ワールドトリガー ~ I will fight for you ~   作:ルーチェ

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212話

 

 

ツグミがゼノンたちの遠征艇に着くと、ゼノンとリヌスに挨拶をする時間も与えずにテオが彼女を街へと連れ出した。

彼女と一緒に出かけたくて朝からウズウズしていたものだから、顔を見るなり強引に引っ張って行く。

 

「今日はオレの行きたい場所に連れて行ってくれるんだろ? オレ、前から行きたいトコがあったんだ」

 

興奮気味のテオがツグミに言う。

それを苦笑しながら見つめるツグミだから、傍目には仲睦まじい()()のように見えることだろう。

 

「行きたいトコってどこなの?」

 

「いくつかあるんだけど、まずはここ!」

 

テオは三門市内で配布されているフリーペーパーを開いてツグミに見せた。

繁華街にある老舗のフルーツパーラーの店舗が紹介されているページで、テオは目をキラキラさせて言った。

 

「これって金を払えば何でも好きなだけ食べてもいい店なんだろ?」

 

「ええ、たしかに昼間の時間帯はブッフェ形式で、平日は90分食べ放題になっているみたいね。わたしはまだ行ったことないけど」

 

「ここに行きたいんだよ、オレ。いいだろ?」

 

「もちろん! …今からなら十分間に合うから行こっか。わたしもスイーツは大好きで、いつか行きたいなって思ってたからちょうどいいわ」

 

「じゃあ、決定だ」

 

上機嫌のテオと並んで歩くツグミ。

今の彼は例の変身トリガーを使用しているために見た目は紛うことなき日本人の少年なのだが、街の中のあらゆるものに興味津々でいちいちツグミに訊くものだから目立ってしまい、彼女は少々恥ずかしいと感じていた。

 

(まるで小学生みたい。トリオンとトリガーに関しては先進国でも、それ以外はこちら側の世界の100年も200年も遅れているようだから、見るものすべてが珍しいのは仕方がないわよね…。ひと月以上滞在しているといっても任務でボーダーのことを調べたりわたしの後を付け回していたりだったから、普通に街歩きをするのは初めてなのかも? 他にも行きたい場所があるみたいだけど今日はフルーツパーラーだけでおしまい。行動できるのが午後からで時間も4-5時間しかないからあまり遠くへは行けないのが難点よなのよね。1回くらいは丸一日かけて遠出もしてみたいけど、近界民(ネイバー)を市外に連れ出すのはNGだろうな…)

 

ツグミには近界民(ネイバー)であるゼノンたちに見せたいものがたくさんあった。

しかし高校生の彼女では行動範囲に制限はあるし、なにより10日や20日では時間が足りない。

それでも時間の許す限りゼノンたちが望むものを見せたいと思っていて、彼女なりに自分のできることを精一杯やっているのだ。

 

(それにしても真っ先に行きたいってところが食べ物関係の場所って、食いしん坊のテオくんらしいわ。でもそれだけ近界(ネイバーフッド)では食文化が貧しいんだろうな…。特にキオンは寒冷地ゆえに慢性的な食糧不足状態にあるから、食べ放題というのは何よりも魅力的なのよ、きっと)

 

テオがツグミに見せたフリーペーパーは1月中旬から2月中旬にかけて市内のコンビニ等に置かれていたもので、ところどころ破れていたり皺が寄ったりしている。

普通は一度読んで捨ててしまう程度のものであるが、テオにとっては何度も見返してしまうほど価値のあるものなのだろう。

彼らの話によるとカラー印刷の紙媒体は貴族階級でもほとんど普及しておらず、写真ともなれば皆無であるらしい。

そうなると当然ゼノンたち市民階級の人間には生まれて初めて見るものだったわけだ。

 

(こういうのってカラフルな写真がたくさん載っているから、それを見ているだけでも十分楽しい。きっとこれを見ながら任務が成功したらどこに行こうか…なんて相談していたのかも? だとしたら申し訳ないな…。だけど成功していたら今頃キオンに連れ去られていて、どこかの国との戦争に利用されてこんなに暢気にしてはいられなかった。わたしは自分自身がいつどこでどんな風に命を落とすことになっても後悔はしない生き方をしているけど、わたしが死んで哀しむ人がたったひとりでもいるのなら絶対に死ねない。死んでその人を哀しませるのは、それは自分が死ぬことよりも辛いことだから)

