ワールドトリガー ~ I will fight for you ~ 作:ルーチェ
鳩原の「人が撃てない」という問題は解決されずに時間だけが過ぎていった。
もちろん本人も努力はしているのだが、この時期にユズルという弟子を持ったものだから、弟子の育成に夢中になっていて自分の問題の解決どころではない。
いや、他に理由を作って目の前の問題を見て見ぬふりをしようとしていたのかもしれない。
相変わらず人は撃てないものの、以前のように誤射してしまうことはなくなり、二宮隊の一員として十分に活躍していた。
そしてライトニングの改造は思うように進んではおらず、ツグミが用意したいくつかある「道」のひとつである「人を撃てない自分を肯定する」ことで前へ進むかのように思えた。
それからしばらくして新たな
今回は二宮隊として遠征に参加できることとなり、これで鳩原の
鳩原の人が撃てないという事実が上層部の耳に入り、それが理由で
一度決まった合格を取り消すということはそれなりの力を持つ人間の横槍が入ったとしか思えないのだが、事情はどうであれ城戸がNOと言えばNOであることに変わりはない。
そのショックは単に不合格であった時よりもはるかに大きく、特に鳩原にとっては天国から地獄に落とされたも同然だ。
彼女の精神的ダメージは計り知れないが、ツグミは逆に安堵していた。
(人が撃てないという事実は致命的な弱点だもの、危険な
ツグミがライトニングの改造で寺島に頭を下げたのは、鳩原が人を撃つことに対して抵抗感を薄れさせていくための手段を手に入れるためのものであった。
よって
そしてそのうちに人を撃つことに慣れるだろうとツグミは考えていたのだ。
いくら精密な狙撃ができるといっても
いつまでも人を撃ちたくないなどと
人を撃つ覚悟がない人間が
それができないのは鳩原に自分の希望や願いを託せるだけの友人がボーダー内にいなかったからで、ある意味彼女は哀れな女性であったのだ。
遠征に参加できないことが確定した鳩原はツグミに会うことを避けるようになった。
合同訓練でも一緒に訓練するどころかツグミの顔を見ると自虐的な笑みを浮かべて逃げてしまう。
やはりツグミにいろいろ面倒をかけていてこの体たらくであるから、顔を合わせにくいのは仕方がないことだ。
ツグミも鳩原の胸中を察してしばらく彼女の好きにさせてやろうと、あえて自分から彼女に声をかけることはしなかった。
しかしこの時にツグミが彼女の心の中にズカズカと踏み込むようなことをしてでも状況の改善を試みていたら、鳩原は密航などという最終手段に訴えることはなかったかもしれない。
ただ過去の出来事について今さらこうすればよかったなどと言っても詮なきこと。
あの時はそれが最善の手段だと考えていたからこそ何もせずにいた。
もし鳩原が民間人と共に密航することがわかっていたら、ツグミはどんな手段を講じてでも止めていたはずなのだ。
◆◆◆
5月2日は朝から雨が降っていた。
ツグミのもとに忍田から本部基地へ至急出頭するようにという連絡が来た。
この頃のツグミは忍田家を出て玉狛支部で暮らしていたので、同じく呼び出されたレイジと共に本部基地へと向かうことになる。
まだ理由を知らされていなかったのでふたりともわけがわからずにおり、指定された会議室に着くとそこには二宮隊と風間隊のメンバーが控えていて、城戸と忍田のふたりが難しい顔をしてふたりを迎えた。
「朝早くにわざわざ呼び出してすまない。そこに掛けてくれ」
忍田は空いている椅子をツグミとレイジに勧め、ふたりが腰掛けると城戸が口を開いた。
「風間、報告を」
「はい」
風間は立ち上がるとタブレット端末を見ながら自隊の調査の結果を淡々と説明し始めた。
その内容はツグミにとってまさに青天の霹靂であった。
風間の読み上げる報告内容は耳に入っても理解することができないものばかりで、「鳩原」「トリガーの民間人への横流し」「密航」という単語だけがハッキリと耳に残り、ようやく彼女は鳩原が重大な隊務規定違反を犯したことを知ったのだった。
