと思いながらも城戸との対立が深まるのではないかという不安を抱いていた。

実際、このふたりは顔を合わせることすら極力避けるようになり、ツグミは合同訓練以外では本部基地に来なくなったし、城戸も訓練日には防衛隊員たちの集まるロビーやラウンジなどを避けるようになった。

もっともこれはお互いを憎んでいるからでなく、顔を合わせて気まずい想いを自分だけでなく相手にもさせたくはないという心遣いの結果で、相手を意識することになってふたりの関係が良好であった時よりも一層相手の立場や想いについて考えを巡らすようになったのであり、周囲の不安や心配は杞憂で終わったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミは自分の肩書きが狙撃手(スナイパー)となったからといって攻撃手(アタッカー)射手(シューター)銃手(ガンナー)の訓練を疎かにすることはなかった。

玉狛支部には新本部基地が完成するまで使用されていた訓練室があり、そこを()()()として誰よりも多くの時間を訓練に費やしていたから、腕が衰えることもなく大規模侵攻の功績で完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)に復帰してもその名に相応しい活躍を見せることになるのだ。

しかし彼女の能力を最大限に活かすには狙撃手(スナイパー)が最も適していて、本部基地での合同訓練を欠かさずにいた。

そこで彼女には珍しく「家族」でも「仲間」でもない「友人」ができた。

その人物の名は鳩原未来、二宮隊の狙撃手(スナイパー)()()()女性だ。

年齢はふたつ年上であり、ボーダー以外での接点はなかったが、日浦が入隊するまでは狙撃手(スナイパー)の女性はツグミと鳩原のふたりしかいなかったから自然と交流を持つようになったのだ。

どちらが先に声をかけたのかツグミも覚えてはいない。

ごく当たり前の挨拶から始まったのだろうから、一足飛びに距離が縮まって()()()()なんてものを覚えていないのは当然だ。

ふたりとも東の弟子 ── 当時の狙撃手(スナイパー)は全員が東の弟子と言って過言ではない ── であったから、訓練開始時間よりも30分も早目に来て一緒に自主練習をしたり訓練後に一緒にロビーや食堂で寛いだりと、非常に良い友人関係を築いていた。

ツグミは彼女の狙撃の技術が並外れて優れていた点を評価しており、鳩原は自分にないものを持っているツグミのことを羨ましいと思っていた。

しかし友人といっても鳩原はツグミにすら個人的なことを打ち明けることがなく、そんな彼女が自ら家族のことやボーダー入隊動機などの話をすることになるなどツグミは想像していなかったのだった。

 

 

その日も狙撃手(スナイパー)の合同訓練を行ったのだが、鳩原がいつも以上に気合を入れて訓練をしているのを見たツグミは特に深い意味はなく彼女に訊いた。

 

「鳩原さん、今日の訓練は気合が入っていましたね? 何か心境の変化でもありましたか?」

 

すると鳩原は言おうかどうか少し迷った末に答えた。

 

「今度の近界(ネイバーフッド)遠征なんだけど、これまでのように個人参加でなくて部隊(チーム)単位で選抜試験を行ってメンバーを決めるって聞いたから」

 

「ええ、そうらしいですね。遠征には個人の技量は重要ですけど部隊(チーム)での連携がそれ以上に重要となるので、遠征毎に臨時の部隊(チーム)を作るよりは合理的だってことで変更になったと聞いてます」

 

「うん。それであたしひとりじゃ無理だけど二宮隊としてなら参加できそうなので、あたしも頑張って二宮さんたちと一緒に遠征に行けたらな、って…」

 

「鳩原さんは近界(ネイバーフッド)に行きたいんですか?」

 

「もちろん。…だってあたしがボーダーに入ったのは近界(ネイバーフッド)に行って行方不明の弟を探したいからだもの」

 

「弟さんが近界民(ネイバー)にさらわれたんですか?」

 

「そう。第一次侵攻の時にね。遺体が発見されていないから、きっと近界(ネイバーフッド)に連れて行かれたんだと思う。それでボーダーに入れば何か手がかりが掴めるかも知れないと思って入隊したんだけど、近界(ネイバーフッド)にはそう簡単には行けないんだってわかってショックだった。でも遠征が行われるようになって、目的が新しいトリガー技術を手に入れるためでも現地に行きさえすればきっと何かしら情報が手に入るかもしれないでしょ?」

 

「たしかにそうですけど、近界(ネイバーフッド)にはいくつの国があるかわからないですし、襲撃して来た国がどこなのかわからないので雲を掴むような話になりますね」

 