 

ツグミが迅や忍田の顔を思い浮かべながらそんなことを考えていると、テオにコートの袖を引っ張られた。

 

「ツグミ、何ボケっとしてんだよ? ここからバスに乗るんだろ?」

 

ふと気が付くとバス停に着いていた。

テオの言うようにここからバスで約15分かけて街の中心部へと向かうのだ。

 

「あ、ゴメン。ちょっと考えごとをしていたものだから」

 

ツグミが謝ると、テオが彼女の顔を見ながら言う。

 

「ツグミ、オレたちに対して負い目を感じることなんてないんだぜ」

 

「え?」

 

「オレたちの任務はおまえをさらって(ブラック)トリガーを手に入れることで、おまえからすればそれってものすごく理不尽なことだ。だからおまえが必死になって抵抗したのは当然で、この勝負はおまえが勝ってオレたちが負けただけのこと。そりゃオレたちは任務に失敗して悔しいし、国に帰れば処罰されるってことでちょっとだけ恨んだこともある。でもおまえは捕虜になったオレたちに対して客人扱いしてくれたし、今だってオレたちが帰国した時に罰が重くならないようにっていろいろ考えてくれている。近界(ネイバーフッド)ではオレたちみたいな諜報員を捕虜にした時は自白剤飲ませたり拷問して情報を吐かせ、用がなくなったら洗脳して最前線で戦わせたりトリオン器官を抜いて殺したりするんだぞ。それに比べたら天と地ほどの差があって、オレたちはおまえに対して感謝以外の気持ちはない。だからオレたちのことはあんま気にすんな」

 

「うん。…ところでわたしの考えていることがよくわかったわね? ひと言も会話していないのに」

 

ツグミが不思議そうな顔をして訊くと、テオはドヤ顔で答えた。

 

「オレのサイドエフェクトは会話をしながら嘘を見破るんだと思ってるだろ? それがちょっと違うんだな。ツグミには教えてやるよ。オレは自分に向けられている感情でわかるんだ。例えばおまえと隊長が会話をしている時はオレに対して感情が向いていないからわからない。でもオレとおまえが会話をすればオレに対して感情が向く。嘘を言っていればそれがバレないようにしなきゃ、とか思うだろ? だから言っていることが嘘か本当かわかるんだ。今は会話していないけど、オレのことで考えごとをしていたからオレに感情が向けられた。オレのサイドエフェクトは対象の人物の心の動きを読み取る力なんだよ。これは家族以外だと隊長とリヌスとおまえの3人しか知らないことなんだぜ。他の奴らには絶対に秘密だからな」

 

「じゃあ、なんでそんな秘密をわたしに教えてくれたの?」

 

「そりゃ…ツグミはオレにとって家族と同じくらい大切な友人だからさ。おまえだってオレたちのことを友人だって言ってくれたじゃないか」

 

「テオくん…」

 

「オレにとっておまえは初めて友人だって言ってくれた貴重な人間なんだよ。オレの周りの同年代の連中はみんな自分がのし上がるためのライバルばかりで、隙あらば誰かを蹴落としてやろうって考えてた。幼年学校でも訓練所でも心を許せる奴なんてひとりもいなかった。ほら、オレって他人の心の中が読めるから、うわべは親しげでイイ奴っぽく接してきても腹の中が真っ黒だってわかっちまう。キオンでは一等市民に生まれなかった人間は軍人として手柄を立てることでしかまともな暮らしができないからみんな必死になって勉強や訓練をするけど、自分よりも優秀な奴がいると邪魔なんだよ。ライバルを陥れようとしてテスト前日の夕食の時にカビたパンを食わせたり、部屋を留守にしている間に侵入して私物を全部川に捨てたりとか…とにかく陰湿で卑怯なことを平気でやる連中ばかりだった」

