ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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206話

鳩原の「人が撃てない」という問題は解決されずに時間だけが過ぎていった。

もちろん本人も努力はしているのだが、この時期にユズルという弟子を持ったものだから、弟子の育成に夢中になっていて自分の問題の解決どころではない。

いや、他に理由を作って目の前の問題を見て見ぬふりをしようとしていたのかもしれない。

相変わらず人は撃てないものの、以前のように誤射してしまうことはなくなり、二宮隊の一員として十分に活躍していた。

そしてライトニングの改造は思うように進んではおらず、ツグミが用意したいくつかある「道」のひとつである「人を撃てない自分を肯定する」ことで前へ進むかのように思えた。

 

それからしばらくして新たな近界(ネイバーフッド)遠征が計画され、その選抜試験が行われることになった。

今回は二宮隊として遠征に参加できることとなり、これで鳩原の近界(ネイバーフッド)へさらわれた弟を探して連れ戻すという悲願成就に一歩近付いたかと思われたのだが、そのささやかな希望は無残にも打ち砕かれてしまう。

鳩原の人が撃てないという事実が上層部の耳に入り、それが理由で部隊(チーム)での参加が却下されてしまったのだ。

一度決まった合格を取り消すということはそれなりの力を持つ人間の横槍が入ったとしか思えないのだが、事情はどうであれ城戸がNOと言えばNOであることに変わりはない。

そのショックは単に不合格であった時よりもはるかに大きく、特に鳩原にとっては天国から地獄に落とされたも同然だ。

彼女の精神的ダメージは計り知れないが、ツグミは逆に安堵していた。

 

(人が撃てないという事実は致命的な弱点だもの、危険な近界(ネイバーフッド)へ行って無事に帰って来られるかどうかわからない。それに今度の遠征で弟さんの手がかりが掴めるとは限らない。やっぱり人を撃つことができるようになるまで強くならなきゃ安心して送り出せないよ)

 

ツグミがライトニングの改造で寺島に頭を下げたのは、鳩原が人を撃つことに対して抵抗感を薄れさせていくための手段を手に入れるためのものであった。

()()()()()()()()人体がちぎれる様子を見ることに罪悪感を抱いて吐き気をもよおすくらい嫌悪する彼女であるが、武器の破壊のように人体が破壊されない攻撃法なら問題はない。

よって鉛弾(レッドバレット)での狙撃なら人体に重石を付ける()()であるから頭でも心臓でも撃つことができるはず。

そしてそのうちに人を撃つことに慣れるだろうとツグミは考えていたのだ。

いくら精密な狙撃ができるといっても狙撃手(スナイパー)である以上は人を撃つことを避けてはいられない。

いつまでも人を撃ちたくないなどと()()()()を言っていては仲間の危機に何の対処もできなくて死なせてしまうことにもなりかねないのだから。

人を撃つ覚悟がない人間が近界(ネイバーフッド)へ行くこと自体が無茶で、撃てないならおとなしく三門市防衛に専念していれば良い。

それができないのは鳩原に自分の希望や願いを託せるだけの友人がボーダー内にいなかったからで、ある意味彼女は哀れな女性であったのだ。

 

遠征に参加できないことが確定した鳩原はツグミに会うことを避けるようになった。

合同訓練でも一緒に訓練するどころかツグミの顔を見ると自虐的な笑みを浮かべて逃げてしまう。

やはりツグミにいろいろ面倒をかけていてこの体たらくであるから、顔を合わせにくいのは仕方がないことだ。

ツグミも鳩原の胸中を察してしばらく彼女の好きにさせてやろうと、あえて自分から彼女に声をかけることはしなかった。

しかしこの時にツグミが彼女の心の中にズカズカと踏み込むようなことをしてでも状況の改善を試みていたら、鳩原は密航などという最終手段に訴えることはなかったかもしれない。

ただ過去の出来事について今さらこうすればよかったなどと言っても詮なきこと。

あの時はそれが最善の手段だと考えていたからこそ何もせずにいた。

もし鳩原が民間人と共に密航することがわかっていたら、ツグミはどんな手段を講じてでも止めていたはずなのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

5月2日は朝から雨が降っていた。

ツグミのもとに忍田から本部基地へ至急出頭するようにという連絡が来た。

この頃のツグミは忍田家を出て玉狛支部で暮らしていたので、同じく呼び出されたレイジと共に本部基地へと向かうことになる。

まだ理由を知らされていなかったのでふたりともわけがわからずにおり、指定された会議室に着くとそこには二宮隊と風間隊のメンバーが控えていて、城戸と忍田のふたりが難しい顔をしてふたりを迎えた。