「でも可能性がないわけじゃない。だからあたしはこのチャンスをモノにしたいの。あたし以外の人たちは選抜試験に合格するだけの実力があるから、あたしが足を引っ張らないようにしなきゃいけない。そんな気持ちがあるからいつもよりも訓練に身が入っていたんだと思う」

 

ツグミにとって鳩原が遠征部隊選抜を目指しているということや、その理由が行方不明の弟を探すためであるといったことに驚きはしたものの、何よりも彼女がそのことを自らすすんで話してくれたことに驚いた。

その心の内が顔に出たのか、鳩原がツグミに訊く。

 

「ツグミちゃん、何でそんな顔をするの? あたしが遠征に行きたいというのがおかしいかしら?」

 

「いえ…そんなことはありません。ただあなたが自分のプライベートについて語ったのが今回初めてだったのでちょっと驚いただけです」

 

「あ…そういえばそうね。あたしも他人にこんなことを話したことなかったわ。…でもあたしがいくら頑張ってもダメかもしれない」

 

「どうしてですか?」

 

「だって二宮隊はB級。A級でなきゃ選抜試験すら受けられないそうだもの」

 

隊長の二宮は元A級東隊の隊員であったから、東隊を辞めた時点ではA級であった。

しかし犬飼や辻、鳩原といったB級隊員を集めた二宮隊を作ったことでB級になっている。

つまり第一段階としてB級からA級の部隊(チーム)に昇格しなければならないのだ。

 

「たしかにA級に昇格するのは難しいですから次の遠征には参加できないかもしれません。でもその次がありますし、二宮隊の実力なら次のランク戦でA級に手が届くんじゃありませんか?」

 

「二宮さんは申し分ないし、犬飼くんと辻くんもすごい人だからそう思えるのよ。だけどそんなすごい人たちの中にあたしみたいな人間がいたら…」

 

「鳩原さんは自分を卑下しすぎです。もっと自信を持ってください」

 

「あたしだってあなたみたいに才能があればこんなに悩まないで済むんだけど…」

 

「何を言っているんですか? ()()二宮さんがあなたをスカウトしたんですよ。あの人は自分にも他人にも厳しいし、自分に才能があると信じていて実際に才能のある人だから、才能のある人のことを見分けることができる。そんな人にスカウトされたんですから自分に自信を持ちましょうよ」

 

「そう…かな?」

 

「ええ。なんだったらこれから本人に聞いてみますか? なぜ自分の部隊(チーム)に加えたのかって。あの人ならきっと『寝ぼけたこと言っている暇があったらもっと狙撃の腕を磨け』って言いますよ。言い方がアレですけど、あの人のことをちゃんと理解していればキツイ言葉も愛情の込められたものに聞こえます。あの人はトリオンキューブの扱いは器用ですけど、こういう点では不器用で素直じゃないから」

 

ツグミの言葉に鳩原はつい笑ってしまった。

 

「フフフ…二宮さんのことを良くわかっているみたい。さすがは元チームメイトね」

 

「ファーストインパクトは最悪でしたけどね。なにしろわたしへの第一声が『同じ部隊(チーム)で戦うのは不本意だが上からの命令では仕方がない。くれぐれも俺の邪魔だけはするな』でしたからね、なのでわたしも言い返しました。『わたしもあなたと同じ部隊(チーム)で戦うのは不本意ですけど仕方がありません。くれぐれもわたしの邪魔はしないでください』って」

 

「それで?」

 

「このままでは収まりがつかないからということで模擬戦で勝負をつけようということになったんです。結果はわたしの完全勝利で、以降はわたしを見下す態度はしなくなりました。二宮さんがあなたを部隊(チーム)に招き入れたことはあなたを認めているということ。だから逆に自分を卑下していると叱られますよ。『俺が認めた人間のことを本人が否定しているんじゃない!』って。あの人のキャラクターはなかなか難しいところがありますが、慣れれば平気です」

 

「そう…かもしれない。あなたにそう言われてなんとなくだけど自信が湧いてきた。まずはA級昇格を目指してこれまで以上に頑張ってみる。次の合同訓練だけど、いつもよりも30分早く来て練習始めるつもり。あなたも付き合ってくれる?」

 

「ええ、いいですよ。背中を押した責任上、わたしも最後までお付き合いします」

 

「ありがとう、ツグミちゃん」

 

鳩原が()()()笑顔を他人に見せたのはこの時が初めてであった。

 

 

 

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