 

「……」

 

「オレはサイドエフェクトのおかげでそういった嫌がらせを上手く回避してきたから無事に訓練所を卒業できた。敵意ってのは隠そうとしても隠せない厄介なもんだからすぐにわかるんだ。だけどツグミには敵意なんてこれっぽっちもなくて、オレたちのことを心配したり喜ばせようとしたりする好意的な感情しかない。オレたちを捕虜扱いしようとした仲間に対してオレたちのことを友人だって言うものだから、そうやってオレたちを懐柔して情報を引き出すつもりなんじゃないかって一瞬疑ったけど、すぐにそれはないってわかった。おまえのオレに接する態度に裏表がないからさ。まあ、オレたちに対して好意的に接するのはおまえ自身のためだってこともわかったけど、別にそのことで嫌な気分にはならなかったよ。だって誰だって立場が違っても同じようなことはするもんな。そしてオレとおまえは友人だっていう確証があるから、オレは自分の秘密を打ち明けたくなったってわけさ」

 

「うん…良くわかった。そして安心したわ」

 

「安心?」

 

「だってわたしはテオくんたちの心の中はわからないから。わたしがみんなのために良かれと思ってやっていることでも受け取る側のあなたたちが迷惑だと感じていたら逆効果でしょ? 今までけっこう不安だったのよ。…近界(ネイバーフッド)玄界(ミデン)という習慣や文化の全く違う異世界の人間同士が敵同士として出会ってしまったのだし、あなたたちの任務が失敗した理由はわたしにある。いくらわたしが友人だと言っても信用してもらえないのが当然だし、これまでやっていたこともひとりで空回りしていただけなのかもって思ったら怖かった。表面上は友好的でも内心では嫌われていることは普通にある…っていうのはあなたが一番良くわかっていることよね。でもテオくんが自分の秘密を明かしてくれるくらいにわたしのことを信用してくれているのだとわかったから安心した。ううん、それだけじゃなくてすごく嬉しい。ありがとう、テオくん」

 

ツグミが本心から感謝をしており、同時に自分に対する親愛度が高まったのを感じたものだから、テオは嬉しいというよりもどうしてよいのか戸惑ってしまった。

若い女性に縁のないキオンの青少年にとってツグミのような少女からストレートに好意 ── 恋愛感情ではないが ── を寄せられて悪い気はしないが、慣れていないのでどうしたらいいのかわからないのだ。

 

「別に礼を言われるようなことじゃないさ。むしろオレたちの方がおまえに礼をしなきゃいけないくらいなんだから。でも今のオレたちじゃお返しをするにしてもできることはあまりない。おまえは近界(ネイバーフッド)のことを知りたがっているからそれを教えてやるくらいしかできないな。もちろんダメなものはダメだけど、できる限り教えてやるから遠慮なく訊けよ」

 

「うん、頼りにしているからね、テオくん」

 

それからまもなくしてバスが来た。

 

 

 

 

目的のフルーツパーラーに足を踏み入れたテオは目の前に広がる光景に圧倒されてしまい、その奥に行くのを躊躇ってしまった。

平日であるからそれほど混雑はしていないものの、十代から二十代にかけての若い女性が20人ほどいて楽しげに会話をしながらスイーツを楽しんでいるのだ。

普段なら男性客もちらほら見かけるものだが、この日はなぜか女性客しかいなかった。

 

「これくらいのことで怖気づいたなんてことはないわよね?」

 

入口で足を止めたままのテオをツグミがからかう。

 

「まさか。オレは諜報員だぜ。まずは周囲の状況を把握するに決まってるだろ。未知の場所に無闇に突っ込んで玉砕するのは諜報員としての恥。ちゃんと ──」

 

「大丈夫。ここには危険も戦略的な情報もないから。あるのは美味しいフルーツやスイーツばかり。早く行きましょ」

 

「そりゃ行きたいけどさ…ここ、女ばかりじゃん。オレが入っても大丈夫なのか?」

 