 

「朝早くにわざわざ呼び出してすまない。そこに掛けてくれ」

 

忍田は空いている椅子をツグミとレイジに勧め、ふたりが腰掛けると城戸が口を開いた。

 

「風間、報告を」

 

「はい」

 

風間は立ち上がるとタブレット端末を見ながら自隊の調査の結果を淡々と説明し始めた。

 

その内容はツグミにとってまさに青天の霹靂であった。

風間の読み上げる報告内容は耳に入っても理解することができないものばかりで、「鳩原」「トリガーの民間人への横流し」「密航」という単語だけがハッキリと耳に残り、ようやく彼女は鳩原が重大な隊務規定違反を犯したことを知ったのだった。

 

事件の発生は前日である1日の午後、鳩原のトリガー反応が(ゲート)の中に消えた時、3つのトリガー反応がそれに続くように消えたのだと言う。

そしてその3つのトリガーは隊員登録されていないフリーのトリガーであった。

隊員登録のされていないトリガーは研究室(ラボ)で厳重に管理されているものであり、さらに事件後に行方のわからない隊員がいないことからこの事件に関わった隊員は鳩原だけで残り3人は民間人ではないかと推測される。

事件発覚後、ただちに風間隊が違反者捕縛のために現場に向かったが、関係者は全員姿を消してしまっていたのだった。

そこで事件に首謀者とおぼしき鳩原に近しい人物から事情聴取をし、事件の概要を掴もうということでツグミたちは呼ばれたのである。

二宮隊のメンバーだけでなくツグミとレイジが呼ばれたのは狙撃手(スナイパー)関係者の中で特に鳩原と近い関係にあったからであろう。

東は鳩原の師匠であるがそれは彼女に限ったことではなく、ユズルは弟子というだけで悩みを相談するような相手ではないので呼ばれなかったらしい。

二宮隊のメンバーは先に聴取が終わっており、残るはツグミとレイジのふたりだけのようである。

ただレイジはここ1年近く本部基地で行われる狙撃手(スナイパー)合同訓練に参加をしていないことから鳩原との接点はほとんどなく、手がかりになるような話は聞けなかった。

そしてツグミの番になったのだが、彼女の良かれと思ってした行動が裏目に出てしまったことを証明してしまったのだった。

 

「ツグミ、鳩原未来のことで知っていることを全部話してくれ」

 

忍田に命じられ、ツグミは自分や鳩原にとって都合の悪いことであっても包み隠しなく正直に話した。

 

「鳩原さんは近界(ネイバーフッド)へ連れ去られたと思われる弟さんを取り返したいという一心でボーダーに入隊したそうです。だからどうしても遠征に参加したくて、B級だった頃からずっと頑張ってきました。でも彼女には人が撃てないという弱点があり、そこをカバーするために敵の武器だけを狙う精密な狙撃を行ってきて、ランク戦で二宮隊のA級昇格に貢献してきたことは友人としてそばで見てきました」

 

「人が撃てない弱点をカバーするために鉛弾(レッドバレット)を付与した弾なら大丈夫だろうと寺島にライトニングの改造を依頼したのはおまえだな?」

 

「はい。ライトニング+鉛弾(レッドバレット)は鳩原さんが考えたものでしたが上手くいかず、わたしが威力と射程を限界まで削ってその分を弾速に回せば可能ではないかというアイデアを出して寺島さんにわたしがお願いしました」

 

研究室(ラボ)からトリガーが盗まれたことで寺島は真っ先に事情聴取されていて ライトニング 改造の件は既に忍田に耳には入っていた。

よって忍田がツグミに訊いたのは両者の証言に整合性があるかどうかの確認に過ぎない。

ツグミと忍田のやり取りを聞いていた城戸が口を開いた。

 

「つまり技術者(エンジニア)たちとまったく接点のなかった鳩原未来がおまえを介して研究室(ラボ)に出入りを繰り返すようになり、保管されているトリガーの在り処を知ってそこから盗み出した…ということか」

 

城戸の言うことはもっともである。

トリガーの保管場所が研究室(ラボ)であることは周知の事実だが、具体的にどこにあるのかは関係者しか知らぬこと。

何度か研究室(ラボ)に出入りしているうちに保管場所を知って、それをきっかけに密航を企てたのではないかと勘ぐってしまうものだ。

そうなるとツグミにも少なからず責任があるということになりそうだが、その点は問題にされなかった。

彼女が密航を教唆したのではないのだし、あくまでも善意で友人のために働いただけなのだから。

さらに忍田からの質問は続く。

 