事件の発生は前日である1日の午後、鳩原のトリガー反応が
そしてその3つのトリガーは隊員登録されていないフリーのトリガーであった。
隊員登録のされていないトリガーは
事件発覚後、ただちに風間隊が違反者捕縛のために現場に向かったが、関係者は全員姿を消してしまっていたのだった。
そこで事件に首謀者とおぼしき鳩原に近しい人物から事情聴取をし、事件の概要を掴もうということでツグミたちは呼ばれたのである。
二宮隊のメンバーだけでなくツグミとレイジが呼ばれたのは
東は鳩原の師匠であるがそれは彼女に限ったことではなく、ユズルは弟子というだけで悩みを相談するような相手ではないので呼ばれなかったらしい。
二宮隊のメンバーは先に聴取が終わっており、残るはツグミとレイジのふたりだけのようである。
ただレイジはここ1年近く本部基地で行われる
そしてツグミの番になったのだが、彼女の良かれと思ってした行動が裏目に出てしまったことを証明してしまったのだった。
「ツグミ、鳩原未来のことで知っていることを全部話してくれ」
忍田に命じられ、ツグミは自分や鳩原にとって都合の悪いことであっても包み隠しなく正直に話した。
「鳩原さんは
「人が撃てない弱点をカバーするために
「はい。ライトニング+
よって忍田がツグミに訊いたのは両者の証言に整合性があるかどうかの確認に過ぎない。
ツグミと忍田のやり取りを聞いていた城戸が口を開いた。
「つまり
城戸の言うことはもっともである。
トリガーの保管場所が
何度か
そうなるとツグミにも少なからず責任があるということになりそうだが、その点は問題にされなかった。
彼女が密航を教唆したのではないのだし、あくまでも善意で友人のために働いただけなのだから。
さらに忍田からの質問は続く。
「鳩原未来の交友関係について知っていることがあれば話してくれ」
これは一緒に
「彼女が特に親しくしていた民間人について心当たりはまったくありません。わたしは彼女と仲が良いと言っても
「そうか…。他に何か思い当たることがあれば何でもかまわない。些細なことでも良いから教えてくれ」
「今のところこれといって報告すべきことはありません。もし思い出しましたらすぐにご報告いたします」
「ああ、頼む」
これで忍田による尋問は終わった。
無関係とは言えないが事件の当事者ではなく、責任もないためにこれでツグミは帰宅を許された。
ただしこの事件に関することはすべて口外無用で、もし誰かに話せばその時には何らかの処分を受けることになると念を押されたのだが。
◆
鳩原と3人の民間人の行方は依然わからないままであった。
二宮たちは事件に関わったと思われる人物 ── 雨取麟児の存在を知ると雨取家を訪問していたが、家族の誰も麟児がボーダー隊員と共に
そして数日後、追跡を諦めた上層部は鳩原の処分を決めた。
表向きは単なる隊務規定違反によってクビになったということにし、密航だとかトリガーの横流しといったことには一切触れずに済ませてしまう。
ツグミは事情聴取だけで終わったが、二宮隊は部下の不始末の責任を取る意味でB級に降格処分となった。
関係者には箝口令が敷かれ、密航事件そのものを「なかったこと」という形で強制的に終わらせてしまうのだが、二宮は半年以上もずっと「真相」を知るために行動していた。
そしてこの事件の後にボーダーに入隊した修と千佳のふたりと麟児の接点を見付けて自ら玉狛支部まで足を運び、証言を得るために事件のあらましを修たちに教えることとなるが、それが玉狛第2という
◆◆◆
5月に起きた密航事件は非常にくだらないものであった。
「
そしてたった一度否定されただけで絶望し、重大な隊務規定違反を犯した。
本来なら次の遠征までに人を撃てるようになるという決心をすべきなのに、それが嫌で逃げ出しただけ。
おまけに事件が発覚すれば残された人間たちに迷惑をかけることを承知で密航している。