「こういう店はスイーツ好きの女性客が多いのは当たり前だけど、男性だってスイーツの好きな人は大勢いる。今日はたまたま男性客がいないだけよ。周りの人のことは気にせずに食べたいものを思う存分食べるといいわ。遠慮していると食べそびれることもあるから覚悟しておきなさい」

 

ツグミが受付でふたり分の料金を支払うと、時間の記載された伝票とトレイを受け取った。

そして指定されたテーブルに荷物を置くと、ツグミはテオに言う。

 

「これから90分間、好きなものを好きなだけ食べていいんだけど、お皿に山盛り持って来るのはマナー違反だからね。最初はわたしが盛るのを見ていてそれを真似して、全部食べちゃった後は自分の食べるペースで自由に持って来ていいから」

 

「わかった」

 

ツグミとテオは一緒に色とりどりのケーキやフルーツが並んでいるコーナーに行くと、それぞれが自分の気に入ったものを順に皿に載せていった。

この店は季節によって内容は変わるものの、常時フルーツが10種にケーキやジェラートといったスイーツが30種、そしてサンドウィッチやスコーンなどアフタヌーンティーが楽しめるメニューが取り揃えられている。

ひとつひとつが通常よりも小さいサイズなので、女性であっても全種類食べるのは不可能ではなさそうだ。

そして現在はイチゴを使った季節メニューのケーキがメインとなっていて、イチゴ好きのツグミにとっては天国のような場所となっていた。

一方、テオは生まれて初めて見る南国のフルーツの数々に目を奪われ、手当たり次第に載せていくものだから皿はフルーツだけでいっぱいになってしまう。

小さなテーブルに向かい合って腰掛けたツグミとテオはこの上なく幸せそうな顔で食べ始めた。

制限時間があるからのんびり会話をしている余裕はなく、テオは胃袋に詰め込めるだけ詰め込むといった勢いで食べている。

なのでツグミがひと皿食べ終わる前にテオは3皿目を食べていて、ツグミがふた皿目を取りに行こうとしたタイミングでテオは3皿目を平らげた。

 

「そんなに勢いよく食べて大丈夫? 食べ過ぎでお腹が痛くなったらどうするの?」

 

ツグミが心配して訊くと、テオはあっけらかんと答えた。

 

「これ、トリオン体だぜ」

 

「あ…」

 

「だからいくらでも食べられる。それよりもツグミは少食だなあ。それじゃ全部食べ切る前に時間切れになっちまうぞ」

 

そう言ってテオは慣れた手つきでメロンやパイナップル、マンゴーなどのフルーツを盛り合わせて自分の席へと戻って行った。

結果、90分間ずっとテオは食べ続け、40種以上のスイーツやフルーツを全種類制覇し、それも全種類を2周した上で気に入ったものは3回4回と取りに行っていたくらいだから十分()は取れたはずだ。

 

 

 

 

これ以上ないといった上機嫌な顔のテオを見ていると、ツグミ自身も幸せな気分になってきた。

 

(美味しいものを思う存分食べることができたんだから満足したはずよね…)

 

ツグミがそう思ったとたん、テオがツグミの顔を見て言った。

 

「当然だろ。…なあ、ツグミ、玄界(ミデン)では誰でもこんな美味いものを自由に食べれるんだよな?」

 

「え? …ええ」

 

「キオンでは食料はすべて属国で作られたものを強制的に収用しているんだけど、果物なんて一等市民の口にしか入らない。オレは二等市民だから本国にいた時は一度も食べたことはなかった。初めて果物を食べたのは任務で行った国…リヌスの故郷のエウクラートンで、その時食べたリンゴの味は今でも覚えてる。甘くて美味しかったものだから家族にも食べさせてやりたくて土産に持って帰ったくらいだ」

 

「……」

 

玄界(ミデン)は食べ物ひとつとっても近界(ネイバーフッド)のものとはレベルが違う。キオンの二等・三等市民の間には食事を楽しむという考え方はない。なにしろ生きていくだけで必死だから毎日朝晩の2回の食事ができればそれだけで十分。三等市民の最下層の連中だったら1日1回、古いパンの欠片を囓ることができるだけでもありがたいというくらいなんだ。食事…いや、ものを食うという行為は楽しむことじゃなくて、生き永らえる手段でしかない。でも玄界(ミデン)では食事が娯楽にもなっている。オレは食事が楽しいことなんだって玄界(ミデン)に来て初めて知った。それも誰と食べるのかが重要だってことも」