「鳩原未来の交友関係について知っていることがあれば話してくれ」

 

これは一緒に近界(ネイバーフッド)へ渡った民間人3人を特定するためだ。

 

「彼女が特に親しくしていた民間人について心当たりはまったくありません。わたしは彼女と仲が良いと言っても狙撃手(スナイパー)であるという点しか共通する部分はなく、話をするにもボーダー関連の話題だけでした。彼女はわたしにプライベートなことを訊いてきませんでしたので、わたしも彼女に訊くことはありませんでした。よって彼女がボーダー活動以外で何をしていたのかは知りません」

 

「そうか…。他に何か思い当たることがあれば何でもかまわない。些細なことでも良いから教えてくれ」

 

「今のところこれといって報告すべきことはありません。もし思い出しましたらすぐにご報告いたします」

 

「ああ、頼む」

 

これで忍田による尋問は終わった。

無関係とは言えないが事件の当事者ではなく、責任もないためにこれでツグミは帰宅を許された。

ただしこの事件に関することはすべて口外無用で、もし誰かに話せばその時には何らかの処分を受けることになると念を押されたのだが。

 

 

 

 

鳩原と3人の民間人の行方は依然わからないままであった。

二宮たちは事件に関わったと思われる人物 ── 雨取麟児の存在を知ると雨取家を訪問していたが、家族の誰も麟児がボーダー隊員と共に近界(ネイバーフッド)へ密航した計画など知らず、手がかりになるような物証や証言を得ることはできなかった。

そして数日後、追跡を諦めた上層部は鳩原の処分を決めた。

表向きは単なる隊務規定違反によってクビになったということにし、密航だとかトリガーの横流しといったことには一切触れずに済ませてしまう。

ツグミは事情聴取だけで終わったが、二宮隊は部下の不始末の責任を取る意味でB級に降格処分となった。

関係者には箝口令が敷かれ、密航事件そのものを「なかったこと」という形で強制的に終わらせてしまうのだが、二宮は半年以上もずっと「真相」を知るために行動していた。

そしてこの事件の後にボーダーに入隊した修と千佳のふたりと麟児の接点を見付けて自ら玉狛支部まで足を運び、証言を得るために事件のあらましを修たちに教えることとなるが、それが玉狛第2という部隊(チーム)近界(ネイバーフッド)遠征に参加するためのさらなる理由を与えてしまうことになることを神ならぬ身のツグミが知る由もなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

5月に起きた密航事件は非常にくだらないものであった。

近界(ネイバーフッド)へ行って無事に帰還するだけの実力と覚悟を伴わない」鳩原が「同情はできるが身勝手な理由」で遠征に参加したいと言っていて、一度は参加が決定するものの人が撃てないという弱点は見逃してもらえるものではなかった。

そしてたった一度否定されただけで絶望し、重大な隊務規定違反を犯した。

本来なら次の遠征までに人を撃てるようになるという決心をすべきなのに、それが嫌で逃げ出しただけ。

おまけに事件が発覚すれば残された人間たちに迷惑をかけることを承知で密航している。

ツグミに対しても彼女の親切心に後足で砂をかけて逃げていったようなもので、彼女も二宮が事件の再調査をしていることを知らなければ「過去のどうすることもできなかった仕方がない出来事」として記憶の片隅に残っていただけであっただろう。

しかし過去の苦い記憶が呼び覚まされ、仕方がなかったこととして済ませることはいけないと思うようになっていった。

 

鳩原の密航事件から10ヶ月後、彼女と同様の事情を抱えた千佳は遠征に行こうとしている。

ただ千佳の場合は遠征艇の「燃料タンク」的な意味で同行が許されているだけで戦闘員としてはまったく期待されていない。

だから彼女が人を撃つことができてもできなくても問題ではないのだ。

ならばおとなしく彼女だけが「燃料タンク」として参加すれば良いものを、彼女の保護者を自認しているが戦闘員として未熟な修がおり、修のためなら何でもするという(ブラック)トリガー持ちの遊真がいて、千佳自身が「部隊(チーム)で参加する」などと言うから事態は複雑になる。