ツグミに対しても彼女の親切心に後足で砂をかけて逃げていったようなもので、彼女も二宮が事件の再調査をしていることを知らなければ「過去のどうすることもできなかった仕方がない出来事」として記憶の片隅に残っていただけであっただろう。
しかし過去の苦い記憶が呼び覚まされ、仕方がなかったこととして済ませることはいけないと思うようになっていった。
鳩原の密航事件から10ヶ月後、彼女と同様の事情を抱えた千佳は遠征に行こうとしている。
ただ千佳の場合は遠征艇の「燃料タンク」的な意味で同行が許されているだけで戦闘員としてはまったく期待されていない。
だから彼女が人を撃つことができてもできなくても問題ではないのだ。
ならばおとなしく彼女だけが「燃料タンク」として参加すれば良いものを、彼女の保護者を自認しているが戦闘員として未熟な修がおり、修のためなら何でもするという
奇しくも玉狛第2はB級ランク戦2位と「選抜試験を受ける
ボーダーの遠征はさらわれた身内や友人を探したいという
これまでの遠征の目的は密かに
しかし回数を重ねる毎に危険は増していき、最上や大勢の若者を喪った遠征は戦いを前提で行ったもので、アフトクラトルへは同じく全面戦争を前提とした遠征となる。
ボーダーとしては「さらわれたC級隊員32人の救出」を目的としているのに対し、玉狛第2の目的はまったく違う。
千佳は
いや、考えていないのではなく
修は麟児に「千佳を守れ」と言われたことによって彼女を守ることが「自分のやるべきだと思うこと」だと盲信していて、自分の命すら顧みないくらいだから戦場に立てばどうなるか想像できる。
遊真とレプリカを会わせたいというのも自分の失態の詫びで、自分の力でふたりを会わせてやれることが贖罪だと思っているのだろう。
また自分の失態で重要な情報がアフトクラトル側に漏れた責任を取る意味もあるのだろうが、もしC級隊員を救出することを優先したらそれこそ大惨事になりそうだ。
彼の日頃の言動から察すると、優先順位は「千佳の安全>C級隊員の救出>自分や千佳以外の隊員の生命」の順になると予想されるからである。
もし彼らがボーダーという組織のことを優先して物事を考えることができれば「
冷静に考えれば「アフトクラトルへの遠征はC級隊員を救出することだけを考え、その作戦に最も相応しいメンバーで固めて実行すべきであり、実力の伴わない
B級ランク戦の結果の速報を見たツグミは特にこれといった感慨はなかった。
なにしろ結果は想像できていたからだ。
迅が玉狛第2、特に修に対して異常なほど入れ込んでおり、それは彼が遊真を守るために風刃を城戸に返却したことからもわかる。
それらは迅の
迅はその最善の未来のために大規模侵攻で修の命を優先して多大な犠牲を払ったことがあり、ひどく自分を責めていた。
ツグミもそれは仕方がないことだと諦めたのだったが、本部職員が殺されたりC級隊員が拉致されず、尚且つ修も死なずに済む未来があったかもしれないと考えるようになった。
迅が自分に視えたことから未来を予知し、その中で最善と思われるものを選んだわけだが、もしひとりで悩まずにすべてを打ち明けてふたりで考えていたら違う未来があったのではないかと思えたからだ。
(ジンさんの
◆◆◆
ツグミはボーダー隊員になることを運命付けられていたような出自であったから、彼女に影響を与えた人物もその多くがボーダー関係者であった。
良きにしろ悪きにしろ、彼女の他人とは違う考え方はこうして培われていき、同時に彼女の行動や発する言葉ひとつひとつは多くの人間に影響を及ぼしてもいる。
はたして霧科ツグミという人間の行動がこれからのボーダーという組織にとって有益なものになるか、もしくは破滅へと誘うものになるかはまだ迅にも予知できずにいた。
なにしろ彼女は「人間の強い意思は定められた未来ですら変えることができる」と信じて行動しているのだから。
これで過去編は終了し、次回から新章(タイトルはあえて伏せておきます)となります。
時系列はB級ランク戦最終戦当日の夜に戻り、翌日の3月6日の朝から再開します。
(165話の続きです)