 

「……」

 

玄界(ミデン)の食べ物はどれもみんな美味いんだけど、ひとりで食べる時よりも隊長やリヌスと一緒の時の方が美味いって感じるし、ツグミと一緒だともっと美味く思えるんだ。…思い返してみるとキオンにいた時、固いパンや具の少ないスープでさえ家族と一緒に食べると美味く感じた。それでオレはひとつの結論に達した。人間ってのは美味しいものを家族や友人といった仲の良い人間と一緒に思う存分食べることで幸せになれるんだって。近界(ネイバーフッド)の国々は程度の差こそあれ玄界(ミデン)に比べたらトリオンとかトリガーの技術が優れている。軍人のオレが言うのもなんだけど、その技術で人殺しの道具をたくさん作って戦争をしているだけだ。オレはまだこの手で人を殺したことはないけど、軍人だから命令があれば人を殺さなきゃならない。でも人を殺してもオレは幸せにはなれないと思う。人を殺しても幸せになれないだけでなく、相手の命を奪えばそいつらの家族とか友人というオレとは無関係な何人もの人間を不幸にしてしまうことになる。なんてくだらないことなんだ、って思うだろ?」

 

「ええ、そうね」

 

「オレが軍人になったのは家族を一等市民にしたいからなんだけど、それだって家族に腹いっぱい飯を食わせてやりたいって思いからなんだ。でもなんだか虚しい気分になってきた。軍人なんてものは階級が上の人間はなかなか死なないけど、オレたちみたいな下っ端はいつ死んでもおかしくない状況にあって、きっと今頃父さんや母さんたちはオレのことを心配しているに決まってる。家族のためにって働いていて、その家族を心配させるのは矛盾しているもんな」

 

「……」

 

近界(ネイバーフッド)で戦争が絶えないのはトリオンに頼りきっている文明に限界があるからだ。昨日ツグミが隊長に玄界(ミデン)では地中にある化石燃料を主にエネルギー資源として利用していたけどそれには限りがあって、代替えエネルギーとして太陽光や風力といった自然界にあるものを利用しようと頭を切り替えたって話しただろ? 近界(ネイバーフッド)でもトリオンを使わないでも済むのなら、トリオン目的での戦争がなくなる。そして食糧不足が解消されれば美味いものを誰でも食べられるようになって、オレも家族と一緒に美味いものをたくさん食べられるようになる。たぶんオレだけでなくてほとんどの人間が同じ気持ちだと思うんだ」

 

「……」

 

近界(ネイバーフッド)の国々自体が(マザー)トリガーって()()によって成立しているくらいだから、トリオンとオレたちの存在は切っても切り離せない部分がある。それが当たり前で、トリオン目的での戦争が絶えないのは仕方がないことだって誰もが諦めている。でも諦めて、我慢して、それでおしまいにするなんてもうできない。長い間続いてきた近界(ネイバーフッド)原則(ルール)であっても変えようとする意思があれば変えることができるんじゃないかって思えてきたから。今の原則(ルール)が長い間続いてきたのはそれが真理だからじゃなくて誰も変えようとしなかっただけなんだ。もしオレたちがこの原則(ルール)を変えることができたら、今度はそれが新しい近界(ネイバーフッド)原則(ルール)になると考えてるんだけど、ツグミはどう思う?」

 

「変えられるかどうかはわからないけど、変えようという意思がなければ絶対に変わらない。それに変えようと思う人間が大勢いなければダメ。貴族や一部の軍人とか既得権益を持つ者たちに握り潰されちゃうから。今のままがいいって人間はどこの世界にもいるから。ただどんなことでもひとりから始まる。そのひとりが同じ考えを持つ仲間を増やしていって体制をひっくり返してしまうことは歴史上何度もあったのは事実だからね。今すぐに現状を変えることは無理でも焦らずに諦めないこと、そしてどんな困難にぶつかってもへこたれないことが大切よ。テオくんにはその覚悟はある?」