奇しくも玉狛第2はB級ランク戦2位と「選抜試験を受ける()()」を得たが、彼らは最も重要なことに気が付いていない…と言うか目を向ける気配すらない。

ボーダーの遠征はさらわれた身内や友人を探したいという()()()()理由で行うものではない。

これまでの遠征の目的は密かに近界(ネイバーフッド)の国々に入国してトリガーを手に入れるというものであった。

しかし回数を重ねる毎に危険は増していき、最上や大勢の若者を喪った遠征は戦いを前提で行ったもので、アフトクラトルへは同じく全面戦争を前提とした遠征となる。

ボーダーとしては「さらわれたC級隊員32人の救出」を目的としているのに対し、玉狛第2の目的はまったく違う。

千佳は近界(ネイバーフッド)にさえ行けば兄と友人の手がかりが掴めると考えていて、C級隊員の救出のことなど考えていない。

いや、考えていないのではなく()()()()()()()()()から自分には関係ないと思っているのかもしれない。

修は麟児に「千佳を守れ」と言われたことによって彼女を守ることが「自分のやるべきだと思うこと」だと盲信していて、自分の命すら顧みないくらいだから戦場に立てばどうなるか想像できる。

遊真とレプリカを会わせたいというのも自分の失態の詫びで、自分の力でふたりを会わせてやれることが贖罪だと思っているのだろう。

また自分の失態で重要な情報がアフトクラトル側に漏れた責任を取る意味もあるのだろうが、もしC級隊員を救出することを優先したらそれこそ大惨事になりそうだ。

彼の日頃の言動から察すると、優先順位は「千佳の安全>C級隊員の救出>自分や千佳以外の隊員の生命」の順になると予想されるからである。

もし彼らがボーダーという組織のことを優先して物事を考えることができれば「部隊(チーム)で遠征に行きたい」などと口が裂けても言えるものではない。

冷静に考えれば「アフトクラトルへの遠征はC級隊員を救出することだけを考え、その作戦に最も相応しいメンバーで固めて実行すべきであり、実力の伴わない玉狛第2(自分たち)は次の遠征に向けて訓練を積む。だから可能であれば誰かにレプリカを連れて帰ってきてほしい」となるはずなのだ。

B級ランク戦の結果の速報を見たツグミは特にこれといった感慨はなかった。

なにしろ結果は想像できていたからだ。

迅が玉狛第2、特に修に対して異常なほど入れ込んでおり、それは彼が遊真を守るために風刃を城戸に返却したことからもわかる。

それらは迅の未来視(サイドエフェクト)で視えた最善の未来に必要なことであろう。

迅はその最善の未来のために大規模侵攻で修の命を優先して多大な犠牲を払ったことがあり、ひどく自分を責めていた。

ツグミもそれは仕方がないことだと諦めたのだったが、本部職員が殺されたりC級隊員が拉致されず、尚且つ修も死なずに済む未来があったかもしれないと考えるようになった。

迅が自分に視えたことから未来を予知し、その中で最善と思われるものを選んだわけだが、もしひとりで悩まずにすべてを打ち明けてふたりで考えていたら違う未来があったのではないかと思えたからだ。

 

(ジンさんの未来視(サイドエフェクト)はこれまでいくつもの選択肢の中で最善のものを選んできたかもしれない。でもそれが本当に最善であったかどうかは今のわたしたちに確認する手段はない。ジンさんだって確定していない未来をロングスパンで視ることはできないのだし、彼にすべての責任を押し付けているようでわたしは嫌だ。だったらわたしはジンさんの未来視(サイドエフェクト)には関係なく自分の判断で行動する。そうしないと()()()()()()悪い未来が訪れた時、ジンさんを責めてしまうかもしれないし、彼の選択に従った自分が悪いのだと責めることになるだろうから。でも自分で選んだ道を歩いていて不都合なことがあったとしてもすべては自分の判断であるから後悔はしなくて済む。もう『仕方がない』で済まそうとすることはやめよう)

 

 

◆◆◆

 

 

ツグミはボーダー隊員になることを運命付けられていたような出自であったから、彼女に影響を与えた人物もその多くがボーダー関係者であった。

良きにしろ悪きにしろ、彼女の他人とは違う考え方はこうして培われていき、同時に彼女の行動や発する言葉ひとつひとつは多くの人間に影響を及ぼしてもいる。

はたして霧科ツグミという人間の行動がこれからのボーダーという組織にとって有益なものになるか、もしくは破滅へと誘うものになるかはまだ迅にも予知できずにいた。

なにしろ彼女は「人間の強い意思は定められた未来ですら変えることができる」と信じて行動しているのだから。

 

 





これで過去編は終了し、次回から新章(タイトルはあえて伏せておきます)となります。
時系列はB級ランク戦最終戦当日の夜に戻り、翌日の3月6日の朝から再開します。
(165話の続きです)




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