 

「ある! オレは家族を一等市民にしたくて軍人になったわけだけど、それは一等市民になれば幸せになれると思っていたからだ。でも考えてみれば『一等市民=幸せな生活』という考え自体がおかしいんだよ。近界(ネイバーフッド)の国々をいくつも見てきたけど、生まれながらにして身分に人生を縛られて不自由な思いをしているのは少数の国だけだ。まあ、どこもキオンと同じで自然環境が厳しくてすべての人間が同じように生きていくのが難しい国ばかり。国民すべてを生かすことができないなら、一部を切り捨ててでも大多数を生き延びさせようってことなんだろうな」

 

「……」

 

「だからってそれを認めるのは嫌だ。切り捨てられる方の身にもなってみろ、ってんだ。もしオレが一等市民だったら現状に甘んじて楽な暮らしをしていたし、逆に三等市民だったら死ぬまでその惨めな人生を送るしかないって諦めていたと思うんだ。でも二等市民の階級に生まれたから、オレは変わろう、変えようという気になれた。…もっとも玄界(ミデン)に来てツグミに会えたからそう思えるようになったんだけどな」

 

テオはそう言ってツグミに笑顔を見せた。

ツグミには他人の心の中を読む能力はないが、彼の言葉に嘘偽りはなく本心からそう思っているのだということはわかる。

 

「テオくんの覚悟は良くわかったわ。だからわたしも精一杯あなたやゼノン隊長やリヌスさんのことを応援する。わたしも現状に甘んじるとか、もうこれ以上はダメだとかいって諦めるのが大嫌いだから。…これはわたしの信条なんだけど、人生の目標というハードルはあまり高くしないで初めは無難な位置にしておいた方がいい。そうしないと越えるのに苦労して途中で投げ出してしまいがちだから。初めは低い位置であってもそれを乗り越えたら次にもう少し高い位置に目標を定める。それをまたクリアしたら次の目標…ってカンジにしていけば最初に身の程知らずの高さに目標を定めて挫折する人間よりもずっと高みに昇ることができると思うのよ。だから初めから近界(ネイバーフッド)原則(ルール)を変えるなんて決めてしまわないで、まずは『キオンに無事に帰国して家族と再会する』を目標にすべきだわ。この目標だって現状ではかなりハードなんだからね」

 

「あ…そうだった。最悪の場合は家族に会えないままに強制収容所送りだもんな」

 

「そうよ。もっともわたしがそんなことには絶対にさせないから。テオくんがわたしやボーダーに対して役に立つ情報を提供してくれるなら状況は改善される。これは保証する。だってボーダーにとってキオンが脅威となるのではなく、逆に味方になってくれるのだとわかればあなたたちが帰国する時にいろいろ便宜を図ってくれるはずよ」

 

「!? …ツグミ、本気でそんなこと考えてんのか?」

 

ツグミの心の中が読めてしまったものだから、テオは彼女の計画を知って驚いてしまう。

ツグミもどうせいつかバレるのだからと平気な顔をしているが、釘を刺すように言った。

 

「これはまだゼノン隊長にもリヌスさんにも内緒だからね。それにまだそうなるとは決まっていないんだから。実現させるにはもっとアフトクラトルの情報が必要になるの。だからテオくんも協力してちょうだい」

 

「わかった。おまえの秘密は誰にも言わない。アフトのことは一度しか行ったことがないからあまり教えられることはないけど、それでもベルティストン家の城下に潜入した時のことは覚えているから役に立つと思うよ」

 

それから遠征艇に戻るまでの間、テオはツグミに請われるままにアフトクラトルのことを話した。

そのすべてが役に立つものとは限らないのだが、テオが自分のために他人に口外してはいけないことまで話してくれているのだからとツグミは一言一句聞き逃すまいと耳を傾け、その内容は翌日の朝にはもう忍田()()()の手元に報告書の形で届けられたのだった。

 

 

 

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